第十二話 表彰式前の打診
「負けたかぁ……」
「僅差だったのにね」
カミュはリネアと一緒に机に突っ伏して足をぶらぶらさせる。
縁石に乗り上げて跳んだことで加速勝負に出遅れ、僅差でパゥクルに負けていた。
レース中に降りだした雨は夕方には止む見通しで、他の選手がまだサーキット場を走っている事もあって表彰式は雨上がりに行われることが決まっている。
少し離れた傭兵団砂魚のピットガレージからは祝杯を挙げる声が聞こえてくる。
「まぁまぁ、カミュ君や、これでも飲んで元気だしなって。おじさんのおごりだよん」
「表彰式前にお酒飲むわけにはいかないって」
グランズがカミュの近くに置いた赤ワインの瓶を断って、カミュはラグーンを見る。
「負けたけど、二位なんだよね」
「ラグーンは取り返せたけど、どうせなら一位で華々しく復帰させてあげたかったよね」
カミュにつられるようにラグーンに視線を移していたリネアが頬を膨らませながら、不満そうに言う。
グランズの用意した赤ワインを飲むためにグラスを二つ出してきたメイトカルが話に加わる。
「傭兵団砂魚とまともに張り合って僅差なら十分すぎる快挙だろ」
「若様はそう言うけどさ。相手は整備隊長なんだよ?」
「そう言うドラネコは情報屋だろが」
「そっち廃業してるから無職だよ」
何の反論にもなっていない言葉を返しながら、カミュはため息を吐く。
風が吹き止む可能性を考慮していたにもかかわらず、ラグーンで縁石に乗り上げてしまったのは大失敗だった。
「ぐぬぬ……」
砂魚のピットガレージから聞こえてくる笑い声を聞き、リネアが呻き声をあげる。
メイトカルからグラスを受け取ったグランズが赤ワインを注ぎながら、苦笑した。
「そんなに悔しいなら、次は勝てばいいんでない?」
「――その手があった!」
机に突っ伏していたカミュとリネアが同時に体を起こす。
不安定な机が一瞬ぐらつき、グランズとメイトカルが慌ててグラスやワイン瓶を押さえた。
「ちょっちょっと、おじさんが奮発したワインなんだからね? 大事に扱いなさい、大事に。ワインの一滴はおじさんの血と汗の結晶から来てるんだかんね!?」
「飲む気がなくなるようなこと言わないでくださいよ、先輩……」
メイトカルがグラスの中にあるグランズの血と汗の結晶を見てげんなりした顔をする。
再び安定した机にグラスを置いたメイトカルは、カミュを見た。
「しかし、ドラネコが勝負ごとにこだわるなんて珍しいな」
「レース中にちょっとね」
カミュのぼかした返答を聞いてメイトカルは少し考えた後、笑みを浮かべた。
「そうか。まぁ、ここはもう旧市街じゃないんだ。好きに生きろよ」
「メイトカルに言われるまでもないよ」
「おじさんの心が抉られて跡形もない!?」
「グランズさん煩い」
リネアに文句を言われたグランズは肩を落として赤ワインをちびちび飲み始める。落ち込むくらいに心はあるじゃないか、とカミュは内心でツッコミを入れた。
「それはそれとして――」
漫才染みた応酬を繰り返した後でメイトカルが話題を転換する。
「ドラネコの見立てだと、このレースには裏の目的があるんだろ? 二度目の開催なんてあるのか?」
「――あるとも!」
突如、ピットガレージの扉が開かれる。
白衣をばさりと払ってなびかせながら颯爽と入ってきたのは、このレースの主催でもあるウァンリオンだった。
グランズが咄嗟に蒸気機甲を稼働させたが、敵意を感じなかったのかウァンリオンに肩をすくめてみせた。
「こらこら、盗み聞きとは感心しないぜい」
「そう言われるのが心外でね。堂々と聞きに来た次第だ。さぁ、続けたまえ。裏の目的とやらについて見立てを聞こうじゃないか。ところで、ドラネコというのはそちらの黒髪のお嬢さんであってるのかね?」
「あってるよ」
手を挙げて応じたカミュはウァンリオンの頭の先からつま先までを観察する。武器の類を携帯しているようには見えない。
「話を変えるけど、何しに来たの?」
裏の目的についての見立てを話す気はない、と態度ににじませながらカミュが訊ねると、ウァンリオンは嘆くように天井を仰ぎ、額に片手を押しあてた。
「話が変わってないじゃないか!」
「……カミュ、この人絶対に面倒くさい人だよ」
