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1st BET 「右か? 左か?」

この中で、異世界に召喚された経験のある者はいるだろうか?

ある、と答えた人は今すぐ病院に行ったほうがよい。

ない、と答えた人は少しだけ想像してもらいたい。


何をもって「異世界に召喚された」と判断できるのか?


質の高いアトラクションはしばし現実を忘れさせてくれるし、

質の悪い幻覚もまた同様に日常を忘れさせてくれる。

共通するのはどちらも異世界でなくても起こりうるということだ。

ちなみに、後者をしばしば経験する人にも、病院へ行くことをお勧めする。


それを踏まえたうえで、彼の身に起きた出来事について考えてみてほしい。

果たして彼は現実とは異なる世界に飛ばされてしまったのだろうか?


ちなみに、彼、冴木凛さえき りんはその優れた知性と冷静な観察眼、なによりも勝負師としての直感でわずか4秒で自分が異世界に召喚されたことを確信した。

4秒の間に彼が感じたことを順にお伝えしよう。


1秒目。彼は足元を見て、自分がとても高い山の上に立っていることに気づいた。

地球にあるどの山よりもきれいで高い山だった。

なぜなら、頂上には彼一人がようやく立てるスペースしかなく、足元は360度どこを見回しても切り立った崖しかなかった。

崖のふもとは見えず、足元には冗談みたいなパノラマ風景が広がっていた。

つまり、この上なく細長い棒の先端に立っていることになる。

普通ならば足がすくみ、下手したらバランスをくずして転落するところだ。

しかし、彼は冷静に視線を少し上げた。


2秒目。数少ない山頂のスペースを占領しているのが彼だけではないことに気づいた。

彼の目の前に突き刺さった「それ」は、

彼が今まで見てきた何よりも不思議な物体だった。

色、形、すべてがあやふやで、とにかくわけのわからない物体としか言いようがなかった。

紫の棒になったかと思えば、次の瞬間には黒色の円錐になっていた。

下手をすれば透明になって見えなくなる瞬間すらあった。

わずか一秒の間ですら次々と姿を変えるその物体は、しかしどうやら剣であるらしかった。

なぜなら、剣自身が自己紹介を始めたからだ。


<我が名は神剣エクス=ディンガー。汝、我が主となり、邪神を滅ぼす意志あれば我を手にせよ>


(ご丁寧に自己紹介までしてくれてるが、とりあえず保留しよう)


頭の中に直接語り掛けてくるという、きわめて大胆なコミュニケーションに対しても、彼は強靭な精神力でとりあえずスルーした。

見ていると気持ち悪くなる自称=神剣から目をそらすように、彼は視線をさらに上げた。



3秒目。視線をさらに上げるのと同時に巨大な振動が全身を打ち震わせた。


地球上に存在するいかなる生物よりも巨大なものが空を飛んでいた。

その雄叫びは、音が波であり、物質を振動させるエネルギーを持つことを実感させてくれる。

彼の職場も勝負師の熱気や怒声、あるいは機械の電子音やウーハーなどでそれは賑やかなものだったが、身を打ち震わせているこの咆哮に比べれば蚤のため息程度に感じられた。


その生物は、空を飛んでいることが冗談かと思わせるほどに巨大であった。


頑丈な鱗と、巨大な翼、鋭利というよりも最早彫刻のような流麗さを持つ爪。

どう控えめに見ても、どう贔屓目に見ても、どうあがいてみても、この上ないほどにそれはドラゴンだった。

しかし、彼が何よりも注目したのはその巨体ではなく、爬虫類によく似た細長い瞳孔だった。


(つまんない眼をしてやがる、、、)


