第二十二話 制御塔一階の戦い
遠くから響く銃声を聞きながら、グランズは制御塔の壁にもたれて煙草を吸っていた。
「禁煙しようかねぇ」
残り少ない煙草の本数を数えながら、グランズは呟いて空を仰ぐ。
重たい雲が垂れ込める空はお世辞にもいい天気とは言い難い。何かを決断するのに良い日とは云えない陰影の曖昧な街並みを見回して、グランズは煙を吐き出した。
「メイトカル君や、ハミューゼンの目撃情報って上がってないよね?」
「上がってないですね。奥の方で指揮を執っているのか、それとも――」
「おじさんは陽動だと思ってる。でも困ったことに、南から来ているその陽動も数が多すぎて放置できないんだな、これが」
戦いは数だ。物量だ。士官学校卒のグランズやメイトカルはもちろん、二つの傭兵団の団長も理解している事だろう。
リリーマ率いる海華は現在、南から来ている陽動部隊と思われる撤廃の会を相手に戦闘中である。状況は芳しくないとの話ではあったが、カミュが南へ走っていってからというもの戦況が持ち直したとの報告が来ている。援軍の必要なし、とリリーマからの伝達もあった。
「カミュ君が行った途端、戦局がひっくり返ったみたいだけど、どうなってんのかね」
「旧市街のドラネコなんて呼ばれる前は情報屋のお嬢ちゃん呼ばわりだったんですよ。ただ、舐めて掛かった間抜けがドラネコを娼館に売り飛ばそうとして返り討ちにあったんです。大騒ぎでしたよ。間抜けの仲間が一晩の間に全滅して、麻薬取引の証拠を添えられ、真冬のバリス通りに裸で転がされてました」
「おっかないな!?」
「帰ってこない仲間を探しに出た奴らを個別に奇襲したそうです。頭上ががら空きだったから簡単だった、とかなんとか」
一体どんな生活をしていたのやら、とグランズはカミュのいる南へ呆れの視線を送り、走ってくる砂魚の連絡員に気が付く。
腕章を見やすくするように手を振って走ってきた連絡員は、制御塔のそばまで走ってくると足を止めた。
「北西の住宅街にて戦闘が発生。南の連中は囮のようです。これより、砂魚は制御塔周辺の捜索を開始します。制御塔に襲撃者が来たときには知らせるように、自分が派遣されました」
「おつかれさん。海華の方には連絡が行ってんの?」
「別の者が走ってます」
「なら安心だ。リネアちゃん、上にいるパゥクル君だっけか、彼らに報告をお願いできるかな?」
「別にいいけど、グランズさんに指示されるのってなんか納得いかない」
「年長者をたてようぜい」
「早くカミュが帰ってこないかなぁ」
つまらなそうに呟きながら、リネアが制御塔へ入っていく。
グランズは携帯灰皿に煙草の吸殻を放り込み、壁に立てかけていた大剣を掴む。
南の陽動部隊とは別に行動しているという北西の部隊こそが本命だろう。
発見されるまで一切気配を感じさせていないという事は戦闘を避けながら隠密行動している。さらに、撤廃の会の戦力が素人や食い詰めた傭兵の寄せ集めであることも考えると、本命の部隊は陽動部隊が壊滅する前に制御塔を制圧するべく一直線にここを目指している。
「メイトカル君、手練れが来るはずだからくれぐれも注意するように」
「分かってますよ。リネアちゃんたちが戻って来るまで一階部分は死守しないとまずいですし」
制御塔は階段以外の脱出路が使えない。非常階段の類も無いようで、あるのは建物内の階段と動きそうもないエレベーターのみだ。
最上階で破壊工作中のパゥクル達や状況を伝えに向かったリネアが制御塔を出るには階段を使うしかないため、ハミューゼン達が制御塔を制圧に来た場合、階段で鉢合わせしてしまう。
