白銀の世界へ……
レブルが教会へたどり着き、シエナを手から雑に放り投げる。
シエナから「きゃっ」と小さな悲鳴が上がる。
「あの器はもうここまで来れぬだろう。
さぁ娘よ、余興の番が来たぞ? どう我を楽しませてくれる?」
「……」
「なんだ、何も考えておらぬのか?ならば、仕方ないな」
突如、レブルがシエナに迫り来る。
巨大な七つの目は血走り、口を大きく開いて舌を出しながら歓喜の声を上げる。
「貴様の両手足を粉砕しよう!爪の先からゆっくり少しずつだ!
喪心など安易な事を考えるなよ?貴様の意識を操り、痛みはそのまま自分の身体が壊れていくのを見届けるのだ!」
「ぁ……」
恐怖に身体が震えるシエナは呆然とする。
ここではもう誰も助けてくれない、竜也はいない、神父も来ない。
レブルを封印する一族の責も破られた。
彼女にはもう絶望しか残されていなかった。
「さぁ小娘!この我を幾年も閉じ込めた大罪、その贖罪の時が来たのだ!」
「シエナに近づくんじゃねぇええええ!」
教会の大穴から、竜也が飛び出してくる。
翼を生やした鎧の騎士はそのまま天井へと昇り、直滑降でレブルに迫る。
ジェット機の様な空気を切る音を鳴らしながら、レブルを壁まで弾き飛ばす。
「いてて……」
その威力は凄まじい物だったが、ただの体当たりだ。
その衝撃は竜也の脳を揺さぶり、目眩を起こす。
「……竜也?」
瞬間、竜也の脳は活性化し目眩は消えた。
「だいじょうぶか?シエナ?」
「……!」
シエナは今までの恐怖から解放された事に安堵し竜也に抱きつく。
あまりの恐怖にシエナの目には涙が溜まっていた。
竜也はそれを黙って、シエナの頭を撫でる。
自分の鎧はアルバートの様に刺々しくなくて良かったと思った。
「なんだ?その羽は?器に羽などいらぬだろう?
飛んで逃げては面倒だ。その羽むしってやろうぞ」
「くっ!」
シエナは引き離し、再び構えを取る。
「いや、待てよ」とレブルが立ち止まる。
「そこで僅かな時間、枝を交わしてるがいい。我は眷属たちと人間共に我の復活を教示せねばならぬ」
レブルが空へ飛び立ち、天井をぶち破る。
そして、雲を突き抜け満月を背に、上空へ巨大な円陣が浮かび上がる。
「我が眷属たち!我は滅びぬ!白百合の牢獄より今、帰還した!」
円陣は激しく光り、爆散してその破片が空を駆け巡っていく。
それは地球を囲み、世界中に隕石の如く空に流れていった。
「人間共!貴様らの有涯はこれで終わる!」
レブルは手を下につき出し、巨大な円陣が雲を朱に染め上げる。
雲の上にまた同じ赤い円陣が浮かび上がる。
だが、先ほどの円陣とは違いまるで街から何かを吸い上げようとしていた。
「まずは祝杯だ!この街の人間全てを喰らい尽くしてやる!」
★
「竜也、もう私のことはいいです」
「シエナ、何言っているの!?」
シエナの言葉は由美はショックを受けている。
俺も一緒だ。何をいまさら――そんな事を。
だが、シエナは冷淡な顔をして俺との別れを告げる。
「レブルが言っていたでしょ?竜也は器だって。
力は完全に復活していない。だけど竜也の身体を乗っ取ればあれは完全に目覚める。
だから、逃げなさい。ここは私に任せて、神父ももうすぐ来るでしょう。
それで時間は十分に作れる」
シエナは顔を下げた。身体は小さく震えている。
もう感情が抑えられないのだろう。あの俯く顔の下で彼女はどんな顔をしているのか。
恐怖もこれから自分に起こる惨劇も十分に理解しながら、その震えを抑えて俺に逃走を促しているのだ。
「シエナ?何言ってるんだよ」
「いいから逃げなさい!」
「なに、バカな事言っているんだ。そんなの出来るわけないじゃないか」
瞬間、頬に衝撃が走る。
顔を真っ赤にしながら、俺を睨みつけるシエナの目があった。
兜を手で叩いたのだ。よほど手が痛かっただろうにそれを堪えて、シエナは俺を拒絶する。
「言う事を聞かない竜也は嫌いです! いいえ!ずっと前から――き、嫌いでした!