なぜかがっかりしたような表情で彼は空を飛ぶドラゴンから目線をそらした。

視線はさらに上、つまり真上に向いた。


4秒目。彼は、この世界に来て初めて感嘆の声を漏らす。


「おいおい、マジかよ、、、」


地球上では絶対に見られない光景がそこに広がっていた。


彼の見上げた空には、地上が広がっていた。


正確に言えば、見上げた先には空がなく、代わりに地上と思われる大地と緑が広がっていたのだ。

それはちょうど、3秒前に彼が足元で見た景色と同じような光景だった。

思わず鏡でも見ているのではないかと思ったが、見渡す限り空一面を覆いながらも歪一つ見せない鏡など聞いたことがない。

そもそもどうやって浮かせるというのか。

簡単に言えば、地面でサンドされた世界のほぼ中心に彼は立っていることになる。


(これは、、、どう考えても異世界だな)


こういった経緯で、彼-冴木凛-は自らが異世界に召喚されたことを認めた。


<事実を受け止めたようだな。異世界より招かれし者よ、運命を受け入れよ。そして己が運命を試すのだ。我を手に取れ。さすれば運命は開かれん>


「さて、まずは深呼吸だな」

脳内に響く声をあっさり無視して、凛はひとり呟いた。声に出すことで、やるべきことを明確にする目的もあった。

こういうときも慌てず、呼吸を整える。

数多くの修羅場を潜り抜けてきた彼が欠かさずにやってきた心身調整法だ。

大きく息を吸い、吐き出す。またも吸い、吐き出す。吸って、、、吐き出す。


<我が名は神剣エクス=ディンガー。我を求めるならば、我を手に取るがいい。汝に資格があれば、我は汝の意に従おう>


二度目の自己紹介も、彼は丁重に無視した。

さらに吸って、、、吐き出す。

(異世界の空気って、なんだかカブトムシのにおいがするんだな。ああ、これはあのドラゴンの体臭かな?)


