第一話 次なる目的地
遅くなりましたorz
カミュが目を覚ますと、暗い部屋の中にいた。
窓から差し込む月明かりを見て、ベッドから出て窓辺に寄る。
月が出ているとは珍しい。海からの風で湿気が吹き流された結果だろうか。
「カミュ……?」
「リネア、寝てていいよ。オレは何か食べてくるから」
違うベッドで寝ていたリネアが物音に気付いて起き上がったが、カミュに声を掛けられて納得したように頷くと再び枕に頭を預けた。元々夢うつつだったのか、すぐに小さな寝息が聞こえてくる。
カミュはベッドの横に置いてある鞄から自分の財布を取り出してポケットにねじ込み、部屋の外へ出た。きちんと部屋の扉に鍵を掛けて、一階への階段に向かう。
省スペース化を図ったらしい螺旋階段を降りると、ほぼ無人のエントランスがあった。エントランスをギリギリのところで無人足らしめずにいるカウンターの夜番はうつらうつらと舟をこいでいる。
時計を探して壁を見回すが見つからず、カミュは諦めてカウンターの夜番に声を掛けた。
「お休み中のところ悪いんだけど、この時間でも食事ができるお店を知らないかな?」
「――ふはっ!?」
間抜けな声を出して飛び起きた夜番はカミュの顔を見て羞恥に顔を赤くすると、慌てた様子でカウンターの裏から市内の地図を取り出した。
「えっと、この時間ですと――今、何時でしょう?」
「さぁ、分からないなぁ。日付が変わってはいないと思うんだけどね」
「でしたら、朝までやっているお店がいくつかありますが、若い女性一人となるとこちらのお店がよろしいのでは?」
「分かった。ありがとう」
夜番が指差した地図上の一点を覚えて、カミュは礼を言う。
「いえいえ、お気をつけて。それと、寝ていた事は内緒でお願いします」
「お願いされたよ。では、いい夢を」
いたずらっぽく皮肉を返すと夜番も苦笑で応じた。
宿を出て、教えられた店へ向かう。
しかし、カミュを待っていたのはシャッターが下ろされた店舗と一枚の張り紙だった。
「――一身上の都合により来週まで休業します、か」
張り紙を読み上げて、カミュは早々に見切りをつけると、潮騒に導かれるように海岸へ歩き出す。
海の側ならば船乗り相手の店が開いているかもしれないと見越しての選択だ。
案の定、潮騒に混じって酔客たちが歓談する声や興が乗って音律には乗れていない歌声やらが聞こえてくる。
適当に見て回って、雰囲気の良さそうな店を探したカミュはトタン壁が並ぶ倉庫街に隠れるようにして建つ小さな店へ入りこんだ。
「……いら、いらっしゃい」
夜更けに訊ねて来るには見た目がそぐわないカミュを見て一瞬戸惑った様子の店主はそれでもすぐに仕事を思い出して声を掛けて来る。
カミュは店内を軽く見まわして他に客がいない事を確かめると、カウンター席の端に着いた。
「ボイルソーセージと何か炭酸が入ってない甘めのカクテルをください」
「はい、ただいま」
店主が棚を眺めてリキュールを選び、カクテルを作り始める。
カミュはカウンターに頬杖を突いてシェイカーを振る店主をぼんやりと眺める。
少ししてグラスに注がれた桃の香りがするカクテルをカミュはさっさと飲み干した。
カクテルに合うサラダをサービスで出そうとしていたらしい店主が唖然とした顔でカミュを見る。
「お嬢さん、お酒に強いね」
「そこそこには。飲み比べとかしないからわからないけど。次レモンリキュールを使った爽やかで甘めのカクテルをお願い」
「はい、ただいま」
一応どうぞ、と出されたサラダを摘まみだしたカミュを横目に、沸騰する前のお湯にソーセージを入れて、店主がレモンリキュールを棚から取り出す。
レタスを一枚口に入れながら、カミュは店の内装を眺める。
隠れ家的な店をコンセプトにしているのか、壁面は赤レンガ積みで床は木目のはっきりしたこげ茶色の木板である。品よくおかれた観葉植物の鉢が一つ、カウンターの端にはおそらくこの店で一番高価な調度品だろうミステリークロックが置かれていた。
