腕比べ②
風に追われている。
背後には何も姿などない。
あるのはまるで耳元で鞭を振られている様な風音のみ。
だが、それが驚異だ。
なんだって、その風は自分の身体を軽々切断する力を持っているのだから。
ビルの間を駆ける、風の驚異から逃れる為に。
だが、人間が風より速く走れるなんて事はありえない。
背後から風切り音が聞こえた。
俺は咄嗟に両腕を交差して、身体を守る。
瞬間、
「がっ!あぁああああ!!」
腕が軋む音と共に火花が散る。
その勢いを殺して、なんとか飛ばされない様に踏ん張る。
だが、その圧が消える様子はない。
このままでは、俺の腕は裂かれるだろう。
それを許すわけにはいかないっ!
「うぉおおおおおおおお!」
雄叫びを上げ、装を両腕に全力で展開する。
その風を引き裂くように交差した腕を振り下ろす。
風圧は消え、背後に風が過ぎ去っていく。
やった!できた!
「けど、まずいっ」
今ので力をほとんど消費してしまった。
よろけて、ビルに肩をぶつける。
今にも身体が倒れそうだ。
だが、ここで踏ん張らなければ次の攻撃に備えられない。
「あれっ?」
ドクンッと身体がなる。
鎧から鼓動を感じた。
「これって――」
その鼓動は徐々に大きくなり、全身を響かせる。
師匠は言った。
――お前の鎧はお前を飲み込む、あまり力を使いすぎるな。
業は精神力を消費する、自分で自分を律する事が出来なければお前は鎧に取り込まれるだろう――
――またか、いいか?人は誰しも闇を抱えている。それに打ち勝つ力があるから人は人として生きられるのだ。
自分の中の獣に支配されるな、お前がお前を支配するのだ――
「わかっている、わかっているんだよ」
頭の中で師匠の言葉が繰り返される。
だが、その言葉も自戒から自噴に変わる。
それに比例して鼓動も大きくなる。
「竜也くん、だいじょうぶかい?」
アルバートが姿を現し、俺に近づいてくる。
だめだ、近づくな。
誰のせいでこんな事になっていると思ってるんだ。
なんでこんな事になったんだ。
俺はただ自分を守っただけじゃないか。
なのになぜこんな苦しむ?
……綺麗な白い鎧が目に写る。
あぁ、なんであいつの鎧はあんなにも綺麗で俺のはこんなに黒く醜い鎧なんだろう。
こんな俺に気安く話しかけるな。
もっと苦しくなってきた。
なんでだろう……
目の前のあいつが……
あいつか……
……お前のせいだ、おまえのせいだ
「お前がぁあああああああ!!」
爪に黒煙が染み出てくる。それは俺の怒りが染み出る様に。
そうだ、これは俺の怒り、苦しみ。
俺はこれをずっと心の中で押さえ込んでいた。
本当は表に出したかった、この怒りを人にぶつけてみたかった。
だが、怖かった。
それは許されない事だ。
親が、家族が、学校が、社会がそれを許さない。
誰かを傷つけることは許してくれない。
そうだ、だから俺は愚直にそれを認めた。
<お前はもう自由だ、今のお前を誰が縛るというんだ?
お前を捨てた両親か?お前を蔑ろにした学校か?お前を忘れた社会か?>
声がする、闇から手が伸びてくる、闇が笑う。
<もうない、お前は縛られない。ここはお前だけの世界になった
無秩序こそがお前の救いだ。お前に与えられた権利だ>
そうだ、まずはあいつに怒りをぶつけよう。
おれの苦しみをまずはあいつにわかってもらわなきゃ。
あぁ、楽しみだ。とてもとても楽しみだ。
俺はまるで犬の様に手足を地面に着く。
そうだ、獣だ。
俺は今から無秩序の獣と成り果てよう。
俺は感情に任せて地面を押し蹴り、アルバートに跳躍する。
自分でも驚く程今までの速さとは比べ物にならない。
アルバートとの間合いを一息でゼロにする。
見ろ、あいつを避けることもできずに防ぐ事しかできない。
まずはその剣だ、その剣を握りつぶしてやる。
火花が散り、剣が軋む音がなんと心地いい事か。
「君、正気か!?
