第五話 二人+一人の野営
ロッグカートを出たカミュたちは蒸気機関撤廃の会を振り切る目的で街道を外れ、あえて礫砂漠を横断する道順を取った。
夜中に出発したこともあり、ある程度ロッグカートから離れた後はゆっくりとボイラーをふかしながらの走行である。
日が昇ってすぐに早めの朝食を取った後は道なき道をひたすらに直進。
「――で、いつまでついてくる気?」
カミュは横目で並走するグランズを見る。
「旅の終わりまでお供しますよ、お嬢――お坊ちゃん」
「スティークスごと蹴倒してやろうか」
カミュが睨みつけても、グランズは飄々と肩をすくめてどこ吹く風だ。
ロッグカートからずっとついてくるグランズの意図は不明だが、本人の言葉を信じるのなら厄介ごとに巻き込まれている様子のカミュたちに傭兵として雇ってもらおうと考えているらしい。
カミュ自身、最低限度の自衛は出来る自負があり、入り組んだ路地などで形成される戦場であれば手練れと呼ばれるほどの剣の腕を持っている。
グランズが傭兵として護衛につくと言われてもあまり魅力的な提案と感じないばかりか、どこか胡散臭いこの男に対する警戒を緩められないという点で不利益を被る可能性さえあった。
だが、グランズは愛車であるヤハルギを礫砂漠で乗り回せるほど運転技術に優れており、カミュたちを楽々追跡してくる。実際、朝に仮眠を取り出したグランズを放置して出発したカミュたちにこうして追い付いているほどだ。
「カミュ、もう諦めようよ。振り切るのは多分無理だし」
旅の相方であるリネアにまで言われて、カミュは渋々頷いた。
「妙なことしたら叩き切るから」
「できるかな? おじさんが結構な腕前だって昨夜の騒動でわかったでしょん?」
「下半身のアレを切り落とすくらいなら不意打ちでいける」
「可愛い顔して恐ろしい事を言うな!?」
「ラリスデン旧市街の定番ジョークだよ」
行動に移さない限りは、という枕詞がつくのも治安の悪い旧市街らしい要素である。
女の子であるリネアはカミュの言うアレが分からなかったらしく、首をかしげる。
リネアの反応を見て、グランズが天を仰いだ。
「清らかなる乙女よ、永遠なれ」
「無精ひげの汚らしいグランズさんが言うところが皮肉だね」
「言葉が汚い!?」
リネアなりに会話に混ざろうとしたのだとカミュには分かったが、グランズは予想外の攻撃に精神的な打撃を受けたらしい。
「不意打ちで純情を切り落とすとは、流石リネア」
「カミュ、それって絶対褒めてないよね? ボクだって馬鹿にされていることくらいは分かるんだからね?」
「いや、褒めてるよ。オレが嫌いな奴に形はどうあれ一撃入れてくれたんだ。感謝もしてる」
「おじさん、居場所がなくて寂しいなぁ」
グランズを排斥する流れを維持しつつ弄り倒していると、そろそろお昼時だ。
現在地の確認も兼ねて、カミュたちは昼休憩を取る事にして岩場の陰にそれぞれのスティークスを停めた。
長時間の運転でボイラーやシリンダーが高温になっているスティークスから離れ、カミュは調理器具を取り出す。
「結局、食材は買えなかったけど、どうする?」
首都ラリスデンを出発した時点でロッグカートに立ち寄ってモノを買い足す計画を立てていたカミュたちは、食材をあまり持っていない。元々、スティークスに積める物も少ないため、二日以内に買い出しを行うべき状況だ。
リネアが地図を開いて周辺の地理を確認する。
「一番近いのはマイトルかな」
リネアが口にした街の名前に真っ先に食いついたのはグランズだった。
「良いねぇ、マイトル。お肌のきれいなお姉ちゃんがたくさんいるところだよ。ウキウキしちゃうね」
「マイトルはダメだね」
カミュはグランズとは正反対にマイトル行きを一蹴する。
情けない顔を向けてくるグランズに、カミュは首を横に振った。
「別に意地悪してるわけじゃないよ。ただ、マイトルは地下水から井戸で淡水を汲み上げているから飲み水の心配をしなくてよかったのが災いして、蒸気機関撤廃の会の拠点の一つになっているって噂があるんだ。リネアが行くには危険すぎる」