グランズは大剣を肩に乗せて周囲を見回す。背の高い建造物が並んでいるが、ほとんどが農場施設だ。別働隊が目撃された住宅街からは少し距離がある。
別働隊を捜索しながら制御塔へ向かっている砂魚たちと、まっすぐに向かってくる別働隊、どちらが先に現れるかは明白だ。
「そら、来たよ」
呟いて、グランズは半身に構えて大剣を盾のように前に構える。
直後、金属同士がぶつかり合う音がして足元に銃弾が転がった。
「こらこら、顔を合わせたらまずはこんにちはでしょうが!」
グランズが軽口を向けた先、北西の通りに十人ほどの男たちが姿を現す。銃を構えていた背の高い糸目の男が銃口を空に向けて丁寧に腰を折った。
「これはこれは、申シ訳ありません。こんにちは、サようなら」
「おや、素直。素直ついでにそのまま帰ってくれないかな?」
「素直に制御塔を奪還シまシょう」
「ハミューゼン君のものじゃないっしょ」
言い返しながら、グランズは周囲を見回す。ハミューゼンが姿を現すと同時に砂魚の連絡員はどこへともなく姿を消していた。周辺の捜索にあたっていた砂魚の団長に襲撃を伝えに行ったのだろう。
後は合流するまで時間を稼ぐだけ、とハミューゼンを睨んだ直後、グランズは頬が引きつるのを感じた。
ハミューゼンの部下が抱えるようにして持っている物に気付いたためだ。
「うっそん……それって、機関銃じゃ……」
「御存じのようでスね。えぇ、機関銃でス。苦労シて手に入れまシた」
丁寧にハミューゼンが手で示した先にはおそらくこの戦場で最も連射性に優れるだろう銃、機関銃を構える傭兵の姿があった。
無論、蒸気機甲を身に着けているとはいえ面と向かって相手取れるはずもない。ハチの巣になれれば幸運、普通はミンチ肉になるだろう。
さりげなく後退して制御塔の入り口に片足を入れながら、メイトカルが声をかけて来る。
「……先輩、あんなものこの入り口に置かれたらもうどうにもなりませんよ」
「分かってるって。でもなぁ……」
制御塔の入り口は一つだけ。それなりに間口の広い玄関だが、面制圧力に優れる機関銃を置かれたならばそれだけで要塞にもなり得る。制御塔の奪取が難しくなるのは間違いないだろう。つまり、明け渡すのは悪手だ。
かといって、機関銃を相手にまともな戦闘ができるはずもない。グランズの得物は蒸気機関が仕込まれているとはいえ大剣であり、メイトカルに至ってはただのサーベルだ。
「参っちゃうなぁ」
「無用な犠牲は出シたくありまセん。制御塔を明け渡シてくだサい」
「これから戦争を起こそうって奴の言う台詞じゃないでしょうよ」
「悲シい事でスが、祖国のためには必要な犠牲でス」
「あ、だめだ。話が通じないタイプだわ」
分かってたけど、と心の中で呟いて、グランズはメイトカルに目配せする。
「中へ!」
グランズの指示を受けて、すぐにメイトカルが制御塔の中に飛び込む。
遅れて飛び込んだグランズはあっけないほど軽い銃声を聞きながら制御塔内部の床に転がった。
玄関から一直線に銃弾の雨が注がれ、三階までの吹き抜けを通過して玄関正面の壁に無数の穴を穿つ。
ハチの巣になった壁を見て息を呑むメイトカルの隣で、グランズは体を起こして頭を掻く。
「いやぁ、いい天気だね。新しい事を始められそうだわ。禁煙とか」
「新しい人生が始まりそうですけどね。それにしても、先輩余裕すぎません?」
「焦ってるって。もしも今カミュ君が戻ってきたら機関銃でミンチになっちゃうし、本当にどうしたもんかね」
グランズはため息を吐いて天井を見上げる。吹き抜けだけあって高い天井だ。
そのさらに上にいるはずのリネアたちが制御塔の破壊工作を終えて戻って来るまであとどれほどの時間を稼げばいいのか。
