2nd BET「転落か?黒焦げか?」
「このナマクラ!木偶の棒!そういう大事なことは先に言え!」
<聞かなかったお主が悪い。それに、お主が知らない大事なことなど他にいくらでもあるわ>
「斬る以外にもあいつらを撃退する機能はないのか?」
<ない。我が機能は『斬る』という一点に集約されておる>
「じゃあ、使用制限時間を短縮する方法は?前借とか」
<それもできぬ。どうやっても、あと23時間40分経たねば、我を使うことはできん>
「あああ、使えねえなあ!」
<聞き捨てならん台詞を吐いたな!?もう絶交じゃ!>
小学生の喧嘩のようなやり取りを繰り返しているうちに周囲をすっかりドラゴンに取り囲まれてしまった。
今の凛にとっては剣と交渉する以外の選択肢はなかった。
一人ならば、足元の棒(山と呼ぶよりも、もはやそう呼んだほうがしっくりくる)を滑り降りることもできただろうが、背中にいる鈴にはそれはできないだろう。
出会ってわずか数分だが、鈴を見捨てることはできない。
人を大事にせよ。幼いころから父親に叩き込まれてきた教えだ。
それになにより、この先何が起こるかわからない異世界で、彼女は唯一の理解者でありパートナーだ。
二人ともが助かる手段を探す以外に道はない。
しかし、できることと言ったら目の前の自称=神剣に罵声を浴びせることくらいだった。
背中で上がる怒声を聞きながら、鈴は凛に対する認識を少し改めた。
(思ったよりも若いのかもしれないな・・・)
数分前に出会ったときに感じた老獪さは、今では成りを潜めて見える。
もっとも、こんな状況でも冷静さを保ち続けることなど早々できるものではない。
不思議だったのは、背後の凛よりもむしろ今の自分だった。
なぜこんなにも落ち着いているのか?
いや、違う。落ち着いているわけではない。
鈴は、今の自分を冷静に分析した。
そうだ、自分は今興奮しているのだ。
興奮の正体はほどなくして分かった。
違和感だ。
研究者としての人生は長い。そして、その中で一番大事にしていたのが違和感だった。
今までの経験と目の前の事実を照らし合わせた時に生じるわずかな綻び。
その綻びを解いていった先に、新しい発見が広がっていた。
そこからいくつもの成果を生み出し、その成果が今の鈴を形作っていった。
ゆえに、鈴は経験的に知っていた。
違和感を無視してはいけない、ということを。
(私は、何に違和感を持っているのかしら?)
周囲の人間が聞いたら驚くだろうが、鈴は直感型の研究者だった。
感性が先に働き、理屈が後で追いかけてくることがほとんどだった。
今もそうだ。違和感を覚えていることに気づいてから、その原因を探し始めている。
こんな世界に自分が存在していること自体が違和感の塊だし、何でも切り裂くという凛の剣についても理不尽の塊ではあった。
しかし、自分が抱いている違和感はそういうところからくるものではないと直感が告げていた。
異世界だろうと、物理法則はある。構成されている物質だって全く違うもののはずがない。
現に、今こうして呼吸できていること自体が大気と酸素の存在を証明してくれている。
ここは異世界だが、完全な未知の世界ではない。
(探しなさい。きっとそこに突破口があるはずよ・・・!)
