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蒸気世界の夢追い人  作者: 氷純
第三章 行き着くところまで

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第九話  諦念まみれの時間稼ぎ

「マーシェさん、いい加減に抜けた方がいいですよ」


 声を掛けられて、マーシェは横目で声の主を見る。

 王都ラリスデン旧市街の入り組んだ路地を歩いてくるのはマーシェの二歳下の青年だ。旧市街育ちと一目で分かるくたびれた服を着こなし、栄養失調で年齢の割に背が低い。

 以前より痩せたな、とマーシェは青年を過去と見比べる。

 路地に長年放置されて腐りかけている木箱に躊躇なく座って、青年は壁に背中を預ける。木箱の縁に座って足と背中でバランスを取れば案外崩れないものだ。そんな座り方を身に付けている時点で旧市街育ちと一目で見破られる特殊技能である。

 青年は夜の大気に白い息を吐き出しながら、言葉を紡ぐ。


「あんなの抜けて、こっちに戻ってくださいよ」


 代名詞ばかりの話し方にマーシェは苦笑する。あんなの、は現在マーシェが入っている蒸気機関撤廃の会であり、こっちとは青年に任せている旧市街の孤児グループの事だろう。


「なに笑ってんすか。笑い事じゃなくて、このままいったら塀の向こうですよ?」

「分かってる。だから、お前にみんなを任せてるの」

「任されたってなにもできてないですよ……。工場へのあいさつ回りも、一張羅を着ていったところで門前払いです。マーシェさんが出て行っちまってから、ガキどもに紹介できる仕事場は減るばっかで」

「私がいても同じよ」


 自嘲気味にマーシェは笑う。青年にグループを任せる前から仕事場が減っていく予兆はあった。


「どこの工場も機械化の波に呑まれてる。国が奨励金を出してるからなおさらね。生産性の向上、大いに結構。私らみたいなのは金も稼げずに野垂れ死んで、治安も向上。お国にとってはいいことづくめ」

「……難しい事は分かんないっすけど、このままじゃ皆飢え死にです。マーシェさんが戻ってくれれば持ち直すはずなんですよ」

「だから無理なんだって」


 自分一人がいたところで出来る事が何もない。それでも少しだけでも長く持たせるために、蒸気機関で動く工作機械の打ちこわし運動を行う蒸気機関撤廃の会に入ったのだ。

 経営者の目を覚まさせるなどと気炎を吐いている会員もいるが、マーシェはもっと冷めた目で見ている。撤廃の会が警察権力に潰されるのを経営者側はただ待てばいいのだから、この活動は時間稼ぎでしかないのだと、マーシェは理解していた。

 しかし、時間稼ぎしかできないのだ。


「……ドラネコさんと一対一(サシ)で話してくださいよ。なんかいい知恵出してくれますって」


 青年が駄目元で頼み込む。

 マーシェは首を横に振った。


「無駄よ。何度も誘って断られてる。カミュはこうなるって事を五年以上前から分かってたの。どうあがいても無駄だって事も理解して、あいつはこの掃き溜めから出る努力をずっとしてたんだもの」

