第十二話 霧船強奪
「古代文明ディーケェーズはこの呪われた大陸を巨大な蒸気船に乗って離れ、新大陸にて再出発しました」
ハミューゼンは足のつま先で甲板を鳴らし、霧船に意識を誘導する。
マーシェとウァンリオンは霧船を見おろし、その耐久性と永遠とも思える燃費の良さを思い起こす。
ウァンリオンはハミューゼンに問いかける。
「呪われた大陸というのは?」
「この船の内部を調査シた貴方ならば分かるはずでス」
「……伝染病」
「正解でス。ソれも、当時から現在に至るまで治療法が確立サれていない伝染病でス。故に、感染者は隔離サれ、ソれでも猛威を振るう伝染病から逃れようとアーコロジーさえも建設し、最終的には蒸気船にて新天地を探ス旅に出た。この呪われた旧大陸に住まう貴方たちは隔離サれ、あるいは取り残サれた感染者のうち奇跡的にも生き残った人々の末裔でシょう」
ハミューゼンは甲板から見える砂漠に視線を移す。夜の砂漠には警備隊が灯す明かりが揺らめき、場違いにも幻想的な景色が広がっている。
「新大陸へとたどり着いた古代文明人は伝染病を持ち込まぬよう旧大陸との交流を完全に断ち、今もって呪われた旧大陸とシて語り継ぎ、渡航禁止の処置を取っていまス。かく言うわたくシもこの旧大陸に送られると聞いた時は絶望シたものでスが、幸いにも未だに伝染病には罹っていまセん」
原因菌が死滅したのか、それとも別の要因か、とハミューゼンは小さく呟いたのち、冷たく笑う。
「いずれにセよ、この大陸が一つの文明を崩壊サセるほどの伝染病に汚染サれていたという事実が今は重要でス。先ほども言った通り、わたくシは政治犯とシてこの大陸に追放サれまシた。我が祖国ディーケェーズ共和国は現在、共和国とは名ばかりの独裁体制となっていまシてね。これを批判シたわたくシはこのざまでス。もはや、あの国は外圧でシか変わる事が出来ない段階なのだと悟りまシたよ」
遠く祖国を眺めるように、ハミューゼンが海に視線を転じると同時に霧船が大きく振動した。
ぐらつく足元に慌ててバランスを取ったマーシェは、両腕を縛られているせいでバランスを崩したウァンリオンを咄嗟に支える。
意外そうにマーシェを見つめたウァンリオンは満足そうに頷いた。
「ふむ、やはり、君の人間性は信用できる」
「……うるさいわよ」
礼を言われても困るが、妙な納得をされても困る、とマーシェは舌打ちしてハミューゼンを見た。
ハミューゼンは霧船の側面にある排気口から立ち上る蒸気を見て微かに笑った。
「どうやら準備が整ったようでスね」
そう言ってハミューゼンが爛々と輝く瞳を向けた先にはウァンリオンがいる。
「では、我が祖国に外圧を加えるためにも、貴方にはここで死んで頂きたい。とはいえ、ご安心を。こちらで貴方の死が新大陸の人間の手によるものだと喧伝いたシまスので、葬儀はとり行われるでシょう。死者が国家を動かすのに肩書が重要なのはこの大陸でも同じなのでシょう?」
「外圧と君は言うが、ようは大陸間戦争を引き起こしたいのか?」
ウァンリオンが持ち出した戦争という単語に、マーシェは驚いてハミューゼンを見つめる。
ハミューゼンは笑みを浮かべて頷いた。
「話が早くて助かりまス。ソう、戦争を、わたくシは大きな戦争を望んでいまス。我が祖国が負けることは万に一つもありまセんが、国家戦力が大陸を越えて展開スれば国内には目が届かない。この大陸で学んだ人心掌握術を生かス機会ができるはずでス」
「――ちょっと待ってよ!」
あまりにも規模の多すぎる話を展開するハミューゼンとウァンリオンの間にマーシェが割って入った。
「戦争って何考えてるのよ。そもそも、新大陸の存在を知ったからって戦争にまで発展するはずが――」
「マーシェサん、我々がこの旧大陸で何をシたか、貴女は間近で見て来たでシょう?」
冷静に、子供に言い聞かせるような口調で言い返され、マーシェは口をつぐむ。
