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蒸気世界の夢追い人  作者: 氷純
第一章 逃避行
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第三話  アン肝と胡散臭い男

 音もなく静かに降り始めた雨が周囲の岩を濡らしていく中、テントで一晩を過ごしたカミュたちは雨が止む昼ごろを待ってテントを片付け、ロッグカートへ再出発した。

 日暮れに到着したロッグカートは港町だけあって潮風が吹き抜ける磯の香りあふれる町だった。

 ひとまず宿を取ろうと、カミュたちは安宿を探して通りをラグーンで走行する。

 しかし、なかなか見つからなかったため独力で探すのを早々に諦めたカミュは、ラグーンを停めて通行人に声を掛けた。


「すみません、この辺りに宿ってないですか?」

「え、あ、えっと、女の子二人で泊まれるような宿となると、そうだな。次の辻を右に曲がれば赤い海鳥亭って宿屋兼料理屋があるよ」


 にっこりとほほ笑んでカミュが通行人に訊ねれば、どぎまぎした調子で答えが返ってくる。慣れた調子で礼を言って通行人と別れるカミュを、リネアが呆れたような半眼で見つめていた。


「ボクが女の子って言ったら怒った癖に」

「使えるモノは使う。それが自分の容姿でも、効果的に使うのが世の中を渡っていくコツなんだ」

「ずるい」


 打算的な振る舞いに不満を漏らすリネアには答えず、カミュは教えてもらった赤い海鳥亭へ向かうべく辻を曲がる。

 曲がった先の通りはどうやら港へ続く大通りらしく、蒸気自動車が数台、馬車も何台か通行していた。馬車を操る御者が自らを抜いて行った蒸気自動車の排出する蒸気に顔を顰め、これ見よがしに咳をした。

 リネアが御者から顔をそむけ、カミュはラグーンの速度を調整して自らの身体で御者の視界からリネアを隠す。

 馬車が過ぎ去るのを待って、カミュたちは再び走り出した。カミュは御者を乗せた馬車をラグーンのミラーで確認する。


「いまの御者、蒸気機関撤廃の会の人間かな?」

「いまでも馬車を使うのは珍しくないけど、あの態度は露骨だし、会員だと思っていいと思う」

「首都以外にもごろごろいるんだね、連中。害虫みたい」

「大きい分、質が悪いとボクは思うね」


 リネアの辛辣な評価に笑いながら大通りをラグーンで走っていると、赤い海鳥亭が見えてくる。

 白い壁面の家ばかりの港町の中で、赤レンガで作られたその建物は人目を引く。綺麗に掃き清められた戸口には白い花を咲かせた植木鉢が二つ並んでいた。垂れ下がった真鍮製の看板には羽を休める海鳥が刻印されていて、この建物が宿屋であることを主張している。

 ずいぶんとお洒落な佇まいだと思いつつ、併設されているガレージにラグーンを停める。隣には最新式の蒸気(ステ)自動(ィー)二輪車(クス)が停まっていた。どうやら、先客がいるらしい。