「自分ら、置いてかれたって事っすか?」

「違うわ。……ついて行く事を諦めてただけ。五年前から、蒸気機関の勉強なりをしていれば、いまこうなってないんだから」


 もしも五年前に、カミュの言う事を聞いて手に職を付けるような勉強をしていたなら、結果は違っていたかもしれない。そう、マーシェは思う。

 青年がため息を吐き出す。


「勉強って、自分らの頭で身に付くわけないじゃないっすか」


 それが諦めだ、と切って捨てるのは簡単だが、マーシェは否定できなかった。

 旧市街育ちの子供が学を身に付ける方法など存在しない。五年前にマーシェはそう断じたからこそ、カミュの忠告を聞かなかった。


「……若様にも同じような事を言われてたっけ」


 結局、先見の明がある周囲の忠告を聞かずに努力を放棄してきたツケが回ってきたのだ。

 路地の入口からステッキを突く音が響いてくるのを聞いて、マーシェは立ち上がる。


「迎えが来たから、私は行く。後を頼んだよ」

「ちょっと待ってください。マーシェさん、あんなところに行ったってどうにもならないでしょう!」

「時間稼ぎにはなるわ。私が稼いだ時間で少しでも学を身に付けなさい。もう本当に時間がない。四則演算だけでも全員に教えて」

「自分もろくにできないっすよ」

「なら、バリス通りの娼館双子のとこにでも頭を下げてきて」


 マーシェが指示した直後、青年は信じられないモノを見たような顔をする。


「マーシェさん、婆様が死んでから娼館は避けてたじゃないっすか」

「それだけ切羽詰まってるの。私たちみたいな勉強方法も知らない、ろくに文字も書けないろくでなしが意地張って生きていける時代はもう終わったわ。あの双子なら、婆様の娘の(よしみ)で話を聞いてくれるはず」


 後は頼んだ、ともう一度言い置いて、マーシェは路地の入口へ向かう。

 路地を後にして通りに出ると、壁に背中を預けたシルクハットの男が胡散臭い笑顔で出迎えた。


「友人との歓談中に申シ訳ないのでスが緊急事態でシてね。一緒に来てもらいまス」


 シルクハットの下で笑みを浮かべる男、ハミューゼンはマーシェの返事も聞かずに歩き出す。

 ついてくるより他にないと見透かされているのだろう。

 マーシェは路地を振り返らないようにしてハミューゼンの後に続く。ハミューゼンの護衛をしてきたらしい傭兵が何人か、ついてきていた。


「緊急事態って、塩捨て場を襲撃したのがバレたんですか?」

「ソちらは犯行声明を出シてありまスので、スでに公になっているでシょう。緊急事態というのは、警察にもぐりこまセていた内通者からの報告でス」


 そんなところにも手を出していたのかと内心驚きつつ、マーシェはハミューゼンの話を聞く。


「古都ネーライクにてレストアレースなる大会を開催スるために大規模な人事異動があったようなのでスが、どうにも、運び込まれている物資がおかシいとの話がありまシてね。調べてみれば、会場の警備に警察官が配置サれていないソうでス。実に奇妙だと思いまセんか?」

「……ネーライクは砂漠の霧船の走行経路の端だったはずですよね」

「マーシェさんは物知りだ。ソの通り、現存スる淡水動力機構を搭載シた古代の輸送船、砂漠の霧船の方向転換が行われる地点でス」


 その正体はおろか、外観さえ全貌が明らかとなっていない砂漠の霧船をハミューゼンが輸送船と断言している事が気になったが、最新の研究結果にでも載っていたのだろうとすぐに思考から追い出した。

 マーシェはハミューゼンの話の続きを待つ。


「おソらく、砂漠の霧船拿捕作戦が水面下で進行シているのでしょう。ゆゆしき事態でス。実物を手に入れても淡水動力機構が実用化サれるには数十年かかるでシょうが、実用化サれた時、この大陸の情勢は一変シてシまう」