周囲を取り囲むドラゴンの群れは、威嚇するように咆哮を上げながら、その包囲を狭めつつあった。大きな翼をはばたかせ、空を舞う姿はまさしく空の王者。
翼から巻き起こる風がこちらにも届くほどに、敵との距離は近づいていた。
初めに自分が乗っていたドラゴンとは違い、周囲のドラゴンの鱗は鮮やかな朱色をしている。
頑丈な鱗や、鋭い爪は変わらなかったが、鱗の色だけが異なって見えた。
(赤いドラゴンといえば・・・もしかして・・・)
違和感とは別の直感が警報を鳴らした。いわゆる、『嫌な予感』というやつである。
背後の凛にはその様子は全く見えていないだろうが、いまさら言ったところでどうにもならなかっただろう。
それでも、さっきと同じように「そういうことは早く言え」と怒るのかもしれないが。
嫌な予感は現実となった。
鈴の目の前のドラゴンの喉元が大きく膨らむ。
首を大きく上にそらし、こちらに頭を放り投げるように前に突き出す。
同時に、喉元にたまった何かを吐き出すように口を開いた。
その姿を見て、なぜか鈴は飲みすぎた中年サラリーマンが道端で嘔吐する様を思い出した。
しかし開いた喉元から出てきたのはかつて居酒屋のメニューだったものではなく、ドラゴンの鱗にも負けないほどにまばゆい真紅の光だった。
(・・・奇麗・・・)
思わず見とれるほどに純粋で眩い光を放つ紅蓮の炎は、しかし圧倒的な死の気配をまとってこちらに押し寄せてきた。
<おい、ドラゴンがブレスを吐いたぞ。避けんでいいのか?>
「なんだって!?」
実は、神剣の声は鈴にも聞こえていたが、今の今まで気にしないようにしていた(幻聴だと思っていたのだ)
幻聴ではないと認めたところで、いまさらどうしようもない話だった。
こんな足場では避けることなどかなわない。当たらないことを祈るだけだった。
強運を自負する凛の賜物か、幸いにも初弾は狙いを逸れ、炎は鈴たちのはるか下の棒に衝突した。
炎は棒にまとわりつくように燃え盛り、しばらくは消えそうになかった。
(これで、棒を滑り降りることもできなくなっちゃったわね)
<あの~・・・>
「なんだよ、また言い忘れてた大事なことでも思い出したのか?」
<あれはファイアドラゴン。見ての通り炎を吐く。奴らは残忍な性格で、遠くから獲物を炎でジワリとあぶり殺すことを得意とする>
「それは、貴重な情報をどうもありがとうよ!」
投げやりなせりふを吐きながら、背後の男は必死に周囲を見回していた。
どうやら、まだどうにか生き残る手段を探しているようだったが、半分はあきらめたような様子でもあった。
(違和感の正体は・・・何なの?)
諦めの悪さで言えば、彼女の右に出る者はいなかった。
しかし、どちらかといえばその対象は生き残る術というよりも、違和感の正体を突き止める探求心に振り分けられていたが・・・
<あの~・・・もしもし?>
またも脳内に声が響く。しかし鈴はそれを無視した。思考に没頭した鈴の集中は並のことでは逸れることはなかった。
(ドラゴン、炎、大群・・・大きい翼・・・大きい体・・・もしかして!?)
鈴は急に空を見上げた。正確にはそこには空はなく、鏡写しのように足元と同じような地面が広がっていた。
そして、彼女は一つの仮説にたどり着いた。
仮説を検証する方法は、いたってシンプルだった。
「ねえ冴木君。あなた、ライター持ってたわよね?」
「急にどうした?ライターの炎であいつらに対抗しよってのか?」
「そうじゃないわ。どうしても確かめたいことがあるの。貸してちょうだい」
「ああ、わかったよ」
しぶしぶと、しかし手早く凛は鈴にライターを渡した。
ライターを受け取るや否や、鈴はそれを足元に放り投げた。
「おい、何すんだよ。あれしか持ってないんだぞ!?」
「吸わないって約束したばかりでしょ。それに、どうしても我慢できなくなったら目の前の彼らに火を貸してもらいなさい」
凛の悲鳴を受け流しながら、鈴は落下していくライターをじっと観察し続けた。
真下に投げたライターは、放物線を描くことなく真下に落下していく。
その様子を見て、鈴は満足げに笑った。
仮説は、正しかった!
