第五話 配管渡り
フィバツをあらかた撃ち落とし、跳弾による波状攻撃でも当たらなくなるほど数が減った頃を見計らって、カミュは立ち上がった。
「未だに飛んでるのは……五匹かな。だいぶ減ったね」
「おじさん、魔物に同情する日が来るとは思わなんだよ。大混乱だったからね」
グランズが煮え切らない表情で広間の床を見下ろしてため息を零す。
何はともあれ、邪魔者が減ったのは良い事だ、とカミュは軽い屈伸運動をして体をほぐしてから、排気管の端に向かった。
「それじゃ、扉の所まで行ってくる。生き残りのフィバツは全部斬っておくから、しばらくここで休んでて」
こともなげに言い切ったカミュに、パゥクルが口を開く。
「無理する必要はないから、扉の確保に専念しろよ」
パゥクルの忠告には取り合わず、カミュは排気管の断絶口から蒸気機甲の力を借りて垂直に跳び上がり、排気管の上部を掴む。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。ボクはここで扉の方を照らしてるね」
「頼んだ」
リネアに見送られて、カミュは足を前後に振った勢いで体を排気管の上に持ち上げる。蒸気機甲で強化された握力とカミュの身軽さが相まって、全く危なげのない移動だ。
カミュは改めて周辺の排気管の配置を確認する。
太い物はカミュたちが中を通ってきた排気管と同等、細い物ではカミュの腕くらいの太さしかない。いま足場にしている断絶した排気管がある以上、他の排気管も強度面で不安がある。
なるべく太い物を選んでいくべきだろうと考えて、カミュは排気管とそれを支える留め具の位置や形状を覚え、左へ跳躍した。
跳躍した先にはカミュ程度なら潜り込めそうな太さの排気管がある。
トン、と軽い音を立てて着地したカミュは、足場にした排気管の上を扉まで駆けだした。
正面からカミュを狙って飛んでくる黒い影がある。大きく翼を開いたその影は音も立てず、羽ばたきもしていない。滑空しているのだろう。
「これがフィバツか」
音がしないとはいえ、その巨体が飛んでいる以上はどうしても気配がある。風の流れはもちろん、霧船が発している駆動音がその巨体がある方向から聞き取りずらいのだ。
これなら位置を特定するのは難しくないな、とカミュは愛用の両刃剣を抜き放った。
スライディングの要領でフィバツの下を潜り抜けざま、相対速度を利用した斬撃でフィバツの右翼を斬り落とす。
哀れにも、フィバツは片翼をなくして排気管の上に落下し、自らの血で滑り落ちていった。
カミュは落下するフィバツには目もくれずに再び走り出す。
緩やかに弧を描いて扉から遠ざかろうとする排気管に見切りをつけて、カミュは右に見えた鉄管へ飛ぶ。カミュの腕ほどの太さのその鉄管を左手で掴み、足を大きく振る事で振り子運動の反動をつけると、そばにあった別の排気管に着地した。振り子で反動をつけたこともあり、見切りをつけた排気管よりもやや上に位置しているその排気管の上に立ち、カミュは再び走り出す。
右側下方で巨大な影が飛翔する。
飛んできたその巨大な影を一瞥したカミュは、懐に片手を入れて蒸幕手榴弾を取り出した。
飛び出ているピンを抜いて宙に放り投げ、愛用の剣で斬り飛ばす。剣の柄から仕掛けの稼働に用いた蒸気が噴き出し、蒸幕手榴弾は高速で巨大な影に打ち出された。
慌てて避けようとした巨大な影だったが、方向を転換した矢先に蒸幕手榴弾が炸裂、白い蒸気をまき散らしてフィバツの視界を奪うと同時にやけどを負わせる。
一部のコウモリと同じであれば反響定位の能力もあるのかもしれないが、蒸気によって感覚を乱されたらしく、勢いそのままに排気管へ激突した。
「わぁ、痛そう。ドジだなぁ」
フィバツが排気管に激突する鈍い音を聞き、カミュは走りながら肩をすくめる。遅れて、広間の床に何かが叩きつけられる音が聞こえた。排気管との激突で気絶でもしたのか、そのまま落下したらしい。