 チェーンの鍵を掛けてラグーンの防犯を徹底するカミュの隣で、リネアが先客のスティークスを興味深そうに眺めていた。

 青いボディーが特徴的な大型車だ。旅人が乗っているらしく泥跳ねが少し目立つ。

 リネアが首を傾げた。


「雨の中を走ってきたみたいだね」

「昨日の夜から降ったあの雨の中? 寒かったろうなぁ」


 ボイラーも冷却されてしまうため出力が上がりにくく、スティークス乗りは雨の中での走行をあまりやりたがらない。

 それでも雨の中を走ってきたという事はよほど急ぎの用事でもあったのか、さもなければテントが壊れたなどで野営できなかったのだろう。

 カミュとリネアはガレージを出て赤い海鳥亭の戸口を潜る。


「すみません。一泊したいんですけど」


 カウンターに人がいなかったため奥に声を掛けると、厨房らしき場所からエプロン姿の大男がぬっとあらわれた。

 大男が右手に持っている魚らしきモノの外観に、カミュはぎょっとして後ずさる。隣でリネアが「あちゃー」と言いながら額を押さえていた。

 カミュとリネアの反応に眉を顰めた大男は、カミュの視線の先に自らが持っている魚を見つけて納得したように頷き、苦笑する。


「お嬢ちゃん、アンコウは初めて見たか。それは申し訳ないことしたなぁ。そっちの琥珀色の髪のお嬢ちゃんは見た事も食べたこともあるな?」

「まぁね」

「食べられるの、それ!?」


 カミュはぞわっと鳥肌が立つのを自覚しながら、大男が持つ深海魚アンコウを指差す。

 大男は真顔で頷き、鉄鉤で吊るしてあるアンコウを掲げる。


「食えるも食える。滅茶苦茶に美味いぞ。ロッグカートで一番うまい魚はこいつだ」

「……まさか、リネアのおすすめって」

「食べた後に見れば複雑な気持ちになりつつも食べることに抵抗なんてなくなるんだけどね。ボクもお父さんに食べさせてもらってから実物を見たし」


 リネアがカミュの咎めるような視線から逃れるように顔をそむける。

 二人のやり取りを見て、大男が景気よく大声で笑った。


「お嬢ちゃんの親父さんはよく分かってるな。海辺の育ちか。そっちの黒髪のお嬢ちゃんも、とにかく食べてみな。今日の夜に出してやっから」

「いや、いらない」


 全力で拒否する姿勢のカミュに、リネアがなおも勧める。


「本当に美味いんだよ。特に肝がバターみたいななめらかな舌触りでとろける美味しさなの。コクのある旨味が広がってね。絶対に食べた方がいいよ」

「肝を勧めるとは分かってるねぇ」

「でしょでしょ。おじさんも肝がおいしいって思うよね」

「あたぼうよ。よし、お嬢ちゃん二人は可愛いし、アンコウの代金はおまけしてやるよ」

「――あ、それはありがとう」


 代金をまけると聞いて、カミュはとたんに笑顔となって礼を言う。

 ここが推し時だと思ったのか、大男がアンコウを突き出した。


「黒髪のお嬢ちゃん、こいつは美容にもいいんだぜ」

「絶対に嘘だ! 美容に良い奴がそんなぐったりでっぷりした不細工なはずない。捕食者の美容に気を使うくらいなら先に自分の容姿を磨けよ。女だって男の前では着飾るんだから!」

「お嬢ちゃん、顔に似合わず身も蓋もない言うなぁ」


 やいのやいのと騒いでいると、二階へ続く階段から一階へ降りてくる足音が聞こえてきた。

 視線を向けると、赤い髪を撫でつけてオールバックにした男が欠伸しながら降りてくる。良く見れば、赤い髪は適当に撫でつけただけらしく所々で無造作に跳ねている。日もくれる頃だというのに今の今まで寝ていたようなありさまだ。