後の問題は目の前のドラゴンが吐く炎だが、これは、彼の運を頼る以外にないだろう。
鈴が覚悟を決めようとしていた矢先、またも声が脳内に響いた。
<あの~・・・>
「冴木君、さっきからあなたの剣が何か伝えたがってるみたいよ?」
「おい木偶の棒。今度はなんだ?あのドラゴンがどうやって俺たちを食うのかを懇切丁寧に教えてくれるつもりか?」
<そんな悪趣味なことを言ってどうする。奴らは残忍だが、直接生物を食ったりはせん。あいつらは炎で焼き殺す以外には攻撃手段を持たんしな。それに、さっきのはわしの声じゃないぞ>
「え・・・?」
<よかった、ようやく気づいてくれたんですね?>
よくよく聞いてみれば、その声は神剣とは違い、穏やかな女性のようであった。
「誰・・・?という聞き方は適切じゃないかもしれないけど、どこにいるの?」
<どこって・・・あなたの腕にいるわ>
言われるままに自分の腕を見降ろしてみる。
すると、両の手首に見慣れない腕輪があった。
「いつの間に・・・!」
<気づいてなかったのですね・・・はあ>
呆れたようにため息をつく声に、なぜか鈴は申し訳ないような気分になった。
<改めて自己紹介させてください。私は神器ヘス。そこにいるエクス=ディンガーの親戚のようなものだと思ってください>
<ちっ、気づいちまったか・・・>
「おまえ、ちょっと性格悪すぎないか?」
神剣に悪態をつく凛をよそに、鈴は急いでもう一つの神器に向かって声をかけた。
「自己紹介ありがとう、ヘス。ところで、あなたにも何か不思議な力を持ってたりするの?見ての通り、私たち今困ってるの。助けてくれるとありがたいのだけど」
<私の力は『結合』です。手に触れたものならどんなものでも結びつけることができます。神剣と同じく、対象を明確に理解しているほど力は強まりますが、神剣とは違い、何度でも使用可能です>
「なんでも結びつけることができる・・・ですって!?」
鈴は素っ頓狂な声を上げた。
「定義があいまいよ。はっきり説明して頂戴。手に触れるってどういうこと?触覚で探知できないものに有効なの?それに結合といっても何種類もあるでしょ!?物理吸着なの?化学吸着なの?」
<すいません、質問の意味が理解できません。物理・・・吸着?>
矢継ぎ早に繰り出された質問に、両手の腕輪は困惑したような声を上げた。
鈴は思わず舌打ちをする。
「そんなことも知らないの!?ちゃんと義務教育受けてる?」
「おい、落ち着けって!そんなもん受けてるわけないだろ!?」
「わたし、相手の言ってることが理解できないのが一番嫌いなの・・・!」
背中越しでも鈴の剣呑な気配は凛に伝わった。美しく大きな青い瞳が険しく引き絞られている様が目に浮かぶ。
<お怒りはごもっともかもしれません。では、こうされてはどうでしょう?>
ヘスは穏やかにこう続けた。
<ご自分で試されてはいかがですか?>
「・・・その通りだわ」
分からないことを試して確認する。突き詰めて言えば研究者の仕事はこれに尽きる。
こうかもしれないという仮説を立てて、それが真実かどうかを検証する。
先ほどのライターを同じだ。
時間はない。確かめる方法も限られている。
決心すると、鈴は両の掌を胸の前に合わせた。
意識を集中して、こうあってほしいという姿を思い描いてみる。
<そう、その調子です。思い描く姿が正確で鮮明であるほど、私の力は強くなります>
どうやら自分の仮説は正しかったようだ。両手の間には思い描いたものが形成されていた。
「冴木君、私はあなたに助けてもらった。だから、私もあなたを助けたい」
理屈を上手に伝えることは得意だが、思いを言葉にすることは苦手だった。言葉を飾り付け、相手に心地よく届けることが致命的にへたくそなのだ。
しかし、率直に、不器用にでも思いを伝える必要がある。いや、そうしたいと願っている。
だから、鈴は全力で言葉を紡いだ。
「ここから助かる方法があるかもしれない。私を・・・信じてくれる?」
返答は、言葉ではなく行動で帰ってきた。
絡めあった肘が、より強く抱き寄せられた。
両腕を通して感じられるのは、彼の体温であり、信頼だった。
(言葉以外でも、こんなにも思いが伝わるものなのね)
研究者の意思疎通は、言葉と数式だ。それ以外にはない。
しかし、背後の相棒からはそれらよりも強い意志を感じ取れた。
また一つ、新しい発見をできたことと、自分へ寄せてくれた信頼に感謝しながら、鈴はこう続けた。
「肘をほどいて、後ろから私を抱きしめて。そして、何があっても放さないでね」
「・・・分かった!」
