第二話 二人の野営
首都ラリスデンの外に広がるのは寂寥とした荒野だ。
膝丈にも満たないような草が転々と生えているばかりで、背の高い木など見当たらない。岩石がそこかしこに転がっており、沿岸部へ行くほど植生は貧弱となって砂丘に代わる。
歴史の古い都市周辺ほど砂漠に近い様相となっていくのが、リネアを追う蒸気機関撤廃の会が主張する蒸気機関が砂漠化を助長するという根拠の一つになっている。
「塩捨て場がそろそろ見えてくるはずだよ」
リネアに言われて、カミュは前方に目を凝らす。
蒸気石が反応するのは不思議なことに海水だけとされている。淡水でも動作するよう研究が進んでいるが結果は芳しくない。
蒸気石に海水を反応させて蒸気を得れば、必然的に海水を構成する水分以外の要素、主に塩が残ってしまう。海水との反応で熱を持った蒸気石に固着して反応を悪くする憎たらしい代物で、大概は首都周辺の専用施設にまとめて捨てられる。
塩捨て場、古くは塩塚と呼ばれるその施設は土壌の塩害を防止する為に設けられているのだ。
カミュはラグーンのギアを三速に入れる。横殴りの風が強いが地面をしっかりととらえるタイヤのおかげで不安を感じない。
「本当にこの辺りに塩捨て場なんてあるの?」
「地図だとこの辺りなんだよ。首都の塩捨て場だから、そんなに小さいモノのはずがないし、もう見えてくるはずなんだけど……」
首を傾げるリネアを横目にちらりと見て、正面に視線を戻す。
道なりに進めば見えてくるだろうと思っていたが、カミュは違和感に気付いてラグーンの速度を緩めた。
「リネア、道の先に検問がない?」
「……ちょっと待って」
リネアは道の先に目を凝らして、ヘルメットの右側面、耳の上あたりにあるツマミを回す。かちり、とギアが噛み合う音がしてヘルメットの右目側についたスコープの倍率が切り替わった。
運転手であるカミュのヘルメットには無い機構だ。
「検問があるね。でもちょっと様子がおかしいよ」
「リネアの事を気付かれた?」
「違うっぽい。ボクに気付いたなら向かってくるはずだけど、何かと戦っているみたいな……」
「戦闘中か」
カミュは呟いてから後ろを振り返り、道路上に自分たち以外がいない事を確認する。昼過ぎの人通りが多い時間帯とはいえ、大きな街道ではなく治安の悪い旧市街へと続く道だけあって道路利用者はカミュたちだけのようだ。
つまり、目撃者がいない。
「よし、検問を迂回してしばらく荒野を突っ切ろう」
「助けなくていいの?」
「旧市街から伸びる街道で検問を張っているような武闘派警官が助けなんか必要としないって。関わり合いにならない方が吉だね」
旧市街育ちのカミュとしては、警官の横暴さに辟易する事も多々あるがその腕っぷしは評価している。相手が暴力団だろうが魔物だろうが怯まずに戦って検挙するような脳みそに筋肉の詰まった連中だ。
「大体、こんなところで検問を張ってるなら銃も剣も持ってるはずだよ。無視しよう」
カミュが愛車ラグーンの方向を転換しようとした時、リネアが太もものホルスターから拳銃を引き抜いた。
「こっちに向かってきたよ」
「警官?」
「魔物だね、あれ。警官に敵わないと判断して逃げた先にボクたちがいましたってところかな」
うんざりした顔で自動拳銃カルテムを構えたリネアは安全装置を外して拳銃内部の蒸気機関を稼働させる。武骨で飾り気のない黒い銃身からカラカラと歯車が空転する音が鳴り始める。
「カミュは逃げる準備しておいて。魔物はボクが撃ち殺しとくから」
「間違って警官を撃たないようにね」
「その心配はいらないかな。有効射程外で足を止めたし」
ほら、とリネアが指差す道の先で警官隊と思しき五人組が足を止めて、魔物に銃口を向けている。カミュたちへ向かって走ってくる魔物は二匹、砂漠狼と呼ばれる群れ形成型の魔物だ。群れの仲間はすでに検問にいる警官たちに殺されたらしい。
獰猛ではあるが、拳銃でも仕留められる程度の魔物だ。外さなければの話だが。
「おぉ、警官が慌ててる」
カミュは警官たちの動きを遠目に見て笑う。警官たちからしてみれば、迂闊にも取り逃がした魔物が市民に襲い掛かろうとしており、なおかつその市民が二人して少女にしか見えないのだから当然である。もっとも、実際は片方が男なのだが。
