第六話 病室
カミュが渡されていたロープを二、三回引っ張ってロープを固定したことを知らせると、リネアがロープを伝ってやってきた。
「カミュ、怪我はない? 何度か襲われてたみたいだったけど」
「大丈夫だよ。それより、踊り場は危ないから中に入って」
カミュが手招くと、リネアは扉を踏み越えて入ってきた。
足元に転がる扉を見て、リネアが眉を顰める。
「この扉を斬ったのってカミュだよね?」
足元に転がっている扉は鮮やかな切り口で両断されている。配管が並ぶ広間からの湿気が入り込まないように分厚く作られた金属製の扉は錆などの浸食を受けた様子も一切ない。
カミュは肩をすくめた。
「オレが斬ったよ。踊り場にみんなが乗れるほどの広さがなかったからね。まずかったかな?」
「斬ったのは仕方ないよ。でも、カミュが斬ったとするとこの断面はメッキもされてないって事だよね。浸食は表面のメッキで完全に食い止めるのかな」
遺跡の破壊行為ではあるものの、この扉を穏便な方法で開くのは無理だとリネアも分かっているらしく、カミュをとがめない。
代わりにリネアが注目したのは、扉の状態だった。メッキされていないはずの切り口を観察しているリネアを放置して、カミュは残りのメンバーに合図を送る。
グランズを始めとして、続々とメンバーがロープを伝ってやってきた。
「カミュ君がドラネコ呼ばわりされている理由がおじさんにも分かったよ。耳と尻尾はどこに隠してるんだい?」
「爪と一緒に隠しきるつもりだから、見せてあげない」
メイトカルの後にやって来たリリーマが扉の断面を見て呆れたようにため息を零す。
「相変わらずの猫染みた動きに斬鉄の剣、これに情報分析能力の高さもあるってんだから、ノラにしておくのは勿体ない」
「っつか、人間の動きじゃないだろ」
パゥクルが踊り場から広間の配管を眺めて引きつった笑みを浮かべる。
メンバー全員が無事に到着すると、カミュは改めて斬り伏せた扉の先へ視線を向ける。
長い通路だ。小柄なカミュとリネアならば並んで歩くこともできるが、グランズやメイトカルの場合窮屈に感じられるだろう。天井も低く、居住性は考慮されていない作りに見える。左壁面には四本の鉄製らしき配管が通っており、換気用と思しきダクトが天井に沿って配されている事から考えると、左壁面の配管は暖房用の蒸気管などだろう。ロープは天井のダクトらしき配管に結び付けてある。
奥の方に突き当たりがあり、通路は右へ曲がっている。その先はまだ確かめていなかった。
「奥に行ってみよう」
扉の観察を終えたリネアが立ち上がって安全灯を持つ。
しかし、リネアは通路を照らして慎重に観察するだけで足を踏み出さない。
「……罠とか、無いよね?」
「タッグスライ遺跡みたいなことにはならないと思うけど、用心しておいた方がいいのも確かだね」
リネアの懸念に同意しつつ、カミュは先頭を歩き出す。
後ろからついてきたグランズが苦笑した。
「ケンタウロスとかミノタウロスとか、おじさんもちょっと思い出したくない悪趣味さだったかんね。浪漫は感じたけども」
「手も金もかかってたよね」
話しながら通路を進み、突き当たりを右に曲がる。
現れたのは左手側にある三つの扉、その奥には左へ曲がる突き当たりだ。
通路には何も置かれていない。狭い通路に物を置いて通行の妨げになるのを嫌ったのか、置いてあったものが長い年月の間に朽ちてしまったのかは分からない。残骸のようなものはないが、砂やほこりが厚く堆積していた。
カミュはリネアを見る。
「目的はボイラー室でいいのかな?」
「そうだね。後は船長室があったら日誌とかから停船方法も判明するかもしれないよ。手分けして探す?」
リネアが後ろのメンバーを振り返ると、各チームを指揮しているリリーマとパゥクルが頷きを返した。
「これだけ巨大な船だ。罠の類はなさそうだし、魔物に注意していれば少人数での探索も問題ないだろう。人数が多すぎても、この狭い通路じゃ互いに動きづらいだけだ」