なんて事だ、こんな所で暴走するなんて……!」
アルバートは剣を離して、俺から距離を取る。
掴んだ剣は消え、再びアルバートの手に納められている。
それは俺が壊す剣だ、返せ!返せ!
再び跳躍しようと構えるがそれより早く奴は消えた。
「どこだ、どこにいる!出てこい!今すぐに!」
辺りを見回し、アルバートを探す。
背後から物音がした。
「そこかぁ!」
そこへ渾身の力を込めて拳を振り下ろす。
だが、そこには粉砕されたコンクリートの欠片が舞っているだけだった。
「っ!」
「なっ!?」
奴は隙だらけの背中に剣を突き刺そうとしたのだろう。
怒り任せな攻撃の代償だ。
追撃に、俺は一歩遅れてしまうだろう。
奴の剣は今、完全不可避の剣と化す。
だが、お前が突き刺すのは背中ではない。
「そんな君、バカなのか!?」
腕に激痛が走る、こんな痛いのは初めてだ。
身体の傷より心の傷の方が痛いなんて嘘じゃないか。
これは別物の痛みだ。
だが、俺はこの痛みの代償に奴の手を掴む。
両腕は塞がれたが、今の俺には牙がある。
このまま、その首を噛みちぎってやる。
「なんていう奴だ、君は」
あぁ、それだ。その反応が見たかった。
弱者に襲われる強者の姿が、この俺を恐る様子が!
自戒心などいらなかったのだ。
こんなにもいいものだったのか。
もっと早くにこうしてれば……
俺は自分も、あの人を、あの子も救えたはずだ。
父に憤怒し、社会など捨て生きられれば。
俺は……俺は……
瞳が熱くなる。視界が水を掛けられた窓ガラスの様にぼやける。
こんなにもいいじゃないか、
楽しいはずじゃないか。
「竜也!やめなさい!シエナが悲しむじゃない!」
突如、由美の声が響く。
思わず、身体が脱力する。
その隙をついてアルバートは掴まれた手を振りほどく。
だが、俺はその事を気に留めなかった。
そんな事よりも今まで俺は何を考えていたのか。
アルバートは何が起きたのかわからずこちらを傍観している。
そうだ、逃げるんだ。
今なら逃げれる。
俺は再びビルの中へそして違うビルへと走り飛ぶ。
アルバートはさっきまでの俺の様子から追いかける事はしなかった。
「ありがとう、由美
お前がいなかったら、あのまま……」
「感謝されても足りないくらいよ!あんたは極端すぎなのよ!
そんな風になるならもっと普段から正直でいなさいよ!
あんたがあの状態になるのはほんと怖いんだから!」
由美は本気で怒っている、よほど怖かったんだろう。
だが、それと同時に俺のことを叱ってくれている。
「それより、これからどうするの?またあいつと戦うの?」
「いや、最初から逃げるって決めてたからな。
ただ出口がわからないんだ」
廃墟のビルには無数のドアが並ぶ。
アルバートはこのビル群のどこかに出口があると言った。
「近くまで行けば出口がわかるかもしれない」
「え?」
「最初に戦った場所、あの近くのビルに違和感を感じたわ」
「いや、だけど最初の場所なんて覚えてないぞ」
「私は覚えてるわよ?」
「え?ほんと?」
「あなたは戦いだけに集中してたみたいだけど、一流は周囲の景色や様子にも目をやるものよ」
「どうも、すみません」
「三時の方向よ。さっさと行きなさい、アルバートが追いつくわよ」
由美が導く方向へ進む。
だが、由美は間違っている事がある。
アルバートは追いかけてきてはないだろう。
その気があれば俺にすでに追いついてるはずだからだ。
なにより先ほどの戦いで俺と戦い続けるのは危険だとも思っただろう。
だからこそ、俺をこのまま素直に帰そうとはしない。
「やぁ、待っていたよ」
最初の場所、そこに白い鎧は佇んでいた。
だが、先程までの闘気はなく剣も持っていない。
「君との戦いは楽しいが、時限爆弾を付けた相手と戦うのはごめんだ」
白い鎧は霧散し、金髪の青年が姿を現す。
その目は畏怖が混じって俺を見ている。