確かに、撤廃の会は大陸各地で蒸気機関の破壊活動や関連施設の破壊工作、遺跡の破壊も行っている。手引きしていたハミューゼンが別大陸の人間である事が明るみに出れば十分に外交問題となるような事案が無数に挙げられる。
加えて、いくら学がないとはいえマーシェも新大陸なるモノの存在を知らなかった。ハミューゼンの祖国ディーケェーズ共和国がどれほどの技術力や戦力を持っているのか、正確に把握している者が旧大陸にいるのかは疑問だ。
マーシェは国家機関の所長であるウァンリオンを見る。
ウァンリオンは首を横に振った。
「こちらからまったく未知の勢力に戦争を仕掛けることはないだろう。だが、逆は十分にあり得る。仕掛けられてしまえば反撃せざるを得ず、撤廃の会の活動が新大陸の人間によるものだと分かれば煮え湯を飲まされ続けた富裕層は戦争に傾きかねない」
「でも、ディーケェーズ共和国は伝染病を恐れて旧大陸から距離を取ってるんでしょう?」
新大陸側から戦争を仕掛けないのであれば、問題がないはずだ、とマーシェがほっとしたのも束の間、霧船の振動が大きくなり、吐き出される蒸気が霧と呼べるまでに周囲に立ちこめる。
ハミューゼンが吹き上がる蒸気に笑みを深めながら、マーシェに声を掛ける。
「マーシェサん、この霧船は修理シてシまえば新大陸へ到達できる性能を持っていまス」
「……まさか」
「旧大陸側から仕掛けたと認識したディーケェーズ共和国はどう出るでしょうか?」
答えを誘導するようにハミューゼンは問いかける。
霧船で新大陸へ赴きテロを仕掛ける。そこまで計画に組み込んでいるのだとすれば、目の前の男は戦争が起こるまで何度でも大陸間の対立を煽り続けるのだろう。
「どうあっても戦争を起こす気なの?」
「その通りでス。サて、貴女の意思を確認シまシょうか。わたくシに着いてくるか、それともこの場でウァンリオン氏の尊い犠牲を証言する大陸間対立の礎となるか、選んでくだサい」
腰のホルスターに収めていた火薬式拳銃を抜きながら、ハミューゼンが選択を突き付ける。
マーシェが銃口の向かう先を視線で追おうとすると、ハミューゼンが銃口を揺らす。
「おっと、マーシェサんは銃口から銃弾の行く先をある程度予想できるのでシたね。護衛役とシても優秀でこの場でお別れするのは惜シいでスが、銃口を確認シたという事はつまり、ウァンリオン氏を助けるおつもりでスか」
ハミューゼンが引き金に掛けた指に力を込めるのを見て、マーシェはすぐさまウァンリオンを縛るロープを引く。
しかし、乾いた発砲音が響いた直後、赤い血が甲板に飛び散る。
「な、なんで……」
感じた痛みに唖然としながらマーシェは脇腹を押さえる。手の平には温かな血が付着していた。
だが、視線の端でハミューゼンの動きを捉え、痛む腹部を無視してその場を飛び退いた。
パンッという火薬の弾ける音と同時に、甲板を覆う鉄板が銃弾を受けて凹んだ。
ハミューゼンの銃口が自らに向けられていることを認識したマーシェは歯を食いしばって蒸気機甲を作動させ、強化された腕力でウァンリオンの襟首を掴んで引き寄せる。
「やはりマーシェサんは優秀な精鋭歩兵でスね。カミュサんを思い起こサセる引き際でス」
褒めながら、ハミューゼンが引き金を引くたびに銃口が火を吹く。
マーシェは蒸気機甲の力に任せてウァンリオンごと後方に飛び退き、小柄な体に見合わない大型の蒸気機甲を盾にして急所を守りながら、周囲に視線を走らせる。
「そういう事だったのね……」
何もない甲板。それも、操舵室に向かって歩いていたため周囲に遮蔽物の類もない。
最初から甲板の真ん中に誘い出すために話をしながら歩いていたのだと気付いても後の祭りだ。
腹部から流れる血が服に染み、じわじわと生暖かくなっていく。ハミューゼンの嫌味なほどに正確な射撃にこのまま晒され続ければ、すぐに失血で動けなくなるだろう。
いや、マーシェを無力化するのはハミューゼンにとってはあくまでもついでだ。本命は後ろに庇っているウァンリオンの命である。
