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蒸気世界の夢追い人  作者: 氷純
第二章 逃避した先
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第二話  次なる旅への約束

 カミュが宿の客室に帰ってみると、リネアが椅子に座って窓の外を眺めていた。

 月明かりに照らされた白い顔も琥珀色の髪も、薄暗い部屋の中で光って見える。

 扉が開かれる音に気付いて、リネアが振り返る。


「おかえり、カミュ」

「ただいま」


 短く返して、カミュはトレンチコートを脱いで壁に掛けた。


「リネアもすっかり起きちゃったんだね。どうする。何か飲む?」

「紅茶が欲しいかな」

「すぐには飲めないけどいい?」


 リネアが頷くのを見て、カミュは部屋に備え付けのケトルに淡水と海水を入れる。二重構造をしたこのケトルは底に配置された蒸気石に海水が触れる事で発生した蒸気が、内側にある淡水の入った金属管を温める構造をしている。

 ケトルの上部に付けられた安全弁から蒸気が漏れだした。

 放置していればお湯ができるだろう、とカミュは窓辺に歩く。


「綺麗な月だね。旧市街からじゃ絶対に見れないくらいはっきり見える」


 窓から月を見上げてカミュが言うと、リネアは静かに頷いた。


「旅をしないと見れない月だよ」


 首都ラリスデンでなくとも人口密集地であれば使用される蒸気機関の数も多く湿度が高くなる。いまは海沿いの町だからこそ見ることができているだけだ。

 先ほどまでグランズと飲み食いしていた店の主人も、今日ほど綺麗な月はなかなか見れないと言っていた。


「――子供の頃さ」


 リネアが月を見上げて話し出す。


「ラグーンで一緒に旅をしようって話したよね」

「話したね。遺跡を巡って月と星を見上げながら食事して砂漠をラグーンで走り抜けて、だっけ」

「そう。五年越しの約束だったのに、なんか慌ただしい旅で終わっちゃったね」


 リネアの呟きに、カミュは苦笑する。

 警察と蒸気機関撤廃の会に追われながら首都ラリスデンを出て、慌ただしく日々が過ぎていった。

 旅を楽しむという意味では、約束が果たされたとは言えないだろう。


「お父さんに教わりながらだったけど、あのジャンク品だったラグーンを頑張って修理して、部品を探してラリスデンの新市街も旧市街も歩き回って、廃材置き場に誰よりも詳しくなってさ」

「リネアがバリス通りを見てうなされたりね」

「それはやめて」


 思い出したくない過去もあったらしく、リネアは眉をひそめてカミュを止める。

 くすくすと小さく笑ったカミュは窓の横の壁に背中を預けた。


「アルトナンおじさんに手伝ってもらった所もあったけど、ほとんど二人で相談しながら直したよね。サイドカーも二人で廃材置き場から拾ってきて、水を抜いたり分解して部品の点検と交換をしたり、二日掛けて表面を磨いたり」

「ボクはあの頃が一番楽しかった気がしてたんだよ。カミュと再会して一番が交代すると思ったんだけど」

「邪魔が入り過ぎたからね」


 カミュが同意を示すと、リネアはテーブルに突っ伏した。


「もう、あいつらのせいで滅茶苦茶だよ。絶対に恨んでやるんだから」

「同感。でも、約束は仕切り直しかな」


 カミュの言葉に、リネアが顔をあげる。


「……ラグーンはもうないのに?」


 不安そうに見上げながらの呟きに、カミュはポケットの中に手を入れながら言い返す。


「ラグーンは無くても、オレ達はまだ生きてる。そんなに不安そうな顔をしなくても、ラグーンだけがオレ達の繋がりじゃないよ」


 元々、カミュは旧市街育ちで、リネアが新市街に越してきたばかりの頃に出会った。

 カミュがアルトナンに蒸気機関について教わる中で娘のリネアとも仲良くなり、共にラグーンの修理を始めたのだ。

 二人の関係は始まりから五年前の別れまで、ラグーンを中心に構築されていた。

 そして、再会さえも二人でラグーンに乗って旅をするという約束あってこそのものだ。

 ラグーンが失われた今、どことなく気まずさがある。


「でも、これだけは回収した」


 カミュはポケットからラグーンに付けていたエンブレムを取り出す。カミュとリネアのイニシャルを図案化した丹銅製のオリジナルエンブレムだ。


「遺品ってわけじゃないけど、これだけはね」


 カミュがエンブレムを渡すと、リネアは月明かりにかざしたそれを見つめる。

 二人が修理したラグーンを象徴するようなオリジナルエンブレムは月明かりを受けて赤味の強い銅色に輝く。手入れを欠かさずにいたからこその滑らかな光沢と金属製ゆえの重量が確かな存在感を訴えていた。

