第四話 魔物の巣
砂漠の霧船は海を目指して直進しながら速度を落とし、海との距離が縮まるとゆっくりと船首を海岸線と平行に向けていく。
じきに、霧船は海岸と平行線を描いて速度をほぼゼロまで落とした後、また砂漠の中へと船首を向けて発進するはずだ。
「海華、出るよ!」
リリーマが宣言してスティークスのスロットルを開ける。
速度が落ちていく霧船の左舷に機能停止した排気口を確認したらしい。
霧船がドレン抜きで大量の蒸気を吐き出す前に進入を決行するつもりのようだ。
リリーマ率いる海華のスティークス四台が一斉に走り出し、ジャンプ台へ向かう。
「砂魚、出るぞ!」
リリーマ達の結果を見届ける前に、パゥクルが先頭を務める傭兵団砂魚が走り出した。
ジャンプ台の幅は霧船の全長分は確実にあるほど大きな物ではあるが、霧船が速度を落としている時間がどれほどあるか分からない以上、早く動き出すに越したことがないとの判断だろう。
グランズがヤハルギに跨り、カミュたちを見る。
「それじゃ、行こうかね。霧船の速度はだいぶ落ちてるけど、そろそろドレン抜きが始まるから視界に注意だかんね」
グランズはいつもとは違って真面目な顔でカミュたちに告げると、防護服を兼ねたヘルメットを被る。
カミュは走り出すグランズのヤハルギと、それに続くメイトカルを追うようにラグーンを走り出させた。
向かう先、ジャンプ台にはもうリリーマ達の姿がない。無事に乗りこめたのかどうか確認できないが、霧船のドレン抜きはまだ始まっていないため機能停止した排気口はまだ目視できる。
ジャンプ台を駆け上がるために速度を上げたパゥクルたち砂魚が一気にジャンプ台頂上に到達して宙に踊り出した。
パゥクルが吸いこまれるように排気口の中へ姿を消し、続く砂魚の二台も入っていく。
直後、排気口から二つの蒸幕手榴弾が投げだされた。
空中で炸裂した蒸幕手榴弾は発生させる蒸気に色が付くよう改造された物だ。
蒸幕手榴弾の色は赤と黒。後続の突入可能を示すものと、内部での問題発生を知らせるものである。
どういう意味かを詮索するより先に、霧船から大量の蒸気が吐き出され始めた。
一瞬にして霧船を包み込んだ白い蒸気だったが、機能停止している排気口周辺だけ蒸気が薄い。ジャンプ台を駆け昇って間近で観察しているカミュたちにしかわからない違いではあったが、突入に支障はない。
ハンドルから片手を放したグランズがカミュたちにハンドサインを送る。突入決行の合図だ。
グランズがハンドルに手を戻すと同時、ヤハルギは一気に加速する。おいて行かれないようにメイトカルも速度を上げ、カミュもラグーンを加速させた。
速度計と海水残量、蒸気圧を確認しながらジャンプ台の頂上を目指す。
霧船が吐き出す蒸気は勢いを増し、ジャンプ台までも覆わんとしていた。
カミュの腰に回されたリネアの腕に力がこもる。
防護服越しでも熱気が伝わってくる蒸気の中、カミュとリネアを乗せたラグーンは宙に躍り出た。
前方で着地音が断続的に二回、微かに響く。グランズとそれに続いたメイトカルが成功した証だろう。
浮遊感は長く続かなかった。
白く煙る視界がぱっと開けたかと思うと、黒い穴が眼前に現れる。放物線を描いて飛びこんだその穴にカミュはラグーンを着地させると急停止しながら前方の様子を窺う。
「戦闘中?」
リリーマを筆頭にした海華が魔物と対峙していた。
排気口の大きさは大人が二人で両腕を広げられるほど直径が大きいが、魔物と戦闘を行うには狭すぎる。
リリーマ達が対峙している魔物は鳥の形をしていた。戦闘に参加していない部下二人の明かりで照らされたその姿は猛禽類を思わせる凛々しい顔立ちに残忍な釘型の嘴をしている人と同じ大きさの鳥型魔物ワウル。時に空中から子供をさらって飛び立つほどの怪力を持ち、人さえも喰らう魔物だ。
つがいなのか、二羽揃ってリリーマ達を睨みつけているワウルは砂と塩で固まっている頭から首までの羽毛を鎧代わりに、嘴を矛代わりにして近付くこうとするリリーマ達へ攻撃を加えていた。