気がそれかけたことに気づき、慌てて意識を呼吸に戻す。

大事なのは意識を一か所に集中することだ。気を散らしてはいけない。


<我が名は神剣、、、、って、聞こえてます?>


聞こえてはいるが、意識的に注意はそらされていた。

落ち着くためにも、今はひたすら呼吸を繰り返す。


全身を打ち付けるドラゴンの咆哮がさらに大きくなる。

どうやらこちらに近づいているらしかった。


しかし、それでも彼は呼吸をやめない。正確には呼吸から意識をそらさなかった。


<あの~ドラゴンがこっちに来てますけど、大丈夫でしょうか?ちなみに私を使えば撃退できると思うんですけど、どうでしょうか>


新人のセールスマンのような色艶のない宣伝文句もとにかくスルー。

意識の中に直接語り掛けてくる自称=神剣の声をこれだけ無視できること自体が驚異的なことだった。

並の集中力では語り掛けに意識を持っていかれてしまうところだ。


神剣の声とは別に、はるか遠かったドラゴンの咆哮はさらに大きく、いつしか彼の立つ山頂の地面を直接振動させ始めた。

眼を閉じていたため距離はわからないが、それでも先ほどよりかなり近づいているのがわかる。

それでも彼は目を開けなかった。


そうするうちに、自称=神剣の声やドラゴンの咆哮に交じって新しい声が聞こえてきた。

ドラゴンの咆哮に交じっていたせいで聞き取れなかっただけで、声の主はどうやらドラゴンに乗っているようだった。声が同じように移動して聞こえる。

近づいてきたおかげで、声はようやく主の希望通りに彼の耳に届き始めた。


声の主の希望は非常にシンプルだった。


「助けてえええええええええええええええええ!」


<おいおいおい!ドラゴンに誰かが乗っているぞ!声からして若い娘じゃ。早くせんとお主も娘も食われちまうかもしれんぞ!>


彼の集中は絶対に途切れなかった。



そして、きっかり20秒が経過したその時、彼はようやく目を開けた。

いつものルーティンに比べればはるかに短かったが、効果は絶大だった。

実は震えていた両足は、今ではしっかりと地面の感触をとらえ、揺らいでいた視界もはっきりと現実を映し出していた。


「よし、これからどうしようかな!」


<開き直っておる場合か!初対面の相手にこんなに無視され続けたのは初めてじゃ!おぬしが現実逃避しておる間に事態はエライことになっとるわ!>


「目の前のお前が話しかけてんだな?お前は俺を助けるつもりはあるか?あるとして、どんなふうに助けるつもりだ?」

質問は簡潔で、明確だった。


<我は主を探しておる。我を持つ資格があるものには、我の力を貸し与え、、、>


「そういうのいいから、要点だけ言えって!時間無いのわかるだろ!」


その瞬間凛は、意識に語り掛けてくる声の主の血管が切れる音をはっきりと聞いた。

剣に血管があるのかどうかは、疑わしいところだったが、、、

しかし確かに、目の前の自称=神剣は、全身を真っ赤に染めあげ、上部から針のようなとげを何本も生やし、自らの体全体で怒りを表現しているようだった。

それはさながら、地面から生えた赤い花束のようであり、人間である凛にもその怒りは伝わることとなった。


凛は、心の底でひそかに笑った。


<斬りたいものだけ何でも斬れる!我を手に取れたらの話だがな!>


剣は、自身の最大限の忍耐を発揮し、最も簡潔な言葉で自己紹介をした。


「よし!その勝負、乗った!」


剣の言葉を聞き、彼の眼がギラっと怪しい輝きを放った。

口元は鋭利に吊り上がり、唇の隙間からこぼれた犬歯が笑みの形に浮かび上がっていた。


「ちょっとおおおおおお、無視しないでえええええええ!」


ドラゴンの背中から悲痛な叫びが聞こえる。

野太いドラゴンの声に負けない甲高い悲鳴が、ドラゴンの敵意とともに彼に押し寄せる。


声の主は、あろうことかドラゴンの後頭部にしがみついていた。

ちょうどドラゴンの両角に手をかけているその姿は、さながらドラゴンを自在に乗りこなす竜騎士を彷彿とさせたが

あいにく涙でぐちゃぐちゃになったその顔は騎士どころかジェットコースターにしがみつく子供そのものであった。


雲よりも高い上空でシートベルトもなく、巨大な化け物にしがみついていれば嫌でもそうなるだろうが、

彼女の握力もそろそろ限界に近いだろう。

そもそも、人間一人の体重をこれほど長時間支えられるほど、普通の人間の握力は強くない。限界はとっくに超えているはずだった。

どのみち、新しい獲物を捕捉したドラゴンは、後頭部の獲物ともども山頂で二人を衝突させるつもりらしかった。

頭からまっすぐにこちらに向かってくる。


「じゃあ、やるしかなさそうだな」


袖をまくると、彼は神剣に手を伸ばした。


<ようやくその気になったか。待ちかねたぞ、、、>


声に応じるように、自称=神剣はそのあやふやな姿を少しだけ収束させた。

それは、地面から垂直に伸びた棒のような形状で安定しつつあった。

色や細かな形状はそれでも変化し続けているが、その姿を100人が見たら100人が剣と答えるレベルにはなっていた。

それはさながら、己が主に引き抜かれるのを長いこと待ち続けた伝説の剣のようであった。


ただし、一か所だけ違うところがあった。

剣の握りが二股に分かれていた。


「ほう、二択ってことか?ギャンブルの王道だな!?」


凛の笑みがさらに深くなる。興奮している様子が目の輝きにまで現れていた。


<我が主になるには、我の真の姿を見出すことだ。真の姿を見出すには、我を正しく捉える必要がある>


「右か、、、左か、、、」


二股に分かれた剣の握りは、どちらも同じ形をしていた。一見しただけでは違いは見えない。


「つまり、完全な二者択一、、、!」


<さあ、己が運命を試すがいい!!>


「おうよ!」


吐き捨てると同時に、凛は大きくかがみこんだ。まるで地面に生えた大根を引き抜くような体勢だった。

剣を引き抜くにはいささか深すぎる姿勢だった。

それもそのはず。彼がつかんだのは差し出された二股の握りではなく、地面すれすれの根本だった。


凛が選んだのは、()()()()()()()()()()()()()()