「ここの騒ぎが上まで届いていれば、作業を急ぐなり脱出準備を整えるなりしてると思うんだけども」
「リネアちゃんはドラネコほどじゃないとしてもかなり耳が良いはずです。ただ、あの歯車の音でここの騒ぎに気付いていない可能性は高いですね」
「じゃあ時間稼ぎしないとだ。ところで、メイトカル君や、何階からなら人を抱えて飛び降りられる?」
制御塔からの脱出方法を言外に示唆しながらのグランズの質問に、メイトカルは嫌な顔をする。
「まぁ、蒸気機甲を使えば四階からでも何とか」
「じゃあ、そこまでは後退できるってわけだ。メイトカル君、ちょっと上に行って皆を呼んでくれい。おじさんは張り切って三階までを守っとくから」
「いや、無茶ですって。あれですよ?」
壁に開いた無数の穴を指差すメイトカルに、グランズは肩をすくめる。
「いい男はミステリアスなもんでね、奥の手があんのよ。ただ、この奥の手は無差別攻撃でちょいと使い勝手が悪いんだ。一階部分を滅茶苦茶にするから、おじさんも二階へ撤退してから時間稼ぎする」
「奥の手って言ったって……」
口ごもったメイトカルはグランズの大剣がいつの間にか右腕の蒸気機甲に接続されている事に気付き、怪訝な顔をする。
蒸気機甲に武器を接続するのは多くの場合、武器に内蔵している蒸気機関の仕掛けを稼働させる前準備だ。大がかりな仕掛けほど大量の蒸気が必要で、その蒸気の元になる海水も多く必要になる。
そして、グランズは歯車島入りしてからずっと蒸気機甲を作動させていない。
「相当な大技だったりしますか?」
「圧力計、見とくかい?」
右腕の蒸気機甲の内側に取り付けられている蒸気圧計をグランズに見せられて、メイトカルは慌てて腰を上げた。
「なんつー爆発物抱えてんですか。俺はもう行きます」
「ほい、行ってらっしゃい」
巻き込まれたらシャレにならない、と呟きながら、メイトカルが大急ぎで階段を上っていく。蒸気機甲も作動させて四段抜かしで階段を駆け上がっていく後輩を見送り、グランズは壁に手を付いて立ち上がった。
時折、横殴りの雨のように銃弾が入り口から飛び込んでくる。踏み込んでこないのはグランズ達から奇襲を受けないようにと考えているのだろう。
壁越しにがりがりと何かが撃ちつけられる音がしているのは、入り口横の壁を貫通できないか試し撃ちしているからだ。
「こんなに心臓に悪いノックは初めてだよ、まったく。もっとお上品にできないかねぇ」
メイトカルが爆発物と呼ぶほどの蒸気圧を内に秘めた大剣を肩に担ぎ、グランズはメイトカルが昇って行った階段の下に立つ。
ほどなくして、入り口から傭兵たちに護衛されながらハミューゼンが入ってきた。
奇襲を警戒しながら入ってきたハミューゼンは階段下にグランズを見つけて目を細めながらも、機関銃を持った部下に入り口を固めるように指示を出す。
「お連れの方はどうサれまシた?」
「先に上に行ってもらったよ。君らの相手はおじさんがしてあげよう」
「降参はシないと、理解できまセんね。命を掛ける場面はこの先の人生にいくらでもありソうなものでスが……もしや、英雄願望でスか?」
機関銃の銃口を外に向ける部下と機関銃の射線を確認しながら、ハミューゼンが質問を投げかける。すでに制御塔入り口に機関銃を設置した以上、外部からくる砂魚や海華の援軍を気にする必要はないからだろう。
グランズはハミューゼンがしつこいほど入り口の防備を固めるのを眺めながら、苦笑する。グランズとしても、会話で時間が稼げるのはありがたい。その半面、入り口を完全に固められるのは手痛い所ではあった。
