咆哮
暗い森の中を走り続ける。
いや正確には女の子から逃げ続ける。
彼女の姿は見えないが、その手に持つ弓矢で俺を狙う殺気は感じる。
可愛い女子高生だと思ってた。
それは身の実、俺を殺そうとする天使だった。
なぜこうなった?
彼女は俺に業を見せろと言った。
意味がわからない。
俺に翼や弓矢を出せとでも言うのか?人間には不可能だ。
むしろ今の俺の状況を察するに人間なのかという事も疑問ではあるが……
空気を裂く音と共に目の前の地面に白い矢が刺さる。
いつの間に近くまで来てたのかと矢が飛んできた方向を見る。
「いつまで、そうやって逃げてるつもりなの?」
目の前には矢をつがえる翡翠色の天使が飛んでいた。
空を飛ぶなんて反則だ、いや確かに彼女の姿を見れば空を飛ぶなんてわかるはずか。
「竜也さん、あなた私のこと舐めてるでしょ?ならさ、本気で殺しにかかるよ」
淡々と感情を捨てた顔で俺に死刑宣告をする。
なぜ彼女はこんなにも俺を追い詰めるのか理解できない。
何より理解できないのは――
「なんで避けれるのよ!」
少女の怒声が聞こえる。
先ほどから走り続けているが全く体力の衰えが見えない。
それどころか、飛んでくる矢を避けている。
普通の人間の動体視力では飛んでくる矢は見えても体が追いつかないはずだ。
だが、回り込んで正面から現れた彼女から飛んでくる矢を避ける事ができた。
(火事場の馬鹿力というやつか?それとも身体能力が上がっている?)
「ありえないだろ」
このまま、森を抜け山を下り街まで逃げ切れば勝機はあるだろうか。
いや、逃げ切る。
遮蔽物の多いこの地形なら彼女の本領は発揮出来ない。
空を飛べようが木々がそれを邪魔する、彼女の気配は先程から薄れていた。
何度も飛んできていた矢もやってこない。
どれぐらい走ったかはわからないがもうすぐ森を抜けれるはずだ、そう信じたい。
わずかな希望的観測を胸にひたすら走り続ける。
「あっ」
右足に違和感を覚えた瞬間、俺は地面に抱きつくかの様に倒れる。
落ちた枯れ枝や草が舞い上がらせながら、運動エネルギーを消費し続ける。
「うぐっ!」
痛い、ものすごく痛い!
倒れた痛みと地面に体を擦り続けていた痛みで悶絶する。
全身に痛みはあるが、特別に激痛が走り続ける右足を見てみる。
「ははっそりゃそうだよな、飛んでくる弓矢をいつまでも避け続ける事なんて出来るわけないよな」
誰に咎められたわけでもないのに自虐が口から溢れる
「当たり前でしょ、まっすぐ背中を向けて走ったらそりゃ狙われるわよ」
木々の奥、枝葉で光届かぬ森の闇から由美の声が聞こえる。
広げていた翼を畳み、自らの足で歩く姿が浮いてくる。
何、簡単な話だ。
彼女は追いかけるのをやめ、俺が走る方向へ先回りし待ち伏せた。
呑気な考えをしている俺を見過ごし、そのがら空きの背中を目に標準を定め狩りを成功させた。
「業も出さない半端者が生きられるほどこっちの世界は甘くないわよ
ここであなたを捕らえて教団本部に差し出すわ」
距離にして十メートルはあるだろうか、木々の影から溢れる月灯りに彼女の顔が照らされる。
「俺はその教団本部とやらに何されるんだ?」
もはや、逃げる意欲は見失った。この先の自分の未来は彼女に握られている。
「本当に純粋種だったらね。
ま、全身実験台にされて残りは地下に秘蔵されるか施設の動力源になるんじゃない?」
「ははっ」と無意識に笑いが出る。
なんだつまらない人生だと思っていたがここまでとは思わなかった。
俺はどうやら彼女達のおもちゃになるらしい。
「ふざけるなよ、ちくしょう」
「そうね、それも可哀想だから。
ここで殺してあげよっか?本部には抵抗してやむなく排除したって報告しとくわ」
これはありがたい、なんと彼女は自ら俺を介錯してくれるようだ。
意味もわからず死んで蘇り、女子高生に追いかけまわされる。
そんな一生が終わりを迎えようとしている。
「ハッー」と深呼吸して俺は決心する。
「俺には帰る場所も生きてきた軌跡もない。ここで死んだって何も変わらない。苦しみしかない一生しか残されてないなら」
「頼むよ」そう俺は小さく囁いた。どうしても最後の一言を言う勇気が足りなかった。
本当は頼む事を最後まで後悔していたのかもしれない、だがもはやそうするしかなかった。
「わかったわ、さようなら 竜也さん」
そう人生で最後に俺の名前が呼ばれた。
目を閉じ、音だけの世界になる。
弓の弦が軋む音が聞こえる、俺の命は後数秒。
「天にまします我らの父よ。ねがわくば御名をあがえさせたまえ」
どうやら彼女は祈りの言葉を捧げてるらしい。
数秒だと思われていた命はもう少し猶予がある様だ。
最後の言葉は「アーメン」だったろうか?
俺はこの祈りの言葉が終わるまでどうしようかと考える。
「おいおい、そんなの決まってんじゃん、あの女を殺すしかないだろ?」
思わず、目を開ける。
そこには弓を今かと放とうとする彼女が見えてるはずだ、しかし――
「何、驚いた顔してんだよ 業を使えって言われてんだろ?あの余裕こいてる女に見せてやろうぜ」
少女ではなく目の前に褐色の少年が見える。
相変わらず、ニヤニヤとした今の状況とは似合わない表情でこちらを見ている。
「お前、ここで何してんだよ 消えたんじゃなかったのか?」
「っ?…我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をゆるしたまえ」
由美が一瞬祈りの言葉をやめ、こちらを見るが再び言葉を進める。
どうやら、由美にもこいつは見えていないらしい。
「消えてなんかいねぇよ、お前が勝手に希望を見出すから見えなくなっただけ。オレはいつでもお前の側にいるぜ?まぁ、そんな事はどうでもいいや」
俺の側にずっといたのか?だがしかしもうすぐ死ぬんだ、確かにどうでもいい事だ。
「こっちは勝手に死なれても困るんだよ。オレに任せろ、さぁ手を伸ばせ、それでお前は救われる」
少年がこちらに手を差し伸べる。
俺はどうなる?決心が揺らいできた。一生おもちゃにされるか死ぬ以外の選択がここにある。
「なに、安心しろ すぐ終わるさ」
「悪より救いだしたまえ 国と力とは、限りなくなんじのものなればなり」
少年の背後から由美の祈りの言葉が今にも終わりかけようとしている。
「早くしろ、死にたくないだろ?今まで通りささやかな希望に手を伸ばせばいい」
俺は生きたい、意味はわからなくていい、それでも生きたい。
この希望に縋りたい!
「そうだろ?なら早くしろ」
「アーメン」
少女の最後の言葉が聞こえた瞬間、俺は少年の手を掴む。
「それが正解だ、誰がなんと言おうがその事で失敗しようがお前の選択はいつも正しい」
その言葉を聞いた瞬間、俺の意思は何か黒いモノに奪われていく気がした。
全身が黒い影に覆われていく、飛んでくる矢をその黒い何かに覆われた手で受け止める、そして。
何かが自分の中で生まれる開放感に俺は咆哮をあげる。