 カミュはさりげなく観察し、男の寝惚けた振る舞いをただの演技だと見抜く。何故演技しているのかは分からなかったが、自然と警戒を強めた。

 男は大男に声を掛ける。


「親父さん、あの部屋なんだけど、もう一泊いいかな。今日は愛車の掃除だけで終わっちゃいそうなんで」

「うちは何泊してくれても構わんよ」


 赤い髪の男は連泊を大男に許可されると、戸口に足を向けかけてから、初めてカミュたちに気付いたように足を止めた。


「お、なになに。こんな可愛い娘ちゃんが二人も泊まんの? おじさん嬉しくなっちゃうなぁ」

「客同士の恋愛にまでは口を出さんけど、警察の厄介にはならんようにしてくれよ」

「冗談きついなぁ。おじさん、見ての通りの紳士だよ?」

「面白い冗談だな」


 赤髪の男に大男がアンコウ片手に気安く冗談を飛ばす。シュールな光景だった。

 未だに食べられるのかを疑ってアンコウを睨みつけるカミュの横から、リネアが大男に声を掛ける。


「そろそろ部屋に行きたいんですけど、肝心の空室はありますか?」

「あぁ、あるよ。一部屋でいいかい?」

「大丈夫です」


 何かあった時、別室にいると対応が遅れると考えたか、リネアはすぐに頷いて鍵を一つ貰う。カミュもリネアの決定に異論はない。この旅がいつまで続くか分からない以上、節約できるところで節約しておこうという貧乏性な考えである。

 アンコウを警戒しながら二階の客室へ向かって階段を上り始めたカミュは視線を感じて振り返る。大男は厨房に戻ったようで姿がない。一階にいるのは赤髪の男だけだ。

 カミュと視線が合うと、赤髪の男はニカリと白い歯を見せて挨拶代わりに片手をあげた。


「おじさんはグランズってんだ。傭兵をやっててな。女の子の二人旅は物騒だろうし、おじさんの事を雇――」

「弱そうだからいらない」

「よ、弱そうって、おじさんったら結構な腕前よん?」

「あぁ、そうなんだ。じゃあ訂正してあげるよ。女に弱そうだからいらない」

「かっはぁ、辛辣!」


 胸を押さえて苦しむようなふりをする赤髪の男グランズに、カミュは冷たい目を向ける。


「あともう一つ言っておくけど」

「おう、なんだい。一つと言わず夜通し語り明かそうよ。おじさん、若い娘と話すの楽しくなってきたとこだから」

「――その軽薄な演技、気持ち悪い」


 ぴしり、と空気が軋む音がした。

 演技を続けるかどうかの選択でグランズが悩んだ一瞬で、カミュは背中を向けて会話を打ち切り、階段を上り始める。

 二階の客室の前で待っていたリネアが「この部屋だよ」と笑顔で手招いていた。


「さっきのおじさんと何の話してたの?」

「アンコウを食べたことありますかって。答えははぐらかされたけど。ねぇ、本当にあの見た目で食べられるの?」


 リネアの質問に嘘で答え、警戒するような演技で信憑性を持たせながら話の方向性を変えていく。


「本当だってば。一回でいいから食べて見てよ。美味しいから。騙されたと思って、ね?」

「リネア、旧市街ではね、騙されるって事は死ぬことなんだよ。いいとこ、身ぐるみ剥がされて鉱山奴隷を乗せた馬車にポイっと放り込まれるんだ。騙されるようじゃ生きていけない世の中なんだよ?」

「な、なんでボクを憐れむような目でみるのさ! さっきの話を聞く限り、憐れまれる境遇だったのってカミュの方じゃん!」


 納得いかない、と怒り出すリネアを笑いながら、カミュは部屋の扉を開けた。




 夕食、と言うよりは夜食に近い時間帯に一階の食堂に下りてみれば、船乗りと思われる酔客たちが楽しそうに笑いながら酒を煽っていた。目の前の皿には火で炙られた新鮮な魚の切り身が脂を弾けさせている。

 テーブル席に着いたカミュとリネアに船乗りたちの視線が集まる。この店の客が特別なのか、それともカミュたちが護身用に持っている武器の無骨さに気付いたか、絡んでくる者はいない。

