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蒸気世界の夢追い人  作者: 氷純
第一章 逃避行
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第八話  傭兵の情報

 ロワロックは酒を提供できる店を絞っているが、その目的として掲げられている治安維持がただの名目でしかない事をこの町の住人はよく知っている。

 単に酒税を高く設定するよりも許可状発行の名目で金銭を巻き上げる方が懐に入れやすいと考えたロワロック町長と、酒の流通から販売までを管理する事で金を産もうとする一部の国政にかかわる貴族が手を組んで結実した悪法だ。貴族の中には自前でワイナリーを経営している場合も多々あるため、他との競争が発生しない独占的な市場としてロワロックを利用している者もいるという。

 あげく、酒を飲む人間が町に居つかないからと陸軍基地を建設する事で強制的に住まわせる始末。そばにあるガムリスタに傭兵が集まっているために監視と有事の際の戦力を置いておくためという名目も白々しく聞こえるものだ。

 最も始末に負えないのは、ロワロックの陸軍基地へ送り込まれる兵士はその能力よりも酒を飲むかどうかに焦点を置かれているというところだろう。


「お嬢ちゃん、夜に一人歩きは危ないよ。宿まで送ってあげよう。大丈夫、優しくするから」


 必然、国を守るという意識が希薄な、ともすれば傭兵よりも酒癖の悪い陸軍兵士がいたりもする。

 赤ら顔を近づける兵士の階級を見て雑魚と判断したカミュは、重心を落として兵士の視界から消えると右へ跳躍する。

 訓練不足に加えて酒気を帯びている兵士はカミュの素早い動きについて行けず、あっさりと見失う。しかし、見失った事すら次の瞬間にはどうでもいい事として脳が処理したのか、千鳥足で通りを歩き始めた。

 何とも張り合いのない奴だとため息を吐きながら、カミュは酔っぱらいの兵士を放置して路地裏に入った。

 獲物とみて財布をスリ取ろうとしてくる汚い格好の男をするりとかわし、数度路地を曲がって木の扉の前に立つ。

 赤いプレートがドアノブから下げられているのを確認し、カミュは扉を押し開ける。来店を告げるベルも取り付けられていなかったようで、扉は音もなく開いた。

 机を並べただけのバーテーブルに頬杖を突いて新聞を読んでいた壮年の男が顔を上げ、カミュの姿を見て眉を顰めた。


「なんだい、嬢ちゃん。人の家に勝手に上り込むなんて、教育がなってねぇな」

「あいにくと教育を受けて育ってなくてね」


 さらりと返したカミュはバーテーブル前に置かれた革張りの腰を降ろすと、室内を見回す。

 バーテーブルには客椅子が三つ。室内には他に二人掛けのテーブル席が二つある。しかし今はカミュと壮年の男だけだ。


「やっぱり、昼間の客入りなんてどこもこんなもんだよね。さっき、酷い酔っ払いを見たけど」

「あぁ、酒でも中毒になるんだ。勉強になったろ」

「なるほど、そういう兵士が送り込まれる町だったね、ここ」

「注文は?」


 カミュを客として認めた壮年の男は新聞を畳みながら訊ねる。無許可で営業する飲み屋ではあるが、無許可故に幾種類もの酒を密かに常備している、裏町らしい飲み屋である。

 靴磨きの少年から聞きだした店だが、カミュの目的は美味い酒でも肴でもない。

 コトリ、とカミュはバーテーブルにラグーンのイグニッションキーを置く。

 物音に気付いた壮年の男がイグニッションキーに付けられたドラネコのキーホルダーを見て目を細めた。


「……それは?」

「あぁ、目印だよ。人と会うつもりでね。注文は白のフェアレディで」

「グラスは?」

「二つ」

「……少々、おまちくださいませ」


 カミュを見つめてわずかに逡巡を見せた壮年の男は、丁寧に腰を折ると奥の扉に消えた。



 店の裏にワインボトルとグラス二つを取りに行ったにしてはずいぶんと長い時間をかけて、壮年の男は戻ってきた。

 カミュは壁に掛けられた機械式時計を眺めていたが、戻ってきた壮年の男にさっそく声を掛ける。


「オマールソースのグラタンと鳥ハムと季節野菜の蒸し焼きサラダをお願い。どっちも一人前ね」

「かしこまりました」


 カミュの注文を受けた壮年の男がまた店の裏に戻っていく。

 しばらくするとオマールソースの濃厚なエビの香りが漂ってきた。わざわざメニューまで置いているくらいだから頼んでみたが、出来合いのものがきっちり準備されているとはカミュも驚きだ。

