第四話 襲撃者と同行者
「それでね、メリッカの住人が言うには落ち雲が落としたんだろうって」
リネアが得意げに、父親との旅の間に聞きかじったらしい怪談話を披露している。
聞き流しながら、カミュは愛用の剣の整備をしていた。通りから窓を通して入ってくるガス燈の明かりを頼りにした薄明かりの中での作業も、夜目の利くカミュにとっては苦にならない。
外でチリチリと擦れたような甲高い声で虫が鳴いている。旧市街で暮らしていたカミュにはなじみのある虫だ。よく蒸気配管の隙間に入り込んで体を温めている青い虫である。名前までは知らなかった。
「砂漠の真ん中に突如出現する墜落死体。周囲に高台も遺跡もないのに、遥か上空から落ちて来たみたいにべちゃって」
「気持ち悪いなぁ。あんまり見たくはないね」
「カミュ、怖がるところが違うよ。これは理不尽に不可解な死を砂漠の真ん中で誰にも看取られずに迎えるところを怖がるんだからさ」
「落ち雲ねぇ」
落ち雲とは、砂漠で稀に見かける不思議な動きをする積乱雲だ。緩やかに高度を下げた後、また上がっていってどこかへ流れていく。
正体不明の墜落死体とやらも、その雲の動きに関連づけて尾ひれ端ひれがつき、成立した怪談話だろうとカミュは身も蓋もない推理をする。
反応の薄いカミュに、リネアは頬を膨らませて抗議した。
「もぅ、せっかくランタンの火が切れたから雰囲気たっぷりに怪談を始めたのにノリが悪すぎないかな?」
「気が済んだならランタンのガスを交換してきてよ」
にべなく告げ、カミュは剣の整備を終えて窓の外を見た。
二階から覗く通りに人影はまばらだ。港町故に日が明ける前に魚河岸に向かう人々も多いだろうが、今はまだ月も中天を目指して登っている時分、自宅でくつろいでいる者ばかりだろう。
リネアも耳を澄ませて一階の音を拾おうとしている。
「一階は静かになったね。ガス交換を頼んでもお邪魔にはならないかな」
「そんな遠慮をしてたの? オレたちは客なのに」
「客だからこそ、主人には敬意を払わないとでしょ。客はボク達だけじゃないんだからね」
リネアに言われて、カミュはこの宿に泊まる別の客、赤髪のグランズの顔を思い出す。
漁師らしき酔客に店の外へ連行されていったグランズはその後、ひょっこりと漁師たちと共に戻ってきてカウンター席に並んで座ると、出ていった時の険悪さが嘘だったように和気藹々と酒を飲みだした。
こちらに絡んでこないのであればそれでいい、とカミュは警戒しつつも無視して食事を終え、リネアと部屋に戻ってきたのだ。
「一階が静かになったのならあのおっさんたちにお酌しろとか言われることもないだろうし、オレも一緒に行くよ」
「そんなこと言って、ボクがさっき一人で行こうとしたら危ないからって止めたでしょ」
「うっさい。行くよ」
「はいはい」
ランタンを持ったカミュはリネアを促して部屋を出る。
一階の明かりはいくらか消えており、カウンターの近くにあるガスランタンだけが灯っていた。
カウンターに一人で座って薄水色のカクテルを飲んでいる赤髪の男を見つけて、カミュは眉を顰める。
「お、美少女二人組じゃないの。早めに寝た方がいいよ。睡眠不足はお肌の大敵なんだかんね」
「リネア、無視しよう」
「つれないなぁ。港町なのに」
そんなつまらないギャグに誰がツッコミなど入れてやるものか、とカミュはグランズの言葉を無視して厨房に声を掛ける。
「ご主人、ランタンのガスが切れたんだけど」
「わぁ! ご主人だって。ご主人様だってよ。おじさんも美少女にそう呼ばれたいわー。ちらっ」
流し目を向けてくるグランズに、リネアが苦笑する。
「だいぶ酔ってますね」
