第二十一話 市街地戦
パゥクルたち砂魚の整備員に制御塔の把握を任せて、カミュとリネア、グランズ、メイトカルの四人は制御塔の一階に駆け下りた。
制御塔を目指してくるだろうハミューゼン達に対抗する最終防衛線が四人だけというのは心許ないが、歯車島の各所に散らばった戦力がじきに霧船の接岸地点やカミュ達の下まで集うはずだ。
砂漠を走り続けられるほどの馬力を誇るだけあって、ハミューゼン達を乗せた砂漠の霧船は周辺の海流などものともせずに南側の岸に向かっているらしい。
巨大な霧船の船影は薄靄の中にあっても制御塔の最上階から確認できていた。
カミュが制御塔を駆け下りる前に見た霧船との距離から考えて、すでに接岸に入っていてもおかしくない。
問題はこの薄靄の中、停船した霧船からハミューゼン達がすぐに打って出てくるかどうかだ。
「――報告! 霧船は南側に接岸。重火器を持った傭兵たちが一直線にこの制御塔を目指してます。第一防衛線は突破されました」
海華の連絡員が焦りの表情を浮かべてカミュ達に現状を報告すると、南へ駆け戻っていく。
実質的に十三階建ての制御塔を駆け下りてくる間に防衛線を突破されたと聞いて、グランズが難しい顔をする。
「こいつぁ、まずいねぇ。おじさんたちが制御塔にいること、多分ばれてるよ」
「マーシェ経由で話が伝わっていると考えたんだろうね」
「ボクたちが歯車島の設計図を見たのはハミューゼンも知っているから、動きを予想するのはそんなに難しくないって事だね」
だからこそ、歯車島全域に戦力を分散させて霧船の接近を警戒していたのが裏目に出たのだ。
メイトカルが空を見上げてため息を吐く。
「この薄靄で視界も悪い。連絡員は優秀だが、ハミューゼン側の侵攻の早さに対応できているとは言い難いな」
「時間稼ぎが必要って事?」
「その通りだ。俺とグランズ先輩で足止めした方がいいな」
「多分、すり抜けられて終わりだよ?」
グランズの大剣はどうしても大振りになりがちで、制御塔まで一直線に駆け抜けようとしているハミューゼン達を足止めし切れるとは考えにくい。メイトカルのサーベルならばある程度の牽制にはなるが、いかんせん相手が多すぎる。
リネアが制御塔を振り返る。
「制御塔の階段を封鎖する方が現実的だと思うね」
「しょうがないから、オレが行くよ」
カミュは屈伸運動をして体をほぐしながら言う。
制御塔周辺は農場施設や研究所、警察署や裁判所などが置かれており、これらを囲むように住宅街が広がっている。
入り組んだ路地に加え島の中心部に近いため数階建ての住宅が珍しくないその住宅街は、ドラネコの異名を持つカミュにおあつらえ向きの戦場だった。
「とりあえず、奇襲を仕掛けて足止めする。ハミューゼンがいたら初手で仕留めるつもりだけど、陽動の可能性もあるから、グランズと若様でここの守備をお願い」
「一人で大丈夫なのかい?」
グランズが訊ねてくるが、カミュは気負った様子もなく蒸気機甲に海水を送り込み、頷いた。
「一人の方が動きやすいんだよ」
「カミュ、やり過ぎちゃだめだからね」
「リネアちゃん、注意するのってそこ?」
「大丈夫、殺さないから。ふくらはぎを斬るのも得意だしね」
「久々にカミュ君が物騒!」
「まぁ、殺さない限りは正当防衛だ。ほどほどに手を抜けよ、ドラネコ」
「メイトカル君までどんな信頼を寄せてんの!?」
「グランズ、うるさい」
「……おじさんは悪くないと思うんだ」
カミュ達にツッコミを入れまくっていたグランズが疲れたように肩を落とす。
「とりあえず、カミュ君、蒸幕手榴弾をいくつか分けてくんないかな。ちょっと手数を増やしときたいんだわ」
「別にいいけど、かなり改造してあるから閉鎖空間で使うと酷い事になるよ?」
カミュは腰のベルトに付けている蒸幕手榴弾を手渡しながら注意する。もとは単なる防犯グッズだが、カミュの手により改造されて海水の内蔵量や供給量が大幅に増加しているため威力が比較にならない。