ラグーンを停止させたカミュは蒸気がこの排気口内部へ流れ込んでいないのを見て取り、防護服のヘルメットを脱ぐ。
狭い事もあり、ワウルを相手に戦っているのはリリーマと部下の男一人だ。パゥクルたちはスティークスを移動させてカミュたちが飛びこめるよう準備していたらしい。
リリーマがカミュに気付き、ワウルから目を離さずに口を開く。
「ドラネコ、ワウルの後ろに回り込んで仕留めろ。できるだろ!?」
「出来るけど、必要なさそうなんだよね」
カミュがリリーマに言葉を返した直後、リネアが愛銃カルテムの銃口をワウルの胸に向けて引き金を引いた。
カンッと金属同士がぶつかり合う独特の発射音がして、ワウルの胸元に血がにじむ。
「堅いけど、血が飛び散るよりいいかな」
蒸気圧を確認しながらリネアが言うと、胸を撃ち抜かれたワウルが倒れ込む。
正確に心臓を撃ち抜いたのだと気付いて、リリーマと部下の男が驚いたように排気口の左右の端へ飛び退いた。射線を確保するためだろう。
相方が撃ち殺された事で激高したワウルがリリーマ達へ襲い掛かろうとした時、再度銃声が響く。
直後、残ったワウルが倒れ込んだ。胸に赤くシミが広がる。
リリーマが武器を仕舞いながらため息を吐いてリネアを振り返った。
「傭兵に興味はないかい?」
「無いよ」
「……そうか」
がっくりと肩を落とすリリーマの横をすり抜けて、グランズが排気口の奥を見る。
「巣を作ってたわけね。こりゃあ、悪いことしたなぁ」
グランズはワウル達が背後に庇っていた巣を見つけてきて、頭を掻く。
カミュもラグーンを押しながら奥へ向かい、ワウルの巣を見た。
成鳥の大きさが人と同等だけあって巣も巨大な物だ。動物の骨と砂をワウルの唾液で固めて作ってあるらしい石のような質感の巣がでんと構えていた。
「卵はないんだね。まぁ、ボク達が出入口を塞いでいたんだから、どうせ逃げられなかったんだろうけど」
「運がなかったんだよ」
リネアに割り切った言葉を返して、カミュは排気口の奥を見る。
「ワウルが巣を作ったのが原因でこの排気口が機能停止したのかな?」
「逆じゃないかな。機能停止した排気口を見つけてこれ幸いと巣を作った、が正しいと思う。いくら頑丈なワウルでも、高熱蒸気に飛び込んで排気口を破壊するなんてできっこないし」
リネアは仕留めたワウルを振り返って火傷がない事を確認しつつ話す。
霧船が速度を増しても落ちたりしないようにスティークスを固定していたパゥクルたちも巣の下までやってきた。
パゥクルたちの合流を待って、リリーマが全員を見回す。
「それで、これからどうすんだい。作戦では、排気口の機能停止の理由次第だったはずだろ。奥に行って、原因を調べとくかい?」
リリーマの質問に、パゥクルが排気管の壁を指差して意見を述べる。
「この排気管の側面を叩いてみたが、向こうに広い空間があるようだ。ぶち破れるならその方が安全かもしれないな」
「ドラネコ、どう思う?」
リリーマに水を向けられ、カミュは排気管の壁を拳で軽く叩いて耳を澄ませる。
反響音が霧船の駆動音に邪魔されて聞き取りにくいものの、確かに空間が広がっているようだ。
しかし、この空間の先に何があるのか分からないため迂闊な事が出来ない。
カミュは排気管の奥を見る。ややカビ臭い空気が流れてきていた。少なくとも、この排気管が機能停止してカビが生えるくらいの時間が経っている証拠であり、奥に行っても危険はなさそうだ。
「奥に行って機能停止の原因を調べるに一票かな。まだ排気口に近いし、この壁を破ってもバラスト用の空間に出るだけだと思う」
「あぁ、そういや船なんだったな、これ」
メイトカルが頭を掻きながら上を見上げる。
グランズが自分の大剣の柄に掛けていた手をそっと放す。排気管をぶち破るなら自分の出番だろうと考えていたらしい。
カミュの意見に反論はなく、全員一致で慎重に奥へ進む事が決まった。