 カミュとリネアは最初から船乗りたちの事など眼中になく、渡されたメニューを眺めていた。


「あ、ウナギがあるんだ」

「カキもあるよ。この時期だとやってないだろうけど」

「毒があるんだっけ」


 話ながら品定めをしていると、店の主である大男が厨房からぬっと現れた。目ざとく見つけた酔客の一人がジョッキを掲げて声をかける。


「親父、ビールくれ」

「うっせぇ、むさい男の相手なんざ、後だ後」

客をあしらいながらカミュたちの下にやってきた大男がテーブル中央に皿を置く。


 カミュはまだ品を頼んでいないが、頼んでないからこそ目の前で輪切りにされたモノが何か察しがついて椅子ごと後ずさった。


「そんなにびびるこたないだろうによ」


 カミュの露骨な反応を見た大男が派手に笑うと、酔客たちも興味を引かれたように皿を覗き込み、カミュの反応と合わせて状況を悟ると笑い出した。


「お嬢ちゃん、食ってみなって」

「ロッグカートに来たらアン肝を食わなけりゃ始まんねぇよ」

「見た目で判断するのはよくないぞー!」

「――うるさい! 不審者には近寄らないようにしろって教わらなかったのかよ!」


 酔客たちが飛ばしてくるヤジにカミュは反論しつつ、皿の上の物体を見る。

 減っていた。


「やっぱり美味しい。とろける!」


 リネアが頬を押さえて嬉しそうにアンコウの肝を味わっていた。


「あっちの嬢ちゃんはいささかの躊躇もないな」

「食べたことがあるっぽいな」

「親父さん、こっちにもアン肝くれや」

「こっちにもくれ」

「よし、そうこなくちゃな」


 計画通り、と呟きながら大男が厨房へ帰っていく。どうやら、リネアたちはダシに使われたらしい。サービスの皿で総合的には利益を出せるあたり、宿の主はなかなかの商売人である。

 カミュは厨房へ消えた大男を評価しつつ、リネアを見る。本当に美味しそうな顔をしている以上、食べられることだけは間違いない。

 悩みつつも、カミュは恐る恐るアンコウの肝へ四つ股になったフォークを伸ばす。感触を測るようにフォークの先でツンツンとつついているカミュの真剣な姿を、酔客たちが我が事のように緊張感を持って見守った。

 意を決したカミュがアンコウの肝をフォークで刺し、持ち上げる。目を閉じて、ゆっくり口に近付け、薄い色の唇を開いた瞬間。


「――頂き!」


 横合いから現れたグランズがカミュの食べようとしていたアンコウの肝を横取りした。

 ペロリ、と舌で唇を舐めたグランズは、うんうんと頷いた。


「アン肝じゃねぇの。おじさん、好物なんだよね。そうだ、相席、いい?」


 階段でのやり取りがなかったように振る舞うグランズにカミュは唖然として、二の句が継げないでいた。それ以上に、ようやく決意を固めて食べようとしていたアンコウの肝を横取りされた事が信じられなかった。


「なんだい、そんなに見つめられちゃうとおじさん照れ――」


 空いた椅子に座ろうとしたグランズの後ろ襟を、船乗りがむんずと掴む。

 ねこの子よろしく半端に吊り下げられた体勢のグランズは文句を言おうとして振り返り、パキパキと拳を鳴らす船乗りたちに気付く。


「え、えっと、なにかな。おじさん、男には興味ないっていうか」

「奇遇だな。儂らもだ」

「じゃあ、なんの御用でせう」

「陸に上がった魚を見つけたんで、ちょいと海に沈めてやろうと思ったんだよ」

「あ、あはは、おじさん、船乗りジョークはよくわからないなぁ」

「安心しろ。教えてやるからな。身を持って学べよ」


 ぐいっとグランズを引っ張った船乗りたちが店の外へ出ていく。


「ちょ、ちょっと待って! あの娘たちは知り合いなんだって」

「いえ、知らないです。知らない不審者です。怖いです」


 涙を浮かべて上目遣いとなったカミュの証言で退路を断たれたグランズは目を見開いて愕然としつつ、外へ連れ出されていった。

 グランズを見送ってすぐに演技で流した涙を拭うカミュに、リネアがむっとした顔で口を開く。


「また容姿を悪用してる」

「治安維持活動だよ。市民の義務だね」


 さらりと言い逃れたカミュは、今度こそアンコウの肝を食べる。ちなみに新しいフォークである。

 アンコウの肝はこの夜からカミュの好物の一つに加わった。



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