第2話:今の私は
私は一体何者なのだろう。
過去を振り返ろうとすればするほど、
過去が何も出てこない。
自分の名前も、家族構成も、年齢も、
学校も家も住所も電話番号も友達も趣味も昨日の晩御飯も、
そして、思い出も。
何一つとして思い出せない。
私が、どんな人間であるかを証明する情報が何もない。
私は、何者でもないのかもしれない。
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しばらくして、部屋に誰かが入ってきた。
お医者さんと、何人かの看護師さんだ。
看護師さんの中には、さっきの人もいる。
「六依 由依さん、私の声が聞こえるかい?私の姿が見えるかい?」
お医者さんが話しかけてきた。また、六依と呼ばれた。
やはりこれが私の名前なのだろう。
幸い首は動くので、ゆっくりと頷いて、声を返す。
「は・・・はい。 でも・・・その」
「ああ、聞えているなら、心配しなくていい。無理に体を動かさなくていいし、ゆっくり喋ってくれて構わないよ」
まるで私に起きている事が理解できているようだった。
「なにしろ、君は四年半も寝たままだったんだからね」
「よ・・・よね・・・?」
よ、四年半!?新たに追加される衝撃の事実に私は理解を拒もうとさえした。
何もかもが私の予想を裏切って遥か遠くに突き刺さる。
私は、まだ夢を見ているのではないだろうか。
そんな淡い希望は徐々に血が通ってきたような手足の感覚と、はっきりと見て、聞くことができる視覚と聴覚が否定する。
「君は、4年前の春、交通事故に遭ったんだ。幸い命に別状はなかったんだが、今日まで、一度も目覚めた事は無かったんだ」
「こうつう・・・じこ・・・?」
もちろん、そんな記憶もなかった。言われたこと、すべてが初耳だった。
「いえ・・・おぼえて、ないです・・・」
拙い声で、正直に、私も事実を伝える。
「それどころか・・・なにもおぼえて・・・ないんです」
お医者さんも、看護師さんも、口を挟むことなく、私の話を聞いてくれている。
「わたしが・・・だれなのか・・・わたしが・・・どこに、すんでいたのか」
ぜんぶ、覚えていないんです。そう言おうとしたが、最後はかすれた声すら出なかった。
「うーん、記憶障害かな・・・確かに、事故の後遺症にはありがちな症状だけど・・・少し、テストをしてみよう」
お医者さんはそういって、私にいろいろな事を聞いてきた。出身校や単純な計算問題、昔の総理大臣なども聞かれた。
分かるものもあったけれど、その大半は答えられなかった。
「やっぱりこれは記憶喪失だね」
お医者さんが言う。
記憶喪失。
その言葉を聞いて、少し安心したのかもしれない。
少なくとも、無くすべき記憶は存在していたという事だから。
初めから空っぽな人間だったわけではないという事実は、今の私を多少なりとも安心させるには十分だった。
「じゃぁ・・・わたしは・・・いったい・・・?」
でも、今の私と、今までの私がこれで繋がったわけじゃない。
いままでの私という存在があったことを知れただけ。
「少し落ち着いたら、昔の君と、今の君について、少し話をさせてもらおうと思うけどいいかな?」
「はい・・・おねがいします・・・」
何も知らないよりは、知った方がいい。それが私の考えだった。
考えても考えても、何も出てこない恐怖より、たとえ人から聞いた知識であっても、
自身の「過去」を持っておきたかった。
「ああ、その前に、親御さんにも連絡をして、いろいろと許可をもらわなきゃね」
良かった、家族は居るんだ。
そんなことすら思い出せない私にとっては、何気ない話のひとつひとつが、大事な情報源だった。
四年半ぶりに目覚めた、記憶喪失で、六依 由依 と呼ばれた少女。
それが、今の私。