第七話 レストア終了
レストア期間最終日の朝を迎えた。
大会ルールでは明日のレース開始時間までを最終調整とするため、今日の夕方までに走行可能な状態でなければレース前に敗退が決まる。
各参加チームが次々とコースに乗り込んで試運転を行う中、カミュたちはまだ作業区画でラグーンと向き合っていた。
「ボイラー内の蒸気圧が上がりきらない」
カミュは計測器を見つめて空ぶかしを行いながら呟く。
横から同じように覗き込んでいたリネアがラグーンのボイラー部分に目を移す。
「この圧力でも走れない事はないけど、計算上はもっと上がるはず。漏れてるのかな?」
「温度計はゆっくり上昇してる。多分、蒸気石の反応が悪いんだよ。海水が当たってないか、別の要因か」
「見た感じ蒸気漏れはないし、音もしないから、カミュの推測で当たりっぽいね。海水供給を切って」
リネアに言われて、カミュは海水の供給を遮断し、蒸気石の反応を停止させる。
リネアに離れてもらってから周囲の安全確認をして、ボイラー内の蒸気を排出させて圧力を一気に下げた。
モクモクと立ち上る蒸気は扇風機で吹き飛ばし、海水タンクとボイラーを接続する配管を覗く。砲金製の配管は熱を帯びているため、近付くだけで熱気を感じた。
蒸気機甲に覆われた手と軍手の組み合わせで熱を帯びている配管を手早く外す。多少熱いが四の五の言っていられるほど時間的な余裕がなかった。
配管の接続口からボイラーを覗き込み、海水が当たる位置に蒸気石があることを確認する。
リネアが蒸気石を指差して口を開く。
「この蒸気石って初めからボイラーにセットされていた奴だっけ?」
「そうだよ。多分、その蒸気石もジャンク品と一緒に雨を受けたんじゃないかな。それで、反応が悪くなってる」
蒸気石は淡水に触れると反応性を失ってしまう。雨水であっても同様だ。
ボイラー内圧力が上がらなかった原因は蒸気の発生が計算通りに行かなかったからとみて間違いない。
「蒸気石の交換をしようか」
「待って、海水の供給弁はちゃんと開く?」
リネアに訊ねられて、カミュは海水タンクの供給弁を開いてみる。繋がっている配管からちょろちょろと海水が零れだした。
「うん、開くね。蒸気石の交換をしてみよう」
「持ってくる」
リネアが予備の蒸気石を取りに行き、カミュはボイラー内にある反応の悪い蒸気石を取り外す。
念のため、取り外した蒸気石に少量の海水を被せて確認してみると、やはり反応が悪かった。
見た目で分からないのが厄介だな、と思いつつ、リネアから渡された新しい蒸気石に海水を掛けて反応を見た後、問題なしと判断してボイラーにセットする。
配管を繋ぎ直して、再度海水注入を行えばボイラー内の圧力は理想的な上昇を見せた。温度も速やかに上がっている。
「よし」
「成功」
リネアとハイタッチを交わしている間にもボイラー内の圧力は上がり、行き過ぎた圧力を生み出す余分な蒸気が安全弁から排出される。
こうなれば、後はV型シリンダーに蒸気を送り込むだけだ。
カミュはボイラーからV型シリンダーへの供給弁を開く。
シリンダーが滑らかに動作を始める。
シリンダーの動きを確認して、カミュはラグーンの前を見た。
「若様、そこで寝転がってるおっさんをどこかに捨ててきて」
「おう、任せろ」
「メイトカルさんもグランズさんに遠慮がなくなってきたよね」
連日の徹夜が祟っていびきをかきながら寝ていたグランズの腕を掴み、メイトカルはラグーンの前から離れる。
前方を確保したカミュはクラッチレバーを握ってからシリンダーの動きを回転に変換するための機構を作動させる。
独特の回転音を聞きながら、カミュはクラッチを少しずつ開け、半クラッチでの緩やかな発進を目指す。
しかし、ラグーンは一向に走り出さないままクラッチを開け切ってしまった。