「分かってるって。ありがとね」
グランズはカミュから蒸幕手榴弾を受け取り、市販品よりも明らかに重みのあるそれに引きつった笑みを浮かべる。
「本当にえぐい改造してあるっぽいね」
「暴漢に容赦は必要ないからね。それじゃ、行ってきます」
軽い調子で言って、カミュは南の住宅へ向けて駆け出した。
一枚岩の道路を蹴りつけるように加速し、薄靄の中に溶けるように消える。
後退した防衛線に向かう海華の構成員たちの気配を感じとりながら、カミュは住宅街に入るとすぐに路地に飛び込んだ。
蒸幕手榴弾を取り出しながら、路地を駆ける。
二度ほど路地を曲がったカミュは、手近な住宅の窓の桟に足を掛けて蒸気機甲を作動させ、二階窓から屋内に進入する。
戦闘音が聞こえてくる南へ走りながら、カミュは家の間取りを確認して南側の窓から外に出た。
度々家の中に入り込んで間取りを確認し、南へと走り続ける。
海華の戦闘員や島の各所から駆け付けたらしい砂魚の戦闘員が慌ただしく防衛線を築いているのを横目に、カミュは七階建ての住宅の屋根に上がって薄靄の中に目を凝らす。
「派手にドンパチしてるなぁ」
火薬式の銃声が何度も響いていた。
殺傷力の低い蒸気式ではない火薬式の銃は運用に費用が掛かる。蒸気式は銃口に入る大きさでさえあれば材質や形状を問わないが、火薬式は専用の銃弾を必要とするためだ。
銃声が途絶えないという事は、撤廃の会の資金力はかなりの物だろう。重なり合う発砲音の数も多く、戦力は十分に確保した上での歯車島上陸だと考えられる。
しかし、人数で劣り、小舟での上陸だったために武器弾薬を十分に持ち込めなかったにもかかわらず海華が曲がりなりにも戦えている点を踏まえてみると、撤廃の会の側は個々の実力がかなり低そうだ。
屋根の上から南を見つめて耳を澄ませていたカミュは狙いを定めて向かいの家の屋根に飛び移った。
高さが揃えられているおかげで飛び移りやすい屋根を七件ほど踏み越えて、カミュは下の路地を覗き込む。
薄靄が溜まる路地に身を潜めて弾倉を入れ替える、汚い身なりの五人組を見つけて、カミュはピンを抜いた蒸幕手榴弾をそっと投下する。
重力に従って落下した蒸幕手榴弾は路地の外を窺ってモタモタと弾倉を入れ替えていた五人組の頭を直撃し、ゴンッと重たい音を立てた瞬間、暴力的なまでの勢いで高熱蒸気をまき散らした。
狭い路地に高熱蒸気が充満し、五人組の悲鳴が響き渡る。彼らは蒸幕手榴弾を認識するまもなく重度のやけどを負って戦闘不能となっただろう。
結果を見届けもせず無音で別の民家の屋根に着地したカミュは路地に身を潜める撤廃の会シンパの頭上へ次々に蒸幕手榴弾を投下していく。
「指揮官は優秀だなぁ。理に適った配置だから襲いやすいや」
素人の寄せ集めでも大量の火薬式の銃で戦線を押し上げられるようにと考えられた配置だけあって、潜んでいる場所を特定しやすい。これが本職の傭兵であれば頭上にも注意を払っていたはずだが、素人には現場でそこまで気を回す余裕があるはずもない。
弾除けとして配置されているのだろう前衛の素人を蒸幕手榴弾で無力化していたカミュは、程よい所で切り上げて建物の中へ入る。
前線の騒ぎに気付いたらしい雇われ傭兵が屋根の上に現れて周囲の警戒を始めたのはほぼ同時だった。
カミュは愛用の剣を鞘から抜き、空中に放った蒸幕手榴弾を弾き飛ばす。
カミュの剣が蒸気仕掛けの力で弾き飛ばした蒸幕手榴弾は窓から外へと飛び出し、周囲を探していた傭兵の背中に命中。弾かれたように振り向いた傭兵を高熱の蒸気で包み込んだ。
野太い悲鳴を上げて屋根から転げ落ちる傭兵に肩をすくめて、カミュは別の窓から建物の外に出る。すぐに銃声が響き、カミュがいた建物に銃弾がいくつも撃ち込まれていたがカミュは気にも留めない。
鞘に愛用の剣を収めて海水を補充したカミュは肩を回して「よし」と呟いた。