 警官が巡察にでも来たらどう誤魔化すつもりなのか、他人事ながら心配してしまう。おそらく、金を握らせているのだとは思うが。

 何とはなしに蒸気式らしい黒金製の壁掛け時計を眺めていると、壮年の男がバーテーブルに戻ってくる。


「どうぞ。サービスです」


 砂肝とアスパラガスを炒めたらしい料理をカミュの前に置いた壮年の男は、空のグラスとワインボトルに視線を向ける。


「……お注ぎしますか?」

「うん、お願い」

「失礼します」


 音もなく、静かに注がれる白ワイン。

 厨房へ戻っていく壮年の男に、カミュは声を掛けた。


「フォークも欲しいな」

「……これは失礼しました」


 慌てた様子を見せずに戻っていく壮年の男を見て、カミュは苦笑する。

 そんなに怖がらなくてもいいだろうに、と。

 砂肝とアスパラガスの炒め物は歯ごたえが楽しく、炒める際に使われたらしきネギ油の香ばしさが食欲を刺激する絶品だ。

 カミュの待ち人が店の扉を開けたのは、フォークで最後の砂肝を突き刺した時だった。


「ちっマジで居やがる。しかもあたし好みになりやがって」


 木の扉を開けるなりカミュを見て額を押さえたのは黄色に髪を染めた女だった。両腕には細いシルエットの蒸気機甲を装着し、首からはゴーグルを提げている。威圧的な音を鳴らす革のブーツには足部の保護と装飾を目的にした金属製の歯車がいくつか付けられている。歯車はカミュの見立てが正しければ真鍮製の物と白銅製の二つ。腰から下げた蒸気仕掛けと思しき両刃剣は鞘に収められている。