海水を入れた鍋に蒸気石を放り込んで専用の蓋をし、飲み水を得るための蒸留をしていたリネアが納得したように頷いた。
グランズもなるほど、と無精ひげを撫でる。
「カミュ君は事情通だねぇ」
素直にマイトル行きを諦めたように見えるグランズだったが、カミュは密かに警戒を強めていた。
マイトル行き反対の理由をカミュが話した時、グランズがほんの一瞬だけ探るような目を向けてきていた事に気付いたからだ。
注意していても見落としかねないほんの一瞬だった事がなおさら、カミュの警戒心を刺激する。
しかし、今すぐ行動に移る様子がないため、カミュはあえて泳がせる事に決めた。情報を得たうえで最適の行動をとる、それが旧市街で曲がりなりにも生きてきたカミュの行動方針だった。
カミュの警戒には気付いた様子もなく、グランズが頭を掻く。
「食料を提供しよう、と言いたいところだけどね。おじさんも衝動的に出発しちゃったものだから、食べ物はあまり持ってないんだな、これが。マイトルが無理で、ロッグカートに戻る事も出来ないとなると、提案できるのは一か所だけかな」
「どこ?」
リネアが地図を渡しつつ訊ねる。二日以内に辿り着けそうな町がないため、当たりを付けることもできないらしい。
グランズは地図上の一点、礫砂漠のど真ん中を指差した。
「ここさ。旅慣れてない少年少女に講義してしんぜよう。この時期、ここには――」
「サーカスが定期公演のテントを開くんだってね。首都からも観客を乗せる馬車や蒸気自動車が出てた。そっか、サーカスの併設市場に行けば土産物と一緒に食品も買えるんだね」
カミュは自らの持つ情報と合わせてグランズの言わんとするところを的確に読み取り、講義内容をすっ飛ばして結論を口にする。
グランズは講義をするために開けた口を閉ざして情けない顔でうつむいた。
「カミュ君、君は少しばかり大人になった方がいいとおじさんは年長者として抗議したい」
ささやかな抗議に対し、カミュは艶やかな黒髪をわざと小さく揺らしつつ上目使いでグランズを見る。
「それこそ大人げない対応だと思うよ? いい大人なら、良く知ってるね、と褒めるところだから」
「生意気な態度が、顔の可愛いさで誤魔化されて小悪魔に見える不思議! でも男の子なのがもっと不思議っ!」
グランズが頭を抱えて認識と現実の狭間に苦悩する。
リネアは慣れた調子でカミュの頭を撫でた。
「流石はカミュ、良く知ってるね」
「全部分かった上で、ツッコミを入れずに大人の対応で流されると腹が立つかな」
「わがままだなぁ」
笑うリネアにツッコミを期待するのは諦めて、カミュは地図を見る。
サーカスとそれに併設する市場が立つ地点まで、距離にして半日ほど。買い出しを終えた後の道順を考えても、魅力的な案に思える。
「グランズの案でいこうか」
「お、ついに大人を立てることを覚えたんだね、カミュ君。おじさんは息子の成長を喜ばしく思うよ」
「あんたの息子に生まれてなくてよかったよ。おかげでまっすぐ成長できる。……リネア、何か言いたいことでも?」
「べっつにー」
まっすぐ成長、という言葉に反応して驚愕の目を向けてきたリネアは、カミュにはぐらかした答えを返して、グランズと肩を竦めあった。カミュとしては面白くない光景である。
ともあれ、目的地は決まった。
「お昼を食べてすぐに出るかい?」
一度置いてけぼりを食らったグランズが予定を確認してくる。カミュは無視したが、リネアはイモを蒸しながら答えた。
「明日の朝に出発するって事でいいと思うな。今から向かっても到着した頃は夜中で、市場も閉まってるはずだよ。それに、そろそろボクも寝たい」
「添い寝は必要ですか、お嬢さん」
きりっとした顔で訊ねるグランズを無視して、リネアはカミュを見る。
「カミュ、一緒に寝よ」
「別にいいよ」
リネアに声を掛けられたカミュは一つ頷いて承諾する。