あやふやな霧の中に手を突っ込むような感覚の中、握りしめた先にははっきりとした手ごたえがあった。

どうやら自分の読みが当たっていたようだ。


そしてそのことに動揺していたのは何よりも、自分の首根っこをつかまれている剣自身だったようだった。

<なぜ、、、分かった!?>


「お前は一度も二択だとは言わなかった。それに、俺が二択にこだわったふりをすればするほど饒舌になった。最初に怒った時から違和感だらけさ。赤く針状に変化したのは上側だけで、地面すれすれの根本は全く変化してなかったぜ。勝負ってのはな、感情をむき出しにしたら負けるんだよ!」


<だが、我が本質は不定。正しく我の姿を捉え、剣として確定させられるかは、お主の運次第だ>


自分の主を探しているような当初の口ぶりはどこへ行ったのか、いざ抜かれそうになると剣はなぜか反抗的な態度を取り始めた。本当は抜かれたくなかったようだ。


「まかせろって!昔から、ヒキの強さだけは自信があるんだよ!」


剣の言葉にいささかの怯みもなく、彼は剣を強く握りしめた。


どれほど冷静な観察眼で、多くの情報を手に入れても、カードをめくるまで勝敗はわからない。

それがギャンブルというものの本質であり、彼を虜にする正体だった。

突き詰めて、極論を言えばこうなる


イチかバチか


だから、カードをめくる時、牌をつかむとき、レバーをたたくとき、彼は必ずこう叫ぶ


「当たれええええええええええ!」


叫びとともに、握りしめた剣を力強く振り上げた。


その叫びに呼応するように、不定形だった姿が瞬く間に収束し、一つの形を成していった。

黄金の輝きを放つそれは、まさに神剣の名にふさわしい神々しいまでの圧威を秘めていた。


そして、その勢いのままに

降り上げた剣を全力でドラゴンの顔面にたたきつけた。

もちろん。その太刀筋の先には、助けを求める哀れな娘もいた。


剣の勢いと、ドラゴンのうろこの硬さから、大きな衝突音と抵抗を予測していたが、起こった現象はどちらでもなかった。

ドラゴンに触れるや否や、神剣からまるで間欠泉のように勢いよく黄金の光があふれ出た。


神剣から立ち上るその黄金の輝きは、まるでそれ自体が刀身であるかのように、やすやすとドラゴンの巨体を真っ二つに切り裂いた。


「きゃああああああああ!」


顔面を切り裂かれて絶命したドラゴンの代わりに娘の絶叫が周囲に響き渡った。

「・・・あれ?」


叫びをあげることができる感覚に、しばし違和感を覚えたように呆けた声が出た。

気が付けば両脇を真っ二つにされたドラゴンの死骸が通り抜けていき、娘の体は剣を持った男の左腕に抱えられていた。


「斬りたいものだけを斬れる。本当にその通りだったな」


<その通りだ。認識できるものであればいかなるものでも斬れる。どれだけ離れていても、関係ない。強く認識できればできるほど、我の切れ味は増す。やがては全てを斬ることができるであろう>


「ま、初めてにしては上出来だったんじゃないか?」


自分自身に言い聞かせるようなその言葉は、結果的に左腕の小柄な女性に向けられる形になった。

改めてみるとずいぶん小柄だ。身長は150㎝もないかもしれない。

無造作に伸ばした綺麗な金髪を、後ろで束ねただけの簡素な髪形は、白衣に黒ぶち眼鏡、しかもマスクといういかにも研究者といういで立ちに非常にマッチして見えた。


今はうつむきながら、静かに全身を震わせていた。

無理もない。

先ほどまではドラゴンの頭上で生死をかけたロデオをやっていたのだ。

緊張の糸が切れて、急に怖さを思い出したのだろう。

昔、モスクワで本場のロシアンルーレットをやった時の記憶が思い起こされていた。

(自分が生きてるって実感した後に、ようやく恐怖が押し寄せてくるんだよな)