「英雄願望ね。まぁ、おじさんにもないわけじゃあないけども、もっと個人的な事なんだわ。祖国の政治を外圧で変えようなんて大それたこと企んでるおたくには悪いけど」
「ほぉ、個人の事情で命を掛けるとは興味深い」
純粋に興味を惹かれた様子でハミューゼンは糸目をうっすらと開き、観察するようにグランズを眺める。すでに入り口の要塞化は完了したらしく、ハミューゼン達は銃口をグランズに向けた。
そろそろ時間稼ぎも潮時か、とグランズは蒸気機甲に海水を送り込んで何時でも動けるように態勢を整えつつ、大剣の切っ先をハミューゼン達に向ける。
「やれることしかやらなかった若人がやりたいことをやる環境作りを始めたんだ。おじさんはかなーり情けない大人だけども、若人の夢を舗装する手伝いくらいはしようと思う。そんなわけだから、ほら、かかってこい」
にやりと笑みを浮かべたグランズは大剣に仕込まれた蒸気仕掛けを作動させる。
「おじさん、今が人生で一番カッコいい場面だからさ――張り切るぜ?」
啖呵を切った直後、構えた大剣が内部の蒸気圧に耐え切れずに爆発した。
大剣を構成していたいくつもの鉄の破片が膨れ上がる真っ白な高密度の蒸気と共に制御塔一階を蹂躙する。
「――なっ!?」
驚愕し、声を詰まらせたのは誰なのか。大剣だったものから飛び散った高密度の蒸気に視界を遮られ、床も壁も、吹き抜けの天井さえも激しく打ち付ける金属片の奏でる音で何もわからない。
しかし、ハミューゼンは部下に身を挺して庇われたおかげで破片の脅威が直撃せず、比較的冷静だった。
だからこそ、気が付いたのだろう。足元に転がる金属の破片にワイヤーが付いている事に。
「爆発事故じゃない? 全員、機関銃を守れ!」
「――え!?」
指揮官であるハミューゼンではなく道具に過ぎない機関銃を守れと指示を出されて、傭兵たちの反応が一瞬遅れる。
ほんのわずかな反応の遅れは、白く空間を埋め尽くす蒸気の中を駆け抜けるグランズにとって十分すぎる時間をもたらした。
「集え、男の浪漫!」
叫びながら、グランズは右腕の蒸気機甲に内蔵された仕掛けを稼働させる。酷く単純な、蒸気機関でワイヤーを巻き取るだけのその仕掛けは単純故に誤作動も起こさず、猛烈な勢いでワイヤーを巻き上げた。
飛び散っていた金属片がワイヤーに引かれてグランズの手元に戻っていく。両手や両足の蒸気機甲に巻き取られた破片がぶつかり激しい音を立てる。
元通りとは到底言えない、ただ金属片を寄せ集めた鈍器と化した元大剣を振り被り、グランズは機関銃に駆け寄る。
「合体は男の浪漫! どっこいしょ!」
グランズが振り降ろした鈍器は機関銃を叩き壊し、床の石を砕き、吹き抜けに打撃音を轟かせる。
破壊を確認すると同時にグランズは踵を返し、薄らいでいく白い蒸気の中を必死の形相で階段へ駆け抜ける。
すでにハミューゼン達も破片をまともに受けた仲間を床に転がして状況を認識し始めていた。
「逃がスな!」
ハミューゼンが鋭く命じると同時に発砲するが、グランズは元大剣を背負っている上に蒸気機甲まで身に着けているため、逃げる背中に拳銃弾は通じない。
メイトカルがやったように四段飛ばしで階段を駆け上がり、踊り場でUターンを決める直前にわざと一歩の歩幅を小さくして狙い澄ましたように飛んできた銃弾をやり過ごし、階段の陰に避難する。
「……やってくれまシたね」
蒸気が晴れて、グランズによってもたらされた破壊の痕を見たらしいハミューゼンがため息交じりに声をかけて来る。
グランズは二階の階段際で、見えもしない一階のハミューゼンに舌を出した。
「やっちゃった」