若干躊躇したのちに、凛は肘を解いて慎重に体の向きを変え、鈴を背後から抱きしめた。
おかげで、鈴の両手は自由に使えるようになった。
「それで、どうするつもりなんだ?」
「ここから、跳ぶわ!」
「なんだって!?」
言うや否や、鈴は全体重を足元に向かって投げだした。
信じるという言葉に嘘はなく、背後の凛からは悲鳴も嘆きも聞こえなかった。
仮説の検証はしたが、自分の身で確かめるとなるとまた違った恐怖がある。
しかし、他に手は思い浮かばなかった。あとは、自分の仮説を信じるだけだ。
二人の両足が完全に地面から離れ、体が宙に浮いた。
続いて落下が始まる。自由落下に伴う浮遊感が全身を覆った。
浮遊感をかみしめながら、周囲を見回して、鈴は自分の仮説がやはり正しかったことを確信した。
「なんだか・・・ゆっくりと落ちてないか?」
凛も気づいたようだった。
鈴は研究者冥利に尽きるというように、周囲のドラゴンたちを指さしながら説明を始めた。
「そもそも、最初に感じた違和感はあの巨大生物たちよ。あんな巨体が空を飛ぶこと自体がおかしいと思わない?翼は確かに大きいけど、あれだけの巨体を浮かせるには不十分よ。つまり、この場所は地球に比べて重力が小さいの」
「それで、ライターを投げて確かめたのか」
「そうよ。思った通り、ライターの落下速度は非常に緩やかだったわ。それに、最初に私を抱きかかえた時も、あなたは不思議に思うべきだったわね」
「あんな状況で、重いか軽いかなんて気にしてる余裕なんかないっての。女性の体重なんて、アンタッチャブルもいいところだし」
「まあ・・・そこについては感謝するわ・・・」
以外にも紳士的な凛の態度に、鈴は頬を赤らめていた。
「でもよ、確かに地面にぶつかって死ぬことはないんだろうが、こんなスピードじゃ逃げ切れないぜ」
自由落下の速度は確かに遅い。周囲のドラゴンでも容易に追跡できるほどだった。
逃げ場のない哀れな獲物が逃亡をはかったことで、ドラゴンたちも方針を変えたようだった。
周囲から一斉にブレスを吐き出す音が聞こえた。
初撃もそうだったが、狙い自体はあいまいで、その大半は見当はずれの方向に飛んで行った。
しかし何より数が尋常ではなかった。
下手な鉄砲よろしく、何発かはこちらに向かってきている。
「最初は、あなたの強運とやらに頼るつもりだったけど、さすがに無謀だったみたいね」
「俺が強運だったら、そもそもこんな状態になってないって」
「確かにそうね・・・!」
続く仮説の検証は、賭けに近いレベルだった。
鈴の両手にいる神器ヘスは、凛の持っている神剣と比べて素直で誠実な性格に思えた。
したがって、鈴は彼女---と呼んでいいかはわからないが---の言うことを信じることにした。
目の前に迫る炎に向かって手をかざす。
両手で壁を作るかのように大気をなぞっていく。
次の瞬間、炎が両手に激突した。
「おい・・・大丈夫か!?」
「・・・何とかね・・・」
両手に走る激痛に顔をしかめながら、鈴は気丈に再び周囲を見回した。次の攻撃に備えなくてはいけない。
「どうやったんだ?意外と炎も見掛け倒しだったのか?」
「そうじゃないわ。触ってみて分かったけど、とても熱い」
「触ったって・・・!」
「壁を作ったのよ。大気中の酸素を凍らせてね。よく見てなさい」
二発目が飛んできた。体の向きを器用に変えて、鈴は先ほどと同じように両手で大気をなぞっていった。いわれるままに、凛はその様子をつぶさに見つめた。
両手がなぞった先には、氷のようにキラキラと輝く結晶のようなものが見えた。
「結合の定義があいまいだったから、試してみたんだけど。どうやら結合をより強めることもできるみたいね。ヘスの言うとおり、何でも試してみるものだわ」
物質には気体、液体、固体の三つの状態がある。水は凍らせれば氷になるし、温めれば水蒸気になる。その法則には例外はなく、周囲を覆う大気中の酸素ですら、凍らせれば固体になる。
凍らせるとは言うが、厳密には分子から熱エネルギーを奪うことを意味する。
熱エネルギーを奪われた分子は、振動をやめ、隣り合う分子同士がお行儀よく整列して一か所にとどまるようになる。これが固体になる、ということだ。
鈴は、ヘスの能力『結合』を利用して無理やり大気中の酸素分子同士の結合を強めた。
その結果奪われた熱エネルギーがどこに行くのかは、考えないことにした。
少なくとも、山頂で試験した際には何の熱量も発生しなかった。
何でも斬り裂くという神剣があるのだ、原理はわからないがそういうものと受け止めるしかなかった。
(でも、いつかは解明してやるわ・・・!)