リネアが少ない荷物の中から安全灯を取り出し、火を入れる。
「誰が先頭でいく?」
「ドラネコたちでいいんじゃないか? 背が低いから後ろのあたしらの視界を遮らない上に、どちらも身軽で戦闘力がある。安全灯があれば有毒ガスにも気づけるだろ」
リリーマがカミュたちを推薦し、パゥクルたちも同意する。
リネアがガッツポーズした。
「一番乗り!」
「呑気だね。まぁ、一番前なのはありがたいかな」
カミュの戦い方は素早く動き回ってこそ効果を発揮するものだ。視界を大人たちに塞がれると邪魔で仕方がない。
「グランズと若様がオレ達の後ろって事で」
「割といつも通りな気がすんね。まぁ、いいけども。メイトカル君もいくよ」
「まぁ、監視役なんで余り離れるわけにもいかないですし、構わないですけど」
メイトカルはあまり乗り気ではなさそうだったが、それでもカミュたちの後ろについた。その後ろを戦闘力の低いパゥクルたち、後方からの敵に備えてリリーマが固める布陣だ。
「さっきのワウルみたいな魔物が迷いこんでるかもしれない。慎重に進もう」
カミュはリネアに声を掛けてから、奥へ歩き出した。
腰に提げてる愛用の両刃剣をいつでも抜けるように心構えを作りながら足を進める。
排気管の壁面を眺めていたリネアが感心したような声を出した。
「凄いね。継ぎ目が全く分からない。錆びついてないのはやっぱりクロムメッキなのかな?」
リネアが言う通り、巨大で長いこの排気管は行けども行けども継ぎ目が見えない。古代文明だからと片付けるにはあまりにも優れすぎた製造技術だ。
カミュは奥へと目を凝らしながら、リネアに問いかける。
「錆びないって言っても、所詮はメッキでしょ? 高熱の蒸気に触れ続けてもはがれないものなの?」
「クロムメッキ自体、本物が今まで発見されてなかったんだからわからないよ。タッグスライ遺跡の地下で見た奴も結局行方不明だし」
「あれを研究できれば色々と発見もあったのにね。この霧船を研究するだけでもいいけど」
「そのためには停船させないとだけどね」
リネアの言葉に頷いて、カミュは足を止めた。
「みんな、止まって」
後ろに続くメンバーに足を止めさせたカミュはリネアに安全灯で奥を照らしてもらう。
排気管の円形の空洞が続く先、開けた空間が見えた。
排気管が続く先は蒸気機関の機関部と相場が決まっているが、安全灯で照らし出された開けた空間の向こうにも排気管らしき穴が見える。しかも、向かいの穴からはモクモクと白い蒸気が噴き出していた。
「排気管が途中で断絶してるみたい。これで、機能停止してたんだね」
カミュは後ろのメンバーにも断絶した排気管が見えるように体をずらす。
グランズも同じように体をずらしながら、顎を撫でた。
「ちょうどいいからそこから排気管の外に出ちゃうかい?」
「どうだろ。どんな空間かもわからないし、ちょっと見てみるよ」
排気管の断絶場所へ歩き出したカミュに、メイトカルが声を掛ける。
「ドラネコ、気を付けろよ」
「若様みたいにドジじゃないから大丈夫」
「一言多いっての」
カミュは足を滑らせないように慎重に排気管の断絶場所まで歩き、覗いてみる。
真っ暗な空間の中、霧船の駆動音が幾重に反響して非常に煩い。
リネアから安全灯を受け取り、照らし出してみる。
広い、非常に広い空間だ。三階建ての民家であれば六軒は丸々おさまるだろう広々とした空間だが、無数の鉄管が所狭しと並べられている。
おそらく、視界いっぱいに存在する鉄の管は全てが蒸気を通す蒸気管なのだろう。むわっとした熱気と湿気に顔を顰めながら、カミュは目を凝らす。
「――あった」
横から聞こえた声に振り返れば、リネアが空間の一点を指差していた。
指差す先には鉄製と思しき扉がある。おそらく、ここにある蒸気管の保守点検をする際の出入り口だ。空間を見下ろせるように作ってあるため、カミュたちが覗く排気管よりも高い位置にある。出入り口からこの空間の下に降りるための階段は半ばから崩れ落ちていた。