「酔ってないよ。おじさん、これが平常運転なの」
「今すぐ警察に捕まれよ、不審者」
「やばい。おじさん、なんか目覚めそう」
「カミュでそっちに目覚めるのは何だか倒錯的だね」
カミュの性別を知るリネアの遠回しな忠告に、グランズは不可解そうに顎を撫でる。しかし、すぐに考える事を諦めて目の前の皿にあるブルーチーズを一切れ摘まんだ。
「宿の親父さんなら、今は海水の補給に行ってるよ。今夜は冷えそうだから、暖房用に足しとくんだとさ。おじさんったら頼りになる男だから、店番頼まれちった」
顎に沿って親指と人差し指を添えるポーズで格好つけるグランズを、カミュは白けた目で見る。
グランズはどうやら、階段でのカミュの指摘を無視して演技を貫くつもりでいるらしい。
見抜かれているにもかかわらず演技を継続する事に意味があるのかと疑問に思うところだが、カミュはどうせ今夜だけの付き合いだと割り切った。
「店のご主人が戻るまでどれくらいかかりそう?」
「すぐそこに海岸があるんだし、じきに戻ってくると思うね。あ、チーズ食うかい?」
「いらない」
「太りそうだから、ボクもいらないや。カミュにこの体を見せる時もそう遠くないだろうからね」
「おやおや、そういう関係だったか。道理で素敵なおじさんになびかないわけだねぇ」
ケラケラ笑うグランズの誤解は無視して、カミュは膝を組んで入り口を睨む。
宿の主人よ、早く帰ってこい、と念じていると、カクテルを一気に煽ったグランズが声をかけてきた。
「そうそう、おじさん美少女二人に聞きたいことがあったんだよ」
「なに?」
カミュが短く応じると、グランズはガレージを指差す。
「あそこに停めてあるスティークス、ラグーンのコンセプトモデルだけど、お嬢ちゃんの?」
「それが何?」
「マジか! どえらい物乗り回してるな。部品ももう売ってないだろうに、どこかのオークションで買い占めでもしたのか? 整備も嬢ちゃんたちでやってんの? どこで手に入れたんだ?」
途端に目を輝かせて身を乗り出してくるグランズから酒臭い息が漂ってくる。
カミュは思わず顔をそむけた。
おっと、とグランズは自分の口を押さえて身を引く。
「悪い悪い。おじさん、年甲斐もなく興奮しちゃった。いや、懐かしいな。あれは良いスティークスだ。あの事故さえなければもっと出回ってたんだろうけどなぁ」
天井を見上げたグランズがため息を吐き出す。
ラグーンにまつわる事故と言えば幾つかある。だが最も大きな事故は首都で起きた爆発事故だ。
この事件はシリンダーが蒸気圧に耐え切れずに破裂したもので、新聞各社はラグーンとその同型車が積んでいるシリンダー部品の不備をこぞって書き立てた。
元々整備不良による事故も多かったことから、販売会社は販売の中止と自主回収に追い込まれ、保障費を払いきれずに倒産している。
だが、この爆発事件はシリンダーへ送り込む蒸気の密度を上げる過給機が原因だったと現在では判明している。
過給器はシリンダーへ送り込む蒸気密度を上げる事で蒸気圧を上昇させて運動効率を高める装置だが、事故車は本来のラグーンに搭載された過給器ではなく他社製品を搭載していた。
要は、無理な改造を施したがためにシリンダーに本来かかるはずのない異常な圧力がかかってしまい、耐えきれずに破裂したのである。
シリンダーには異常な圧力を逃がすための安全弁もついていたはずなのだが、これも他社の不良品に代わっていた。
しかしながら、事故原因を突き止めたのは国立蒸気科学研究所に所属するウァンリオンという技術研究者である。ラグーンの制作会社はすでに倒産していたため、名誉回復もあまり意味はなかった。
