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蒸気世界の夢追い人  作者: 氷純
第一章 逃避行
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第十九話 ラフダム

 老紳士ラフダムの部屋はアパートの二階にあるらしい。大家に聞けば、ちょっとした事務所として貸し出している部屋で、二階部分にあった四部屋の内二部屋をぶち抜いた大部屋になっているという。

 階段を上がりながら、リネアが周囲を警戒しつつカミュに訊ねる。


「ねぇ、規格化運動会って何?」

「蒸気機関撤廃の会が分離する前の組織。大本って言った方がいいかな。オレも五年前の事件から撤廃の会についていくらか探ったけど、規格化運動会の方は活動も理性的であまり気にしてなかった」


 まさかこんなところでその規格化運動会のトップと面識ができるとは予想だにしていない。

 情報としても、深いところまでは調べていなかった。だが、カミュの場合は元情報屋であり、一般的に流布している情報よりは多くの事を知っている。

 カミュは階段の踊り場で足を止め、リネアとの情報共有を先に済ませる事にした。


「規格化運動会の主張はその団体名通り、蒸気機関の部品等に政府基準を設けて定期検査を行う事で安全性の向上に努めるべきだってものなんだよ」

「撤廃の会と主張が全く違うんだね」

「ハミューゼンが過激派だけを集めて分離したのが撤廃の会だって言われてるからね。ただ、規格化運動会の活動はあまり成功してない。利権が絡んでグダグダしてるっていうのがもっぱらの噂」

「うわぁ……オスタム王国っていっつもそんな感じだよね」


 リネアが呆れたように言う。

 カミュとしても反論するつもりはない。

 規格化運動会についてカミュが知っている情報はもうないが、会長であるラフダムについては追加の情報があった。


「ラグーンが自主回収されることになった事件に、規格化運動会の会長が巻き込まれたって話がある。もう十八年前の事件だけど、その時の事故がきっかけで規格化を進める運動を始めたって話だよ」

「それでさっき、興味深いって」

「まぁ、そうだろうね。事故についての詳しい事は分からないけど。さぁ、行こうか」


 カミュは階段の上を見上げる。人の気配は三人ほど。うち一人は重たい足音がするため、左腕を機械化しているラフダムの物だろう。

 二階に上がると、初老の男性が扉の前に立っていた。シンプルな形状のモノクルをつけ、何らかの仕込みがありそうな大振りのステッキを携えている。


「……ねぇ、カミュ、過激なことはしない人たちなんじゃなかったの?」

「そう聞いてるけど、なんか雰囲気がおかしいね」


 カミュも自然と身構えながら、モノクルの男性が引き開けた扉を潜る。

 ソファに座っていたラフダムが機械の左腕を持ち上げてカミュたちを出迎えた。その滑らかな動きと静粛性、左肘からわずかに噴き出された蒸気から見て、かなりの高級品だと分かる。


「よく来てくれた。楽にしてほしい」


 ラフダムが部屋のソファを示し、座るように促してくる。

 カミュは軽く頭を下げてソファへ向かいながら、ざっと部屋の中を観察する。

 窓を背に頑丈そうな机についているラフダムに加え、扉を開けてくれたモノクルの男性、部屋にいた二十代後半の女性の三名が部屋にいる。室内に調度は少なくさほど値の張るような物もないが、質素に感じるわけでもない。