カミュは排気管の断絶部分から下を見下ろす。民家三階分くらいはあるだろうか。どうやら、排気管はやや上り坂になっていたらしい。
「飛び降りるのは無理だね。下に水が溜まっていないところをみると、排水溝もあるのかな」
「カミュなら、蒸気管を伝ってあの出入口まで届くんじゃない?」
「行けるけど、オレだけ行ってもしょうがないよ?」
カミュは背後のメンバーを振り返る。
パゥクルが背負っていた荷物からロープを取り出していた。
「本当は停船させられなかった時に隙を見て船から降りるための命綱なんだが、これを向こうとの間に渡せば伝って行けるだろ」
「固定する場所があるか分からないよ?」
「ドラネコが行けば、蒸気機甲で支える事もできる」
「なるほど」
カミュは納得して、扉へのルートを模索するために空間へ再度目を向ける。
「――ん?」
視界の隅を横切った違和感に、カミュは反射的にリネアの腕を掴んで飛び退いた。
「うわわ」
リネアが慌てたような声を上げた直後、排気口の断絶部分を黒い影が横ぎる。
ぎょっとして武器を構えたメイトカルとグランズだったが、黒い影が排気口の中へ入ってくることはなかった。
「……カミュ君、なんだい、いまの」
「わかんない。視界の端から飛んできたのが見えたから下がったんだけど」
明らかにまともな動物の大きさではなかった。先ほどのワウルと同等か、それ以上の大きさの魔物だ。
しかし、問題は別にある。
「いまのが下の方に、何匹もいたみたい」
「群れてるって事か」
難しい顔で、グランズが開けた空間を見る。
空を飛びまわる魔物を相手取るには立ち位置が悪すぎる。せめて、内部を照らすことができればリネアの蒸気式拳銃で対応できる可能性があるが、相手の正体さえわからないのでは迂闊に前に出る事も出来ない。
この辺りは傭兵の方が詳しいだろうと、カミュは背後のパゥクルたちを振り返る。
リリーマが手振りでカミュたちにどくよう指示を出し、慎重に開けた空間を覗き込む。
「どうやらフィバツみたいだが、様子が妙だ。あれはこの時間に活発に動く魔物じゃない。さっき仕留めたワウルの血の臭いを嗅ぎつけて興奮してるんだろうね」
開けた空間内を飛び回っている魔物の正体にあたりを付けたリリーマが思案顔で戻ってくる。
カミュはリネアに質問した。
「フィバツって?」
「コウモリみたいな夜行性の魔物だよ。獰猛で、鳥でもなんでも食べちゃう」
「人も?」
「攫ってっちゃうね。魔物に分類されてるんだし」
カミュの質問に答えながら、リネアはカルテムの弾倉を入れ替えている。
「でも、そんなに固くないから大丈夫だよ。ここから撃ち落とせるし」
弾倉の入れ替え作業を終えたリネアが片膝を排気管の底について射撃体勢を取る。
「開放空間じゃないなら、この弾が当たるよ」
そう言って、リネアが引き金を引くと、カルテムの銃口から高反発ゴム弾が高速で発射された。
カカカンと跳弾を繰り返す音がした後、何か重たい物が床に叩きつけられる音が聞こえてくる。
「一発目から幸先良いね」
何でもない事のように言いながら、リネアは次々と高反発ゴム弾を送り込む。
十数発に一度の割合で何かが落下する音が聞こえてくる。
グランズが肩をすくめた。
「逃げ場所もないのにいくつも跳弾する弾を送り込まれちゃ、たまんないね」
「まぁ、当たる事の方に驚きですけどね。あの広間に何匹のフィバツがいるのか想像したくないです」
グランズとメイトカルが言葉を交わす間にも、リネアを真似してリリーマとパゥクルたちが高反発ゴム弾を送り込み始めた。
広間の中は弾丸が幾重にも跳弾して酷い事になっているだろう。時折排気管の中に戻ってくる弾丸があるが、元々殺傷能力が高くない弾種だけあって防護服を着込んでいるカミュたちにダメージはない。
一方的な攻撃。
出番はしばらくあとだろう、とカミュは真水を水筒から出してくつろぎ始めた。