「カミュ、検問を避けて走り抜けるんでしょ。警官がこっちに来ないうちに早く」
「はいはい」
カミュはリネアに言われるままラグーンを再始動させ、方向を転換して街道から外れ、荒野を突っ切る道筋を取る。
その間に、リネアが引き金を引いた。自動拳銃カルテムの内部で高速空転する歯車が引き金の動きに合わせて移動しクランク機構の歯車に噛み合う。次の瞬間、高速でクランク機構が動作し、装填されていた銅合金の金属弾が押し出される。
金属同士をぶつけた甲高い音と共に銃口から金属弾が撃ちだされ、後を追うように蒸気を伴う膨張した空気が飛び出し、破裂音を響かせる。
次の瞬間、カミュたちに向かって走っていた砂漠狼の頭が弾け飛んだ。
「お見事」
「当然だよ。ボクが撃ったんだから」
胸を張ったリネアはカラカラと空転を鳴らす自動拳銃カルテムの側面を見る。そこにはカルテムに搭載されたボイラー内の蒸気圧を計る計器がついている。
「蒸気圧が回復するまでもう少しかかるから、それまで頑張って逃げて」
「逃げ切ってもいいでしょ?」
「そっちの方がいいかもね。警官が処理するのに時間をかけてくれるだろうし」
暗に、どさくさに紛れて検問を越えてしまおうと言うリネアに笑いかけて、カミュはラグーンを加速させた。
ラグーンに乗ったまま舗装された道から荒野に突っ込んだカミュたちを見て、警官たちが声を上げる。通常の蒸気自動二輪車で同じことをすれば簡単に横転するからだ。
だが、カミュのラグーンはオフロード対応である。
岩の転がる荒野であってさえ、ラグーンは滑らかに加速して二本の排気管から蒸気を吹き出す。宙に白く描かれた蒸気の軌跡は地面の凹凸に合わせて上下していたが、描き手であるカミュの運転には些かの淀みもない。
荒野に生きる砂漠狼さえも引き離して、カミュとリネアを乗せたラグーンは道に沿って荒野を走行し、唖然とした顔の警官五人組の横を走り抜けた。
「お兄さんたち、残りの一匹はよろしくね」
「お仕事がんば!」
笑顔で警官たちに手を振りながら後片付けを押し付けるリネアに倣い、カミュも応援する。
「お、おう。良い旅を!」
慌てた様子で旅立つ者への定型句を口にした警官たちは、本能的に走るモノを追ってきていた最後の砂漠狼を迎え撃った。
自分たちの横を走り抜けた可愛い少女らしき二人の応援に無駄に張り切って砂漠狼を倒した彼らが失態に気付くまで、しばらく時間が必要だろう。
速度をそのままに検問を走り抜けたカミュたちは舗装路に復帰して検問から距離を取った。
「塩捨て場ってあれかな?」
「みたいだね」
道の先に見えてきた白い建物を指して話を振ると、地図上の位置を確認したリネアが頷いた。
土壁に漆喰が塗られた白い施設は倉庫のようだった。三角屋根の二棟の倉庫と真ん中に管理棟らしき二階建てが見える。
周辺は魔物避けの鉄格子で囲われているが、人口密集地で蒸気機関の密集地でもある首都ラリスデンの側であるため湿気で錆びついている。
古い事もあって見た目のきれいな建物ではないが、かなり大きな施設だ。塩の貯蔵量も相当なものだという。
道に沿って建てられている塩捨て場の横を減速せずに走っているにもかかわらず、敷地の終わりが見えないほど巨大な施設だ。
「この塩捨て場がロッグカートとラリスデンの中間地点だから、あと半分だね」
「日が暮れそうだし、今日は野宿かな」
まだ首都ラリスデンが発生させている湿度の影響圏から抜けていないため、夜は霧が出るだろうと思いつつ、カミュはリネアの意見を訊ねる。
「霧が出る前に夕食を済ませるなら、早めに野営準備に入った方がよくない?」
「その通りだと思うけど、塩捨て場の側で野営すると警備員に見つかるよ。ほら、ボクは重要参考人だし」
「検問を突破した時点で遅い気がするけど、可能な限り目撃情報を減らした方がいいのも確かだね。それなら、日が暮れるまで走ろうか」
ようやく見えてきた塩捨て場の敷地の終わりを見ながらカミュが言うと、リネアは地図を開いて野営地を決める。
日が暮れるまでツーリングを楽しんだカミュとリネアは野営地と定めた小さな洞穴にラグーンを停めてテントを張る。
「一雨来そうだね」