「動力が伝わってないね。原因はどこだろ」
「とりあえず切って」
横から観察していたリネアに言われて、カミュは海水注入バルブを閉め、シリンダーやボイラーの蒸気を逃がす。
大人しくなったラグーンを降りたカミュはリネアを見る。
「シリンダーは動いてたし、回転もしてたよね」
「そこまでは間違いないよ。クラッチの分解をした方がいいかな」
「タイヤ側との接続かもしれないね。まずは見てみようか」
時計を気にしながら、カミュはリネアと共にクラッチを確認する。
元はジャンク品だが、きちんと部品を使えるものに交換してある。原因としては噛み合わせだろうと当たりをつけて見ていった。
「あ、カミュ、これだよ。タイヤ側との距離が離れすぎてる」
「あれ何で?」
「連日徹夜だったからポカミスが頻発してるね」
疲れ気味の声で言って、リネアが目を擦る。
カミュもすぐに横になりたい気分だが、もう仮眠をとる時間もない。
「もうちょっとだから、頑張ろう」
「分かってる。ここが正念場だよね」
クラッチの位置調整をしてから、再びラグーンを始動させる。
今度は半クラッチでラグーンが前進を始める。
ひとまず動くようになったことに安堵した時、サーキットの方からアナウンスが聞こえた。
「――スタート位置十番は、チーム砂魚に決定しました」
もう十番まで埋まっているのか、とカミュはサーキットを振り返る。
スティークスを修理してサーキットを一周して見せた順にスタート位置が決められる。互い違いの二列で前から十番目の位置に仲間たちと抱き合って喜んでいるチーム砂魚らしい男たちが見えた。
「あれ、カミュ君に声を掛けてきたどっかの傭兵団だよね」
「グランズ、起きたんだ?」
「あんな乱暴な扱いをされればおじさんもキスなしで深い眠りから起きちゃうってもんよ」
どうやら、メイトカルに腕を掴まれて引きずられた事を差しているらしい。
「そんで、砂魚って傭兵団は聞いたことあるのかい、ドラネコちゃんや」
「商隊護衛を主にこなす高機動が売りの傭兵団だよ。どんな荒地でも付き添いますって謳い文句で、他の傭兵団からも物資輸送を頼まれる小さいながらも実力のある集団だね」
「本当に詳しいな」
「元情報屋だからね。まぁ、いまは関係ない」
カミュはサーキットから視線をラグーンに戻す。
「それじゃあ、ちょっと動かしてみる。ギアチェンジとかも試してみたいから」
「わかった。気を付けてね」
リネアに見送られて、カミュはラグーンのギアを一速に入れて走り出す。
作業区画からサーキットに出たカミュは、しばらく徐行しながら感覚を確かめた。
舗装されてこそいるが砂を被った道はお世辞にも状態が良いとは言えないが、このレースは過酷な環境をあえて用意してそこをレストアしたスティークスで走る事に意味がある。
そもそも、この程度で音を上げるのであれば完走など夢のまた夢だ。この直線を抜ければ舗装されてもいない砂漠地帯に入るのだから。
コースは全部で三つの区画に分けられる。現在走っている会場正面の舗装された区画は観客に配慮して砂埃が最低限抑えられるようにしているのだろう。
ここから砂漠地帯へと入り、遺跡の路地を縫うようにして走り抜けた後、再び砂漠地帯を抜けてスタート位置だ。
コースを頭に入れながら、カミュはギアを二速に切り替える。
その時、異常が起きた。
「入らない?」
ギアチェンジが利かない事を悟ったカミュは舌打ちしてコースを外れる。
出発したばかりにもかかわらずコースを外れたカミュに気付いて、リネアもラグーンの異常を悟ったらしい。
カミュはラグーンを反転させ、一速のままコース脇に沿って徐行して作業区画に戻った。
リネアが駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
