第四話 再会
「カミュ、着替えは持った?」
「持ったよ。リネアは工具を持って。オレは海水タンク引っ張っていくから」
車輪付きの海水タンクの取っ手を掴み、カミュは忘れ物がないかを確認する。
工具類や今回のレースに向けてリネアと相談して作った対策集や過去数年分の新聞の天気欄をまとめたスクラップ帳など、荷物は全て持ったことを確認して宿の客室を出る。
「お二人さん、ついにご出陣だね」
廊下で待っていたグランズが片手をあげて挨拶しつつ、軽い調子で声を掛けて来る。その隣でメイトカルが蒸気機甲の感度を確かめるように手を握ったり閉じたりしていた。
四人で宿を出て、霧の立ち込める朝の通りを会場へ向かう。
「ドラネコ、本当に手伝わなくていいのか?」
「若様がしゃしゃり出てきても邪魔なだけだから、荷物運びだけお願い」
「邪魔って……あのなぁ」
「蒸気機甲の整備くらいしかできないでしょ。グランズだったらスティークスの整備と組み立ては出来るみたいだけどさ」
「おじさんに頼ってくれてもいいのよん?」
「どうせ戯言を並べてボク達の連携を乱すに決まってるんだから、グランズさんは大人しくしてて」
リネアに釘を刺されて、グランズが項垂れる。
大人男性二人組に戦力外通知を告げてはいるが、今回のレストアレースには四人組でチーム登録してあった。
カミュとリネアの二人だけでも出場できたのだが、レースの前に設けられるレストア期間は不正防止のため部外者の立ち入りが制限されてしまう。
しかし、警察側としては重要参考人指定が解かれたもののリネアとカミュを野放しにはできない。
そんなわけで監視についているメイトカルが離れるわけにはいかないと主張したため参加者登録する事になり、グランズも護衛役だからと建前を述べながら飄々と参加したのだ。
邪魔しないのならば勝手にしろ、とカミュもチーム参加を認めていた。
「グランズ達はレースのルールをどこまで知ってるの?」
「修理期間とレース期間の二部に分けて行われるってことくらいだね」
グランズの返答を聞いたカミュは情報共有をしておいた方がいいと判断し、口を開く。
「修理期間は一週間。修理する事になる車体の状態はバラバラだから、万全を期するなら最初の車体選びで状態が良いものを素早く手に入れる必要がある」
「一週間とはまた、短すぎやしないかい?」
「事前に開催側が部品を集めてくれているからそれを使えってさ。その代わり、外からの部品持ち込みは認められてない。監督官が付くらしいから、持ち込み部品を使ったらその時点で反則退場」
それでも、一週間の修理期間はかなり短い。連日徹夜も十分にありうる範囲だ。
開催側が用意した部品でさえあれば、改造なども認められている。多くの参加者はジャンク品を修理した上で部品の改造により高速化を図るだろう。
開催一回目のレース大会だけあって、ルールはかなり大ざっぱで幅の広いものになっている。説明もすぐに終わった。
グランズが蒸気機甲を装着した右腕を見せびらかす様に目の前に持ってくる。
「つまり、おじさんとメイトカルで状態の良さそうな車体を担いでカミュ君たちのところに持って行けばいいわけだ。任せなさい」
「一度触れるともう変更できないから、グランズ達は何もしないで。オレとリネアで選んだ方がいい」
「おじさんの目利きが全く信用されてない……」
「哀れだねぇ」
「カミュ君ったら笑顔で辛辣なんだからもう!」
交通規制がかかる前に転造跳開橋を渡り、ネーライクの郊外にある会場に向かう。
参加者の規模は少ないながらも注目度はそれなりにあるらしく、会場周辺には見物客が多く見受けられた。どこかの新聞社から来たらしき記者の姿もちらほら目につく。
メイトカルが苦い顔で記者たちを眺めていた。
「あれは撤廃の会のテロ行為を期待してるな」
「分かるの?」
「会場の様子を確認しているくせに、参加者へ注意が向いてない。この会場が事前にどういう状態で、テロ行為が起きた後にどうなったかを記事に出来ればそれでいいと思ってるんだろ。ったく、陰湿な」