なんにせよ、生成された酸素の結晶は決して分厚い壁とはならなかったが、確かに燃え盛る炎の勢いを殺していた。
「でも、全部は防げてないじゃないか!」
凛は悲鳴を上げた。氷の壁で防ぎきれなかった炎は、鈴が直接素手で受け止めていた。
「炎に触れた瞬間、燃焼している分子も直接凍らせているの。酸素と違って、構成分子が分からないから、効率が悪いみたい」
「大丈夫なのかよ・・・?」
「わからないわ・・・でもやらなきゃ二人とも黒こげよ」
「・・・俺には何もできないのかよ?」
「周囲を囲まれていて、どこから攻撃が来るかわからないの。どこから飛んでくるか、わかったら教えて頂戴」
「・・・わかった・・・!」
背後から抱きしめる両手に、力が一層入ったのが分かった。
力強い励ましに、痛みで気絶しそうな意識が繋ぎ止められる。
凜は周囲を見渡した。
周囲から無数の炎がこちらに向けて放たれている。
狙いはでたらめだが、自分たちを焼き尽くすという殺意だけははっきりと伝わってくる。
(殺意ってのは重要だ。何しろこれ以上ない強い感情だ。そして、強い感情ほど読みやすいものはない・・・!)
凜は心を研ぎ澄ました。全力で気配を探る。
もともと空気を読んだり、相手の思考を読むのは得意だった。
その才能は、ギャンブラーとしては紛れもなく天恵であったし、凜はそれを最大限に利用して今まで生きてきた。
鈴は認めないだろうが、凜はそういった感性を大事にしてきた。
それを第六感と呼ぶ者もいるが、確かに言いえて妙だった。
目で見て、耳で聞いたものと同じレベルで、少なくとも凜にはそう感じられるのだ。
それを疑う余地はないし、今もそれを信じている。
背後から背筋を震わせるほどの殺意が感じられた。
「後ろだ!」
直感を信じて鈴に告げると、鈴はそれをさらに超える要望を突き返してきた。
「手が届かない!私をそっちに向かせて!!」
つまり、彼女はこう言っているのだ。
『自分を盾にしろ』と
危険を告げる第六感と、合理的な勝負師の本能はその提案に賛成した。
男としてのプライドだけがその選択を否定したが、選択の猶予はない。
この上なく効率的に凜は自分の体を操り、鈴と自分の体の向きを入れ替えた。
代わりに差し出せるものもなく、心の底で詫びることしかできなかった。
凜の言うとおり、3発目は背後から来た。
どんな理屈でそれを言い当てたのかには興味があったが、今は目の前の炎に集中しなければならない。
凜が正面に向き合わせてくれたおかげで、狙いがつけやすい。なるべく炎の中心を触らなければ効率が落ちるのだ。
3度目の衝撃が全身を貫く。
焦げ臭いにおいは、間違えなく自分の皮膚が発しているものだろう。
あと何発同じことができるかはわからない。
掌自体がなくなってしまったら、ヘスの能力は使えなくなってしまうのだろうか?