「なんだかよくわからんが、怖かったろう、お嬢ちゃん。でも、とりあえずはまだ生きてるぜ。この後どうやってこの山から下りるかは知んないけどな」


慰めに全くなっていない慰めの言葉をかけると。娘はばっと顔をこちらに向けた。

マスクで顔の大部分を覆われている中で、眼鏡の奥の瞳だけが一際強調された。

涙にぬれた青い瞳は、彼が想像していた以上に大きく、何かを訴えるような強い視線も相まって、彼の頭の中から一瞬だけすべての思考を奪い去ってしまった。


異世界に召喚され、自称=神剣に執拗な勧誘を受けながら、ドラゴンの咆哮を浴びせられても動揺しなかった彼の精神は、確かにこの瞬間に目の前の娘の瞳に大きく揺り動かされたのだった。


「って、言葉わかるか?あれ、そもそもお嬢ちゃんはどこの人?」


動揺を隠すように言葉を続けるが、返事は意外にも日本語で返ってきた


「本人の同意なしの人体実験は、ジュネーブ宣言違反よ!この愚か者!!」


想像を超えた罵声と同時に、想像を超えた強い衝撃が彼の顎をとらえていた。

これだけ密着し、しかも足場もない状態で繰り出される拳とは思えなかった。

体重操作もなく、単純な腕力だけで放たれた彼女の拳は的確に彼の顎を打ち抜いていた


「どおおおおおっ!?」


意識が飛び、白目をむきかけた彼の様子を見るなり、

彼女は、自分が今その男に全体重をゆだねていることを思い出したようだった。


「やだ、ちょっと待って!今のなし!!気絶なんてしないでよ!!!」


脳震盪を起こしかけた頭の中で、彼はこの腕の中の怪生物を手放してしまおうかと本気で悩んでいた。

今度は気付けをするかのように彼に往復ビンタを浴びせているこの娘を。





しばらくの格闘の後、二人はようやく落ち着いて話をすることができるようになった。

最大の問題は、人ひとりがようやく立てるような狭いスペースに、男女二人が仲良く同居でない、という点にあった。

ドラゴンを倒した直後は、娘を抱きかかえることでかろうじて可能となっていたが、娘が暴れたためにプランを見直し、結果的に背中を向けあって座るということで合意に至った。


それでもこの高さだけは怖いようで(無理もないが)、娘は肘を絡めるようにして彼の背中に密着していた。

背中に感じる彼女の体温は、はるか上空に流れる冷たい風の中でとても暖かく、心地よかった。


「さて、最初に確認しておきたいんだが、あんたはここの人間か?」


「、、、『ここ』の定義がよくわからないわ?」


しばらくの沈黙の後、娘は冷たくそう返した。

幼い見た目と違い、ずいぶんと冷淡な物言いに少しだけ面喰いながらも、凛は思考を素早く切り替えた。


「質問が不明瞭だったようだな、ワリイ。じゃあ、こう言い換えてもいいか?あんたは地球で生まれたのか?ちなみに、俺は地球の日本というところで生まれた」

「私もそうよ。見た目はこんなだけど、地球の日本に生まれたわ」

短くため息をついて、彼女はそう答えてきた。その返事に満足すると、凛は続けてこう尋ねた。


「じゃあ、あんたのほうから質問はないか?」

「え、、、?」

「いや、想像するに俺たちは似た境遇だと思うんだが、こんな状況で俺ばかり質問するのは不公平だろ?あんたの方からも聞きたいことがあったら聞いてくれよ」


「ああ、そうね、、、」

納得したように頷く気配が背後から感じられた。質問はすぐにやってきた。

「さっき、あなたは私もろともその剣であの大きな生物を斬ったわ。結果として斬られたのはあの大きな生物だけだったようだけど。私も一緒に斬ってしまうなんて考えなかった?どれくらいの確信をもってあんなことをしたの?」