そうして、ラグーンとその同型機は幻のスティークスとなったのである。
カミュにとって、ラグーンは愛車であり、自慢の子供のような物だ。たとえ相手が胡散臭いおっさんであろうとも、褒められればうれしくなる。
「本当にいいスティークスだよ。乗ってみればわかるけど、悪路でも平気で進むし安定感も抜群でさ。大型で重いくせに素直に言う事を聞いてくれて、可愛い奴なんだよほんと。手はかかるけどね」
「お、おう、さっきまでとえらく態度が違うじゃないの」
今度はグランズが仰け反る番となり、やり取りを見守っていたリネアが笑いだす。
「カミュが一番長く一緒の時間を過ごしたのはラグーンだからね。もう親よりも付き合いが長いんじゃないかな」
「……え、親より?」
「そう。だってオレ、捨てられたし。もう親の顔も覚えてないよ。それより、グランズさんのスティークスはヤハルギだろ? あれってどうなの?」
重たくなるはずの親の話をあっけらかんと笑って流し、カミュはスティークスの話に切り替える。グランズもこれ幸いと話題に乗っかった。
「良いぜ。雨が降ろうが風が吹こうが気にすることなく走れるのはヤハルギだけだ。その代わり乗ってると滅茶苦茶に暑いし直進番長で曲がらないけど、おじさんにはこれが合ってんだよ。男なら、目標に向かって一直線ってね!」
「それで泥を被ってたのか。昨夜の雨の中をヤハルギの性能に任せて気兼ねなく突っ走ったんだね」
「雨がバチバチ当たって痛かったけどな!」
「スティークス乗りにとって雨は凶器だよね!」
グランズと一緒になって笑うカミュを眺めて、リネアがボソッと呟く。
「……ラグーンさえ褒めれば落ちるカミュってちょろいなぁ」
「うるさい。そのお腹つまむぞ」
「つまむほどないよ! ってやめ!」
さっと伸ばしたカミュの手からリネアがお腹を防御する。
グランズがブルーチーズを摘まみつつ、目を細めた。
「いやぁ、可愛い娘ちゃんがじゃれ合ってるのを見るのはいいねぇ」
「うるさい、酔っぱらい。それに言い忘れてたけどオレは――」
グランズに本当の性別を暴露しようとしたカミュは入り口から聞こえてきた足音に口を閉ざして振り返る。
入り口には複数の男たちの姿があった。夜半に宿へ訪ねてくるのは客と決まっていそうなものだったが、覆面で顔を覆って角材を片手にしている時点で宿泊以外の目的があるのは明白だった。
まして、カミュとリネアには暴力で訴えてくる相手に心当たりがある。
「……宿のご主人、とは違うみたいだけど、あんたら誰?」
カミュは機敏な身のこなしでリネアを背後に庇い、誰何する。
さりげなくグランズの座っていた椅子を確認してみれば、すでに椅子から降りて固めた拳を入り口の男たちに向けて構えている。初対面では傭兵という触れ込みだったが、あながちウソでもないようだ。
男たちの内、五人が店内へ入ってくる。入り口から確認できる限り、外にはまだ四、五人はいる事だろう。
「蒸気機関撤廃の会の者だ。黒髪の少女に用事はない。そっちの赤髪の男にもだ」
「やっぱり、狙いはボクなんだね」
「リネア、モテモテじゃん」
「そこは、リネアはオレの物だ、くらい言って欲しいよ」
「言わないって、そんなクサイ台詞。でも、リネアを誰かに渡すつもりもないんだよね」
カミュが鋭い視線を向けると、男たちが一斉に構えた。
啖呵を切ってみたところで、多勢に無勢だ。迂闊な事に得物も部屋に置いてきている。
カミュはリネアと目を合わせてから、階段の方へ目配せする。意図が通じたのか、一度小さく頷いたリネアが身を翻して階段を駆け上がった。
「逃がすか!」
すぐさま男たちが反応し、角材や鉄配管を振り上げて追いかけようとする。