宙に浮いているように見えるミステリークロックから時刻を読み取り、まだ日付が変わっていない事を確かめる。
ちょうどその時、新たな来店者が入ってきた。
「――おやおや、カミュ君じゃないの。一人飲みかい。おじさんもまぜてくれよ」
カウンター席に座っているカミュを見つけるなり慣れ慣れしく声をかけて知り合いアピールを店主にしたのはグランズだった。
カミュはサラダを摘まみながら横目でにらむ。
「まぜたら一人飲みにならないよ」
「なら一人飲みを卒業しようぜい」
ドカリとカミュの隣に腰を降ろしたグランズは店主に白ワインを頼む。
「言っておくけど、おじさんはカミュ君の後を付けたりしてないかんね?」
「知ってるよ。尾行されてれば気付くし」
「誤解される心配は無し、と。安心だね、こりゃ」
グランズは肩をすくめて、メニュー表を開く。
「はしごしてきたから軽い奴にしようか――いや、我慢できねぇ、おじさんはエビフライを頼むぜ!」
「勝手にしなよ。ご主人、この人とは会計別でお願いします」
「カミュ君きっちりしてんね。おじさんは紳士だから、若人にたかったりしないよん?」
「傭兵として雇えって付きまとってた口で言うなよ」
「それを言われると弱いなぁ」
言葉を交わすカミュたちを見て、本当に知り合いなのだと判断したらしい店主はボイルソーセージを皿に乗せて出した。
店主が続けざまにエビフライを揚げ始めた頃を見計らって、カミュはグランズを横目で見る。
「何か聞きたいことでも?」
「おじさんってばそんなにわかりやすい行動してないはずなんだけれどもねぇ」
「リネアを連れずに一人で飲んでいるオレを見て、隣座るような選択肢が浮かぶ時点で何か用事があるに決まってる」
「可愛い子ちゃんが聡すぎて、おじさんは自信喪失しそう」
「戯言は良いよ。で、何が訊きたいの?」
面倒臭がりながらも、カミュはレモンの香りがするカクテルを一口飲んで訊ねる。
グランズが来た事で、さっさと酔って帰ろうと無茶な飲み方をする気も失せていたが、水を差された不満はある。
自然と急かすような聞き方になっていたが、グランズは気にした様子もなく口を開いた。
「いやね、カミュ君にとってのラグーンについて聞きたいなって思ったわけよ」
「下世話だね」
「興味がないと言えば嘘になるけれどもいま考えている提案をして良いのか、判断基準が欲しいのさ」
グランズの話運びから提案の内容が足の確保についてだと予想がついた。
ラグーンに関する自分語りなど飛ばして提案内容に話を持って行っても良かったが、リネアの重要参考人指定を解くよう尽力したグランズに対しては不義理だろう。
カミュはため息を吐いて、店主に追加の料理を頼んでから、話し出す。
「ラグーンを拾ったのは今から六年前になるかな。首都ラリスデンにある国立蒸気科学研究所の持ち出し自由な廃材置き場で拾ったジャンク品だよ」
国立蒸気科学研究所と聞いて、グランズの動きが不自然に一瞬止まった。
カミュは横目でグランズを観察する。
視線に気付いて、グランズが肩をすくめた。
「六年前って言うと十二歳くらいかな?」
「親に捨てられて五年くらい経ってたから、大体そのくらい」
誕生日は忘れたから、もしかしたら十一歳であったかもしれないが、カミュにとっては些細な事だ。
「旧市街の親無しがまともな教育を受けられるはずもないし、オレも漏れなくそうだった。蒸気機関の直し方なんかさっぱりで、拾ったは良いものの直せなかった」
「それでも拾おうとしたのは何故だい?」
「旧市街の人間がどうみられるかって分かる?」
カミュの質問一つで、グランズは苦い顔をして頷いた。
ラリスデン旧市街の治安は悪く、窃盗や暴力事件が頻発する地域である。殺人事件が毎日起こるような環境でこそないが、他の地域と比べて発生率は高いだろう。
そんな環境で育ち、教育もまともにされていない人間を雇う奇特な人間は少ない。その少ない人間ですら、見つかり次第食い物にされる。