仕掛けを作動させたことで逆手になった両刃剣を手の中で回転させて順手に持ち直し、カミュは先を見る。
排気管の上を走っていくと、それぞれの排気管にはリング状の色が付けられた部分があると分かる。古代人が保守点検の際、排気管の識別に用いていたのかもしれない。
駆けていくと、排気管が蛇の鎌首のように持ち上がっている部分があった。排気管そのものが太いため、高さもカミュの身長以上にある。とっかかりがあれば登れない事もなさそうだったが、金属製で表面がつるつるしている事から早々に諦めた。
カミュは右に視線を向ける。
上下二つに分かれている配管がある。黒金のような色合いのそれは、カミュの胴回りほどの太さを有している。
材質が不明なためいまいち不安がぬぐえないものの、壊れたところで真下にある太めの排気管に着地するだけだ。
カミュは覚悟を決めて両足の蒸気機甲を作動させて跳躍する。
蒸気機甲の膝部分に搭載されたバネを利用して柔らかく着地すれば、一切の音がしなかった。
強度に問題はなさそうだ、と靴底の感覚から判断して、カミュは黒金色の配管を蹴りつけて跳び上がる。上下二つに分かれたこの配管を支えるための金具が着地点だ。
黒金色の配管を床から伸びるアーチで支える金具に着地したカミュは、アーチ部分を駆け下りて近くにあった金属管に飛び移る。
その時、背後と左からフィバツが襲い掛かってきた。
カミュは右足の蒸気機甲を作動させて足場の金属管を蹴りつけると、左足を軸に高速反転、後方から飛来したフィバツを反転時の速度を乗せた両刃剣で斬り伏せる。
後方からのフィバツを斬り伏せたことで剣速が落ちたのを好機と見たのか、左から来たフィバツが宙で両翼をはばたかせて加速、一気にカミュとの距離を詰めた。
片足立ちで体勢の悪いカミュに襲い掛かったフィバツだったが、直後には首を落とされて即死していた。
カミュの右手に握られた両刃剣がシューシューと蒸気を噴き上げる。
どんなに体勢が悪かろうとも、仕掛けを稼働させれば高速斬撃を放てるのがカミュの持つ両刃剣の長所だ。正面から生身で突っ込んでくる魔物など大した脅威に感じられない。
カミュはまだ息があるフィバツを金属管の上から蹴り落とし、先を急ぐ。
リネアが掲げている安全灯の光でも流石に視界が利かなくってきているが、元々夜眼には自信があるカミュは速度を緩めなかった。
カミュは扉の位置を再確認する。
直線距離であればもう目と鼻の先に扉があるが、高さが合わない。一度配管を伝って天井方向に上がってからでなければ飛び移るのも難しい。
どうしたものかと見回していると、生き残りのフィバツと目があった。カミュを警戒している様子だが、隙を窺っているようでもある。まだ獲物としてみているようだ。
仲間を散々斬り伏せられていても諦めていない様子に、カミュはひそかに感心した。同族であっても仲間ではなかったのかもしれない。
わざわざ斬り殺しに行くのも面倒だと、カミュは軽く両肘を曲げて両腕の蒸気機甲から蒸気を排出した後、剣を鞘に納める。
「さてと」
小さく息を吐いて体の力を抜いた後、蒸気機甲を作動させる。
蒸気機甲の動きにやたらと逆らわなければ、急激な動きでも筋肉を傷める事がない。身体の柔軟性と程よい力の抜き加減が蒸気機甲を扱う際のコツだ。
「……よし」
と呟いたカミュは足元の金属管を蹴り飛ばして跳躍する。
続いて、右側、手を伸ばせば届く位置にあった巨大な配管の側面を蒸気機甲で強化された脚力で蹴りつけ、三角飛びをしたカミュは上にあった大人の手首ほどの配管に左手の指を掛ける。
体重を支え切れるか不安なその配管へ左手を掛けたまま、カミュは三角飛びで得た上方向への推進力で脚を持ち上げる。