カミュは声を張り上げる。
「はい、頭上に注意!」
唐突にもたらされた情報に、先頭を走っていた男が天井を仰ぎ見た一瞬の隙を突き、カミュは足払いを掛ける。
カミュに足を払われて体勢を崩した男は走っていた勢いもそのままにテーブルの角に頭をぶつけて床の上を転がった。
先頭を走っていた男が突如転倒して障害物となった事で後続の男たちが二の足を踏む中、カミュは軽々とテーブルを飛び越えて階段へ駆け込む。
「おっそろしいくらいに喧嘩慣れしてるね、黒髪嬢ちゃん」
階段を上っていく最中、背後から声を掛けられて振り返るとグランズが飄々とした態度でついてきていた。
「あんたは大人しくしてれば巻き込まれないだろ。あいつらの狙いはオレの相方だ」
「大人は子供を守るもの。男は女を守るもの。おっさんは美少女を守る時が一番カッコよく映るんだよ。という事で、おじさんの事を雇わない?」
「間に合ってる」
「まぁ、そう言わずに、さ。人数差があり過ぎてどうにもならないでしょ、これ」
「なるよ」
きっぱりと言い切るカミュに意外そうな顔をするグランズを置いて、カミュは自らの客室に飛び込む。
「カミュ、荷物と武器!」
部屋に入るなりリネアに投げ渡されたそれを受け取ったカミュは、愛用の両刃剣を左腰に吊るし、鞘から伸びる蛇腹金属管を右腰に装着した海水タンクに接続する。
蒸気機関が仕込んである蒸気機甲と呼ばれる籠手を装着しつつ、カミュは耳を澄ませ、拾った音から得た情報をリネアに報告した。
「リネア、あいつらがすぐに上ってくる」
「分かった。そこ退いて」
リネアに命じられるまま、カミュは部屋の入り口前から体をずらす。射線が通ったと確認するや否や、リネアが自動拳銃カルテムの引き金を引いた。
蒸気圧が戻る前に連続して三連発。後に撃ち出した銃弾ほど威力が格段に落ちるが、リネアが撃ちだした弾は十分な効果を発揮した。
ゴムを硬い壁に勢いよくぶつけたような音が連続して響き、部屋の入り口から出て右手奥の階段から男たちの悲鳴が響き渡る。
「高反発ゴム弾だよ。殺傷能力は低いけど当たればものすごく痛いし、十回は跳弾する」
リネアが得意げにカルテムを掲げてカミュに説明する。
どうやら、リネアが撃った高反発ゴム弾が部屋の入口真向かいの壁に跳弾し、狭い廊下内をさらに跳弾して進んだ挙句、階段の男たちに襲い掛かったらしい。
「蒸気式の拳銃って弾種が豊富で便利だね」
カミュは口笛交じりにカルテムを褒めつつ、部屋に忘れ物がない事を確かめてから窓の外を見る。
窓の下に宿の入り口を固めている男たちが確認できた。
「七人か。銃声がした時点で建物内に入らないって馬鹿じゃないの」
窓の上から一方的に銃撃される可能性に考えが及ばない時点で相手は素人だろう。
廊下から慌ただしい足音が聞こえて、リネアが銃口を部屋の入り口に向ける。
「――無事か、嬢ちゃんたちって、うわぁ、待って! おじさん超良い人だから!!」
部屋を覗くなり向けられていた銃口を見て慌てて壁の裏に引っ込んだグランズから悲鳴混じりの哀願が聞こえる。
「廊下に敵影なし。だから、おじさんの事を部屋の中に入れてほしいかなって思うんだけど?」
「なんでですか。このまま外に出ましょうよ」
「一度くらい女の子の香りが充満する部屋に入りたい男心が分かんないかな」
「そうなの?」
「リネア、オレに聞くなよ」
ちょっと嬉しそうに問いかけてきたリネアだったが、カミュが答えをはぐらかすとつまらなそうに廊下を見た。
「それで、グランズさんが敵ではない証拠は?」
「あ、それ聞いちゃう? おじさんが敵じゃない事はどうやったら証明できる?」