 女の後ろから三人の男女が入ってくる。全員が蒸気機甲を両腕と両脚に装着しており、二人の男に限っては胸当てを付けているらしいことがコートのふくらみから分かった。

 カミュは白ワインをグラスに注ぎながら、女を見もせず歓迎する。


「リリーマ、久しぶりだね。その髪の色は似合わないと思うよ。黄色ってピエロじゃないんだからさ」

「うっせえ、ドラネコ。ひょっこり姿を現したと思ったら何の用――おい、お前ら、待て!」


 リリーマと呼ばれた黄色髪の女の制止は間に合わず、男の一人が無礼な態度を取るカミュを拘束しようと腕を伸ばす。

 カミュは中身の入っていたワイングラスを男の顔面に投げつけて隙を作り、席を離脱するなり愛用の剣の柄に手を掛けた。


「部下の教育がなってないんじゃないの? リリーマちゃん」

「ちゃんづけすんな。お前らも、手を出すんじゃねぇ。そいつは客だ」

「え、でもこの小娘、姉御にあんな舐めた口の利き方」

「あんな舐めた口の利き方が許される仲なんだよ。察しろ」

「リリーマが言うと卑猥だなぁ」

「まぜっかえすな!」


 リリーマを弄りつつも、カミュは席に戻る。

 様子を見に顔を出した壮年の男に片手で謝りつつ、割れてしまったワイングラスの代わりを頼んだ。

 リリーマは部下三人にテーブル席に着いて大人しくするよう命令してから、カミュの隣に腰を降ろす。


「五年ぶりになるか。本当、あたし好みになりやがって」

「少年趣味とかヒクわー」

「うるせえ。人の趣味にとやかく言うな」


 壮年の男が用意した新しいワイングラスに白ワイン、フェアレディが注がれる。

 カミュがワイングラスをリリーマの方に傾けると、リリーマは面倒臭そうにしつつも口元に笑みを浮かべグラスを合わせた。


「再会に乾杯」

「相変わらずリリーマはクサい台詞が好きだね」

「……お前がやらせたんだろうが」


 腹いせ交じりにリリーマが壮年の男にバーニャカウダーとクルミ入りチーズを注文する。

 ワインを一口飲んだリリーマはぎろりとカミュを睨みつけた。


「それで、ラリスデン旧市街の情報屋様がロワロックなんぞで何してんだよ?」

「廃業するから、伝えておこうと思ってね」

「……は?」


 言葉の意味が分からないというようにリリーマは訊ね返し、平然とワインを飲むカミュを見て冗談の類ではないと察したのか眼を見開く。


「待て、お前、廃業ってどういうことだよ!?」

「そのまんまの意味。これからは買うだけになるかなぁ」

「廃業して、どうするつもりだよ。傭兵稼業を始めるってんならウチに来い。ドラネコが敵に回ったらと思うと気が気じゃない」

「傭兵にはならないよ。だけど、とある傭兵に興味がある」

「それであたしのとこに顔を出したのか。ドラネコは別れの言葉なんて殊勝なことする奴じゃないもんな」


 リリーマの皮肉に、カミュは舌を出した。


「グランズって傭兵について聞きたいんだ」

「グランズ? 聞かない名だね。……そんな眼で探るなよ。ドラネコ相手に嘘つけるほど器用じゃない」

「それもそうだね。でも、人材マニアのリリーマでも知らないか」


 念のため、カミュはグランズの特徴を伝える。

 リリーマは自分の記憶に該当する人物がいないと分かるとすぐに連れてきた三人の部下を振り返った。


「知ってるか?」

「いえ、知らないっす」


 三人が同時に首を振ったのを見届けて、リリーマはワイングラスを揺らす。

 壮年の男が纏めて料理を運んできて、カミュとリリーマの前に並べた。食欲を誘うエビの香りが漂う。

 リリーマはバーニャカウダーとして運ばれてきた温野菜からスティック状に切られた人参を取ると、断りもなくカミュが頼んだオマールソースのグラタンに突っ込み、ソースを絡め取って口へ持って行った。

 カミュは特に文句も言わず、スプーンでグラタンをつつく。

 リリーマが部下の女を振り返った。


「宿に行ってグランズって奴の顔を見てきな」

「了解です」


 部下の女が出ていくのを見送って、リリーマはカミュを横目に見る。


「廃業するんだろ。餞別にちょっと首を突っ込んでやるよ」

「リリーマのそういうところ、利用しやすくて好きだよ」

「あぁ、あたしもドラネコの口の悪さが好きだよ」


 カミュはリリーマのグラスにワインを注いでやり、話を続ける。


「もう一つ、北部警察の動きが知りたい」

「あぁ、それなら大体は掴んでるよ。商売柄ね」


 事もなくそう言って、リリーマはクルミ入りチーズを一口食べる。

 カミュはグラタンを食べ進めながら、リリーマの話に耳を傾けた。


「北部警察はいま、対暴力組織強硬派と蒸気機関撤廃の会対策班で人材の引っ張り合いをしてる。おかげさまで、北部は魔物が幅を利かせるようになって、あたしら傭兵集団は稼ぎ時だ。街道はもちろん、砂漠のど真ん中でもお仕事やってる始末だね」

「撤廃の会の対策班ごときがそんなに発言力を持ってるの?」

「如きじゃなくなったんだ。撤廃の会の連中、古代文明の遺跡を破壊し始めやがったからね。会長のハミューゼンが北部にいるらしいってんで警察の対策班が首都ラリスデンから昨日到着なさったんだよ」


 本拠地であるロワロックの警官が昼間から飲んだくれているような北部地域では、過激化する撤廃の会の活動に歯止めがかからず、首都から応援として対策班が送り込まれたという。


「首都旧市街を担当していた武闘派を選りすぐったらしくてね。発言力もそれなりに持たされたってんで、警察内部でいがみ合ってんのさ。北部警察からしてみれば、縄張りを荒らしに来たように見えるんだろうね」

