第二十話 制御塔
歯車島中央制御塔の内部には階段と共に蒸気機関で稼働する昇降機も設置されていた。
古代の昇降機など危なすぎて使えないという意見で全員が一致し、昇降機横の階段を上り始める。
吹き抜けになっていた一から三階にもいくつかの部屋と廊下があった。職員用の休憩室らしき物や宿直室らしき場所、食堂らしきものもあるが、どれも家具の類は風化して残っていないため正確な用途は分からない。
三階までとは異なり、四階以上はどこも天井が低かった。かわりに部屋は一つ一つが非常に大きく、柱こそあるもののワンフロアぶち抜きの階まである。
七階まで上がってみると、そんなワンフロアぶち抜きの階に出くわした。
「もう最上階なのか?」
階段が途切れている事に気付いたパゥクルが不思議そうにあたりを見回す。
カミュとリネアは同時にフロアの反対側の壁を指差した。
「ここからは階段が逆端に配置されてるんだよ。制御塔だから、外からの侵入者があった時にこの階で迎撃できるようにしたんじゃないかな」
リネアの分析を聞いてパゥクルが納得し、今しがた上ってきた階段を振り返る。
「古代人も一枚岩じゃなかったんだな。まぁ、疫病の感染者を外に追いやってまで引き籠る施設なら当然か」
「家族に罹患者が出たら、歯車島を一緒に出るか、罹患者だけを離島させるかを選ぶことになっただろうからね」
歯車島に引き籠って時が経てば経つほど、罹患者が続くほどに内部はまとまりを欠く。そんな事態を歯車島の設計者は開発段階から見越していたのだろう。
七階フロアを横断して逆端の階段に向かっていくと、先頭を歩いていたメイトカルがふと足を止めた。
「なんだ、あれ」
「――うわっ、出た」
メイトカルが呟いて指差した先にあった物を見て、リネアが思わず身構える。カミュとグランズはすぐさま武器を構え、フロアの床を見回した。
メイトカルが指差した先にあったのは金属製の像だ。黒金で渦巻き模様の象嵌の施された鱗を全身に纏ったぎょろりと大きな目と鰭を持つ人型の怪物を象っている。
カミュにはタッグスライ遺跡の地下で出会ったケンタウロスやミノタウロスの像と同一の物にしか見えなかった。
「天井が低いと思ったら、仕掛けを床下に埋め込むためだったのかねぇ」
グランズが床のタイルを見回して目を細める。巧妙に偽装されているのか、感圧版らしきものが見つからないのだ。
カミュは愛用の剣の柄に手を掛けたまま、違和感を覚えて像の足元に注目する。
「……これ、動かないんじゃない?」
「……関節も固定されてるみたいだし、動かないみたいだね」
カミュとリネアは顔を見合わせ、どちらともなくため息を吐いた。
それでも警戒を怠らずに足元や像に注意を払いながら七階を抜ける。結局、像は小揺るぎもしなかった。
七階から八階へ上がる階段を上っていくと、次第に歯車がかみ合うような音が大きくなってくる。
八階を素通りして九階、十階と上がると、今度はパゥクルが足を止めた。
「おい、なんかあるぞ」
興味本位だったのか十階を覗き込んだパゥクルが先行するカミュ達に声をかける。
半ばまで上っていた階段を降りて、カミュはリネアと一緒に十階を覗き込んだ。
今までの階よりもこじんまりした印象のある十階には、壁際に巨大な鉄の塊が鎮座していた。
四角い箱のようにも見えるが、複数の棒のようなものが直立して並んでおり、何らかの機械であることは分かった。
だが、操作方法はおろか何をする機械なのかも見当が付かず、カミュは首を傾げた。
「なんだろ、あれ」
「歯車島の制御機関じゃないのか?」
パゥクルの質問に、リネアが首を横に振る。
「設計図には最上階に置くように描かれてるし、別の機械だと思うよ。でも、なんだろ。気になるね」
危険はなさそうだ、と十階に足を踏み入れる。
壁面には朽ちた机と椅子が置かれており、本を装丁していたと思しき動物の皮などが転がっている。
「なにかの研究室かな」
「制御塔に研究室? 管理人室の方が可能性有りそうだけど」
