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蒸気世界の夢追い人  作者: 氷純
第一章 逃避行
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第七話  北部警察拠点ロワロック

 サーカスの見物もせずに出発したカミュたちは、礫砂漠の真ん中で雨に降られて立ち往生していた。


「おじさん、命の危機を覚えるんだけども」


 グランズが白い息を吐き出してテントの入り口から空を見上げる。

 雨が降る直前から急速に冷え込んだ空気はすでにコートを羽織っていても肌寒さを感じるほどの気温になっていた。

 夜という事もあり、雨が止んでも気温がすぐに上昇する事はないだろう。

 それ以上にカミュたちを悩ませているのは、水はけの悪い礫砂漠に大量の雨が降り注ぐことで出来た突発的な川だ。

 濁流となって流れていく水は本来川などない場所だけあって無秩序に流れ、所々で渦さえ巻いて轟々と唸りを上げている。


「ラグーン三台分の幅はあるよね。深さもボクの腰丈くらいはありそう」

「高台への避難を優先したリネアの判断に感謝」

「それほどでもないよ」


 寒さに震えるグランズを他所に、買ったばかりの紅茶を淹れて香りを楽しむカミュとリネア。


「お、おじさんにもあったかい飲み物が欲しいなぁ」

「ごめん、これってオレのお金で買ったものだからさ。代金取るよ?」

「あぁ、もうしまり屋さんだなぁ! いいよ、倍値でも買うよ。リネアちゃんの愛が入った紅茶だから!」

「尽きる事のない愛に自信があるボクだけど、全部カミュに贈ってるからグランズの分はないよ?」

「しまり屋さんたちだなぁ!」


 騒いで疲れたのか、グランズはうずくまって体温を逃がさないよう、せめてもの抵抗を見せる。

 そんなに寒ければ愛車のエンジンを蒸かして暖を取ればいいのに、とカミュはテントの内側に避難させているグランズの愛車ヤハルギを見る。

 蒸気文明の核ともいえる蒸気石は淡水に長時間触れていると蒸気を発生させなくなる性質を持つ。特殊な薬品に浸すことで元の性質を取り戻すものの、薬品は保存がきかないため今カミュたちの手元にはない。

 したがって、蒸気石で動く蒸気自動二輪車スティークスを雨の中に放置する事は出来ず、念のためにテントの中に避難させていた。いくら激しくとも雨程度で動作不良を起こすことはまずないが、礫砂漠のど真ん中で足を失う可能性と天秤に掛けるほどの労力ではない。

 二人用の小さなドームテントの入り口を予備のシートで延長して、玄関ポーチのようにした空間にカミュの愛車であるラグーンもシックな黒いボディーを濡らすことなく佇んでいる。

 ちなみに、グランズとヤハルギは予備のシートを使わずに自前のドーム型テントの中に入っていた。

 ごそごそと荷物を漁る音がして、カミュはテントの中を振り返る。

 リネアが荷物から地図を出すところだった。


「どうかしたの、リネア?」

「雨が止んでもしばらく動けそうにないし、旅程を新しく組んだ方がいいかなって」


 リネアの言葉を聞いて、カミュは空を見上げる。

 激しい雨だ。周辺はいくつもの即席の川ができているはずで、雨が止んでも数日は池と見間違うような大きな水たまりがそこかしこに出来上がるだろう。

 そうなれば、道なき道をラグーンで走り抜けているカミュたちの行き先を水たまりが塞いでいるといった事態も考えられる話だ。


「そんな地図で水たまりができそうな場所って分かる?」

「正直、不安かな。古代文明の遺跡の場所は分かるから、それを縫うように進めば大丈夫だと思うけど」


 リネアは地図を持ってカミュのそばまで来ると、ランタンの明かりに地図をかざした。


「等高線も入ってないこの地図じゃ、やっぱり難しいね」

「グランズ、良い地図持ってない? 傭兵だろ?」

「こんな時ばっかりおじさんを頼って……でも喜んで協力しちゃうおじさんの性よ。あ、ごめん、雨水で滲んで読めない」

「……そっか」

「待って! そんなにあっさりおじさんの失敗を受け入れないで! 役に立たないのはいつもの事みたいなこの空気やめようよ!」


 グランズが何やら喚いているが、カミュとリネアにとってはこの先の道順の方が重要だ。

 街道を無視して礫砂漠を突っ切った事もあり、出発地点である首都ラリスデンからはだいぶ離れている。


「簡単なのは一番近い街道から復帰して道なりに進む方法かな。ボクがいなければ、だけど」


 リネアが一般的には堅実な道順を提示し、そのまま否定した。


「ボク達がこの雨で街道に復帰するのを見越して検問張ってるはずだよ。この雨で狩りができなかった魔物も獲物を探してうろつくだろうから、周辺で討伐戦とかしててもおかしくない」