「全部若様の予想でしかないけどね」
敵を作る発言をするメイトカルをやんわりと窘めるが、カミュも意見は同じだった。
このレースの注目度の何割かが撤廃の会によるテロ行為を期待する野次馬だと推察できる。
それでも、カミュもリネアも目立ちたいわけではなかったため、どんなスタンスでこの会場にいようと邪魔さえしないのであれば無視できる。
見物人の間を縫って、カミュたちは会場の受付の前に立った。
男性二人に少女二人に見えるカミュたちを珍しそうに見上げた受付担当者は、カミュが差し出した参加者証明を見て頷いた。
「ようこそ、レストアレースへ。こちらがルールブックです。もうまもなく始まりますので、どうぞ中でお待ちください。頑張ってくださいね」
家族での思い出参加だと思われたのか、微笑ましいものを見るように受付担当者は目を細め、会場入り口を手で示した。
受付担当者の態度でなんとなく察したのだろう、グランズがトボトボついてくる。
「おじさん、こんな大きな子供いる歳じゃないんだけども」
「グランズ先輩の弟だと思われてるなら心外ですよね」
「メイトカル君や、会場の裏に行こうか。おじさん、久々に切れちまったよ」
「ドラネコたち相手の時とずいぶん対応に差がありますね!?」
「カミュ君たちは可愛いから良いの。可愛いは正義だ」
「オレは男だけどな」
「そうだったよ、ちくしょー!」
「グランズさん、うるさい。恥ずかしいから奇声を挙げないでよ」
「リネアちゃんの物言いが日増しにキツくなっていく……」
自業自得だろ、と言いかけたカミュだったが、会場内の視線が集まっている事に気付いて口を閉ざす。
ざっと会場内を見回した限り、参加者には若手が多い。
身に着けている蒸気機甲は作業の邪魔にならないような細いシルエットの物が多く、グランズやメイトカルが使っているような攻撃を受け止めることを想定した戦闘用の物を付けている参加者はいなかった。
グランズとメイトカルの蒸気機甲に気付いたか、参加者の何人かが警戒している。撤廃の会の人間か何かだと思われたのだろう。
「ボク達だけだと因縁つけられてたかもしれないから、グランズさんたちがいてよかったかもね」
「虫よけグランズ」
「聞こえてるよ、カミュくーん」
グランズがカミュの頭を掴んでぐりぐりと撫でる。和やかな雰囲気を出して、参加者の警戒心を和らげようとしたのだろう。カミュもグランズの目的が読めたため、抵抗しないでいた。
会場の端に目をやると、青いカーテンで仕切られた一画があった。おそらく、レースで使うジャンク品が置かれているのだろう。
「カミュ、向こうが作業場所みたい」
リネアが指差したのは青いカーテンで仕切られた一画から見て会場の反対側だ。最新の工作機械がずらりと並んでおり、白いパーティションで参加者チームごとに作業区画が作られている。
登録番号ごとに区画が割り振られているらしく、カミュたちに割り当てられているのは会場の隅だった。
旋盤の他、プレス機まで置いてある。大型機械は参加者で共用するらしく、奥の共有スペースに置かれていた。
スティークスを一から作るのでない限り使わないような工作機械を見て、リネアが困ったような顔をする。
「あんなものまで使わないといけない破損状態なのかな……?」
「いや、流石に必要ないでしょ。記者向けに絵を作ってるだけじゃないかな」
肝心の記者はまだ会場に入れてもらえずに外で待機しているようだ。
作業区画の確認をして、工具などを置いていると会場に造られた壇の上に白衣の男が現れた。
「ひゃあはっはー! いらっしゃい、蒸気機関を愛する同胞たちよ! そんなわけでレストアレースの開催を宣言する!」
のっけから興奮状態で始まりを告げた白衣の男に参加者たちが唖然とした目を向けた。奇怪な生物を見る目を一切気にせず、白衣の男はギアファッションのバングルを身に付けた右腕を振り上げて注目を集め、すかさず青いカーテンの方へ右腕を向けて視線を誘導する。
