第十七話 選択肢
本職である傭兵や国までもがハミューゼン達を止めるために動き出した今、あくまでも民間人であるカミュ達が作戦に参加する必要性は薄い。
「歯車島への上陸方法なども、ただ伝えるだけで用が足りよう。歯車島についての論文を書き上げたいのだとしても、ハミューゼン逮捕後に上陸すればよい。それでも参加するのは何故じゃ?」
ラフダムは測るような目でカミュとリネアを見る。グランズやメイトカルは眼中にないようだ。
何故そんな事を聞くのか分からず、カミュもまたラフダムの内心を見透かすため目を細める。
「言う必要があるの?」
「カミュくーん、ケンカを売られてるわけじゃないと思うよん?」
「グランズさんは黙ってて」
「あ、はい」
カミュに注意したグランズはリネアに睨まれてすごすごと口を閉ざして一歩下がる。
代わりに、リネアが前に出た。
「個人的な理由ですから、話すとしても質問の意図を窺いたいです」
「お前たちが土壇場で寝返った場合、取り返しがつかぬ」
「それ、本気で言ってますか?」
「霧船でちと厄介な娘に鉢合わせてな。左腕と左足を持って行かれた。あの娘よりも君の方が強かろう?」
ラフダムはそう言って、リネアからカミュに視線を移す。
カミュが質問に答える前に、メイトカルとグランズが顔を見合わせ苦笑した。その反応だけでカミュが敵に回った時、二人の手に負えないと考えているのが分かる。
「開けた場所ならともかく、ドラネコを相手に市街地戦をやれば絶対に勝てないでしょう」
「一級品の逃げ足をもった奇襲屋だかんね。ゲリラ戦でも張られた日には身動きが取れなくなるのは間違いない」
「……二人とも、どっちの味方だよ」
大人二人組の評価にカミュは呆れてため息を吐く。
「こんなところで時間を使ってもしょうがないか。リネア、船を借りに行くよ」
「って、結局黙秘かーい!」
グランズが即座にツッコミを入れるが、カミュは気にせずラフダムに背を向けた。
「オレ達は誰からもお金をもらってない単独での参加なんだから、ラフダムさんが船を貸さないという以上抗議する資格もないよ。される筋合いもないけどね」
「こんな形で決裂するとは思わなかったが、よいのか?」
ラフダムがカミュの背中に問いかける。
用意された小型船舶を使えないのは痛手だが、参加理由をホイホイ話すつもりもなかった。
歩き出したカミュの隣にリネアが並ぶ。
「そういうところは変わらないよね」
「そういうところって?」
「目標が定まったら手の届く範囲を全部自分で片付けちゃうところ」
「それは間違い。リネアにも手伝ってもらうから」
「よろしい。いくらでもボクを頼りたまえ」
胸を張って気楽な会話をする二人の後ろからグランズとメイトカルが追いついてくる。
「ちょいとお二人さん、大丈夫なのかい?」
「大丈夫だよ」
「その自信がどこから来るのか、おじさんにはわからないよ」
「グランズが無根拠な自信に振り回されて生きてるからじゃない?」
「わぅ、辛辣!」
カミュの皮肉に頭を抱えたグランズだったが、すぐに真面目な顔になってカミュを見る。
「それで、本当にどうすんの? 漁師にとって船は商売道具なわけで、ラフダム氏くらいの肩書と資金力がないと簡単には借りられないもんだって知ってるかい?」
「何の勝算もなしにカミュが話を蹴るわけがないって事をグランズさんは知らないよね」
リネアに言われて、グランズはカミュと付き合いの長いメイトカルを振り返る。
メイトカルはコートのポケットに手を入れたままぼうっと歯車島を眺めて付いてきていた。何一つ心配していないその様子に、グランズは首を傾げてカミュを見る。どうやら、本当にカミュには策があるらしい。
視線を受けても気にせず、カミュは海岸沿いに歩き、倉庫街に入る。
トタン壁の並ぶ安っぽい倉庫の群れを見回したカミュは、倉庫の一つに目を止めて足早に近付く。
「おじゃましまーす」