「検問を避けるだけなら、ガムリスタに行くのが安全なんだけど」

「傭兵拠点のガムリスタ? 警官に捕まる心配はないとしても、グランズさんみたいな人が集まっている場所は嫌だよ」

「おじさんの悪口が聞こえた気がするんだけども!」

「ガムリスタの悪口だよ?」

「なら、いい……のか?」


 話半分に聞いていたのか、リネアに誤魔化されたグランズだったが、会話に途中参加してくる。


「ガムリスタに行くつもりならよした方がいいと思うよん。おじさんみたいな紳士的な傭兵はまずいないかんね。おそわれちゃうぞー」


 そうでなくとも気の荒い者の多いガムリスタだ。迂闊に足を踏み入れるのは躊躇う。

 カミュはランタンの明かりに照らされる地図を眺め、現在地から比較的近い町を指差す。


「ロワロックに行こう」


 ロワロックは傭兵が集まるガムリスタを監視する目的で作られた比較的新しい都市であり、ラリスデン王国北部を纏める警視庁と陸軍基地が存在している。

 しかし、都市建設のために募った人手が溢れ、治安維持を名目とした都市法で酒を扱える店をごく少数に限定して傭兵を追い払ったため、単純労働者を中心とした低所得層が統制する者もいないまま増え続けて裏街を形成している。

 複雑な世情の町ではあるが、内部が複雑なだけに周辺への警戒線たる検問があまり行われない町でもあるのだ。

 カミュの提案にグランズが一瞬嫌な顔をした。


「ロワロックかい? 蒸気機関撤廃の会の連中が紛れ込んでるって話があるし、近付かない方がいいと思うね」

「でもあそこなら周辺の詳しい地図も売ってる。傭兵のグランズには過ごしにくい町だろうけど、地図を買って一泊したら出ていくんだし、気にしなくてもいいでしょ?」


 カミュが言葉を重ねると、グランズは肩をすくめた。


「はいはい、雇われ傭兵だからね。目的地を決めるのは御二方ですとも、弁えてるよん」

「拗ねた振りなんてするなよ、面倒くさいな」


 カミュは呆れのため息を吐くが、目的地に変更はない。

 ロワロックに行けば、地図以外にも買える物がある事を知っているからだ。

 カミュはポケットに入れているラグーンのイグニッションキーに触れる。ドラネコの形をした特製のキーホルダーの感触を確かめて、カミュはリネアを見た。


「そういうわけだから、雨が止んだらロワロックに行こう」

「分かった。変装しないとだね」

「裏街方面から入る手もあるけど、逆に目立ちそうだしね」


 話がまとまり、カミュはリネアと共にテントの中に引っ込んだ。




 翌日の昼、水が引くのを待ってカミュたちは高台を出発し、池や川に時折行く手を阻まれながらも二日後には目的地ロワロックに到着した。

 道中は酷いぬかるみばかりで、ラグーンのシックな色合いのボディには泥跳ねが目立っている。


「掃除、しなきゃ……」

「カミュ君、そんなこの世の終わりみたいな顔しなくてもいいんじゃないかな」


 グランズに心配されながらも、カミュはロワロックの中心部にある警視庁から離れた宿を見つけて早々に部屋を取り、ガレージに押し込んだラグーンの掃除に取り掛かった。


「カミュ、お湯だよ」

「ありがとう、リネア」


 リネアが運んできたお湯の入ったたらいを受け取って、カミュは布を浸すとラグーンの泥を拭い取る。元々こまめに手入れをしている事もあり、砲金製のシリンダーなどは一拭きするだけで元の光沢を取り戻して光を反射した。

 同じようにリネアも布でサイドカーの掃除を始める。


「子供の頃の事を思い出すね」


 楽しそうに言うリネアにカミュが頷くと、壁際で愛車ヤハルギの掃除をしていたグランズが興味を引かれたように声をかけてきた。


「二人は幼馴染なのかい?」

「まぁ、そんなとこ」


 詳しく話すつもりはないと分かるカミュの短い返事に、グランズは「へぇ」と呟く。

 カミュが話さないならもう一人の当事者から聞こうとでも考えたのか、グランズがリネアに視線を向ける。


「依頼人の事情に立ち入らないんでしょ?」

「でもおじさん、雇ってもらってないよん」

「なら、赤の他人じゃない?」

「せめて、旅の仲間とか道連れって表現にしようか!」


 どうにも立場をないがしろにされがちなグランズであるが、雇用費を渡されてもいないのにいつまでもついてきている。そういう意味では道連れという表現も間違ってはいない。

 カミュは泥を拭い終わったラグーンの点検を済ませ、立ち上がった。


「汚れたし、お風呂に行こうか?」

「混浴のお風呂屋さんなんてこの辺りにあるかな?」


 カミュの提案にリネアがおかしな条件を付ける。カミュは肩をすくめた。


「オレが入ろうとするとお断りされるとでも?」

「あり得ない話じゃないと思うけどなぁ」


 仮にありえない話ではなかったとしても、混浴なら断られないという保証がない。むしろ悪化しかねない、とカミュは目の前の少女を見つめる。

 琥珀色の髪は今日までの旅で砂埃を被った事もあってややくすんでいるが、肌は白いままで眼鼻立ちもくっきりとしている。手足はすらりと長く、年相応とは言えないまでも女性らしい柔らかなふくらみもある。