「旧市街の担当って、まさか」

「メイトカルの奴さ。若様だよ、若様」

「あんの馬鹿。また面倒臭いことを押し付けられて……」


 カミュは知り合いの顔を思い浮かべて、ため息を吐く。

 貴族の三男坊だったメイトカルは士官学校に入るも軍属入りに上から待ったがかかり、警視庁へと放り込まれた経歴を持つ、まさに武闘派の刑事だ。

 もっとも、その肩書きの割に組織の上層部に頭が上がらず、面倒事を押し付けられてばかりいる。

 カミュはグラタンを平らげて、残りの鳥ハムと季節野菜の蒸し焼きサラダを摘まみつつ考える。

 メイトカルとは、リネアと再会したその日に遭遇している。その時の会話を思い出せば、リネアの事を蒸気機関撤廃の会の重要参考人として追っている事も分かる。

 このタイミングで北部にそのメイトカルがやってきたことには何か裏があるような気がするカミュだった。


「あまり面白くない想像を掻き立てられるなぁ」


 カミュが呟いた時、店の扉が開く。

 姿を見せたのはグランズの顔を確認しに向かったリリーマの部下だ。

 リリーマが声を掛ける。


「どうだった?」

「宿の前で煙草を吸っているところを見ましたが、見覚えのない顔です。あの年頃の男性で傭兵はいくらでもいますし、特定も難しいかと」

「ご苦労だった。ドラネコ、そういうわけだよ」

「ありがとう。久しぶりに会えて面白かったよ」


 カミュが代金を置いて立ち上がると、リリーマが腕を組んだ。


「またいつでもきな。フェアレディはドラネコとしか飲まないと決めてんだ」

「オレは結構飲まされるけどね」

「――なっ!?」


 腰を上げかけたリリーマを指差して、カミュはウインクする。


「冗談だよ。バイバイ」


 手を振って、カミュは店を出る。閉じた木の扉に八つ当たりでリリーマが投げつけたワイングラスの破砕音が聞こえてくる。

 カミュはポケットに手を突っ込み、夕日に向かって歩き始めた。

 何度か路地を曲がって見つけた雑貨屋に立ち寄り、付近の詳細な地図と新聞を購入したカミュは宿に帰る。


「やぁ、カミュ君、遅かったね」


 宿の前で煙草の煙を輪っかにして吐き出し、遊んでいたグランズがカミュに気付いて声をかけてくる。

 リリーマと会った飲み屋を出てから煙草を五、六本は吸える時間が経っているはずだが、グランズの持っている煙草はまだ長い。

 カミュの視線に気付いたグランズが煙草を挟んだ指先を挙げる。


「外で吸ってるんだから、見逃してほしいなぁ」

「風呂に入ったのにわざわざ煙草の臭いを体に付けるって、バカなの? マゾなの?」


 明らかにカミュを待ち受けていたグランズの不審さは指摘せず、ただ悪態をついて反応を見る。

 グランズは肩をすくめた。


「手厳しいね。それはそれとして、リネアちゃんが心配してたよ。どこ行ってたのかな? おじさんに内緒で美女に会いに行ってたとかなら承知しないんだかんね!」

「地図を買ったりしてたんだよ」

「そっかそっか。後はワインを飲んだり?」

「したよ。フェアレディをグラス二杯」

「ありゃま、美女じゃなくていい男に会ってたの? おばさん、不純同性交友は許しませんわよ?」

「グランズよりはカッコいい男だったよ」

「――嘘だな」


 グランズはきっぱりとカミュの言葉を嘘と断じ、まだ長い煙草を足元に落とすと踏み消した。

 そして、カミュを観察するように真正面から見据えて、反応がないと分かるとニカリと人好きの良い笑みを浮かべてポーズを取った。


「おじさんよりいい男がいるわけない」

「どうでもいいけど、道端にゴミを捨てるなよ。ここは北部警察の拠点ロワロックなんだから、捕まるよ?」

「おっと、おじさんとしたことが」


 グランズは煙草の吸殻を拾うと、携帯灰皿を取り出して中に放りこんだ。

 カミュはグランズのゴミ拾いを横目で見つつ、宿に足を踏み入れる。


「……演技以外もできるんじゃん」


 グランズに聞こえるように呟いて、カミュはリネアが待つ客室へ向かった。



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