第二十四話 決着
カミュは落下を始める三階天井を見上げ、愛用の両刃剣を鞘に納めた。直後に海水の供給が始まり、少し落ち着いていた空転音が勢いを取り戻す。
腰のタンクに入っている海水の残量を気にしながら、カミュは後ろに跳んで降ってくる瓦礫と銃弾をやり過ごした。
四階から瓦礫と共に降ってきたハミューゼンが三階の床に着地し、カミュを見る。
「その細腕であの分厚い天井を破壊シたのでスか? いや、この断面……まさか、斬った?」
火薬式拳銃を油断なく構えながら、ハミューゼンは状況を分析する。天井を斬って崩壊させたカミュの斬撃が蒸気仕掛けである事には理解が及んでいるため、連発できるかを警戒しているのだろう。
天井を斬り裂けるほどの斬撃ならば、蒸気機甲を身に着けた腕で受けても斬り落とされる危険がある。
カミュは返事をせずに階段から聞こえてくる足音に反応して床を蹴った。
階段から降りてくる足音は三つ。リネア、グランズ、メイトカルの三人の顔が脳裏をよぎるが、先ほどリネアが制止を掛けていた。下りてくるのはハミューゼンの部下だ。
奇襲前にわざわざ奥の手の名称を口に出した甲斐があるというもの。
階段を降りて来た三人がカミュに気付いて銃口を向けた瞬間、カミュは剣を抜き放ちざま逆袈裟に振り抜く。
銃を持った手が一つ宙を舞う中、カミュは剣を持った手を返して仕掛けを起動する。
両刃剣に仕込まれた蒸気仕掛けが作動し、高速で刀身が柄の反対へ動く。作動直前にカミュが腰を落とすだけで刀身の動きはそのまま振り降ろしの斬撃となりまたひとつ手首が宙を舞った。
さらに、カミュは右足の蒸気機甲を作動させ、最後の一人に一瞬で距離を詰める。
「嘘だろ……」
宙を舞う仲間二人の手首を呆然と見送りながら、最後の一人は腹部に強烈な膝蹴りを叩き込まれて体を折る。
姿勢を崩した最後の一人の肘を素早く左足で踏み砕いたカミュは、近くの部屋に飛び込んだ。
直後、壁に銃弾が叩き込まれる音が響く。
「猫のような身のこなシでスね……」
ハミューゼンが半分呆れたような声でカミュを評価する。
「外で暴れている寄せ集めではなく、まともな傭兵をこうも一瞬で無力化スるとは。正直、侮っていまシた。貴女は何者でス?」
問いかけられても返事をせず、カミュは剣を鞘に納める。
海水の供給を受けて蒸気圧を高める愛剣の柄を右手で握り、左手で鞘を押さえる。
「答えてはくれまセんか」
ハミューゼンがなおも問いかけてくる。
カミュは内心で疑問に思った。ハミューゼンは何故、悠長に会話を試みているのか。
制御塔の爆破については聞いていないのかと思ったが、リネア達と四階で戦闘していた以上、何らかの工作が行われたことを疑うはずだ。
港から制御塔に向かっている寄せ集めとの合流まで時間を稼いでいるのかとも思うが、ハミューゼン自身が寄せ集めと称した彼らに期待しているとも考えにくい。
カミュは一つの可能性に思い至り、ハミューゼンに声を掛けた。
「諦めて死ぬ気?」
「……察シが良いでスね」
逮捕されて祖国の、新大陸の情報を吐かされるくらいなら、死を選ぼうというのだろう。
カミュはため息を吐きつつ、部屋の中を歩き出す。
「正直あんたの事は大嫌いだけど、定めた目的のためになりふり構わないところと、文字通り命がけなところだけは評価するよ」
「手向けとシて受け取っておきまシょう。では――」
ハミューゼンの声が壁の向こうから聞こえてきた瞬間、カミュは身に付けているすべての蒸気機関を一斉に極限状態で稼働させた。
両足の蒸気機甲がカミュの動きに合わせて床を強く蹴りつける。膝関節部から溢れた蒸気が空中に滞留するのも許さず、瞬時にトップスピードに至ったカミュが風を纏う。
高速空転するギアを内蔵した両刃剣が鞘から抜き放たれる。左手の蒸気機甲の親指が仕掛けにより力強く鍔を弾き、金属を打ち鳴らす楽器のような澄んだ高音が発生する。
空気を揺らす音の波紋に追いつかれながら、カミュの右手が逆袈裟に弧を描きだす。目の前に立ちはだかる壁へとまっすぐに突き進むカミュの右手には両刃剣が握られていた。
両刃剣の仕掛けが稼働する。高速空転していたギアが噛み合い、小型の変速機を介してギア以上に速度を増した刀身が動き出す。