「チームごとに分かれて、昼過ぎにまたここで合流するか」
リリーマとパゥクルが口々に言って、仲間を引き連れて探索を開始する。
カミュはリネア、グランズ、メイトカルの四人での探索だ。
リネアが広間に一番近い扉を指差す。
「まずはここの扉三つを開いてみよう」
「そうだね。鍵はかかってたりする?」
訊ねるカミュに、グランズがドアノブを掴んで軽く回してみる。
「大丈夫っぽいぜい。とりあえず、何が飛び出しても大丈夫なよう身構えとくように」
得物である大剣を振り回せるほどのスペースがないため、扉を開ける係りをグランズが、他三人で中の様子を見ることになる。
カミュはリネアの前を固めて、グランズに頷きかけた。
グランズが扉を押し開く。
想像していたような中からの襲撃はなく、罠の類も見当たらなかった。
「なんだろ。倉庫かな?」
部屋に入ったカミュは中を見回して首をかしげる。
腐り果てて崩れている木箱や石の箱が置かれているだけの部屋だ。
「箱の中身は――なんだ、なめし皮か何かか」
メイトカルが石の箱の中身を剣の先に引っかけて持ち上げ、困惑顔をする。腐ってぼろぼろのそれはどんな動物の革であったのかも分からない有様で、原形も定かではない。
他の箱の中身も金銀財宝が入っているなどという夢のような展開はなく、腐ったり虫に食われたりしたなめし皮や絨毯、瓶に入った何かの葉っぱなど、碌な物ではない。
隣の部屋はどうかとみてみれば、食糧庫だったらしく何かの動物の骨やワインらしきものが入った瓶が置かれていた。
グランズが瓶を持ち上げて中身を揺らしながら目を細める。
「蝋で蓋がしてあるねぇ。飲めるとすれば、すごいヴィンテージもんよ?」
「飲んで五日くらいグランズの様子を見た後、大丈夫そうなら若様で試してみよっか」
「カミュくーん、おじさんを毒見役に抜擢すんのやめようぜ? せめて最初に飲むのはメイトカル君にしよう。丈夫そうだし」
「先輩、さらっと巻き込まないでください」
グランズとメイトカルがワインを押し付け合っている間に、リネアが食糧庫を見回していた。
「船の大きさに対して食料庫が小さすぎるよね。他にもあるのかな?」
「最後の部屋じゃない?」
カミュは隣の部屋とを仕切る壁を指差す。
案の定、最後の部屋も食糧庫だった。塩らしき白い粉や瓶詰のピクルスなどが置かれている。もっとも、ピクルスは見るに堪えない色に染まっている。
リネアが食糧庫を見回しながら腕を組む。
「これでもまだ足りない気がするね。まぁ、船員が何人いたのかも分からないし、蒸気機関にどれだけの仕事をさせていたのかもわからないけど……」
「その辺の調査はおいおいって事でいいんでないかい? おじさんたちのお仕事は霧船を停船させる事っしょ?」
「それもそうだけど、気になるよ、やっぱり」
納得がいかない様子のリネアだったが、本来の目的を後回しにするつもりも無いようで名残惜しそうに食糧庫を振り返りながら通路に出てくる。
先行したリリーマ達の後を追うように、通路の先の突き当たりを曲がって進む。
階段が二つ、上に行くものと下に行くものとがあった。通路そのものも奥へと延びている。
カミュは床に積もっている砂やほこりについた足跡から、先行した二組の行き先を調べた。
「リリーマ達は上で、パゥクル達はまっすぐ行ったみたいだね」
「ボイラー室があるなら、さっきの広間よりも高い位置の可能性が高いもんね。ボク達は下かな?」
リネアが下り階段を指差す。
まず間違いなく外れくじだが、誰が停船させても報酬等が変わるわけではない。ウァンリオンと個別に契約書まで交わしているカミュ達ならばなおさらだ。
リネアが指差す階段を下りていくと、再び通路に出た。
「しっかし、窓が全くないね。おじさんは早くも日の光が恋しくなってきたよ」
「船体が見えないほど蒸気を吐き出してるから、窓を開けても日の光なんか入ってこないと思うけどね」
「カミュ、こっちこっち」
リネアが通路の奥にある扉を指差してカミュを呼ぶ。