サーカス団で見られる鉄棒のように逆上がりを決めたカミュは、配管の丈夫さを確認してその上に立った。丸い平均台ともいえるその配管の上を抜群のバランス感覚で走り、扉のある壁際に到着する。
まだ高さが足りないが、カミュは扉の側に雨樋のような管があるのが見えていた。
屋内に何故雨樋があるのかと不思議で仕方なかったが、どうやら雨樋ではなく元は鉄梯子であったらしい。梯子の踏み板を支える垂直の棒が一本だけ残ったのだろう。実際、棒を軽く叩いてみたところ中は空洞になっていなかった。
少し力を込めてみると棒は容易く外れたため、足場として使うのは無理だろう。
左右を見回していると、遠くから照らしてくる光に動きがあった。
目を向けると、リネアが安全灯の光でカミュに真下を見るよう促している。
「なんだろ」
下を見てみると、もう光もほとんど届かない暗がりの中で身動きする影がいくつかあった。
リネア達の銃撃で落とされたフィバツ達が這っているらしい。高反発ゴム弾は殺傷力が低く、フィバツ達を撃ち落とすことはできても命を奪うまでには至らなかったのだろう。高所からの落下で死亡したものや骨が折れた個体ばかりらしく、いまのところ飛び立つフィバツはいない。
リネアが知らせてきたのは、万が一足を滑らせて落ちた場合に備えての警告だろう。知ってさえいれば、飛ぶことができない手負いのフィバツが何匹いようとカミュがやられることはない。
一応飛べる個体がいないとも限らないので警戒する事にして、カミュは扉へのルートを模索する。
目星をつけて、カミュは足元の金属管を蹴って跳んだ。
それにしても、とカミュは配管を見回す。
単純な鉄とは思えない色の金属で作られた配管もあるが、どれもほとんど錆びていない。天井から配管を吊るしている巨大な鎖もあるが、鎖の輪の接合部分でさえ摩耗した様子がほとんど見られなかった。
そもそも、ドレン抜きのために速度がほとんど出ていないとはいえ、霧船の中でカミュが細い配管を伝い歩ける程に揺れがないのも異常だ。姿勢制御のための機構が組み込まれているとしても、はるか昔に摩耗しすぎて機能していないはずである。
どんな素材を使っていればこんなに長持ちするのかを考えるよりも、本当に保守点検がなされていないのかを考える方がよほど現実的だと思える。
鎖の輪に足を入れていくらか伝い登った後、近くの配管に飛び移って扉へ駆け出す。
この配管の途中で飛び降りれば、そこに扉があるはずだ。
カミュが下を確認し飛び移ろうとした――その刹那。
カミュと扉の間に割って入るように最後のフィバツが飛び込んできた。白く鋭い牙が覗くその口を大きく開いて、カミュの死角になっていた配管下から襲い掛かってくる。
「えい」
軽い調子の掛け声とともに、カミュは蒸気機甲で覆われた右足をフィバツの口に突き入れた。
飛び込んできた獲物の足を確認する前に閉じられたフィバツの口からガリガリと音がする。
「〝手〟料理じゃなくてごめんね?」
ニコリと笑ったカミュは鞘から音もなく剣を抜き放ち、フィバツの上顎を斬り飛ばす。自由になった右足で絶命したフィバツを蹴り落とし、今度こそ扉の前に降り立った。
扉前の空間は金属製の踊り場だ。広間の床から伸びていただろう階段は崩れ落ちており、踊り場もぐらぐらと不安定になっている。
ここにリネア達を呼んでも足場の広さも足りない上に重量超過で踊り場ごと床に真っ逆さまだろう。
試しに扉に手を掛けてみるが、押しても引いてもビクともしない。施錠されているらしい。
カミュは後ろを振り返ってリネア達との距離を確かめる。元々暗い事もあり、顔の判別も難しい距離だ。
この距離なら奥の手を使っても問題ないだろう、とカミュは愛用の両刃剣を鞘に納め、仕掛けを起動する。
とりあえず、扉を叩き切って道を開けてからリネア達を呼ぼうと考えたのだ。
分厚い金属製の扉を前に気負いなく構えて、カミュは両刃剣の柄を掴んだ。