「ギアが切り替わらない」
カミュは海水注入を切るなどの停止動作をして、変速機を見る。
カミュとリネアで部品単位の改造を施しているため、歯車の空転などの事態が十分に考えられた。
「組む前に動作確認した時は大丈夫だったよね?」
「回っていたのは確かだよ」
手早く変速機を取り出したカミュは分解して中を確認する。
「カウンターシャフトが折れてる……」
「予備をとってくる。歯車を外しておいて」
リネアが走っていく中、カミュは歯車を外していく。
もうあまり時間はない。
「おじさんたちに手伝えることはある?」
「ない」
グランズにすぐさま言い返して、カミュはリネアに渡されたカウンターシャフトに歯車を通していく。変速機を組み直して、ラグーンに搭載したカミュは、留め具などの最終確認を終えて跨った。
「場所を開けて。すぐに出る」
「もう時間ないよ」
「分かってる」
カミュは作業区画から走りだし、すぐさまギアを入れ替えるとサーキット場を走り出した。
クラッチ操作の手間も惜しみ、シフトパッドを蹴りあげるようにギアを変更する。クラッチ操作による減速もなしにギアを変更し、カミュが駆るラグーンは滑らかに加速した。
慣らし運転とは到底思えない速度でコーナーを曲がり切り、車体を戻すとさらに加速する。
砂漠地帯へ進入してもラグーンの速度は衰えず、モノショックによる衝撃の軽減も相まって砂漠の高低差をものともせず走り抜けていく。
遺跡に入る直前、ふとサーキットの外を見ると、見物人たちがカミュに注目していた。それまで慣らし運転でゆっくりと走っていた参加者よりもはるかに速く走り抜けるカミュに興味を引かれたのだろう。
見物人に見送られながら、カミュは遺跡にラグーンを乗り入れる。
古びた石畳の上に砂が積もっている。坂道の存在するこの遺跡部分は道幅も広く、蒸気機関による湿気が溜まらないように通気を考えた都市設計から直線がある。レース中に上位を狙うのであれば、ここで熾烈な争いが繰り広げられると思われた。
遺跡を走り抜けると再び砂漠に躍り出る。
左には首都ラリスデンへと続く運河が流れ、河から吹き付ける横風に煽られがちだ。
河に沿って続く直線の先には最終コーナーが現れる。砂漠の中で目立つようにと配置された赤い旗と青い旗がカーブの形状を教えていた。
「複合になってるのか」
中途半端なS字を描くカーブを曲がり切り、カミュは最終直線に入る。速度を上げてスタート地点を潜り抜けたカミュはラグーンの速度を落として停車した。
「暑い」
ヘルメットを外して、カミュは額を拭う。コースの形状を覚えるために記憶力を総動員していたため、知恵熱が出ていた。
襟元を掴んで体から離し手で首筋を扇いでいると、リネアが駆け寄ってくる。
「カミュ、そんな色っぽい仕草しちゃダメだってば」
何の話かと首を傾げるカミュに、リネアはそっと観客席の方を眼で示す。
顔を向けてみれば、先ほどまでコース上を疾走していたのは少女だったのか、と驚愕してカミュを見ている見物人たちがいた。
カミュは内心で納得しつつ、ヘルメットを小脇に抱えて観客席へ微笑み、静かに一礼する。旧市街の育ちのカミュの礼は優雅とは言えないからこそ親しみやすさを感じる物だったらしく、見物人たちは笑顔で拍手と声援を送った。
「……またそうやって都合よく自分の容姿を利用するんだから」
「持って生まれた物だから、有効に使わないとね」
呆れるリネアに言い返して、カミュはラグーンを押して作業区画へ戻る。
スタート順位は最後尾の二十番だ。
参加チームが二十であることを考えると、レストアが間に合わなかったチームは存在しないらしい。
一週間で直せるように応急修理した国立蒸気科学研究所の技術力の高さを図らずも証明していた。