中に声を掛けたカミュが無遠慮にがらりと扉を開くと、そこにはガラの悪そうな若い男たちがいた。
ギロッと音が聞こえそうな動作でカミュに視線が集まる。
「なんだ、嬢ちゃん。見ねぇ顔だが」
「ラリスデン旧市街ドラネコ。ダンゴムシに会いに来た」
「……あの人は席を外してる。ちょっと待っててくれ」
すぐに若い男たちが立ち上がり、一人を残して倉庫の裏手から出ていく。
カミュは倉庫の中に入って若い男たちが囲んでいたテーブルに着いた。賭け事をしていたのか、カードが散乱している。
カミュと共に入ってきたリネア達に怪訝な顔をした若い男だったが、特に何も言わなかった。
カミュの隣に座ったリネアの背後を固めるように立ったグランズがカミュに声を掛ける。
「おじさん、カミュ君の交友関係に戦慄しちゃう」
「昔の商売敵で仕事仲間なだけだよ」
「情報屋の関係?」
「そう」
カミュは頷いて、メイトカルを振り返る。
「旧市街の担当だった刑事の中でも、メイトカルの前任に当たる刑事さんと交流を持ってた情報屋だよ。刑事さんの引退に合わせて王都を出て隠居した。有体に言えば勝ち組だね」
警察との取引をしていた情報屋で五体満足に王都を出られたのは、本人の並外れた才覚があってこそだ。多くの場合、刑事の引退に合わせて逮捕という形でほとぼりが冷めるまで塀の中で暮らすか、それも間に合わずに警察に情報を売られた旧市街の住人から報復されて殺される。
ほどなくしてやってきたのは猫背の老人だった。歩行補助のための蒸気機甲を身に着けているが、その顔つきは年を感じさせない精悍さでギャップが激しい。
倉庫に入るなりカミュを見つけた老人はふっと笑った。
「くっそ生意気ないたずら娘がずいぶんとデカくなったな」
「男だって言ってるだろ。それとも耄碌したか?」
「態度は昔と変わらずデカいままか。それで、一艘でいいのか?」
「それなりに馬力のある奴でお願い。歯車島に乗り付けるから」
「船に箔付けしたい漁師に渡りをつけてある。いくら出す?」
「蒸気機関撤廃の会と会長ハミューゼンの出生、目的に関する情報」
「他には?」
「ハミューゼンの出生そのものが特大ネタだよ」
「まぁ、旬ではあるが売る相手がなぁ」
「鮮度は抜群。これからハミューゼンの逮捕劇が歯車島で展開されるから、逮捕できれば警察発表で裏取りもできる。新聞社も出所が怪しいからって無視できるようなネタじゃないよ」
「……ドラネコの目利きは信用しているが、そこまでデカいネタか?」
確信を持って頷くカミュを見て、ダンゴムシと呼ばれる老人は決心して頷いた。
「いいだろう。ただし、帰ってきたら逮捕劇に関しても話せ」
「分かった。交渉成立だね」
カミュはポケットからハミューゼンなどの情報をまとめた紙を取り出し、そばにいた若い男に渡す。
若い男を経由して渡された紙にざっと目を通した老人はその中身の重要性を即座に理解しつつも顔色一つ変えなかった。
「すぐに船を回す。お貴族様にかけっこで負けてらんねぇからな。さっさと歯車島に行って来い」
とんとん拍子に交渉が成立し、老人は倉庫の裏口から出ていこうとして、メイトカルに声を掛けた。
「ロッコの奴は王都にいんのか?」
「ロッコ先輩なら、たまに公園でお孫さんと遊んでます」
「ははっ、孫か。あいつの孫なら可愛くねぇだろうな」
憎まれ口を叩きながらもどこか嬉しそうに笑いながら、老人は今度こそ倉庫を出ていった。
カミュも立ちあがり、倉庫の表から外に出た。
「凄いね。カミュが何も言ってないのに用事を知ってたよ」
リネアが倉庫を振り返りながら感心する。
「ラフダムさんが派手に動きすぎてるからね。人数が人数だから仕方がない面はあるけど、不用心なんだよ。もしも撤廃の会のシンパがここに紛れ込んでたら海上で船をぶつけて足止めを図ってくる可能性もあった」
おそらく、ダンゴムシと呼ばれるあの情報屋も撤廃の会から話を持ちかけられた時に備えて船を確保していたのだろう。彼はどちらの味方でもない、財貨の味方である。