「そうですね……」
「そのまま店内の敵を全滅させて」
カミュが口を挟むと、部屋の入り口に姿を現したグランズが困ったような顔をした。
旅慣れているのか荷物は少ないが、蒸気機甲と思しき鋼鉄製の籠手を両手に身に着け、歯車の仕掛けが柄に露出した大剣を担いでいる。
「おじさんの得物、こんなデカブツだけどさ、流石に狭い店内であの数を相手にするのは厳しいのよ。だから共闘したいわけでね。そこんとこ加味してほしいなぁって、そこはかとなく思う次第よ?」
「さっきの案が共闘の誘いだよ。外にいる七人はオレが片付ける。そのまま店内に飛び込むから挟撃できる」
「え、外に七人もいんの? 黒髪嬢ちゃんがそれを全滅させるって無理なんじゃ」
カミュの作戦に不安を述べようとしたグランズは窓とリネアの自動拳銃カルテムを見ると、納得したように頷いた。
「上から援護射撃ができるわけね。分かった。おじさんは店内の掃除するから、嬢ちゃんたちも無理しないようにね」
「それじゃ、中は任せた」
「ほいほい、おじさんのカッコいい所をみせられないのだけが残念だねぇ」
またの機会を楽しみにしといてよ、と背中越しに手を振ったグランズが階段の方へ消えると、ほどなくして金属同士がぶつかる音と木製の何かが破壊される音が響いてきた。
カミュは窓に歩み寄り、懐に手を入れる。
「それじゃ、リネア」
振り返ったカミュはニコリと笑う。
「一分で片が付くから、後から飛び降りてラグーンをお願いね」
七人の男を一分で戦闘不能にする。聞きようによっては自信過剰とも取れる宣言をしたカミュに、リネアは当然のように頷いた。
「どうせもっと早く終わるんでしょ」
リネアの言葉を否定せず、カミュは窓の下の男たちに向かって飛び降りる。窓の横にあった雨樋を蒸気機甲の補助を受けた握力で遠慮なく握りつぶして落下速度を殺しつつ、真下を見る。
男たちは頭上への警戒など思い至らないらしく、グランズが暴れているらしい店内に向かって武器を構えていた。
カミュは懐から取り出した金属球を真下の男の背後に投げつける。
カツン、と路上に転がった金属球が内部の蒸気石と海水を反応させ、一瞬にして大量の蒸気を吹き出すと同時にカミュは地面に音もなく降り立った。
「な、何が――」
視界を塞ぐ蒸気に驚いてたたらを踏んだ男を、カミュは剣を抜き放ちざま斬りつける。蒸気の中に赤い血しぶきが舞った。
カミュに背中を一閃された男が悲鳴を上げて路上を転がりまわる。
「後ろから敵だ!」
「くっそ、二人組じゃなかったのかよ!?」
「中で暴れてる奴の仲間だとしたらやべぇぞ」
男たちが口々に警戒を口にする中、カミュは腰を落として姿勢を低くすると、蒸気の煙幕から飛び出す。
「出てきやが――」
いち早くカミュを見つけた男が最後まで言い切る前に、カミュは剣を横に振り抜いて男の膝の皿を斬り、物理的に立てないようにする。
糸が切れた様にその場で尻もちをついた男は、膝から流れ出る大量の血を見てようやく斬り裂かれた事に意識が追いつく有様だった。
「このガキ!」
別の男がカミュへ鉄配管を振り下ろす。膝を斬られた男からカミュを遠ざけることが目的の牽制の一撃だ。屈強な男が渾身の力で振り下ろした鉄配管を、少女と見間違えられるほど華奢なカミュが受け切れるはずもないと踏んでの一撃。
しかし、カミュは避けようともせずにあえて〝順手に持った〟剣を振って迎え撃った。
キンッと金属音が一瞬鳴ったかと思うと、鉄配管が宙を舞う。
「え、き、斬った……?」
男は手に持った鉄配管が明らかに短くなったことに動揺を隠せず、硬直する。カミュは内心で呆れながらも、男の脇を通り抜けざま蒸気機甲を付けた左手でみぞおちに一撃を入れる。