「そろそろ本気を出そうかな」
両手両足の蒸気機甲に海水を送り込む。
静かに吐き出される白い蒸気が薄靄に混ざり合い、深呼吸したカミュの姿をぼやけさせる。
カミュは黒髪を耳に掛け、気配を消すと同時に地面を蹴った。
蒸気機甲の力を借りて垂直に跳んだカミュは民家の二階窓に足を掛けてさらに上へと跳び上がり、三階に入り込む。
床に左足が付いた瞬間、つま先に力を込めて駆け出した。
向かう先にある窓から飛び出したカミュは音もなく隣家の壁を蹴り飛ばして反動をつけ、その家の四階の窓に手を掛ける。蒸気機甲が少量の蒸気を排出しながらカミュの身体を窓の高さに持ち上げ、あっさりと屋内へ進入する。
再び駆け出したカミュは階段を見つけ、踊り場へと飛び降りる。踊り場に右足が付くと同時に体を反転させ、わざと着地を遅らせた左足で踊り場を踏み抜かんばかりに蹴りつけて前進する。
するりと、カミュは鞘から剣を抜き放つ。三階窓から通りに向かって発砲している撤廃の会の傭兵三人組を視界に捉え、音もなく距離を詰めた。
建物の中にまで入ってきている薄靄に赤い水滴が飛び散る。
防具を兼ねる戦闘用の蒸気機甲で覆われた三人の足を瞬時に斬り、カミュは蒸気仕掛けを稼働させて逆手になった愛剣の切っ先を傭兵の手の甲に突き刺した。
驚愕に目を見開く傭兵たちから悲鳴が漏れるより早く、カミュの左足が空気を裂いて傭兵のこめこみを蹴り飛ばす。小柄なカミュの細い左足とはいえ、蒸気機甲で覆われているため重い一撃となる。一撃で昏倒した傭兵にかまわず、カミュは右足で床を蹴り、剣を傭兵の手の甲から抜いて窓から外へ飛び出した。
重力に従って落下しながら、カミュは道路を挟んだ向かい側に撤廃の会の傭兵が二人配置されているのを確認する。
三階から飛び降りても物音ひとつさせずに道路へ着地したカミュは、両足の蒸気機甲に仕込まれた強靭なばねの反動を利用して即座に加速し、路地の裏に斬り込んだ。
あまりにも素早い動きに銃口を向ける事さえ出来ずにいた傭兵二人組の火薬式小銃に、蒸気機甲で加速させた裏拳を見舞う。弾き飛ばされた小銃を手放すまいと強く握り込んだ傭兵二人組は弾き飛ばされた勢いのまま両腕を頭上に挙げた。
空中に剣線が二条、閃く。
蒸気仕掛けで真一文字に振られたカミュの剣の刀身が二人組の肘を斬り、順手に戻ったその剣をカミュがさらに逆方向へ振り抜いたのだ。
肘と膝を一瞬にして斬りつけられた二人組が地面に転がる。物理的に立ち上がる事が出来ず、小銃を握りしめるだけの力もない。それでも、ここで悲鳴を上げれば自分たちを襲ったカミュの仲間が駆けつけると考えられる程度には頭が回るらしい。
「くそがき、どこから――」
カミュを見上げようとした傭兵の眉間にカミュの右つま先が叩き込まれる。仰け反った傭兵の背中を踏みつけた反動で民家の一階に飛び込んだカミュは先ほどの二人組の事などさっさと忘れて走り出していた。
建物の中も外も縦横無尽に駆け抜けるカミュの存在は、仲間を次々にやられている撤廃の会も気付いている。それでも対応できないのはドラネコと呼ばれるカミュを烏合の衆では発見できないからという理由が確かにある。
それでも、カミュは手ごたえのなさに違和感を抱いていた。
カミュが暮らしていた旧市街のゴロツキ達でももっとまともに包囲網を組めるはずだ。
「陽動で確定っと」
ハミューゼンの姿も気配もない事から結論付けて、カミュは制御塔を振り返る。
カミュが内部に切り込んだことで、陽動部隊は混乱している。
すでに海華や砂魚が戦力を集中させ始めており、押し込まれる心配はないだろう。
ここにいるのが陽動部隊だとすれば、ハミューゼンは少数精鋭で制御塔を目指しているはずだ。どこかでカミュと入れ違いになっているのだとすれば、すでに制御塔に到着している可能性もある。
「若様もいるから大丈夫だとは思うけど、早めに合流しないとだね」
カミュは北の制御塔へ駆け出した。