「管理人室だとしたらあの機械は?」
「……カレンダー?」
「それはないでしょ」
リネアに苦笑されてカミュは肩をすくめた。カミュ自身、カレンダー説を無理に推すつもりはない。
機械の周りをぐるぐると歩きながら観察していたパゥクルが頭を掻く。
「全く分からないが、歯車島の制御に関連する機械だとすれば無視できない。とりあえず、調べた方がいいだろ。何人かここに残して調べさせよう」
パゥクルが指示を飛ばそうとした時、グランズがリネアを手招きした。
「リネアちゃん、古代文字読めるよね。この羊皮紙に書かれてるのってもしかして数字だったりしない?」
「どれ?」
グランズがこれと言って示したのは機械に組み込まれている直立した複数の棒状の部分の横にたれ下げられた羊皮紙だ。
朽ちて穴だらけのそれは全文を読み取る事など到底できない代物だったが、リネアはじっくりと羊皮紙に書かれた文字を読んで口を開く。
「読み取れる範囲にある文字は全部数字だね。計算記号もいくつか混ざってるから、何かの計算式だと思うけど、桁が大きすぎて何が何やらだよ」
お手上げ、とリネアが諦めたようにため息を吐くが、話を聞いていたメイトカルが何かを思い出したように機械を振り返る。
「もしかして、蒸気機関式の計算機ですか、これ」
「おじさんが思うに、階差機関って奴じゃないかな。蒸気科学研究所でも似たようなものを研究してるって話を小耳にはさんだことがある」
古代人がどれほど進んだ文明を持っていたのか、砂漠の霧船や絶海の歯車島に乗り込んだカミュ達にはすでに今さらではあったが、オーパーツがこうして野ざらしにされているのを見ると呆れてものも言えない。
「でも、こんな大きな桁数で一体何を計算してたんだろうね」
カミュは数字が書かれた羊皮紙を覗き込んで首をかしげる。古代文字が読めないカミュでも、一文字ごとの区切りくらいは分かる。優に十桁を越える数字を扱っているらしいその計算式は人力で解こうとすればいくつものミスが出てくるだろう。かといって、階差機関を作ってしまうあたり古代人は常軌を逸している。
「水陸両用の巨大船舶、アーコロジーの浮島ときて、もう空でも飛びそうな勢いだよね」
とはいえ、歯車島の制御機械に類するものではなさそうだと、カミュたちは階段に戻った。
踊り場にある採光用の窓から外を見ても、薄靄がかかっていて歯車島の全体像はよく分からない。遠くにあるはずの陸地も靄に閉ざされ、影すら見えなかった。
この様子では、砂漠の霧船に乗ったハミューゼン達が接近してきても直前までわからないだろう。
十一階、十二階を抜け、十三階まで到達したカミュたちは足を止める。
今までの階層は階差機関を除くとほとんどの部屋がもぬけの殻だった。せいぜいが朽ちた金属製の椅子や机が置いてあった程度で機械の類は見当たらなかったのだ。
しかし、目の前に広がる十三階は全く異なる様相を呈していた。
「天井まで吹き抜けだね、これ」
見上げた天井には複数の換気用ダクトが設けられている。
十五階建てに見えた制御塔は実際のところ十三階までしかフロアが存在しない。なぜならば、十四階、十五階に割り当てられるスペースが吹き抜けとなっているためで、実質的な最上階である十三階は縦横に非常に広大な空間が広がっていた。
しかし、開放感とは無縁な空間でもある。
広大な空間を埋め尽くすのは大小無数の歯車と圧力計。蒸気を供給、排出する管。薄緑色の淡い光を放つ固形物が充填されたガラス管。中央には羅針盤のような物の他、歯車島各所にあるスクリューなどの動作状況を示しているらしい無数の計器が置かれている。計器は安定して動いているように見えるが、ギチギチと異音を奏でていた。
ひときわ目を引くのは成人男性の倍ほどの直径がある巨大な遊星歯車だ。澄んだ音色を奏でて回るその歯車は連結された時計のような計器の針を動かしているらしい。
唖然とした顔で制御室の無数の機械を見つめていた砂魚の整備員たちの中、いち早く我に返ったパゥクルが頭を掻く。