俺もそれに応えて業を解く。
「よかった、またさっきみたいに襲いかかられたらどうしようかと思ったよ」
「あんたが始めた事だろう、火遊びが過ぎたと思って許してくれ」
「いや、確かにその通りだ」
自分を戒めるように目を伏せため息をついている。
なんとも、自分勝手な人間だがなぜか憎めない相手だ。
そういうところがここの人間に慕われている要因なのだろうか。
「もう外は夕暮れだ、帰りが遅れれば神父もシエナさんも心配するだろう」
「そんなに戦っていたのか」
「人間、集中してると時間を忘れるものだよ」
「それでだ、君の帰る方向はどーこだ?」
「は?」
「君が帰りたい方向へ進んでくれ。正解ならそのまま進めばいい、不正解なら僕についてきてほしい」
「わかった」
俺はまっすぐアルバートの方へと歩みを進める。
この方向で間違いない。
由美はその時々の風景を覚えておけと言った。
俺だって数時間の記憶力ぐらいある。
初めて対峙したときの光景。
アルバートはその時と同じ立ち位置にいる。
それは俺がその方向へと向かわせないためだ。
今もそれを嫌がってあそこに立っているはず。
これがブラフなら、俺の負けだ。
「竜也君、聞いておきたい事がある」
横を通り過ぎようとした時、アルバートは話しかけてくる。
「由美さんを殺して、今また君は僕を殺そうとした
君はどうなって生きたいんだ?」
「俺に出来る事をするだけだ」
俺が今答えられる事はそれだけだ。
由美を石にしたいとも、アルバートを殺したいとも、
最初から決めて戦ったわけではないのだから。
だが今の俺には明確な答えは見えてこない。
それでも進み続けよう、そう誓ったのだから。
★
「絶対バレてるわよ!あぁ、黙っておこうと決めてたのに!」
どうしようどうしようと由美が狼狽えている
あれから、俺達は出口に至った。
ドアを開ければ、そこには塔の人達がこちらを驚いた顔で見ていた。
「血が流れてますよ!何があったんですか?」
心配そうに黒人が駆け寄ってきたが、大丈夫だと包帯だけもらってすぐに出口に向かった。
出口付近に香織が立っていた。
「支部長は普段、人を意味なく傷つける人間ではないのだが、
今回は特別な様だ、すまなかった。」
そう言って、手につけた血が滲み続ける包帯に梵字を包帯に書き始める。
そして手をあてがい、傷口付近が緑色に光っている。
「これは?」
「治癒刻印だ。私の力では止血ぐらいしか出来ないが」
あてがった手がどけられると今にも滴り落ちそうなほど滲んでた血は止まっていた。
「すごいな、あんたこんな事もできるのか。」
「大した事はない。支部長ならその傷すら癒せるのだが……」
「いや、今日はもう遅い。シエナや師匠も心配するしな」
「そうか」
そうして、俺は教会へ続く森の中の道を歩いていた。
「大丈夫だろう、なんか聞かれたら通信機があったんだってはぐらかそう」
「無理あるわよ!あいつはあんたにやられる所を見てたんだから!」
「まぁ、それはそうだな」
「なんであんたはそんな能天気なのよ」
「過ぎた事を悔やんでも仕方ないだろう、師匠の知恵でも借りてみようか」
「それ絶対ダメ!いい?今日私が人前で話した事は絶対秘密だからね!」
「なんだよ、街中では普通に話してたくせに」
「それとこれとは違うの!」
「え~……」
「違うって言ったら違うの!」
「秘密にしとくよ。由美には借りが出来た」
「え?」
「由美がいなかったら、俺は俺じゃなくなってたかもしれない。
ありがとう、これからもこんな俺だけどしばらくは側にいさせてくれ」
「なっ!」
「なんだよ、自分の秘密を破ってくれてまで俺を助けてくれたんだ。
改めて、お礼を言うのは当然だろ」
「いや、それは……その」
「珍しいな、照れてるのか?」
「違う!ちーがーいーまーすー!もう二度とあんな事はごめんなんだからね!」