(質問が二つだな、、、しかも最初の質問が、俺の動機かよ。まるで尋問だな)


心の中で苦笑しながら、凛は誠意と論理をもってその問いに答えた。


「まず、今俺たちがいるこの世界は、少なくとも俺たちが住んでた地球とは違う場所だと考えた。こんな場所があるなんて聞いたことないし、喋る剣やドラゴンも見たことがない。だから、まず俺は今までの常識を全て捨てた」


「まあ、そこまでは同意するわ。あの生物がドラゴンかどうかはさておいてね」


「そして、次に斬りたいものだけ斬れると主張するこの剣が本当のことを言っているかを考えた。考えた結果は、『わからない』だった。地球だったら99%嘘だが、地球の常識はさっき捨てたばかりだったからな。少なくとも、完全に否定する根拠はなかったな」


「、、、」


沈黙は、果たして同意なのか失笑なのか、こんな状況ではさすがに推測できなかった。

彼は構わず続けた。


「最後の決め手はあんたとドラゴンだ。どうやら俺を狙ってきているようだったし、それにしがみついているあんたにもそれほど体力が残っているようには見えなかった。何もしなかったら二人とも死ぬ。剣が言っていることが本当だという方に、俺は賭けたんだ。どのくらいの確信かと言われれば、、、よくわかんないな。感覚的には半々かな?」


<実は、我の姿を剣として定着させられるかが最も分の悪い賭けだったのだがな。握られた我が剣として具現化する確率は1/8192だ。前回に試された際には、我はスルメの足になった。引き抜いた主は即座にドラゴンのえさになった>


こっそりと補足する剣の声は果たして彼女に届いたか。

少なくとも、その剣の声は凛の体温を2度は下げた。全身から血の気が引いていくが分かった。

懐から煙草を取り出し、火をつける。身につけたものだけは一緒に召喚されたようで、残り数本の煙草をここで消費することにした。

紫煙が異世界の大気にほどけて溶けていく様を眺めながら、またも彼は深呼吸をする。


異世界の空気をもとの世界の煙草の煙と混ぜて肺に流し込む。

それは、自分の元居た世界との違いを少しずつ受け入れるための儀式のように感じられた。

灰に吸い込まれた空気と煙草の煙の感触に意識を集中させていると、肺の向こう側から慣れない振動が彼の背をノックするのを感じた。

彼女の鼓動だった。

トクン トクンと規則的に波打つ鼓動が、彼の胸元をあたたかく揺さぶる。


こちらの鼓動も彼女に聞こえているのだろうか?

だとしたら、少しだけ早鐘を打ち始めたことに気づいたかもしれない。


それを悟られるのはどうにも気まずい気がして、彼は最後にこう締めた。


「他に、よい方法が思いつかなかったんだ」

「、、、そう、、、分かったわ」


背を向けて座ったままなので、何かを改めることはできそうになかったが

それでも彼女は居住まいを正したかったようで、座り方を少しだけ変えた。


「先ほどのあなたの説明には矛盾もなく、合理的な判断だったと思うわ。過程はどうあれ、私はあなたのその行動がなかったら間違いなく死んでいた。改めて、お礼を言いうわね。助けてくれて、ありがとう。」


(なんだか理科のテストの採点されてる気分だな)