 その存在感こそが、カミュとリネアの繋がりの証明でもある。


「改めて約束。リネア、一緒に旅をしよう」

「うん。楽しい旅を」


 リネアが頷いて、月を見上げる。


「こんな風に綺麗な月を次は二人とも笑顔で見上げられるような、そんな楽しい旅をしようね」

「星空も見上げたいかな。もっと満天に輝くらしいし」


 カミュも月を見上げて、旅の終わりを思い描く。

 まだ始まってもいないその旅を楽しく終わらせるために、カミュはリネアに向き直った。


「さっき、グランズからレストアレースへ参加したらどうかって提案されたよ」

「ボクも言われたよ。カミュ次第って答えたけど、その様子だと参加かな?」

「うん。参加して、入賞報酬にレストアしたスティークスを譲り受ける。それが今後の、俺達の旅を支えてくれる相棒だ」

「分かった。目指すは入賞……いっそ優勝しちゃおうか。旅の門出にさ」

「大きく出たね。別に無理に優勝しなくても三位以内に入ればそれでいいよ」


 堅実的なカミュの意見に、リネアは唇を尖らせる。


「ロマンが足りないよ」

「一番の目的は足の確保だからね。レストアレースが開催されるネーライクの近くに霧船がやってくるらしいし、レースが終わったら見に行けるよ」


 そう言って、カミュは笑った。



 首都ラリスデン、新市街の端にある国立蒸気科学研究所の一室にその男は立っていた。


「――ひゃはははあ!」


 狂ったような笑い声を響かせ、両腕を大きく広げて天井を仰ぐ姿はまるで神の降臨を喜ぶ狂信者のようだ。


「素晴らしい! 感動的だ!」


 笑い涙が目じりに溜まるほどに狂喜する男は白衣を着ている。白衣の袖はギアファッションのバングルで固定され、作業の邪魔にならないよう配慮されていた。

 手には革の手袋をはめている。白衣との相性が悪いその皮手袋も、男の身に付けているギアファッションのバングルとは良く馴染んでいた。

 男が掛けている眼鏡は拡大鏡を兼ねた機構が搭載された半ばゴーグルといってもいいやや武骨な代物である。拡大鏡の倍率を変更するための歯車機構はクリスタルガラスで覆われており、ギアファッションを取り入れたデザインになっていた。

 そんな白衣のギアファッション男の前には、事件現場から持ち込まれたジャンク品のスティークスが一台安置されている。

 力任せに破壊された後で爆発にでも巻き込まれたのか、傷や凹みが随所に見られ、部品はほとんどが原形をとどめていない。

 しかし、男の眼にはスティークスの車種はもちろん、使われている部品個々の製造メーカー、製作者の技術水準までもが手に取るように読み取れる。

 だからこそ、男は狂喜乱舞していた。


「実に愛しい。執着心と情熱を感じる逸品ではないか! 君たちもそう思うだろう? そうだろうとも、みなまで言うな。分かっているとも、感動を分かち合おうではないか!」


 ついにはその場で右足を軸にクルクルと回転を始めた男が呼びかけた同僚たちはとうの昔に回転を始めていた。


「V型シリンダーをまさか現役で使用する愛すべき変態が現存していたとは、感動だ!」

「このモノショックを作った奴はどんな工作精度してやがんだ。古代文明の末裔さんかと!」

「製作した方、サインください!」


 口々に雄叫びにも似た歓喜の声を喚き散らす彼らは、国家最高の技術研究所の研究員である。

 惨状と形容するにふさわしいその場に置いて、ただ一人冷静な刑事が手元の資料を広げて説明を開始する。ここの研究員たちが頭と腕のいい馬鹿であることなど、担当刑事はすでに知っているため動揺は一切ない。


「今回、検査していただきたいのはこのスティークスです。とある事件の現場に残されていた物でして、蒸気機関撤廃の会との関係を噂されている人物の物と思われます」

「――あぁ? いま、常識撤廃の会とか言ったかね?」


 回転していた研究員たちが一斉に動きを止め、刑事を睨みつける。

 代表して訊ね返した白衣のギアファッション男に、担当刑事は言葉を返す。


「蒸気機関撤廃の会です」

「このスティークスの持ち主が撤廃の会の関係者? ないな、あり得ない。なぜならば、この作品からは無上の情熱を感じるのだから!」

「いえ、印象論で語られても困ります」


 あくまでも冷静に返す担当刑事に、研究員たちは肩をすくめて首を横に振る。こいつ何にも分かっちゃいない、とでも言いたそうな素振りだが、担当刑事は目も向けない。

 白衣のギアファッション男がスティークスを一瞥してから、担当刑事を横目で見る。片足立ちでクルクル回って喜んでいた男とは思えない理知的な瞳だ。


「印象論だと? それを君たちが口にするかね。印象論さえもすっ飛ばし、犯人に仕立て上げるための粗探しをしてくださいとばかりにこの芸術品を持ち込んだ君たちが、印象論を否定するかね。滑稽だな。なぁ、貴族は飼い犬にも上等な餌を与えてくれるのだろう? 理性も道徳も吹き飛ぶような、旧市街で売られる素敵な薬がたんまりと盛りつけられた奴だ。結論ありきで過程を無視する君たちには理性も道徳も必要ないだろうからな?」


 連続で飛び出す皮肉に、担当刑事がため息を吐く。


「どこまでご存知かは知りませんが、結論を否定するに足る論拠を提示するのもあなた達の仕事です」

「無視するか、継ぎ接ぎに編集するか、どちらかなのは知っているとも」

「では、よろしくお願いします」


 担当刑事は一礼して、部屋の出口へ足を向ける。

 扉のノブに手を掛けた担当刑事は、たったいま気付いたような顔で壁に貼り付けてあるチラシを見た。


「面白い試みですね。出場者にレストアしてもらうジャンク品はもう集まりましたか?」

「……ひゃあははあは! 君の事が大好きだ! 次会う時までに首輪を用意しておこう!」

「結構です。自分はあなた方が嫌いなので」


 疲れの滲んだため息を吐き出した担当刑事はそのまま部屋を出ていった。

 ギアファッションの男は白衣の裾をばさりとはためかせると、同僚たちを振り返る。


「では君たち、この芸術品をレストア可能な状態まで応急修理してしまおうではないか。蒸気機関への溢れだす愛と情熱を持って!」



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