「うん、間違いないね」
リネアに耳打ちされて、深く頷くカミュ。
しかし、当のウァンリオンは聞こえていなかったのか、もしくは聞こえていても気にしていないのか、話を続けた。
「ここに来る前に一位の砂魚にも話を持っていったのだがね。いやいや、君たちの運転技術は実にすばらしかった。特に最後、カミュ君だったかな、君の見せたラグーンのジャンピングからの制御ときたら胸が躍った。あぁ、踊ったとも。踊らんばかりだった!」
「踊ったのか踊らなかったのかどっちだし」
「ノリで話してるね、この人」
「そんなカミュ君に持ってきた話は他でもない。このレストアレースの裏の目的への参加をお願いするためなのだよ!」
「砂漠の霧船に関する話?」
カミュが話の核心にいち早く触れると、ウァンリオンの動きが初めて止まった。
天井を向いてノリノリで話していたウァンリオンはゆっくりとカミュへ顔を向ける。
「ふむ、どうして気が付いたのか聞いても構わないか?」
「この辺りに砂漠の霧船が来るって言う事前情報は最初から知ってたよ。レースが終わったらリネアと見に行く予定でもあったからね」
カミュはリネアを横目で見てから、会場を見回して警備員に目を留める。
「このレースには警察や軍事関係者が関わっていない。代わりに使われている傭兵については、国の支援を受けて背後関係の調査が行われている。なんでそんな面倒な事をしてるのか。警察や軍に蒸気機関撤廃の会のシンパが入り込んでいた場合、情報を抜かれる危険性があったからだとオレは思う」
だから、情報屋まで雇って背後関係を洗いだした傭兵団のみを雇用し、なおかつ本当の目的については徹底して情報を遮断した。
以上から、国家レベルの目的でありつつ、蒸気機関撤廃の会の邪魔が入ると懸念される目的でもあると分かる。
しかし、何故レースなどという衆目を集める催し物を始めたのか。
「このレース、最初は目くらましだと思ったんだけど、いくらなんでも金を掛け過ぎてる。なら、このレース自体にも目的があるはずだよ。レースで問われる技能は運転技術だけど、このレストアレースの場合は他にも蒸気機関について最低限の知識が必須条件になる。加えて、レースの主旨が蒸気機関撤廃の会の横暴に皮肉を持って応えようってものだから、撤廃の会の活動に不満を持っている参加者が集まる条件も揃えてる。このレースそのものの目的は、裏の目的のための人員獲得。それも、蒸気機関についての知識、運転技術をもった撤廃の会の反対者ってふるいを掛けるための物」
「しかし、全て推論のようだが?」
「国家規模で情報統制されちゃうと流石に調べきれないよ」
情報屋を引退していなかったとしても、話が大きすぎて全容の把握が難しい上に、レストアレースというカモフラージュまで施されていて手が付けられない。
推論だけで砂漠の霧船に関わる何かがあると分かっただけでも、カミュにとっては十分な成果であり、第一の目的はレストアレースで足を確保する事だったため深く調べるつもりもなかった。
カミュはウァンリオンを見て、話を切り出す。
「それで、答え合わせは?」
「満点だとも。合格以上に合格だ。我々は砂漠の霧船拿捕作戦を考え、人手を集めている。砂魚からは参加の表明もあった。他にも、会場警備にあたっているいくつかの傭兵団に参加を打診している」
ウァンリオンはそう言って、手近な木箱に腰を降ろした。
「砂漠の霧船拿捕作戦は有史以来何度か立案され、ことごとくが失敗している。あまりの馬力に停止させる事が出来なかったからだ。そこで、我々は航行中の砂漠の霧船に直接乗り込む作戦を組み立てた」
ウァンリオンの大ざっぱな作戦説明にグランズが難しい顔をする。
「直接って――そりゃあ、スティークスよりは遅いがそもそも甲板までの高さがありすぎんでしょうよ。ラリスデンの城壁くらいの高さだぜい? 空でも飛ばない限り、飛び移れるわけがない」
「もっともだ、グランズ君。しかし、甲板に飛び移る必要はない。無謀であることに変わりはないが、他に潜入ルートが存在する」
紙はあるか、とウァンリオンに声を掛けられ、リネアがポーチから手帳を取り出してページを一枚破った。