「どういたしまして。まあ、お互い無事でよかったよ」


「とりあえず、私の質問は以上よ。今度はそちらの順番ね」

「名前、教えてくれるかい?」

「えっ、、、?」

まるで不意を打たれたかのように背中を震わせたのが伝わってきた。

そんなに意外な質問だったかなと思い返しながら、凛は自己紹介をした。

「俺の名前は冴木凛。女みたいな名前だが、意外と気に入っている」

「冴木、、、凛、、、冴木、、、凛」

反芻するように、彼女は何度も口の中で凛の名前を転がしていた。小声で繰り返すその様子に、思わず凛は苦笑していた。

「奇遇ね。私の名前もリンよ。逢沢鈴あいざわりん。国籍上は日本人だけど、イギリス出身の父と日本の母のハーフよ」

「そっか、きれいな髪の毛だもんな」

「、、、」

照れているのか、興味のないことには反応しないのか、おそらく後者なのだろうと推測しながら、凛は次の質問権を鈴に譲った。

積もる話もあるが、そろそろここからどうやって降りるかを議論したいところだったが、

どのみち焦ったところで変わるものもないだろう。

おそらくは唯一この世界で同郷と呼べるこの女性との親睦を深めることは、今後の異世界での生活において重要となるだろう。

ある意味、相棒のような存在なのだから。


「私からの質問、いいかしら?」

「ああ、どうぞ」

「あなた、今タバコ吸ってる?」

「まあ、、、吸ってるわな」

溜息と一緒に紫煙を吐き出しながら、凛は少しだけ呆れたような声をにじませた。

「たばこ一本吸うと寿命が5分縮むって言われてるのは知ってる?」

「いや、正確な数字は知らなかったけど、、、」

(また二連続での質問だな)

「覚えておきなさい。そして、私の前では二度と吸わないで」

「悪かったよ。なにせ、さっき斬ったドラゴンの体液が少し服についたみたいでな。カブトムシ臭くってしょうがなかったんだよ」


その言葉を聞いた瞬間、鈴の鼓動が急に跳ね上がったのが分かった。


「、、、今、なんて言ったかもう一度教えて?」

「いや、ドラゴンの体液が臭くってな。知らかなかったな。ドラゴンってカブトムシのにおいするんだぜ?」

「ちょっと、そのまま動かないでね」

「あ?ああ、、、」


何をするかと思えばきつく絡めていた両肘のうち、右ひじだけをほどいて右手を顔にやっていた。

どうやら、顔の半分を覆っていた巨大なマスクをおろしたようだった。

マスクのせいで、においが分からなくなっていたのだろうか、マスクを外すや否や鼻をスンスンとさせて周囲の匂いをかいでいる。


「あなた、戦っていて気付かなかったの?あの巨大生物は目が見えていなかったわ」

「え、いやあ、、、分からなかったな」


<ずっと目を閉じていたのはおぬしも同じだったからな>

(うるせ、、、!)

果たして剣に届いていたのかはわからなかったが、なんだか急いでいる様子の鈴の声を遮ることはせずに、心の中でそっと剣に悪態をついた。


「私はしばらくの間背中に乗っていたから分かったの。あれだけの巨体だから、むしろ視覚は邪魔だったのかもしれないわね。目ではほとんど自分の体を見ることができないんですもの」

(ああ、それでか、、、)

は先ほどの戦いで自分が感じたむなしさの正体を知った。

勝負師は眼を見て相手の思考を読む。わずかな視線の動きや、はたまた瞳孔の開き具合までつぶさに観察する。

しかし、眼の見えないドラゴンに対してはなんと無意味だったことか。

盲目の相手に普通の仕掛けを打っていたことになる。

(俺もまだまだだな)


反省しながらも話は続ける。

「ああ、コウモリみたいに夜も空を飛ぶやつだったらあんまり視覚って必要ないのかもな」

「あれは例外よ。はるか上空から地上の獲物を狙うために、鳥類は例外なく優れた視覚を持っているわ。ピントの補正や高い視力、はたまたヒトには感知できない紫外赤外光まで検知できるの」

「そりゃ、うらやましいや」

「空を飛ぶ以上は、空間認識能力は極めて重要よ。いつだって三次元的に移動しているんだから。それにも関わらず、あの巨大生物にはその能力がなかった」

「それじゃ、あいつはどうやって俺を見つけたんだ?、、、ああ、そうか」

「そう、嗅覚よ。空を飛んでいるときも、常に鼻腔が動いている音が聞こえてきたわ」

(あんなに泣き叫んでた割には意外に冷静に観察してたんだな)

あるいは研究者としての本能か?