マーシェは蒸気機甲に海水を供給して稼働準備を整えつつ、背中のウァンリオンに声を掛ける。
「リンチされた時みたいに小さくなりなさい」
「経験がないのでわからないのだが」
「膝抱えて頭ひっこめろって言ってるのよ」
「なるほど」
何故この男はこんなにも余裕なのかと、マーシェは蒸気機甲への海水供給量を増やしながら舌打ちする。
「――なにか相談中でスか? 早くしないとわたくシの部下が戻ってきてシまいまスよ?」
「その前に逃げさせてもらうわよ!」
啖呵を切った直後、マーシェは蒸気機甲に海水を過剰供給し、安全弁を一度に開く。両手足に身に着けた蒸気機甲が一斉に蒸気を吹き出し、マーシェの姿を隠した。
「奥の手だけど、やっぱり熱いわ、これ」
立ち上る蒸気が発する熱気に包まれ、マーシェは愚痴をこぼしながらウァンリオンの襟首を掴んで持ち上げ、脇に抱え込んだ。小柄の少女の腕とはいえ武骨な大型蒸気機甲で強化された腕力は成人男性であるウァンリオンの全体重を楽々持ち上げることに成功した。
「蒸気機関フェチを自称してはいるが、流石に蒸されるのは御免こうむりたいところなのだが」
「うるさいわよ、本当にもう!」
蒸気機甲から吐き出される大量の蒸気を浴びたウァンリオンの抗議を一喝し、マーシェは甲板を思い切り蹴りつけて右に跳ぶ。
発砲音を耳に捉えながら、片腕で自らの頭部を守りつつ甲板の端に向かって一気に加速する。
「何をスるかと思えば、落ちて無事に済む高さではありまセんよ」
大量の蒸気でマーシェの姿を確認できずとも、向かう先を読んだらしいハミューゼンが声を掛けてくる。
マーシェとて、霧船の巨大さも甲板から地上までの高さも理解している。
勢いを緩めないマーシェを見て、ハミューゼンが仕方なさそうに火薬式拳銃を構え、発砲した。
発砲の直後に頭部を守るために掲げていた右腕の蒸気機甲に金属がぶつかる音がして、マーシェは息を呑む。吹き出す蒸気でほとんど視認できないにもかかわらず、ハミューゼンは正確に頭部を狙ってきたのだ。
マーシェはひときわ大きく踏み込むと、ウァンリオンを抱えたまま霧船の甲板から飛び降りる。
まっすぐに落ちれば墜落死は免れない。それを理解した上で飛び降りたマーシェは微かな勝算に賭けて真下を見る。
真っ白な蒸気が噴き上げられている。稼働した霧船の側面で蒸気を噴き上げる個所があるとすれば、そこには確実に排気口があるはずだった。
マーシェは船体に右手を触れ、吹き上がる蒸気の中に飛び込む。火傷を免れない高温の蒸気も、甲板からの落下速度のおかげで温度を感じる前に風で吹き流されていく。
それでも皮膚が痛みを感じ始めた時、マーシェは右手の指先から霧船の船体側面の気配が消えたことに気付き、右腕の蒸気機甲に海水を供給した。
直後、右手が何かを掴む。船体に直角に開けられたそれは排気管の断面だ。
排気管の縁を掴むと同時に蒸気機甲を稼働させ、マーシェは落下の衝撃を全て右腕の蒸気機甲に預ける。強烈な負荷にきしみを上げた蒸気機甲からネジがはじけ飛び、黒金の象嵌が施された外装がひしゃげ、内部の歯車が露出する。断絶した給水管から海水が吹き上がり、マーシェの顔に架かった。
マーシェは右腕の惨状を無視して左手に抱えたウァンリオンを手放す。
「……おや?」
「バンジージャンプって言うらしいわよ」
疑問の声を上げたウァンリオンが重力に引かれて落下していく。マーシェはウァンリオンを縛り上げている綱の端を左手で握りしめ、摩擦で落下速度を加減していく。
少しずつ下ろすなどという悠長な事が出来ればいいが、排気管の縁を掴んでぶら下がっているマーシェは火傷を負いながらの作業だ。とてもではないが時間を掛けられない。
無防備に落ちても怪我をしない高さまで降ろした後、マーシェはロープを離し船体を蹴りつけて跳ぶ。真下にいるだろうウァンリオンを踏みつぶさないための配慮だ。
排気口の縁からの高さは二階建ての民家の屋根に相当する。生身であれば危険だが、蒸気機甲に加えて足元が砂漠であるため、受け身を取れば大きな怪我はしない高さである。