しかし、カミュとの交渉が成った事で、今後ダンゴムシが束ねるこの港町の裏側から船を調達する事は困難になった。撤廃の会が交渉を持ちかけてもダンゴムシは取り合わないか、その場でつかまえてカミュからの情報の裏取りを図る事になる。
「蛇の道は蛇と言うが、ドラネコでも通れるもんなんだな」
呆れ顔でメイトカルが呟いた時、倉庫が面する海岸に蒸気で動く推進機を搭載したやや古びた小型船がやってきた。
海水をくみ上げて蒸気石と反応させる形式で、淡水の河に入る事が出来ない設計ながら構造が単純なため十年ほど前は主流だった代物である。
乗ってきた漁師が船に手招いてくる。
「さっさと乗んな。歯車島までの案内は頼むぜ」
「リネア、任せた」
「いつ頼るのかなって思ったらここで出番なんだね。それじゃ、張り切っていきましょう、おじちゃんもよろしく!」
「おう、よろしく、嬢ちゃん。歯車島に一番乗りってだけでも箔が付くのにこんな可愛い娘が二人も乗ってくれるとは、漁師やっててよかったぜ」
調子がいい事を言う漁師に愛想笑いをしながら、カミュとリネアは乗船する。小型船舶とはいっても漁に使うだけあってそれなりに広い。大剣を担いでいるグランズが乗っても窮屈に感じることはなかった。
最後に乗ったメイトカルが適当なところに腰を降ろすと、漁師が推進器の側にあるハンドルを三回転させる。船艇から海水をボイラーへ引き込む構造をした推進器であるため、一度停止させるとハンドルを回して呼び水を引き込むらしい。
すぐにボイラーから白い蒸気が上がり始める。
「まずは歯車島の裏に回り込んで。そこに監視塔があるはずだから、それを目印に進入経路を教えるね」
「ほいよ。この船はちょいと改造してあるんで、結構揺れる。酔うんじゃねぇぞ、陸育ちども」
言うや否や、漁師が船を出す。直後、推進器から大量の蒸気が後方へ吐き出され、船尾のスクリュープロペラが回転する。
小型船舶とは思えない馬力を発揮して勢いよく陸の倉庫街から離れると、歯車島を迂回する進路を取って海上を疾走し始めた。
揺れる船の上でグランズがカミュの側にやってくる。
「そんで、なんでラフダム氏に参加理由を言わなかったんだい?」
「やりたいことをやれるように憂いを断つなんて個人的な理由を言っても、参加するなって言われそうだったからね」
「そうかねぇ」
「義手義足を壊したマーシェを不問に付すくらい甘いんだから、後は大人に任せろとか言われるでしょ」
「あぁ、確かにそうだ。カミュ君たちが直接やらなきゃならない事でもないからね」
納得しかけたグランズはふと湧いた疑問をカミュにぶつける。
「それじゃ、なんでカミュ君自らやろうと思ったんだい?」
「簡単な話だよ」
そっけなく返して、カミュは遠くなっていく陸地を見る。
「やれることをやろうとする事さえ旧市街育ちには贅沢な事でさ。やれることもやれない人生か、やれることをやれる人生か、ずっと選択を迫られてた。だからオレはラグーンを直してやれる事をやれる人生を選択して、旧市街を出たんだ」
カミュは陸地、遠くにあるラリスデンの方角を見た後、歯車島へ視線を移した。
「でも今は、やりたいことをやれる人生を選べる瀬戸際なんだ。人任せになんてしない。ここで諦めたり失敗したら、どんなにみっともなくてカッコ悪いおっさんになるか、グランズなら知ってるでしょ?」
「お、おじさん、カミュ君の反面教師になれてうれしいよ……」
想定以上に強烈な皮肉で黒歴史を抉り出されたグランズはがっくりと肩を落とした。
そんなグランズにちらりと視線を向けたカミュは小さく笑う。
「いまは良い教師に成れてるんじゃない」
「え、もう一回お願い」
「知らない。――って、むさい顔を近づけるな。落とすよ!?」
もう一回とせがむグランズを両手で押しのけていると、いよいよ歯車島の裏に回り込んだ船は接岸のために進路を変更した。




