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蒸気世界の夢追い人  作者: 氷純
第三章 行き着くところまで

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第八話  隔離病院

 古都ネーライク近郊にある隔離病院でカミュはのんびりとお茶を飲んでいた。

 茶葉からして違うと分かる香り高いお茶を味わいながら、病室の外を見る。

 窓のないこの病室で外を見ると言えば、南側の壁の一部に設けられた面談用のガラス窓だ。


「同志に対してこのような仕打ちは心苦しいのだが、許してほしい」


 面談用窓ガラスの向こうで頭を下げるのは、砂漠の霧船拿捕作戦の立案者であるウァンリオンだ。

 ウァンリオンはいつもの白衣姿ではなく、黒衣に身を包み、顔にはペストマスクを被っている。感染症対策としては完全武装と言っていい代物だ。

 カミュと同じくお茶を飲んでいたリネアが明るい笑みで手を振る。


「仕方ないよ。霧船の中で感染症が蔓延した可能性がある以上、隔離処置は当然でしょ。ボク達はここでのんびりしているから、霧船の調査が進んだら教えてね」

「無論だとも! 霧船の日誌を解読したところ、感染症は発熱、発疹が発生し、五日ほどで高熱を出すようだ。感染症の特定までは出来ていないが、日誌から読み取れる限り潜伏期間は三日程度と見積もられている」

「じゃあ、三日でこの美味しいお茶ともお別れかぁ」


 リネアがティーカップの中身を覗き込み、憂い顔でため息を零す。

 カミュはウァンリオンを振り返った。


「お茶菓子もお願い。マカロンがいいな。ネーライクのマカロンって有名なんでしょ?」

「取り寄せよう。他のメンバーに何か伝言はあるだろうか?」

「特にないや。リネアからは?」

「ボクも特にないかな。いまのところみんな無事なんでしょ?」


 安否確認にウァンリオンは無言で頷きを返す。リネアは「それなら病院を出た時でもいいでしょ」と伝言を保留にした。

 ウァンリオンはペストマスクのくちばしを指で掻く。


「ふむ、君たちから伝言がなかった時に伝えてほしいと言われた伝言があるのだ。グランズ君より、おじさんの心配をしてくれよ、お嬢ちゃんたち、だそうだ」

「ふーん」

「へぇ」

「なかなかに憐れを誘う反応ではあるな。グランズ君の泣き真似が面白そうだから伝えておこう。では、何か入用なものがあれば係の者に気軽に申し出てくれたまえ」


 ウァンリオンはそう言って部屋を出ていった。

 カミュはリネアを見る。


「発病すると思う?」

「まず発病しないんじゃないかなぁ」


 砂漠の霧船の搭乗員が全滅してからどれほどの時間が経っているか分からないが、原因菌が生き残り続けているとは考えにくい。


「まぁ、のんびりして過ごそうよ。ウァンリオンさんたちが資料を持ってきてくれるらしいし、それを読みながら絶海の歯車島アーコロジー説の論文を書いて新聞に寄稿すれば、晴れてボク達は自由の身だよ」

「そう言えば、ここに紙とか書く物がないね」


 カミュが病室だけあって簡素な部屋を見回しながら言えば、リネアが窓ガラスの向こうの係員に紙と鉛筆を要求する。

 ウァンリオンから言い含められていたらしく、係員はすぐさま紙とペンを持ってきて差し入れてくれた。

 リネアがさっそく紙を広げ、持ち込んだ荷物の中から絶海の歯車島の設計図の模写を取り出す。

 カミュはリネアの手元を眺めながら、ふと思い出して口を開いた。


「刑務所に放り込まれるのをお勤めって言うのは、何もできない環境で三食きちんと食べる規則的な生活を強いられて勉強以外にすることがないからなんだってさ」

「……カミュ、なんで今それを言い出したの?」


 リネアに睨みつけられて、カミュは肩をすくめた。窓ガラスの向こうで係員が笑いをこらえている。


「まったくもう。でも、論文つくりに集中できるのは事実かな。カミュ、地図をとって」

「これ?」

「そうそう。それに砂漠の霧船の走行経路を書きつけておいて。後で絶海の歯車島との関係を論じる時に使うはずだから」

「分かった」


 すでに停船した砂漠の霧船だが、その走行経路は長年の観測結果からほぼすべてが割り出されている。

 資料に関しては係員に声を掛ければ持ってきてもらえるため、リネアの言う通り論文作成の環境としては至れり尽くせりだ。

 差し入れのマカロンを食べながら、カミュとリネアは論文作成を続けていく。


「ねぇ、係の人、淡水動力機構は結局見つかったの?」


 地図に霧船の走行経路を書いていたカミュは手を止めて窓ガラスの向こうの係員に声を掛ける。

 カミュたちは霧船内部に進入して蒸気機関を止めることに成功しているが、燃料である液体については調べていない。

 感染した疑いもある事から、霧船の外にいたウァンリオン達に事情を知らせてすぐにこの隔離病院へと運び込まれたからだ。

 自分たちが停止させた物が本当に淡水動力機構だったのか、それとも海水を何らかの方法で生み出したりするようなものなのかは知らされていなかった。

 係員はカミュの方を見て頷く。厳めしくも怪しいペストマスクを着けたままの動作はどこか滑稽だった。


「君たちが止めた機関は淡水動力機構で間違いない。蒸気科学史に残る大発見だよ」


 カミュたちが隔離病院へ運ばれた後、すぐに感染症対策を施した研究員による除菌作業が行われ、霧船の機関部を調査したという。

 非常に大型の機関であることから全体像の把握に時間がかかっているものの淡水動力であることは貯水槽内部の液体を分析したことで判明している。


「まぁ、海水ではないというだけで、何らかの薬品がまぜられている可能性はあるのだが、海水以外の液体で蒸気石が反応していたという事実だけでも十分な発見だ。もしもこれを一般化できたなら、我々人類は大陸内陸部へと進出する事が出来るだろう」