蒸気機甲に内蔵された蒸気機関が駆動し、カミュの華奢な腕からは想像もつかない強烈な一撃が繰り出された。金属製の蒸気機甲で力任せに鳩尾を殴りつけられた男が胃の中の物をぶちまけながら膝をつく。
立て続けに三人がやられたものの、正気を取り戻すには十分な時間だったらしい。残った四人の男たちはカミュを取り囲もうと動き出す。
だが、カミュは懐から新しい金属球を取り出してにこやかな笑顔を添えて投げつけた。
左端にいた男の目の前で高温の蒸気が噴き出す。百度を超えるその蒸気を間近で浴びれば当然、火傷は免れない。
「あっつ!」
咄嗟に顔を庇った右腕から胸にかけて高温の蒸気を吸った服が男を苛む。
怯んだ男にかまわず、カミュは右端の男に近付くと〝逆手に持った〟剣を振り抜く。月夜を反射する両刃剣に血がついている事に恐怖したか、男は角材を盾にした。
カミュの剣によって角材があっさりと上下に分かたれる。男は角材が抵抗もなく両断された事に驚愕するまもなく、胸を横に一閃された。
胸を押さえて痛みにうめく男を一瞥したカミュは〝順手に持った〟剣を見る。
剣の鍔からシューシューと蒸気が吹き出ていた。
カミュの剣を見た男の一人が後ずさる。
「蒸気仕掛けの剣かよ。道理で……」
カミュは男の言葉にただ肩を竦めるだけで応えた。
カミュの剣は楕円形の中に柄がついており、内部に仕込まれた蒸気機関により刀身が楕円の円周に沿って半回転するよう設計されている。鉄配管だろうと太い木の角材だろうと、蒸気機関による異常な速度と威力の斬撃の前ではバターと大差がない。
ただし、稼働させると順手から逆手に、逆手から順手に刀身の位置が切り替わってしまうため、扱いには熟練が必要な代物でもある。
もっとも、この剣の製作者がカミュ本人である時点で、未熟な技量のはずもない。
地を蹴ったカミュは二歩で男との距離を詰めると、柄のスイッチを押して蒸気機関を稼働させる。
順手の位置にあった刀身が音もなく動きだす。カミュの腕の振りと合わさったその動きは、ケンカ慣れしていない男たちの目では追うのも難しい。
残っていた二人の男の内一人の両足膝を深く切って戦闘不能にすると同時、逆手になった剣で最後の一人の脇腹を切り裂く。
横に跳躍して返り血を避けると同時に、カミュは店内に視線を向けた。
「まだやってるの、グランズ?」
「嬢ちゃんこそ、もう終わっちゃったわけ?」
店内に声を掛けると、無傷のグランズが驚いたようにカミュを見る。店内にはまだ二人の男が残っていたが、床に目を向ければ三人もの男が伸びていた。思うように武器が振り回せない空間でも堅実に立ち回った証拠だろう。
男たちが振り返る前に、カミュは身をかがめてテーブルの下に潜り込む。
「ちっ、どこに!?」
薄暗い店内で一度姿を見失えば、そう簡単には見つからない。まして、目の前に別の脅威がある時には――
「よそ見はよくないねぇ。もっとおじさんにご注目!」
グランズが男たちの隙をついて攻勢をかける。大剣を思い切り横に振り抜けば風が巻き起こり、狭い店内であることも手伝って強烈な圧迫感を男たちにもたらした。
怯んだ二人の男の隙をつき、カミュはテーブルの下から飛び出ると目の前にあった男のひざ裏を斬り裂き、襟の後ろをつかんで引き倒す。あおむけに倒れた男の腹を足場に跳躍すると、残る一人に剣を閃かせた。
物音に気付いて振り返ろうとしていた男の左腕を斬り裂き、カミュは床に着地すると即座に飛び退く。
「はい、おやすみ」
後ろからグランズが大剣の腹で男の頭を強打し、昏倒させる。
「良い夢見ろよ。って、嬢ちゃん、追い打ちはダメだって」