徹夜で礫砂漠を走ってきたため、カミュもかなり眠気を覚えている。もう一日寝なくとも耐えられはするものの、そんな無理をする意味もない。
テントの設営のために立ち上がったカミュは愛車ラグーンに積んだ荷物からテントを出す。本来は一人用の小さなドーム型のテントだが、カミュもリネアも小柄なため二人でも使える事を確認済みである。
「よし、と」
蒸気機甲を装着した右手の甲でテントが飛ばないように杭を地面に打ち付ける。硬い岩盤だろうと、杭そのものが強度負けしない限り打ち込める。非力なカミュでもこんな芸当ができるのは蒸気機甲による補助あってこそだろう。
杭を打ち込み終えたカミュは蒸気機甲の海水注入を停止して、右ひじを曲げる。右手から肘までを覆う蒸気機甲から蒸気が噴き出し、ボイラー内の蒸気圧を下げた。
ボイラー内に注入された海水と蒸気石が完全に反応し終えるまで待って、蒸気機甲を外す。
砂漠に生息する毒虫の類が入り込みそうな穴が開いてないか、テントの周りをぐるりと一周したカミュは少し離れたところにいるグランズを見た。
カミュと同じくドーム型の、しかし二回りほど大きなテントを張っているグランズの手際は旅慣れている者のそれだった。
カミュの視線に気付いて、グランズが手招いてくる。
しかし、カミュは身じろぎもせずその場に佇んで、無言の拒否をした。不用意にグランズに近付くつもりなど、カミュには一切ない。
カミュの態度に苦笑して、グランズは杭を打ち込む。
「子猫を守る親猫みたいだね、カミュ君」
「それがどうかした?」
ちらりと、リネアを見たカミュは、料理をしていてこちらの会話に気付いていない彼女を確認する。
クックックッと、グランズが笑いをかみ殺した。
「それだよ。そんなにリネアちゃんが気になるのかい?」
「それ以上、こちらの事情に踏み込むなら斬る」
「おぉ、怖い怖い。大丈夫だよ、おじさんは傭兵だからね。雇用主の事情までは聞かないさ。いやだというなら、なおさらね」
肩を竦めたグランズは蒸気機甲のボイラー圧を下げながら、カミュの剣を横目に見る。
「その蒸気仕掛けの剣、非売品だね。オーダーメイド?」
「自作だよ」
だから、十分に使いこなせるとカミュは暗に牽制する。昨夜、蒸気機関撤廃の会との戦闘で機能の一部をみせている事も牽制材料になるとカミュは判断していた。もっとも、奥の手はまだ見せていないのだが。
グランズは値踏みするようにカミュの剣を見つめる。
「自作ねぇ。蒸気機関を一から組み上げて形にして、大の男を七人無力化する戦闘能力を持った十代半ばの子供って、最近の子は成長が早いんだねぇ」
「身長が低いから十代半ばに見えるのは否定しないけど、実年齢は十八だよ」
「大して違わないと思うけどね……。ますます正体が分からない。どこかの企業の御曹司かと思ったけど、ちょっとやんちゃが過ぎるし。まぁ、いいか」
グランズはあっさりとカミュの正体を突き止めるのを諦め、テント設営作業に戻る。
「ただね、おじさんは別にカミュ君にもリネアちゃんにも不利益をもたらすつもりはないよん。そこんとこだけ、信じてほしい所なんだけどね」
「その軽薄な演技を止めた後なら、一考の価値があるかな」
カミュは冷たい目を向けて言い返す。
グランズが困ったように力なく笑った。
「おじさんにはおじさんの事情があるんでね。警戒するなとは言えないけど、現状は味方のつもりだよ」
カミュはグランズの内心を見透かそうと顔をじっと見つめ、ため息を吐いた。
「分かった」
「おや、案外あっさりと認めてくれるね?」
「別に味方として認めたわけじゃない。敵ではない第三者としてみることにしただけ」
「それで十分だとも。いやぁ、美少女との心の距離が縮まるってのは嬉しくなるね」
「マイナスからゼロになっただけだし、そもそもオレは男だ」
「あぁ、そうだった!」
大袈裟に頭を抱えるグランズに苦笑して、カミュはリネアの料理を手伝いに向かった。