第十九話 世界地図
「ちょっと先を見てくる」
「気を付けてね。建物が倒壊するかもしれないから」
「極力入らないようにするよ」
リネアに言い返して、斥候役のカミュは軽く走り出した。
左手を愛用の剣の鞘に添えていつでも抜き放てるように心構えを作りながら、蒸気機甲を稼働させずに走る。
金属製の蒸気機甲が枷となっていつもの動きは出来ないものの、無駄に海水を使う気にはなれなかったのだ。
薄靄の中へ走り込みながら、カミュは視線をあちこちに配る。
やや蒸し暑い歯車島の薄靄の中、たたずむいくつもの民家は個性というものが感じられない。デザインはどれも同じ。通りに面した入り口が複数存在するからには集合住宅なのだろう。
限られた島の中に人口を集中させたため、居住面積が狭いらしい。それでも、玄関らしき穴から垣間見える部屋は三、四人の家族で暮らすには十分な広さがある。
足元の舗装はひび割れ一つない一枚岩。平たんに磨き抜かれた道路の一枚岩は全体的に黒ずんでいて、所々に気泡のような白い物が見える。古代の道路がひび割れどころか苔も生えていないのはどんな技術によるものなのか。
交差点まで来たカミュは足を止め、道路を覆う一枚岩の接続点を発見する。十字路の中央に丸く削り出された一枚岩が置かれ、前後左右に直線状の岩が配置されている。それぞれの隙間は陶器のタイルらしき物で埋めていたようだが、欠片しか見当たらなかった。
「本当は綺麗だったんだろうな」
タイルの欠片に残る薄青色や紅色を見下ろして、カミュはため息を吐く。もしも復元できるのなら一度見て見たいものだった。
気を取り直して交差点から四方を見回す。
薄靄のせいで視界は悪いが、見える範囲で建物の倒壊は起きていない。カミュが歩いてきた港からの道は二階建ての家屋が多く、ほとんどが複数の玄関を持つ集合住宅だ。対して、交差点から島中央へ向かう直線は一軒家ばかりのようで、高さも三階建ての物が多い。中央へ行くほど建物が高くなっていくよう配置されているようだ。
農作物を育てる施設も近くにあるはずだったが、あまり一人で遠くに行ってもリネア達に心配を掛けるだけだと思い直し、カミュは踵を返した。
港へ走りながら、建物の隙間に目をやる。
「市街地戦にはおあつらえ向きだね」
小柄なカミュ一人ならば十分に通り抜けできる裏路地だ。歯車島の設計図を読んで路地の配置を頭に叩き込んである。同様に遺跡で設計図を見たハミューゼン達も同様だろう。
しかし、古代の住人が勝手に増設したらしい蒸気配管ともなると設計図を読んだところで分かるはずがない。
カミュが見た限り、どの建物も暖房用の蒸気管を内部に通しており、蒸気を外部に排出するための配管が隙間に露出している。ラリスデンの旧市街を思い起こさせる無秩序な配置の蒸気管は、風雨にさらされて朽ちている物も多く、はた迷惑にも蒸気を吹きあげている物さえあった。
古代人と言えど、民間人まで高度なメッキが施された配管を使っていたわけではないらしい。
また、民間人が勝手に増設した蒸気管の影響か、路地では地面から蒸気が噴き出している個所も散見された。
建物の下にある排水設備に何らかの原因で歯車島を動かすための蒸気が流入したのか、玄関口からわずかに蒸気を吐き出している建物もある。
どこからか、コーンと特徴的なくぐもった反響音が聞こえてきて、カミュは反射的に周囲を見回す。
ラリスデンの旧市街で生活していた頃に何度も聞いていたその音は蒸気機関を扱う人間ならゾクリとくる魔の音色である。
どうやら近くに音源があるわけではないと分かり、カミュは眉をひそめてその場を後にする。
遠目には古代から稼働し続けるオーパーツでも、上陸してみればガタがきているのが分かる。
寄る年波には勝てない、という言葉と共にグランズの顔を思い浮かべて小さく噴き出したカミュは誤魔化す様に地面を蹴って加速した。
港からの潮風がカミュの黒髪を撫ではじめ、薄靄の向こうにリネア達の姿が浮かぶ。
「あ、戻ってきた。おかえりー」
「ただいまー。って、なんか増えてる」
リネアと挨拶を交わしながら駆け寄ると、薄靄の中に別の人影が増えている事に気付く。
「傭兵さんたちのご到着でーす」
リネアが左手で後方の港を示す。
港には船が二十艘ほど係留されていた。リリーマやパゥクルの姿もある。カミュが斥候に出ている間に傭兵たちが上陸したらしい。