「あれが吐き出す物質の正体さえわかれば、結合の精度が上がって、熱い思いもしなくて済むんでしょうけどね」
掌がゴワゴワする感触を不気味に思いながら、鈴の嗅覚はわずかな違和感を覚えた。
焦げ臭さとカブトムシの匂いに交じって、ほのかに果実のような匂いが鼻を突いた気がしたのだ。
違和感は、やはり重要だ。希望が見えた気がした。
鈴は、すぐに考察を始めた。
「せめて、この木偶の棒で少しは炎を払えねえかな?」
「少し黙ってて、考え事したいの」
(こんな状況でかよ?)
鈴の言葉に従い、突っ込みは心の中で静かに行われた。
凛は耳元で鈴の小さなつぶやきを聞いた。耳慣れない単語ばかり並んでいて、ちんぷんかんぷんだったが、どうやら何かを思い出そうとしてるようだった。
「可燃性の液体なのは間違いない。着弾した炎は一か所にとどまり続けていた。生物の体内でも生成されうる液体の中で、果実の匂いがするもの・・・」
4発目が来た。意識を集中しなければ受け止めることはできない。思考を切り替え、視線を炎に向ける。同時に掌の痛みが思い出された。
決して慣れたくはないが、同じように払いのける。
ただし、今回は少しだけ工夫をした。
今回も無事に払いのけたが、すでに手のひらに感覚がない。次は持たないかもしれない。
凛は、鈴の手に視線をやった。黒焦げで見る影もない。
彼女を後ろから抱きかかえているが、小柄なその姿が痛みをこらえて懸命に戦っている。
(こんな女の子に、こんな思いをさせて・・・俺は・・・!)
慟哭も後悔も静かに押しとどめた。
何よりも彼女の思考の邪魔をしてはいけないと、勝負師の本能が告げていた。
4発目を払いのけた後、鈴はその掌の表面をつぶさに観察した。
匂いを嗅いだ後、掌をそっと顔の前に持ってきた。
そして、ぺろりと掌を舐め、狂気に満ちた笑みを浮かべた。
(こんな時に、笑ってやがる・・・!)
自分では気づいていなかったが、剣を抜いた時の凛も同じ笑みを浮かべていた。
至福の表情である。
仮説を立て、検証し、正しさが証明された瞬間。科学者は無上の喜びを感じる。
鈴は今、その証明がしたくてうずうずしていた。
「早く来なさい!5発目はまだ!?」
獰猛な笑みを浮かべ、ドラゴンをにらみつける。
お望みとあらば、と言わんばかりに正面のドラゴンが炎を吐き出した。
「わかったわよ、あんたの正体!」
嬉々として、今度は氷の壁すら使わずに直接手で触れた。
次の瞬間、炎は無数の細かい結晶となり、霧のように霧散していった。
「どうやら・・・正解だったみたいね」
少し気が抜けたのか、落下しながらも体を凛に預けるように肩の力を抜いた。
「もう、話しかけてもいいんだよな?・・・大丈夫かよ?」
「多分大丈夫よ。次が来たとしても完全に防げるわ」
「てことは、ドラゴンが何を吐き出したのか突き止めたのか?」
「そうね。少なくともある程度の精度までは突き止められたと思うわ」
6発目をこともなげに払いのけながら鈴は続けた。
「アセトアルデヒド、よ」
「汗と・・・あるで非道?」
「あなたも、義務教育受けてないクチかしら?」
「勉強が苦手だからギャンブラーになったんだよ」
「あなたも二日酔いの経験くらいはあるでしょ?その原因となる物質よ。アルコールを代謝したときに出てきて、実は可燃性の液体なの」
相手が言っていることが理解できないことは耐え難いが、自分が言っていることが理解されないことは許容できた。
相手にわかりやすく自身の知識を伝えることは得意だし、好きだった。
「あまり息を吸わないほうがいいわよ。凍らせた結晶がその辺に浮遊しているから。吸いすぎたら飲んでもいないのに二日酔いになるし、発がん性もあるのよ」
「なんだか、いい果物みたいなにおいがするな」
「それも特徴の一つね。でも、決め手になったのはこれよ」
そういって、黒焦げになった手を差し出した。
よく見ると、表面がうっすらと濡れていた。