 だんだんと熱がこもっていく係員の語りを聞き流しながら、カミュは地図を見る。

 海水に反応する蒸気石が文明の要である以上、文化的な生活を送るためには蒸気石と海水が必須である。

 しかしながら、海水の運搬費用もばかにならないため、人類は大陸内陸部への進出に積極的ではなかった。

 今回の淡水動力機構が実用化された場合、海水運搬は必要がなくなる。塩削ぎを含めて幾つかの仕事は影も形もなくなるだろう。

 それを懸念する集団が、砂漠の霧船を拿捕したとの新聞報道を見て何を考え、どう動くか。


「新聞報道はどうなってるの?」


 熱を込めて蒸気文明の展望を語り続けていた係員の話の腰を叩き折り、カミュは質問する。

 ペストマスクの向こうの表情がどうなっているのかは分からないが、質問に答える係員の声はどこか寂しそうだった。カミュが話を聞き流していた事に気付いたらしい。


「所長が即座に動いて報道を規制しているよ。蒸気機関撤廃の会の連中がテロに走るのが目に見えているからね」


 停船した砂漠の霧船の周囲にはレストアレースでも会場警備にあたった傭兵団が警戒網を張っており、報道の自粛もあってまだ公にはなっていない。


「でも、会場警備って言っても海華は団長のリリーマがここに入院中だし、砂魚は休憩中でしょ。戦力的に大丈夫なの?」

「警察からの応援も来ているから、問題はない。知らないだろうが、事前に大規模な人事異動を行って信用ができる者をネーライクに集中させていたからね。それに、蒸気機関撤廃の会の主要層は基本的に殺人を行わない」

「え、人を殺さないの?」


 論文の執筆をしていたリネアが手を止め、不思議そうに聞き返す。

 係員は頷いた。


「暴走しがちで統制がとれていないため誤解されることが多いし、新聞も話題性重視で誇張する事もあるが、殺しを目的として騒動を起こすことはまずない。蒸気科学の研究者の暗殺などもささやかれているし、実際に撤廃の会による犯行と思われる物もあるが、主要層ではないね」

「なんで一部の暴走だってわかるんですか?」

「殺人を行えば大義名分を失うからだ。労働者の保護を掲げ、蒸気機関の打ちこわし運動を主として活動する主要層にとって大義名分を失うのは避けたいものだろう」


 係員の推測を聞き、カミュはため息を吐く。


「認識が甘いね。みんながみんな理性的に行動するなんて思ってると、バカに足をすくわれるよ」


 研究者だからか、理性的かつ論理的に考え過ぎている。

 実際に何度か襲撃を受けているカミュ達からしてみれば、撤廃の会の構成員がどう世間から見られているかを深く考えているようには見えなかった。

 そして何より、撤廃の会が掲げる労働者の雇用を守るという大義名分そのものが、指導者であるハミューゼンにとってただの道具にすぎない事をカミュは知っている。

 ハミューゼンにとって大義名分を守る事が今後の活動に差し支えるのならば、平気で殺人も行うだろう。

 殺人を行った結果、撤廃の会の構成員が離反するとしても。


「淡水動力機構は労働者が命がけで壊そうと考えるくらいには社会を一変させる物でしょ。きちんと守っておかないと餌食になるよ」

「……ふむ、そういうものか。所長に伝えておこう」

「あ、ついでにマカロンのお代わりもお願いね」


 真面目な話から一転してお茶請けを要求され、緊張の糸を断ち切られた係員が操り人形のようにこけた。

 マカロンを買いに出ていく係員を見送って、カミュはお茶を啜る。


「――カミュは、撤廃の会の襲撃があると思う?」

「どんなに堅く守っても、付け入る隙は必ずあるんだよ」

「ドラネコが言うとシャレにならないよね」

「警備状況が分からないけど、統率がとれてない警察と傭兵の警備網ならすり抜けるのはそんなに難しくないと思うよ」


 カミュは何でもない事のように言ってのける。

 特に、年齢や性別がバラバラの団員で構成されている傭兵団が警備に関わっているのなら、より難易度が下がるだろう。元々、警察は傭兵にいい感情を持っていないため、連携がとりにくい。

 しかも、霧船拿捕作戦は最初から最後まで傭兵だけで行ったため、警察としては後始末を押し付けられているようで面白くないだろう。


「まぁ、ウァンリオンが全体の管理をしているだろうし、問題ないとは思うけどね」

 カミュはそう締めくくり、地図にペンを走らせた。


 ウァンリオンが撤廃の会に襲撃されたのは二日後のことだった。



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