蒸気機甲の力を借りてただでさえ高速で動く右腕に刀身の動きが加わり、逆袈裟に振り抜いたカミュの一閃は音を置き去りにした。
人の力ではなしえない蒸気仕掛けで放たれた音速の斬撃は壁を紙のように斬り裂く。
当然、壁向こうのハミューゼンが反応できるはずもない。
鞘から離した左手の蒸気機甲を稼働させ、斬り裂いた壁を思い切り殴りつける。ぶち破った壁の向こうでハミューゼンが驚愕に目を見開いていた。見れば、蒸気機甲に覆われた左腕を押さえている。カミュが壁を切った際に巻き添えで蒸気機甲ごと左腕を斬られたのだ。
左腕を押さえていたハミューゼンの右手が持ち上がる。反射的に、カミュをその手に握る火薬式の拳銃で迎撃しようとしたのだろう。
カミュも右手に握る愛剣の柄頭をハミューゼンに向ける。
蒸気仕掛けを稼働させた直後のカミュの両刃剣は高まった圧力を逃がすべく大量の蒸気を放出する。柄頭から噴き出した高熱高圧の蒸気が拳銃を構える前のハミューゼンに襲い掛かった。
「――っ!」
声にならない悲鳴を上げたハミューゼンの死角である左側へ駆け抜けざまにカミュは剣を閃かせる。
しかし、ハミューゼンもカミュの攻撃は予想していたのか、はたまた吹きつけられた蒸気から逃げるためか、その場を飛び退いて剣閃を逃れた。
「自殺サえサセてもらえ――」
ハミューゼンが抗議するように言いかけるも、カミュは聞く耳を持たずに剣を構えて距離を詰める。
蒸気機甲に内蔵された強力なバネを生かしたカミュの動きは一歩ごとの加速力が並外れており、姿勢を低くしながら近づいて瞬時に斬りつけるその動きはさながら獲物を追い詰める猫のよう。
加えて、カミュの戦い方は軍人や傭兵のそれとは違い、味方の存在を一切想定していない。
痛みを堪えて銃口をカミュに向けようとするハミューゼンは気付かない。
自らに視線を引き付けるような素早い動きの中で、カミュが蹴り込んだ蒸幕手榴弾が真後ろにある事に。
銃口が自分に向いたと判断した瞬間、カミュはハミューゼンに距離を詰めるのを止めて近くの部屋に身を隠す。直後に聞こえた発砲音は続くように連続で爆発した蒸幕手榴弾の音にかき消された。
ハミューゼンの居る廊下が一瞬にして蒸気で埋め尽くされる。
周囲の迷惑など考えない。巻き込まれるバカが悪い。それが旧市街育ちの子供に共通する喧嘩の作法である。
カミュは蒸気が充満した廊下に飛び出し、姿勢を極限まで低くしてハミューゼンへ駆け寄る。
蒸幕手榴弾から噴き出した高温の蒸気が冷やされて床に下りてくるより早く、カミュはハミューゼンの足を間合いに収め、愛用の剣を床と平行に一閃した。
蒸気仕掛けまで使用した高速斬撃はハミューゼンの足を蒸気機甲ごと斬り飛ばす。
倒れ込むハミューゼンの右腕を掴んだカミュは、そのまま床を蹴りつけて部屋に飛び込んだ。
蒸気が充満する廊下から壁一枚を隔てた部屋の中に入り込み、カミュはハミューゼンを床に転がし、容赦なく右肩に剣を突き立てた。
「これでよしっと」
「……生かシたいのか、殺シたいのか、どちらでスか」
息も絶え絶えにハミューゼンがカミュに問いかける。両足首から先を斬り飛ばされ、左腕は切り裂かれ、右肩に剣を突き立てられ、さらに体のあちこちにやけどを負っている。処置しなければ失血死は免れない重傷だ。
カミュはきょとんとした顔で首を傾げた。
「生かさず殺さずが無力化の基本でしょ」
「基本に忠実、実に結構な事でス……」
精根尽き果てたとばかりに脱力して、ハミューゼンはため息を吐き、天井を見上げた。廊下から入り込んだ蒸気で白く覆われている天井は元々の温度が低かったためか結露し始めていた。
「もうじき、オレ達の方の応援が来るから、それまで寝てて」
この期に及んで意識を刈り取ろうというのか、カミュが足を振り上げてハミューゼンの顎を狙う。
「いまサら抵抗できまセんよ。ソれより、少シ話シまセんか?」
「話す事なんかないし」
「わたくシは貴女に興味がありまスがね。反撃を懸念シているのなら、裸に剥いてくだサっても構いまセん」
「うわぁ、少女趣味か少年趣味か知らないけど気持ち悪い。社会的に死ね」
「ソの方面では自殺済みでスよ」
「それもそうだね。テロリストだし」