カミュがどんよりとした雲が垂れ込める空を見上げて呟くと、鍋に海水を入れていたリネアも空を見上げた。
「星を見ながらの夕食が旅の醍醐味なのについてないね」
「町だといつも霧が出て月さえ見えなかったりするもんね。けど、外で食べても腹を空かせた浮浪者が近寄ってこないだけでも気分がいいよ」
ラリスデンの旧市街の生活が垣間見えるカミュの発言に、リネアが苦笑する。
冷たい風が吹き始めてテントを揺らす中、海水の入った鍋の中に蒸気石を放り込んで発生させた湯気の中に折り畳み式の蒸し器を入れる。
蒸し器の中には木製の小椀がいくつか入っていた。
カミュは折り畳み式の簡易椅子に座ったまま、ぼんやりと湯気を眺める。カミュも一人暮らしが長いため、通り一遍の料理は出来るのだが、今は野営に慣れたリネアに全部任せていた。
「ボクと別れてから、カミュはどうしてたの?」
調理工程はもう蒸し上がるのを待つだけとなったのか、リネアが蒸し器を眺めながら話を振ってくる。
カミュはここ五年ほどの暮らしを思い出して、つまらなそうに呟く。
「あんまり変わらなかったよ。リネアやアルトナンおじさんがいないだけで、若様や暴力団連中、後はマーシェに情報を売って、たまに入り込んできた魔物をちまちま殺して、逆恨みして殺しに来た暴力団連中を馬鹿にして遊んだり。ほとんどの時間はラグーンの修理に使ってたけどね」
カミュは洞穴に停めてあるラグーンを振り返る。
「カミュってば、未だに危ない事してたんだね」
「他にお金を稼ぐ手段がなかったからね」
「カミュの腕なら蒸気機関の修理工にだってなれるでしょ」
「旧市街育ちの親無しが? 冗談でしょ。世間様はそんなに頭空っぽで生きてないよ」
旧市街の人間について新市街の人間が抱くのは一にも二にも嫌悪感情だ。どんな生き方をしてきたのか分からなくとも、それが碌でもない生き方なのは間違いないと考えている。
カミュのように麻薬も殺しも盗みもしない者はごく少数だ。スリや置き引きが犯罪と認知されず、詐欺師が一目置かれ、日々消費される海水と食材に並んで麻薬が売られ、大通りで派手な格好をした女が春を売る、それが旧市街である。流石に殺しが日常的に起こるような場所ではなかったが、喧嘩騒ぎが珍しくない。
旧市街の医者の稼ぎは日々膨れ上がる。昨日の医者が今日の患者になるからだ、と言うのが新市街の医者の間でジョークになっているくらいだ。
そんな旧市街の住人がまともに仕事をするはずがない。何もしないならありがたいくらいで、店の売り上げを持ち逃げする奴もいる。新市街の住人が雇うようなイキモノではないのだ。
だが、そんな常識を知っていても通用しないのがリネアという少女であり、アルトナンという風変わりな技術者だったというだけの話だ。
「そろそろいいんじゃない?」
カミュは蒸し器を指してリネアを促す。
蒸し器の上蓋がリネアの手で外されると、蒸し上がった料理の香りがふわりと辺りに漂い始めた。
「熱いから気を付けてね」
「わかってるよ」
リネアの注意を半ば聞き流しながら、カミュは軍手をはめた手で小椀を持ち、木匙で中を一度かき混ぜる。蒸し上げられてふっくらとした野菜の甘みと旨味が溶け出したスープに干し肉の塩気が溶け込んでいる。澄んだスープを眺めていると、リネアが胡椒を振り掛けた。
「旅の初日くらい贅沢しないとね」
「胡椒くらいで大袈裟な」
カミュは笑いつつ、スープを一口飲んでみる。塩抜きしても十分な塩気を含んだ干し肉のおかげで程よい味付けになっていた。ただ煮ただけでは味わえない野菜の食感も心地いい。
「ロッグカートに着いたら魚料理が食べたいな。海魚の珍しい奴」
海岸からは少し遠いラリスデン育ちのカミュは海魚をあまり食べたことがない。新市街では少量ながら出回っているとの話だったが、旧市街の貧乏人に回ってくることはなかったため、魚と言えば川魚ばかりだ。
海の魚にちょっとした期待を持っているカミュを見て、リネアが意地悪そうに笑う。
「おすすめがあるけど、着いてからのお楽しみって事にしようかな」
「なんだよ。気を持たせるような言い方して。川魚とそこまで変わるわけでもないだろ」
「さて、どうでしょう」
くすくすと機嫌よく笑うリネアに胡散臭そうな目を向けつつ、カミュは食事を終えて食器を洗い始めた。