「舐めてみて分かったけど、これは酢酸、つまりお酢よ。ヘスの力で大気中の酸素と無理やり結合させてみたの。酸素と結合して酢酸になる、果実臭のする可燃性液体と言ったら、他には思い浮かばなかったわ」
「・・・」
「ひょっとしてあの炎も、攻撃じゃなくて、本当に二日酔いで嘔吐してるだけだったりしてね」
展開した持論には満足だったし、最後のジョークなども渾身の出来だったはずだが、
想像したような感嘆の声は返ってこなかった。
代わりに、そっと暖かい掌が焦げ臭い匂いをあげる無様な左手を包んでいた。
「ありがとう・・・すまねえ・・・女の子の手を・・・こんなにしちまって・・・」
あろうことか、凛は両目から大粒の涙を流して泣いていた。
空いていた右手で7発目をはじきながら、鈴は静かに大の男が号泣する様を不思議な感覚で見ていた。
先ほど、はるか上空でこの男に助けられた時も、きっと私は同じような表情で泣いていたのだろう。
(まあ、お互い様よね・・・)
「でも、いつまでこいつらの相手をしなくちゃいけないんだ?」
涙でぐちゃぐちゃになった声で、もっともといえばもっともな疑問を凛はぶつけた。
「それも、大丈夫よ。もうすぐ追いかけてこなくなるはずだから」
その言葉を待っていたかのように、周囲のドラゴンの追撃はおさまっていった。
周囲を飛び回っていたドラゴンたちが、一匹また一匹と上空に離脱していったのだ。
「なんだ?攻撃が通じないと悟って、諦めたのか?」
「そうかもしれないけど、たぶんこれ以上高度が下がると飛べなくなるのよ」
<・・・ほう>
鈴が死闘を繰り広げる間、沈黙を保っていた神剣がふいに感嘆の声を漏らした。
どうやら、こちらも正解だったらしい。
「重力が小さいって言ったけど、それはたぶんあっち側の大地のせいよ」
もうずいぶんと遠くなってしまった上空を見上げながら、鈴は続けた。
「万有引力は知ってるわよね?地球が重力を持っているのは地球の質量がとても大きいからよ。海が満ち引きするのは、月の引力が地上まで働くから。つまり、質量をもった物体は近くの物体を引き寄せる性質があるの」
「そ、それくらいはわかるぜ。ニュートンはパチンコ玉が台からこぼれるのを見て、その法則に気づいたんだもんな」
本気か冗談か理解しかねたので、とりあえず無視して鈴は続けた。
「仮に、月が地球と同じくらいの大きさだったとしたら、その中間点に働く引力はほぼゼロになるわけ。それが、さっきまで私たちがいたところよ。だからあの生物たちも空を飛ぶことができたの。でも、こうやって片方との距離が近づいていくと、もう片方からの重力は弱まり、結果的に重力がどんどん強くなっていくの」
「・・・」
話を無視されたことが不快だったのか、凛は沈黙を保っていた。
ここまで距離が離れれば、もはやドラゴンの追撃は心配しないでいいだろう。
鈴は安堵のため息をついた。
しかし、沈黙を破った凛の言葉は、再び鈴を凍り付かせた。
「それって、俺たちの落ちるスピードもどんどん速くなってるってことだよな?」
「・・・」
全身から血の気が引く音が、果たして背後から抱きしめている凛に聞こえただろうか?
気が付けばとんでもない速度で落下しながら、鈴は静かに告白した。
「昔、よく教授に言われたわ『君は、詰めが甘い』ってね・・・」
「なあ、次がもしあったら、今度こそ事前に全部説明してくれ・・・!」
「ごめんなさいいいいいいいいいいいいいい!」
絶叫を上げながら、二人は異世界の大地に向かって隕石さながらの速度で落下していった。
次回予告
辛くも一命をとりとめた二人が目にしたものは、異世界をつかさどる精霊たちの恐るべき支配力だった。
次回 3rd BET『精霊が支配する世界』
『こんな高さから落っこちて、無事で済むわけないだろ!このさきどうなっちまうんだ?』
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『鈴ちゃん、お手手黒焦げでかわいそう。俺が癒してやるぜ!』
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