「殺さないよ。足を斬って二度と歩けなくするだけ」
「怖すぎでしょ! 最近の若い子の考えがおじさんには分かんないよ!?」
「――カミュ、ラグーンは無事だったよ」
リネアが入り口から声をかけてくる。カミュが表の男たちを片付けたすぐ後に窓から飛び降り、ガレージを確認したのだろう。
カミュは剣についた血を転がっている男の服で拭い取ってから鞘に収める。
「じゃあ出発しようか」
何食わぬ顔で店を出ようとしたカミュに、グランズが待ったをかける。
「ちょっと、ちょっと、この惨状を放置していく気かい? 帰ってきた宿の親父さんがビックリ仰天すんぞ?」
「その後で警察を呼ぶでしょ? 事情があって警察とは顔を合わせたくないんだ。後片付けはグランズがやっといて」
面倒事を押し付けて、カミュは店を出て隣接するガレージに向かう。
そういえば、宿代は払ったっけ、と首を傾げつつ、ふと視界に入った男のズボンに手を伸ばす。抗議するようなうめき声は頭を蹴り飛ばすと途切れた。
目当ての物を見つけて回収してからガレージに入り、カミュはラグーンのエンジンを掛けた。
「宿代、先払いしておいてよかったね」
リネアがヘルメットを被りながら声をかけてくる。
「なんだ、先払いしてたんだ」
「払ってなかったらどうするつもりだったの?」
「踏み倒しかな。さっきの男どもから巻き上げた迷惑料を置いておくって事もできるけど」
「あの人たち、お金なんか持ってないでしょ」
「じゃあ、道中に確認してよ」
カミュは男たちから巻き上げた財布をリネアに投げ渡す。
うわわ、と慌てたような声を出して財布を受け取ったリネアはヘルメット越しに横目でカミュを睨んだ。
「いつの間に」
「さっき店を出た時、近くに転がっていた三人のポケットからはみ出てたからさ」
何食わぬ顔で言うカミュに、リネアはため息を吐く。しかし、財布はちゃんと迷惑料として接収するつもりらしく、ポーチの中にまとめて入れた。
ボイラーも温まってきたため、カミュは静かにラグーンを始動させる。
その時、ガレージにグランズが飛び込んできた。
「ちょっと待って、おじさんも行くから」
「待たない。来るな」
「つれないこと言わんでくれよ。厄介ごとに巻き込まれてるんなら、おじさんみたいな傭兵を雇っておいて損はないっしょ?」
「カミュ、出発しようよ」
「そうだね。では、二人旅を再開しよう」
「損はさせないから雇ってよ!」
しつこく食い下がりながら、グランズはいそいそと愛車ヤハルギを始動させる。
「美少女二人を守りながらの旅とか、傭兵やっててよかったぁ」
「いや、オレは男だし」
「……は?」
カミュの性別暴露に、グランズは間抜け顔を晒した。
そんなグランズには構わず、カミュはラグーンを発進させた。
流れるようにガレージを進み出たラグーンを眼で追っていたグランズが我に返り、慌てて愛車を発進させる。カミュの愛車であるラグーンよりもボイラーが温まるまでの時間が短かった。
「そっちの琥珀色の髪のお嬢ちゃんはお嬢ちゃんだよね!?」
カミュと並走を始めたグランズがサイドカーに乗っているリネアに大声で訊ねる。
リネアはにっこりと笑って頷いた。
「ボクはもうカミュに人生捧げてるけどね」
「つけ入る隙がない!?」
リネアの大胆発言に驚愕して声を上げるグランズだったが、カミュと並走する愛車の速度を落とす様子はない。
本当についてくるつもりらしい、とカミュは内心で溜息をついた。
同時に思う――いつまでその演技を続けるつもりだろう、と。
胡散臭い同行者を振り切るべく、カミュはラグーンの速度を上げて、港町ロッグカートを出立した。