見た目で人を判断しないことにしている凛だったが、彼女のこれまでの言動などと照らし合わせても、何らかの研究を行っていることは間違いないだろう。

「それで、その優れた嗅覚でドラゴンは俺を見つけた、と。確かに、あまり食い物がありそうな場所じゃないから、貴重な食糧源だったろう」



いまいち要領を得ない鈴の解説に、とりあえずそれっぽい相槌を打つ。

煙草の火は即座に消して、一応律義に吸い殻は携帯灰皿に押し込んだ。

なんとなく、このままポイ捨てしたら怒られそうだと思ったのだ。

そうする間にも鈴の鼓動が早くなっていく。

あまりの鼓動に、凛の全身をノックしているような錯覚まで覚えてきた。


「ここは標高何メートルかしら?よくわからないけど、とにかく風が強いわね」

「まあ、風を遮るもんが何もないからな」


「あなた、カブトムシの匂いの正体はわかる?」

「は?」

これで何連続での質問ですか?という突っ込みを飲み込み、二転三転する話題に必死についていこうとする。

「腐ったスイカの匂いかな?こんな感じじゃないの?」



「あれはフェロモンよ。異性を引き付けるためのね」



その言葉で、凛もすべてを悟った。

今、凛の全身を揺らしているのは鈴の鼓動ではない。別の何かが空気を震わせているのだ。

背中合わせに座っている鈴の視線の先に何が映っているのかも、今では容易に想像できた。

ドラゴンの体臭は、この強い風に乗り遠くまで届いたことだろう。その匂いは嗅覚の優れたほかのドラゴンにも届いたに違いない。


<そうそう、早く逃げたほうがよいぞ。ドラゴンは普段群れで行動する。そして、情の深い奴らは、同族を殺した相手に一切の容赦はせんぞ>


先ほどとは比べ物にならないほどの咆哮が周囲の空気を揺さぶった。

周囲の空気が漏れなく破裂したかのような衝撃が二人を襲った。


「あの~逢沢さん、、、?こういうことはもう少し早く教えてくれませんか?」

「不確かな推測を私は好まないわ」

「時と場合によるだろうがああああ!」

ついには堪忍袋の緒を斬って、凛は背後の鈴と前後を入れ替えるように180度体の向きを変えた。

一面を覆いつくすようなドラゴンの群れが、目の前に広がっていた。


「おい、神剣!さっき、斬りたいものはなんでも斬れるって言ったよな!?どんな遠くのやつも斬れるって!?」


<その通りじゃ、認識がはっきりしてさえいれば、視界になくともよい>


「じゃあ、あいつらも、今ここからまとめて斬れるってことだな!?」


<いかにも、その通りじゃ。ただし、、、ああ、そうそう。ひとつ言い忘れておった>


まるでこのタイミングを待っていたかのように、楽し気に、底意地の悪そうな声で神剣はこう続けた。




<我を使えるのは1日1回まで。あと23時間40分間、我はなにも斬れない頑丈な棒と一緒じゃ>




次回予告


四面楚歌をもはるかに超える、360度オールレンジ=ドラゴン。

絶体絶命の危機に、リンの腕に宿りしもう一つの神器が目を覚ます!

次回 2nd-BET「転落か?黒焦げか?」

『こんな序盤からドラゴンとか倒しちゃって、この後のインフレ展開どうするつもり?』

と思った方は、ブックマークをしていただいて、更新をお待ちください。


『神剣がスルメの足にならなくてよかったね!』

と思った優しいお方は、この下にある評価で好きな数だけ星をつけてください。


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― 新着の感想 ―
[一言] そういえば神剣って確率だったね 完全に忘れてた
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