カミュには何の変哲もない扉に見えたが、リネアが指差しているのが扉そのものではなくその横の壁に刻まれた彫刻だと気付いて納得する。
「それが前に言ってた魔除けの文字?」
「そう。多分寝室だよ、ここ。入ってみよう」
「ボイラー室じゃないなら入る意味がないと思うんだけど」
「……ほら、停船方法が書いてある日誌とか見つかるかもしれないし」
「中に入る言い訳をするために考えたよね、いま」
「と、とにかく入ろうよ!」
せっつくリネアに苦笑しつつ、カミュは扉のノブに手を掛け、その手ごたえに首をかしげる。
「鍵がかかってる」
「……って事は、中に人がいる?」
「居た、が正しいね。もう息してないだろうし」
それに、外側から施錠された可能性もあると思い、カミュはドアノブ付近を見回す。鍵穴の類は見つからなかった。
「グランズ、出番だよ」
「カミュ君の方が綺麗に斬れるでしょうよ」
広間の金属製扉の事を言っているのだろう。グランズに肩をすくめて、カミュは場所を開けた。
「奥の手はあまり見せない事にしてるんだよ。というわけで、任せた」
「へいへい。じゃ、ちょっとばかし、どいときなよっと」
グランズは大剣を構え、カミュたちは退避する。
狭い通路であるため、グランズは大剣を扱いにくそうに構えて角度を調整すると、腕の蒸気機甲に大剣の柄を接続して振り被った。
「合体は男の浪漫!」
「それ毎回言うの?」
リネアのツッコミが入ると同時に、グランズの大剣が扉をぶち破った。
どんと派手な音が聞こえてくるが、扉はなかなか頑丈だったようで凹んだ状態で部屋の内側へと倒れ込む。粉砕されなかった扉を見て、グランズが頭を掻いた。
「おっかしいな。吹っ飛ぶくらいに力込めたんだけども」
「古代文明ってすごいね」
「おじさんの浪漫は太古の文明が抱える浪漫といい勝負ってわけね」
「そう思うんならそうなんじゃない?」
適当に言葉を返しつつ、カミュはリネアと共に部屋へ入る。
しかし、部屋の入り口ですぐに足を止め、内部の惨状に目を細めた。
「……病室、だよね?」
「……頭に隔離って付きそうだけどね」
リネアに言い返して、カミュは床に散らばっている無数の人骨を眺める。
頭蓋骨の数から把握できる人数は十名ちょっと。おそらくはどれも成人だろうと思えた。しかし、部屋の大きさはとてもこれだけの人数を隔離できる物ではなく、おしこめられたと考えるのが妥当に思える。
船内で問題が発生して立てこもった可能性もあるにはあるが、遺骨が纏っている布の切れ端はどれも患者衣のように見えた。
病室らしくベッドの残骸も置かれているが、部屋の端に寄せてあった。人数が多すぎるため邪魔になったのだろう。
「扉の鍵は?」
カミュはグランズがぶち破った扉を振り返る。すでにメイトカルが右腕の蒸気機甲を作動させて扉を持ち上げていた。
「鍵は内側だけについてるみたいだな。ってことは、ここの連中は自主的にこの狭い部屋の中に入って扉を閉めたって事だ」
「集団感染?」
「可能性は高いな。船内にこれ以上広がらないよう、感染者をこの部屋に隔離したんだろう。原因菌がいまだに生きてるとは思えないが、俺たちもこの船を出たら検査した方がいいかもしれない」
リネアが難しい顔でポーチの中を漁り、防塵マスクを取り出す。
「もう遅いかもしれないけど、こんなものでもないよりましでしょ。一応口元を覆っておいて。人数分あるから、はい」
「ありがとう。若様とグランズも」
「助かる」
「おじさんは傭兵連中にこの事を知らせて来る。今からでも対策しておいた方がいい」
真面目な顔になったグランズが防塵マスクを付けながら歩き出す。
カミュは後を追おうかと考えたが、部屋の中に目を戻す。
「なにか、症状を記録した物とかを探そう。オレ達が感染したとしても、症状が分かれば対処も早いかもしれないし」
「賛成」
リネアがカミュの方針に従って、遺骨を避けながら部屋の奥に置かれているスチール製の机へ向かった。