「どこから手を付けていいのか全く分からないんだが……」
「との事だよ。カミュ君、リネアちゃん、任せていいのかい?」
技術者として手を貸す予定のパゥクル達がさっそく降参の意思を示したことで不安を感じたグランズがカミュ達に声を掛ける。
リネアは設計図と別の紙を両手に持ち、制御室と見比べながら口を開く。
「ウァンリオンさんたちが設計図から分析した結果だと、この制御室は歯車島各所の機関が正常に動作しているかを確認する場所みたい。どこかに異常が起きたら中央にあるあの時計みたいな計器が狂うようになってるんだって」
「制御室って言うより管制室って言った方がいいのかい?」
「動作がおかしい機関を見つけ次第ここから強制停止させる事もできるみたいだけど、その仕組みや手順までは分からないって。たぶん、制御もできるはずなんだけどさっぱりらしいよ」
ウァンリオンの話では、制御塔周辺にある農場施設の地下に歯車島を動かすいくつかの蒸気機関を確認できたものの、あまりに巨大な構造物であるため全容の解明には時間が足りなかったらしい。
研究を後回しにして、歯車島の機関部ともいえる制御塔を特定したのは国家随一の蒸気科学者の名に違わない働き振りではあった。
メイトカルが物珍しそうに歯車や計器を眺めながら、口を開く。
「いま重要なのは、この制御塔には歯車島を強制停止させる権限があるって事だろ。ハミューゼン達が歯車島のほぼ全体を制圧したとしても、この制御塔を掌握しない限り歯車島で新大陸に向かう事は出来ないわけだ」
「いざとなったらスクリューをここから停止させちゃえば、歯車島そのものが沈んじゃうんだもんね。停止の方法は分からないけど」
現物を前にしてもさっぱりだよ、とリネアは設計図を前に首をかしげている。
パゥクルも設計図を覗き込みながら眉を顰めた。
「止め方が分からないんじゃ、牽制にもならないんじゃねぇの?」
もっともらしいパゥクルの指摘にグランズが嫌味な笑いを大陸にいるだろうハミューゼンに向かって浮かべながら応える。
「ちっちっち、パゥクル君は分かってないねぇ。ハミューゼンがこちらの事情を知ってるわけないっしょ。制御塔を制圧されてる時点で、排除しないといけない事に変わりはないよん」
「それもそうだ。とりあえず、全体の把握を急ぐか。ハミューゼンに乗っ取られそうなら、最悪この制御塔を破壊するんだろ?」
「最後の手段だけどね」
制御塔を破壊の上、ハミューゼンが制御できなくなった歯車島の復旧作業を行っている間に戦力を集中させて再上陸、制圧するという作戦になっている。もっとも、古代のオーパーツであり、ある種シンボル的な意味合いも持つ絶海の歯車島を一部とはいえ破壊する以上、世論の反発は免れないため、最後の手段として位置づけられていた。もっとも、安全装置が存在している可能性もあるため適当に壊せばいいというものでもない。
最終手段を選択するとしてもどこをどう壊せばいいのか分からないままでは実行できないのだ。
リネアが床に設計図を広げ、パゥクル達を呼ぶ。
「この制御室の壁を調べて、蒸気の供給管を探そう。供給管をすべて破壊すれば、少なくともこの制御室の計器類は沈黙するよ」
「後はあの中央の遊星歯車だね。あれが時計みたいなやつを動かしてるのは明白だし、大きなものだからハミューゼン達に復旧可能とは思えない」
カミュが指差した巨大な遊星歯車は工作精度以前に大きすぎて製作が困難な代物だ。逃亡中の身であるハミューゼン達が事前に用意できる物ではない。
さっそく調査を開始しようとした矢先、階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。
グランズとメイトカルが得物を構えてフロアの入り口を塞いだとき、階段を上ってきた男性が声を張り上げた。
「――海華より連絡。歯車島の南に砂漠の霧船が出現。まっすぐこちらに向かってきています!」