――ただし、蒸気で視界が塞がれていなければの話。
マーシェは霧船の側面を蹴り飛ばして宙に躍り出るが、視界は蒸気で白く埋め尽くされている。
霧船が吐き出す蒸気の影響圏から逃れきれないと悟ったマーシェは両足の蒸気機甲に海水を送り込むと同時に、急激な動きで筋肉を痛めないように制動する安全装置を全て作動させる。
歯車が一斉に噛み合い、両足の蒸気機甲がロックされた。
直後、両足が砂漠の砂の上を滑る。地面についたと理解した瞬間、マーシェは左腕を思い切り前に振って勢いをつけ、砂の上を前転する。
右腕の全体で砂を叩いて速度を相殺しようと試みるが二階建ての高さからの飛び降りで得た落下速度は殺しきれない。
だが、右腕以上の速度で砂に叩きつけた両脚が残った速度を全て殺しきった。
砂の上に大の字に寝転んだマーシェはため息を吐いて蒸気に覆われた空気を見上げる。
「熱い……」
愚痴るように呟いた時、イモムシのように這ってくる影に気付いて顔を上げる。
「無事のようだね、マーシェ君」
「あなたもね」
マーシェの横まで這ってきたウァンリオンは口に入った砂を吐き出すと、膝立ちになった。
「腹部貫通銃創、右手は蒸気機甲に覆われて無事なようだが、肩から首にかけて火傷も見られる。そんな満身創痍の君には頼みにくいのだが」
「結び目をこっちに」
ウァンリオンが両手首を向けてくる。かなりきつく縛られて血の気が引いた青い手だが、後遺症を心配するほどではないだろう。
マーシェがロープを解くと、ウァンリオンは両手首を回して血を巡らせながら霧船を振り返った。
「さて、マーシェ君、君をカミュ君の友人と見込んで頼みがあるのだが」
「この状況で? 私は敵なんだけど」
「はっはっは、君は敵を見誤っている」
ついさっきまで戦争を起こそうとする集団に捕まっていたとは思えない快活な笑い声を響かせつつ、ウァンリオンはマーシェの手を取って引き起こす。
「蒸気機関による工作機械をいくら破壊しようとも時間稼ぎにすぎない事は理解しているのだろう? ならば、君たちの敵は蒸気機関ではなく、教育を受けられない環境だ」
「そんな物どうしようもな――」
「君ひとりでは無理だとしても、支援する者がいれば別だとも」
「そんな事してあなたに何の利益があるのよ」
「愛しの蒸気機関が壊されずに済むではないか!」
白衣をばさりと靡かせたウァンリオンが高笑いを響かせようとした時、何か巨大な物が動く気配に二人は振り返る。
蒸気で霞む視界の先で、砂漠の覇者、霧船が動き出していた。
「さて、時間が無くなってしまった。ハミューゼンが新大陸に向かってしまえば我々が打つ手はなくなるわけだが……。マーシェ君には色々と聞きたいことがある」
「私もあまり多くの事は知らないわよ」
「なに、君だけに訊くつもりはないとも。ひとまず、警察のお歴々に君を紹介しなくては。姪という事にでもしようか?」
「ぞっとするわ」
本心から拒絶すると、ウァンリオンは顎を撫でて目を細める。
「では、マーシェ君は私にラリスデンの旧市街で雇われて撤廃の会にもぐりこんでいた密偵という事にしよう」
「ばれるでしょ、それ」
「そうでもない。本来なら、この場にはグランズ君がいるはずだったのだからね」
「誰よ、それ」
「すぐに紹介しよう」
ウァンリオンは話を打ち切って、白衣のポケットに両手を突っ込んで霧船を見送る。
霧船が離れていった事で空気が透明感を取り戻し、霧船に轢かれないように退避していたらしい警官隊が走ってくるのが見えた。
砂漠の風に白衣を靡かせているウァンリオンに、マーシェは声を掛ける。
「落ち込まないのね?」
「落ち込んでいるさ。だが、倍にして取り戻せるかもしれん」
「何の話?」
「先手を打つと言ったのだよ。まずはカミュ君たちだな。急ごうか」
そう言って、ウァンリオンは小さくなる霧船に見切りをつけるように背を向け、ネーライクに向けて歩き出した。