 ハミューゼンは嘆くような演技をしながら言って、灰色の雲に覆われた空を見上げる。


「シかシ、これは好機でもありまス」

「好機、ですか?」

「えぇ、好機でス。ひとまずネーライクへ向かいまシょう。日程を考えると拿捕作戦は終わっている可能性が高いでスから、道中計画を立てなくてはなりまセん」


 忙シくなりまスね、と独特の訛りが残る口調で言ったハミューゼンが笑みを浮かべ、小さく呟く。


「――実に好都合」


 耳の良いマーシェにはハミューゼンの呟きが聞こえていたが、聞き返すことはしなかった。

 シルクハットを被りステッキを突いた背の高いハミューゼンは旧市街の通りで浮いている。

 しかし、余所者を嫌うはずの旧市街の者達が迂闊に手を出せないほど、ハミューゼンの護衛を務める傭兵たちの存在も周囲から浮いていた。

 好意的な視線は一つもないが、それでも無事に旧市街を抜けたマーシェ達はラリスデン旧市街と新市街を隔てるシーガ川に到着した。

 王国の海岸にある古都ネーライクから海水運搬船が遡上してくるこのシーガ川は王都ラリスデンの大動脈である。


「淡水動力機構が一般化サれたならば、この運河も寂シくなりまスねぇ」


 言葉とは裏腹に明るい口調で言って、ハミューゼンは波止場に泊まっている船に乗り込んだ。

 警察関係者はいないのか、とマーシェは周囲を見回すが、それらしい人影は見つからない。


「心配セずとも、警官の皆サんは各方面の塩捨て場の守備に駆り出サれて留守でスよ。とはいえ、いつ戻って来るかもわかりまセんから急ぎまシょう」


 マーシェの視線の配り方で察したハミューゼンが教える。

 海水運搬船に乗り込むと奥の貨物室へ案内された。

 淡水動力機構が一般に普及すれば必要とされなくなる職業だけあって危機意識があるのか、船員はネーライクで行われたという拿捕作戦についての話もある程度聞いているらしい。


「情報統制がされてるようで詳しい事は分からないんですがね。ただ、この時期ならシーガ川を上るこの船と並走するはずの霧船がちっとも姿を見せねぇ。本当に拿捕されちまったんじゃないかって心配してんです」

「拿捕作戦の具体的な流れは分かりまセんか?」

「郊外に出られないよう街道封鎖までされてるんでどうにも。ただ、漁師が砂漠に馬鹿でかいジャンプ台が作られてたって話をしてましたね」

「直接乗り込んで停船サセたのでシょうか。酷い力技ではありまスが、もし本当にそうだとすれば……」


 ハミューゼンは火薬式拳銃を分解整備しながら、目を細める。


「――ネーライクに隔離病院はありまスか?」

「隔離病院ですかい? あるんじゃないですかね。市内図を持ってきますよ」


 船員が貨物室を出てネーライクの市内図を取りに行く。

 ハミューゼンの護衛を務める傭兵の一人が怪訝な顔をした。


「隔離病院なんかで何する気です? 病院を襲えって命令なら、会員共は二の足踏むでしょうし、あっしらの仕事ですか?」

「いえ、病院ソのものは重要ではありまセん。シかシながら、国家というものは功労者を労わなくては存在価値サえ疑われてシまうものでス」

「するってぇと、霧船拿捕作戦の功労者が隔離病院にいるって事ですか? 通常の病院ではなく」

「ソの通り」


 ハミューゼンは当然とばかりに肯定し、続く質問が来る前に続ける。


「シかシ、功労者やその居所も重要ではありまセん。必要な情報は、功労者を労うべく霧船拿捕作戦の責任者がどこに向かうのか、でス。ソの責任者を道中で拉致シてシまえば霧船の内部へ入る事もサほど難シくありまセん」

「まぁ、その人物がどれくらい重要かって話にはなるでしょうが、霧船に入ってどうするんです? 爆破解体したって研究員が破片から分析するんじゃないですかい?」

「破片など残シまセん。もったいないでシょう」


 ハミューゼンは冷ややかな笑みを浮かべて、首から下げている鍵を取り出す。

 マーシェの記憶が確かなら、そのカギはタッグスライ砂漠第三遺跡でカミュたちと遭遇した現場に落ちていた陶器の鍵を壊して中から取り出したものだ。

 万が一にも錆びないようにと陶器の中に保管されていたらしいその鍵はいったいどこの鍵穴に対応しているのか、ハミューゼンは誰にも語っていない。

 しかし、続くハミューゼンの言葉でおおよその予想はついた。


「砂漠の霧船に乗って逃げてしまえばいいのでス。この国にとっては研究資料、破壊サれてはいないでシょうからね」



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