海上にはまだ何艘かの船が見えた。どうやら、一度進入に失敗して沖合に流しだされた組がいるらしく、先に上陸した傭兵たちから「へたくそ」と囃し立てられていた。
グランズとメイトカルがリリーマや砂魚の団長と話をしている。
傭兵団の団長二人にも歯車島の様子を話した方がいいだろうと、カミュは四人の下へ歩き出した。
カミュに並んで歩きだしたリネアがポーチから歯車島の地図とペンを取り出す。
「島内の様子はどうだった? どこか崩れたりしてたなら、今のうちにこの地図に描いておきたいんだけど」
「倒壊はしてなかったよ。ただ、あちこちで蒸気漏れが起きてるのと、水撃音が聞こえた」
「ボクも聞いたよ。この港からくみ上げた海水が起こしてるみたい。給水管はこの港以外にもあるからここが駄目になっても歯車島が沈んだりはしないだろうけど、ちょっと怖いね」
カミュとリネアに気付いたリリーマ達が振り返る。
「どうだった?」
リリーマからの短い問いかけに、カミュは島内の様子を説明した。横でリネアがカミュの証言を地図に反映させていく。
リネアの手元の地図を覗き込んだ砂魚の団長が腕を組んで数度頷き、右手を肩の高さにあげる。すると、パゥクルを含む数人の団員が駆け寄ってきた。
「ちょっと調べて来てくれ。武器弾薬、連絡員が通れるかどうか確認しておきたい」
部下に指示を出す砂魚の団長に、リネアがポーチから複製した地図を取り出し、差し出した。
「これをどうぞ」
「お、助かるよ」
リネアから地図を受け取った砂魚の団長はリリーマを振り返る。
「リリーマ、うちらは先に大陸側の海岸を固める。この薄靄の中じゃ連絡弾は使えない。連絡員を寄越すから、腕章で区別してくれ」
「分かった。ハミューゼン側の連中は食い詰め者が多いから一人一人はさほど強くない。ただ、資金は潤沢にあると考えて、飛び道具には注意しな」
「分かってるよ。市街地戦は久々だが、向こうもこの浮き島を無事に確保するつもりなら制圧目的の砲撃はこないだろ。海岸の建物にブービートラップしかけておくから、団員に通達しとけ」
「相変わらず狡いことする奴だ」
「味方を危険にさらさず敵を始末できるんだ。ブービートラップほど人道的な戦い方はないな」
屁理屈をこねてシニカルな笑いを残し、砂魚の団長は部下と共に歯車島の反対側へ走っていった。
残されたパゥクルが片手をあげると砂魚の整備班らしき男女がぞろぞろと集まってくる。十二、三人いるだろうか。
パゥクルがメンバーの点呼を済ませている間に、リリーマがカミュを見る。
「それじゃ、あたしらは島内に散らばる。傭兵は全員、この紅い腕章を着けてるから見かけても関わるんじゃないよ。同士討ちなんて絶対にごめんだからね。いいか、ドラネコ、紅い腕章を着けてる奴には絶対に攻撃するな。いいな?」
「なんでオレに言うんだよ。オレは制御塔を制圧しに行くんだから、直接戦闘には出ないよ?」
「万が一ドラネコが出張ってきたら、一帯の連中が全滅するからだ。市街地戦、それも靄がかかって見通しの悪い複雑な路地でドラネコを相手にするなんて絶対に嫌だからね」
くれぐれも攻撃するなよ、と念を押したリリーマは部下を集めて島の奥へ走っていった。
グランズが頭を掻いてカミュに横目を向ける。
「警戒されてんねぇ。カミュ君、昔何かやらかしたのかい?」
「バリス通りって娼館が並んでいる通りで暴れてた海華の下っ端を全滅させたくらい。でも、あの時はオレだけじゃなくて他にも何人かゴロツキが協力したんだけど」
なんで自分だけ睨まれてるのか分からない、とカミュは首をかしげる。
実際、カミュと同じくらい腕の立つ者は旧市街に何人か存在している。ドラネコの異名を取るカミュほど身軽な者は皆無ではあるが、正面から戦った場合ならリリーマ達本職の傭兵の方がカミュよりも圧倒的に強いはずだ。
「きっと過大評価してるんだよ。それより、パゥクル達の準備も整ったみたいだし、制御塔に向かおう」
「待ってました!」
ガッツポーズしたリネアが率先して歩き出す。
こんな時でも古代文明に対する好奇心は抑えきれないらしく、浮足立っているのがよくわかる。
苦笑したカミュはリネアの右手を取って歩き出した。
ハミューゼン達が来る前に制御塔を制圧しなければならない事から、一行の歩みは早い。脚部の蒸気機甲を稼働させているため、競歩のような速度で歩いていても体力面では心配がない。