油断せずに剣を右手に提げながらも会話に応じるカミュに、意識を刈り取られることもないと思ったのかハミューゼンは苦笑した。
「わたくシの動機についてはどこまでご存知でスか?」
「マーシェから聞いた限りは全部。話したいことがあるならオレの仲間が来る前に終わらせなよ」
ハミューゼンを急かしてから、カミュは上の階にいるリネア達に聞こえるように声を張り上げる。
「ハミューゼンを捕まえた。こいつが持ってた鍵も手に入れたよ。爆破は中止で!」
カミュの報告をぼんやり聞いていたハミューゼンが表情を変えてカミュの左手に視線を向ける。その手にはいつの間に掠め取ったのか、首から下げていたはずの鍵が握られていた。
「――そのまま押さえといて。何人かそっちに送るから!」
すぐに帰ってきたリネアの声を聞き、カミュは眉を顰める。グランズやメイトカルではなく何人か、とリネアが口にしたからだ。
険しくなったカミュの表情を見て、ハミューゼンが口を開く。
「お仲間の二人ならば生きてるはずでスよ。撃ちまシたが、急所は外サれまシたので」
「別に、リネアが送ってくれる砂魚の奴に訊けばいいから、あんたは何も言わなくていいよ」
「ソれもソうでスね」
ふぅ、と息を吐いたハミューゼンがカミュの左手を見る。正確にはそこに握られている鍵だ。
カミュも視線に気付いて鍵を持ち上げた。
「ソの鍵については何も知らないのでシょう?」
「歯車島を動かすのに必要な物だと思ってたんだけど」
「ハズレでス」
舌打ちしたカミュを見て愉快そうに笑ったハミューゼンが天井を見上げる。すっかり蒸幕手榴弾の影響は薄れ、天井にはいくつもの水滴ができていた。
「実は、古代文明の巨大オーパーツはもう一つあるのでス」
「……落ち雲?」
「呆れた勘でスね。正解でス」
落ち雲と呼ばれるモノについて、カミュはリネアから聞いた話を思い出す。
砂漠に現れ、高空から徐々に降りて来たかと思うと再び元の高さへと昇っていく。それが現れた現場には頻繁に墜落死体が転がっているという怪談話だ。
「わたくシはソの落ち雲、空中監獄ディトネイピアに収監サれて新大陸からこの地に落とサれたのでス。あの空中監獄は元々、この歯車島から新大陸までを結ぶ空中要塞にシて輸送艦でシてね。ソの鍵は制御キーのスペアなのでス」
「ふーん」
「興味なサソうでスね」
「その空中監獄とか言うのを奪取して新大陸に攻め込めとでも?」
「撃ち落とシていただければ気分も晴れるかなと思いまシて」
ハミューゼンの返答に皮肉気な笑みを浮かべたカミュは、左手で制御キーのスペアを弄ぶ。
「い、や、だ」
「でシょうね。戦争を煽る最後の手段だったのでスが」
最初から期待はしていなかったのか、ハミューゼンはあっさりと目論見を白状する。
カミュは制御キーを眺めながら、ハミューゼンに声を掛けた。
「新大陸ってどんなところ?」
「郷愁にかられる残酷な質問でスね」
ささやかな抗議の声を聞き流し、カミュはハミューゼンの答えを待つ。
ため息を吐いたハミューゼンが口を開いた。
「旧大陸は呪われた、蛮族の住まう地だと人に聞かサれていまシた。落とサれた時には絶望シたものでス。でスが、存外悪い所ではなかったように思いまス」
「新大陸の事を聞いてるんだけど。意識は大丈夫?」
重症者に質問をぶつけておきながら、カミュは首をかしげる。
苦笑したハミューゼンが糸目を天井からカミュに向けた。
「答えまセんよ。御自分の眼で確認シなサい」
最後の抵抗でス、とハミューゼンは笑う。
国家組織に所属しているわけでも、雇われたわけでもないのに歯車島にいるカミュ達を部外者だと突き放すのが最後の抵抗だと笑う。
しかし、カミュにとってそれは抵抗でもなんでもなかった。
「じゃあさ、これだけ聞かせてよ」
あっさりと引いたカミュに、ハミューゼンが怪訝な顔をする。
「スティークスでのレースって新大陸でもやってるの?」
「――は?」
困惑の声を上げて身じろぎしたハミューゼンは全身に走る痛みに呻くと、痛みを切っ掛けに何かを理解したように糸目を見開き、カミュを見た。
「……行き掛けの駄賃に乗ってみるのも悪くないでスね。ソれが夢ならなおの事」
納得したように乾いた笑いを零し、ハミューゼンはカミュに言葉を返す。
「確か、レース会場は――」