「君たちにレストアしてもらうスティークスはあちらにある。どれも蒸気機関撤廃の会を名乗る下郎共の蛮行に晒された哀しきジャンクたちだ!」
白衣の男がパチンと指を鳴らすと、青いカーテンが左右に引かれ、ジャンク品が露わになる。
車種も状態も様々だ。このジャンク品選びの段階ですでに優劣が決まるほどだが、応急修理だけはしてあるものが目立つ。一週間でレストアが可能と判断されたジャンク品が並んでいるのだろう。
だが、一台だけ明らかにおかしな状態のジャンク品が存在した。
「――っ!」
たった一台、そのジャンク品を眼にした瞬間にカミュは目を見開いて息を呑む。
「約一台、応急修理が間に合わずにあのような状態だが、参加チームは二十、用意したスティークスは三十台だ。気にせず選んでくれたまえ。では、五つ数えたらスタートだ。はい、五」
説明が終わるとすぐにカウントダウンを開始する白衣の男に、参加者たちが慌ててスタートダッシュを切れるように準備し始める。
カミュはリネアと視線を交わし、頷きあう。
作業区画の端にいたグランズとメイトカルが苦笑していた。
「運命を感じちゃうよね。おじさん、ほろりときそう」
「ですが、条件はかなり悪いでしょう。入賞しないと賞品としては手に入りませんし」
グランズとメイトカルが言葉を交わす中、カウントは三を切っていた。
リネアがカミュの横に立つ。
「全力で行ってね。ドラネコさん」
「にゃー」
鳴き真似で応じた直後、白衣の男が「始め」の宣言と同時に右腕を振り下ろす。
フライング気味にいくつかのチームが飛び出した。
「こらこら、反則――」
白衣の男が仕切り直そうとして、口を閉ざす。
遅れて飛び出したはずのカミュがフライングした男たちを追いかけたかと思うと、蒸気機甲を作動させて男たちの合間をすり抜けたからだ。
しなやかな白い脚が会場の床を蹴りつけ、男たちの隙間を潜り抜けていく。
フライングなどハンデにならないと見せつけるような動きで男たちを抜き去ったカミュは、両足の蒸気機甲を作動させて一気に引き離した。
目の前に、横五列に並べられたスティークスがある。どれもこれも破損状況は様々だが、ボイラーやシリンダー部分は例外なく破壊されている。
本来ならば足を止め、間近で観察しながら少しでも修理の手間がかからない物を探す場面。しかし、カミュは並ぶスティークスには目もくれず、軽やかに最前列のスティークスを跳び越えた。
狙いは青いカーテンが引かれた時点で定めていたのだ。
並んだスティークの最後列、ボロボロになっているその愛車に向けて、カミュは手を伸ばした。
「――こいつはオレのだ!」
手を添えて主張し、カミュは係員らしき人物を見る。会場の各所に配置されていた係員たちは国立蒸気科学研究所の職員たちだろう。
全速力でカミュが手にしたジャンク品を見て、係員が恐る恐る口を開く。
「君、本当にそれを直すつもりかい?」
「文句ある?」
「いや、ないけど、一週間で直せるような物でも……」
「関係ない」
「な、ならどうぞ」
気圧された係員はカミュの主張を認めた。
「よし……」
小さくガッツポーズしたカミュの無邪気な笑みに、参加者たちがジャンク品を選ぶのも忘れて見惚れる。
カミュは勝ち取ったジャンク品を押して割り当てられた作業区画へ向かう。
シックな黒いボディに凹みやキズが目立ち、蒸気機関の命であるシリンダーやボイラーは原形をとどめておらず、チェーンは切れて変速器は姿もない。
もはやスクラップと呼ぶ方が正しいそのスティークスを誇らしげに押すカミュを参加者や係員は息を呑んで見送った。
「……ラグーンだよな、あれ?」
誰かが呟いた言葉に、カミュは足を止める。
「こんなになってもカッコいいだろ」
嬉しそうに言って歯を見せて笑うカミュに、誰しもが息をすることも忘れた。