ウァンリオンは白衣のポケットから鉛筆を取り出すと、リネアから渡された紙に砂漠の霧船の絵を描き始める。しかし、描かれた絵は船首が黒く塗りつぶされ、船の半ばまでを描いたうえで後尾は描かれていない。
後尾は省略しているのではなく、判明していないのだ。
ウァンリオンはカミュたちが見やすいように紙の向きを変える。
「知っての通り、砂漠の霧船は大部分が吐き出される蒸気に隠れて見えていない。この排出口は船側面に二つ以上が確認されているのだが、うち一つが機能していない事が近年の観察結果から判明した」
「どういうこと?」
「おそらく、内部の配管が断裂するなどして蒸気が送り込まれなくなったのだろう。そしてこの排出口はスティークスで進入可能な大きさだ」
ウァンリオンはそう言って、ラグーンを指差した。
「参加者には排出口へ飛び込んでもらい、配管を何らかの方法で破って霧船の内部へ侵入、推進機関たる蒸気機関を停止させてもらう」
「無茶苦茶だ……」
呟いたメイトカルが首を横に振る。
スティークスよりは遅いといっても、停止しているわけではない。そこらの馬車よりも速い船の側面に開いた排出口へタイミングよく飛び込むなど、自殺志願者もいいところだ。
しかし、ウァンリオンも勝算なしにこの作戦を提唱しているわけではないらしい。
「砂漠の霧船はどういうわけか、海に接近すると方向転換する。この方向転換の直後は速度がかなり落ちることになる。我々はそばにジャンプ台を設け、飛び込む作戦を立てているわけだ」
「その間、霧船の姿を隠している蒸気は?」
「盛大に吐き出される。おそらく、ドレン抜きだ」
ドレン抜きとは、配管を通る蒸気が冷やされて液体に戻った〝ドレン〟を配管から排除するために行われる操作の事だ。蒸気と共に強制排出するため、この時には盛大に蒸気が吐き出されることになる。
速度が落ちていようと、高温の蒸気に包まれた霧船に近付くのは火傷の危険がある。下手をすれば蒸し焼きになって死ぬだろう。
「サウナにしては過激すぎない?」
カミュの皮肉を受けても、ウァンリオンは平然としていた。
「スティークスの速度で飛び込めば、火傷する事はない。むろん、防護服は用意するがね。むしろ、この作戦の危険なところは乗り込んだ後だよ」
リネアが気付いてぽんと両手を合わせる。
「そっか、霧船の動作を停止させないと降りる事も出来ないんだ」
「だから、最低限の蒸気機関についての知識があって、弄る事もできるスティークス乗りを探してたんだね」
しかも、カミュたちは目を付けられている。
どうしたものかと考えつつも、カミュは半ば覚悟を決めていた。
「多分、砂漠の霧船にも絶海の歯車島についての資料が残ってるよね?」
カミュが問いかけると、リネアは頷く。
「資料さえあれば、前に遺跡で見つけた資料と合わせて論文の発表も可能だよ」
リネアの返事を聞き、カミュはウァンリオンを見る。
「参加する代わりに、こちらの要求を一つ呑んでもらいます」
「言って見たまえ、同志よ」
「砂漠の霧船に絶海の歯車島について資料があった場合、その研究論文をリネアの名義で発表させてもらいます」
「なんだ、そんなことなら構わないよ」
あっさりと要求を呑んだウァンリオンに驚いたのはカミュだけではなかった。
唖然とするカミュたちに不思議そうな顔をしたウァンリオンは、顎をさすって原因を考えた後、何かを思いついた様子で頷く。
「研究者ではあるが、名誉欲なんてものはなくてね。知識欲で動いてる我々にとって、国に成果を求められることだけが非常に、それはもう非常に面倒臭いのだ。それを肩代わりしてくれるのであれば、願ったりかなったりだよ。あぁ、共同研究者として国立蒸気科学研究所の名を入れておいてもらえるかね?」
「それは、別にいいんですけど……」
本当に論文発表には興味がなさそうなウァンリオンに、リネアが困ったように返した。
「論文の書き方が分からなければ相談に来るといい。では、表彰式で会おうか、同志よ!」
立ち上がるなり白衣をばさりと払ったウァンリオンは高笑いしながらピットガレージを出ていった。
カミュはため息を吐く。
「行動理念が全く読めない……」
「ボク、あの人は苦手」
リネアもため息を吐いて、表彰式の準備をするべく立ち上がった。