もう私には構わないでください! 早く、その翼でどこか遠くに行きなさい!」
完全な拒絶の言葉、だがそれは偽りの言葉だ。
俺だけでも逃げろと、生きてくれと彼女は叫ぶ。
そのために、彼女は俺を嫌う演技をする。
ならば、俺はその偽りを断ち切ろう。
偽りには真実だけが勝てるのだから。
「……シエナ、俺からもお願いがある」
「な、なんでしょ――?」
鎧を解いて、シエナを抱きしめる。
強く力をいれれば壊れそうなほど華奢で細い、こんな身体であのレブルと立ち向かおうとしてるのが信じられない。
今の俺にはレブルには敵わない。あいつが戻ってくればここは再び地獄と化すだろう。
それでも、逃げる理由にはならない、いや、逃げたくない。
「え?」
俺はシエナと唇を交わす。
これから、やろうとする事への報酬の先取りだ。
どうせ、死ぬんなら最後に俺の想いを告げてからにしよう。
「俺はシエナが好きだ、だから守りたい。
だから、俺を頼れ。もう一人で我慢しなくていい」
「……」
言葉は出ない、かわりに頬に涙が流れる。
「ごめん、やっぱりキスはショックだったか?」
ふるふると首を横にふる。
「その……こんな状況なのに嬉しくて……でも、やっぱり悲しくて……」
「シエナ、本当の事を言ってくれ。俺はどうしたらいい?」
「竜也……」
「うん」
「……助けて」
「わかった、由美を少し預かってくれ」
由美を手渡し、俺はシエナを背に、歩みを進める。
「え、竜也?」
「竜也、どこに……?」
俺は白銀の剣、聖鋼韋天の前に立つ。
汚れもなく、天から差し込む赤い光にも染まらずに銀色に輝き続ける。
この剣は手を近づけただけでも皮膚がぴりぴりとする嫌な感触がした。
あれは警告だ。それ以上近づけば白銀に染めるぞという。
ならば、握った時の事など想像に出来ない。
それでも覚悟を決める。
レブルを倒し、シエナを救う。
それが可能とするのが目の前の奇蹟だ。
奇蹟を得るには相応の代償が必要だ。
ならば、俺はこの身を賭けてその奇蹟にたどり着く。
「竜也、それはいけない!貴方にその剣を担う事は不可能です!
レブルを相手にする前に死ぬつまりですか!?」
「それでも、やらなくちゃ。俺だけの力じゃ、無理だ。この剣ならレブルにも対抗できるだろ?」
「それは……」
「ありがとう、シエナ。俺は必ずこの剣を引き抜く。
だから見守ってくれ。シエナの前ならなんでも出来る気がするんだ」
「……」
シエナはもう何も喋らない。ただただ、俺のために祈っている。
それを見たら、ますます勇気が出てきた。
好きな女の子の前で頑張ってしまうのはきっと男の性なのだろう。
あとはこの剣を握るだけだ。
「――」
深呼吸をしただけで喉が渇く。
この剣を握る、握っただけで死ぬ。
己の覚悟と彼女への愛をもってしても恐怖は消えない。
触れる物、全てを白銀に染め上げるという聖剣。
それは記憶すら染め上げてしまうものなのだろうか。
シエナとの約束すら白銀の塵へと化す。
それが何より怖かった。
だが、それでもシエナが俺を信じてくれた事実は消え去らない。
それで十分、俺は前に進める。
恐怖を精一杯の勇気で押しつぶし、聖鋼韋天を握り締める。