「オレはラグーンを修理してあんな場所を出ていきたかったんだ。それで、どこかでまともな仕事につこうと思ってた。ラグーンでなくても、スティークスを修理できるくらいの腕があればどこかで修理工として雇ってもらう事もできるはずだからね」
カミュはグランズを見て、笑顔を浮かべる。
「やりたい事をやっておけ、だっけ?」
サーカス市場でグランズがカミュに対して口にした言葉だ。
カミュの笑顔に気圧されて、グランズの頬が引きつる。自らの発言がいかに無神経だったのか、理解が及んだのだろう。
カミュはグランズの引きつった顔を見てつまらなそう顔をそむける。
「やりたいことをやれるかどうか、そんな選択肢が目の前にぶら下げられる機会なんてなかったよ。やれる事さえやらせてはもらえないのがオレ達旧市街の子供を取り巻く環境なんだからさ。だから、やれる事をやれる新天地に向かったんだ。ラグーンはそんな新天地への通行証だったんだよ」
話は終わり、とばかりにカミュはカクテルを飲み干し、店長にアサリのクリームパスタと白ワインを頼む。
カミュがすべてを語っていないのはグランズも気付いているようだったが、サーカス市場での失言を蒸し返された事もあって踏み込めないでいる。
カミュとしても、これ以上踏み込むようなら旧市街仕込みの皮肉を連発して煙に巻くつもりだった。
話を続けても、グランズが提案とやらを切り出せなくなるだけだからだ。
「……でも、おじさんは別に間違った事は言ってない気がするんだよね」
「相手がオレじゃなくて、なおかつグランズが今のグランズだったなら、間違ってないね」
「あぁ、うん、わかった。おじさんじゃあどうあってもカミュ君に口で敵わんね」
降参だと両手を挙げるグランズの前にエビフライの盛りつけられた皿が置かれる。
纏った衣からちょろりと尻尾を出しているエビフライを見て、グランズみたいだと思うカミュだったが、皮肉が過ぎるため言わないでおいた。
グランズはポケットから一枚のチラシを取り出し、カウンターに置く。
「提案ってのはこれなんだけども、入賞報酬にご注目」
それだけ言ってエビフライにフォークを刺すグランズを無視して、カミュはチラシを見た。
サーカス市場の駐車場で見た覚えのあるチラシだ。グランズが言い出しにくかったのも頷ける。
チラシには、国立蒸気科学研究所主催レストアレースと書かれていた。
リネアの重要参考人指定が解かれた今なら参加可能ではある。
レストアとは蒸気機関を修理し、再利用可能な状態にする行為を言う。どうやらこのレースは主催者が用意したジャンク品のスティークスをレストアし競争するというルールのようだ。
グランズの言う入賞報酬には自らがレストアしたスティークスが贈られるとの事だった。
「入賞すれば無料で足を確保できるって寸法さ。カミュ君ならいけるんじゃないかなっておじさん期待しちゃう」
「買い被り過ぎだよ。本職に勝てるわけがない」
「いや、本職は参加しないだろうさ。蒸気機関撤廃の会を警戒するからね。サーカス市場でビラ配りを中止させられてたのも蒸気機関撤廃の会のテロ行為を誘発しかねないからだ」
言われてみれば、蒸気機関を修理して使えるようにするという行為を蒸気機関の打ちこわし運動を行っている撤廃の会は快く思わないだろう。
「ついでに、このレストアレースの趣旨がもう撤廃の会にケンカ売ってんのさ」
「……なるほど」
チラシに書かれていた趣旨を見て、カミュは納得する。
どうやら、蒸気機関撤廃の会による打ちこわし行為に対して皮肉と技術と溢れる蒸気機関への愛を持って応えてやろう、という趣旨らしい。
「いいじゃん。気に入ったよ」
「参加するかい?」
「うん、参加する。本職が出てこないなら条件もそう悪くないからね」
参加の意思を表明するカミュにグランズはほっとしたように息を吐く。
「なら、明日にも開催地に向かおうか」