「混浴はないな。絶対にない」

「心配してくれてありがと」


 リネアはにへらっと笑うと礼を述べて、直後に困った顔をする。


「でも問題は解決してないね。どうしようか」

「体を拭くだけで済ませるしかないよ。ロワロックを出たら適当な海岸を見つけて風呂にするとかね」


 海水を岩場に引き込んで蒸気石を放り込めば海水風呂に出来る。湯上りに真水を頭からかぶって海水を洗い流せば、それなりにさっぱりするものだ。

 もしくは、ガウンを着るようなスチームサウナを利用する手もあるが、せっかく真水が豊富な町に来た以上は浸かる湯に入りたいところである。

 平時は自分の容姿を悪用してばかりのカミュだが、利益もないのに混乱を招くつもりはない。ロワロックでの風呂は見送る方針に決めて、カミュはグランズを見た。


「グランズはどうすんの?」

「おじさんもお風呂行こうかな。隣の通りにあるらしいかんね。カミュ君はお留守番、おじさんはリネアちゃんとお風呂デート、むふふ」

「カミュ、ボクはさっそくお風呂に行ってくるね」

「行動早っ! まだヤハルギの整備が終わってないのに、ちょっと待って。カミュ君、手伝って!」

「え、嫌だよ」

「そんな素で返されると凹む」


 寸劇を演じている間にも、リネアはさっさと部屋に向かってしまう。

 一応は重要参考人として追われている立場であり、なおかつこのロワロックは北部警察の拠点であるにもかかわらず堂々としたふるまいだ。

 グランズはそんなリネアの背中を感心したように見送ってから、真剣な顔でカミュを見た。


「とりあえず、誰であってもリネアちゃんに近付く奴は強制排除でいいね?」

「そう、誰であっても、ね。実際に襲う輩がいるかは分からないけど、護衛してくれたらお金は払うよ。相場通りだけどね」

「そっか、そっか。では、おじさんはしっかり仕事してきまーす」


 整備途中のヤハルギを置いて、グランズが立ち上がってリネアの後を追いかける。

 カミュとしてはグランズも一応の警戒対象ではあるが、街中で騒ぎを起こせるタイミングは今までにもあった。そうでなくとも、カミュと同じく警戒しているリネアの不意を打って危害を加えられるとはあまり思えない。


「一応、圧力は掛けておこうか」


 カミュは呟いて、ガレージを出る。

 足音も立てずに石畳の道を歩いて宿の裏手に回る。

 宿の店主一家が住む居住スペースの上に客室があり、リネアと共に宿泊している部屋もその並びにあった。

 カミュは軽い動作で宿の客室に備え付けられた暖房用の鉄配管に足を掛け、二階にある自分とリネアの部屋へ窓からするりと進入する。

 部屋で替えの服やタオルを用意していたリネアが窓から入ってきたカミュを見て呆れた顔をした。


「本当に猫みたいなんだから」

「必要だからやってんの。一応、蒸幕手榴弾も持って行って」


 カミュはいつもベルトに装着している蒸幕手榴弾を一個手に取り、リネアに渡す。

 そのまま部屋を出たカミュは、隣の部屋から出てきたグランズと視線を交わした。

 一瞬身構えたグランズだったが、相手がカミュだと分かるとほっと息を吐く。


「こらこらカミュ君、気配を消して二階に上がってこないでよ。……というか、どうやって上がってきた?」


 注意の言葉を並べている途中で自らの警戒網に引っかからなかったカミュの存在にうすら寒いものを感じたらしく、グランズは階段の方を見た。

 カミュは悪戯っぽく笑う。


「油断しないでよね、護衛役さん」

「あぁ、発破掛けに来てくれたのね。おじさん、美少女に応援された事ないからときめいちゃうよ」

「オレは男だよ」

「ちっきしょーめ!」


 頭を抱えるグランズにため息を吐き、カミュは階段へ歩き出す。


「おやおや、カミュ君も風呂に?」

「別件だよ。リネアに何かしたら承知しないからね」


 用事に関しては多くを語らず、カミュはグランズの前を通って階段の手すりに手を掛けた。


「おじさん、護衛だよ? 護衛対象に何かするはずないじゃんさ」

「あぁ、そっちの意味じゃないよ。お風呂を覗いたりしたら、蒸幕手榴弾を口の中に突っ込んであげるとか、そんな感じの警告」

「詳しく聞かない方が良かったんですがね!」


 悲鳴染みた抗議の声を無視して、カミュは階段を下りる。一階に到着すると無人のエントランスを横目に玄関を出た。

 腰に下げた愛用の剣の留め金を自然な動きで外しつつ、宿の裏手に回り、路地へ入る。

 路地を抜け、通りを曲がり、カミュは適当な大通りで視線を左右に走らせた。

 家と家の僅かな隙間に置かれた木箱に座っている靴磨きの少年を見つけ、カミュは歩み寄る。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」


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