だが、島の中央では海水の供給ができない事を懸念して、パゥクル達整備班が数人で海水タンクを引っ張ってきていた。車輪付きの海水タンクは蒸気機甲を用いて引っ張ることを前提とした大型の物で、十七人の蒸気機甲に一回ずつ供給しても余るほどの容量を誇る。輸送護衛が主任務の砂魚らしい備品だった。
サーベルを片手に周囲を警戒しながらも、どこか拍子抜けしたような顔でメイトカルが呟く。
「それにしても、魔物の姿が一切ないな。ドラネコが斥候に出てる時も見なかったんだよな?」
「影もなかったよ」
「トドーロンくらいはいると思ったんだがな」
「トドーロンってなに?」
メイトカルが口にした魔物の名前らしきものにカミュが首をかしげると、訳知り顔でリネアが説明する。
「海に生息してるアシカみたいな形の魔物だよ。グランズさんの四倍くらい大きくて、小型の船なら積極的に体当たりで転覆させて乗組員を食べちゃったりするの。島を繁殖地にするから、たまに傭兵へ島のトドーロンを全滅させる依頼が出されたりするね」
「へぇ」
カミュが比較対象に出されたグランズを見ると、いい年扱いたおっさんは決め顔で大剣を構え、ポージングしだした。
冷ややかな目でグランズを一瞥したカミュはさっさと進行方向に視線を戻す。
巨大な浮島ではあっても途中に障害物が存在しない上にリネアが地図を持っているため、すぐに中央制御塔が見えてきた。
円筒形をした背の高い構造物である。周囲には長方形の建物がいくつも並び、中央制御塔への連絡通路が伸びていた。
「何階建てだろうね」
「さぁ、見た感じ、十五階くらいはありそうだけど」
旧市街とはいえ王都に住んでいたカミュでも見たことがないほど高い構造物だ。周囲を囲む長方形の建物でさえ、十階建てを優に超えているように見える。
カチリ、カチリ、と独特の澄んだ音が中央制御塔から聞こえてきていた。歯車島と名付けられる由来となったその音の発信源がこの中央塔に存在するらしい。
「周囲にある建物は中央制御塔が自壊しないように圧力を分散させてるみたい。中身は農場だけどね」
リネアが設計図から読み取った知識を披露しながら、中央制御塔の入り口扉を押し開ける。
鍵もかかっていないのか、すんなりと扉が開いた。何かが潜んでいないとも限らないため、カミュとグランズが先に中へ入って安全を確認する。
パゥクルが長方形の建物を見上げながらリネアに訊ねる。
「建物の中に農場があるのか?」
「そうだよ。周囲の海から汲み上げた海水を蒸気石で蒸留して得た淡水を施設内の農場に撒いてるみたい。蒸気なら勝手に上に上がってくれるし、揚水の手間が省ける構造なんだよ。頭いいよね」
「淡水動力機構があっても、部分的には海水の方が役に立つのか」
興味深そうに長方形の建物を見上げるパゥクルの眼は技術者のそれだった。
カミュは中央制御塔の中を見回す。一階部分から三階までの吹き抜けエントランスになっているようだが、壁面にはいくつもの配管がのたくっている。配管は各階の各部屋へと続いていた。換気用か、暖房用蒸気の配管だろう。
塔内部に入るとよりはっきりと歯車の噛み合う音が聞こえてくる。
カミュは音の発生源を探り、上を見上げた。
「ここからだと四階以降は見えないね」
そして、四階以降に音の発生源があるのも分かった。
見上げた天井はドーム型になっており、フレスコ画が描かれている。
「大陸図?」
古都ネーライクらしき町の絵と歪な形状の海岸線を発見してカミュは呟くが、同じように隣で見上げていたリネアは首を横に振った。
「……多分、もっと大きな規模の地図だよ。ドーム天井の曲率と星の曲率を合わせて正確に描かれてるみたい。だから、半分は海って事になってる」
ハミューゼンが新大陸出身であることを知るカミュから見れば、視覚的に表現された世界地図は海の広さに違和感を抱くに足るものだった。カミュたちが住む大陸がすっぽり四つは収まる海が広がっているのだから。
そして、疫病に怯えていた古代人はこのフレスコ画に表された海に違和感ではなく希望を抱き、新大陸発見のために歯車島を出立したのだろう。その証拠に、霧船のような鋼鉄の船が海に向かっている絵が描かれている。
「今と違って、大陸の外に希望を見出すしかなかったんだろうね。ボクらは海の先には何もないって決めつけて、大陸の中の事にかまけて大海に漕ぎ出さなかったけど」
リネアは複雑そうにフレスコ画を見上げて、ため息を吐く。
「新大陸にも遺跡があるんだろうね。見てみたいなぁ……」
「ぶれないなぁ」