 客に失礼のない範囲で物を置きつつ、この部屋を戦場にしても損害を気にせず立ち回る事ができる整え方。うがった見方をすればそんなところだろうか。

 加えて、ハミューゼンについての情報収集と、ここ最近の撤廃の会の活動の過激化を踏まえて、カミュはラフダムが欲しがっているだろう情報を選別する。


「そう警戒せずとも、何もせんよ」


 ラフダムはカミュたちの警戒に気付いて、モノクルの男性に紅茶とカヌレを持ってくるよう命じる。

 ほどなくして、モノクルの男性が執事然とした優雅な動きでテーブルに紅茶とカヌレを置いた。

 カミュは紅茶には口を付けず、ラフダムを見る。


「まずは助けていただいてありがとうございます」

「なに、打算あっての事じゃ。それに、うら若い乙女二人が連れ去られるところをただ眺めているのは紳士の風上にも置けん」

「それについて、訂正を一つ。オレは男です」


 カミュが性別を話すと、ラフダムたちは一様に驚いた顔をする。その反応から、カミュの性別を知らなかったのだと分かった。

 つまり、カミュの性別を特定できるほど深く事態に関与していないという事になる。

 カミュが持っている情報がほぼすべて交渉材料としての価値を帯びた。

 情報のやり取りについてはカミュに一任するつもりらしく、リネアはラフダムたち三人を警戒するのみだ。

 カミュはラフダムに微笑みかける。性別を知っている者から見ても勘違いしてしまいそうなほど甘い笑みだ。


「それで、何を知りたいんですか?」

「ふむ。なかなかどうして、聡明な子のようじゃな。ひとまず、君たちが何者なのかを聞きたい。話せる範囲で構わないが、ハミューゼンとの関係についても知りたい」

「オレは戦闘技能でハミューゼンに目を付けられた一般人。リネアはオレの幼馴染で、アルトナン博士の娘といえば分かりますか?」


 アルトナンの名前が出た瞬間、ラフダムたちの視線が鋭さを増した。リネアが自らに集まる視線に物怖じせず、ラフダムを真っ向から見つめ返す。

 後ろめたいことは一切ないと断言するようなリネアの目を見て、ラフダムは一つ頷いた。


「なるほど、おおよそは分かった。アルトナン博士は研究発表を利用されただけなのじゃな。警察に追われている理由も見当がつく。任意同行も断って当然じゃ」


 納得した様子のラフダムがカミュを見る。


「タッグスライ砂漠第三遺跡爆破事件についての詳細を聞きたい」

「あまり話せることは多くないですね。ハミューゼンが部下を引き連れオレ達が雨宿りをしていたタッグスライ砂漠第三遺跡にやってきて、爆薬を仕掛けてドカンです。それ以前にロワロックという町でハミューゼン達と小競り合いを起こしていた事もあって、爆破前に戦闘が起きてオレの愛車ラグーンを壊されました」


 地下のオーパーツ群についてはリネアの嫌疑を晴らすための証拠材料となり得るため、カミュは情報を伏せた。撤廃の会の支援論者であるとの疑いを掛けられているリネアが発表しなくては、疑惑を晴らすための反証として使えないからだ。

 ラフダムは機械化している左手でティーカップを摘まみ、紅茶を飲む。その優雅な動きは機械化して長い時間が経っていることをうかがわせた。


「こちらばかり情報を得るのも不公平じゃな。ちと、ハミューゼンについて話そうか。君たちはハミューゼンの話し方をどう思った?」

「話し方ですか?」


 カミュはリネアと顔を見合わせる。


「典型的な詐欺師で自分の目的を隠しつつ、人を扇動している他国者です」

「特徴的な訛りがあったよね。ボクは聞いたことがない訛りだったけど」


 カミュとリネアの話を聞いて、ラフダムが「じゃろうな」と小さく呟く。


「ハミューゼンは砂漠を血だらけで彷徨っているところを儂が拾った。十年ほど前になるか。当時のハミューゼンはオスタム公用語を話せず、かといって大陸言語のどれも分からぬようだった。かろうじて、蒸気機関や蒸気石といった単語は理解できたが、意思疎通が可能になるまで三年ほどかかったんじゃ」

「大陸言語が分からないって、どういう事です?」


 オスタム王国を始め大陸には数か国が存在するが、どれもが古代文明の後継を名乗っておりどこかしら似た形の言語となっている。特に、古代文明由来の単語や言い回しは大陸言語と呼ばれ、どこの国でも通用する。

 大陸言語が分からないという状況は、文明社会で生活していなかったとしか考えられないほど異常である。


「ハミューゼンの出身地は分からないんですか?」

「本人が何も話そうとしなくてね。砂漠を傷だらけで彷徨っていたくらいじゃ。何か事情があるのだろうと何も聞かずにおいた事を今は後悔している」


 ラフダムは苦々しそうに机の端を見る。そこに置かれていたのはタッグスライ砂漠第三遺跡爆破事件について書かれた新聞だ。

 蒸気機関撤廃の会のテロ活動に頭を悩ませているらしい。すでに別の組織とはいえ、親となった規格化運動会の活動にも影響が出ているのだろう。

 カミュは机の上をざっと見て、ファイルを見つける。鋏などが置かれていることから、新聞記事を切り抜いて保存しているのだろう。

 となれば、ラフダムが欲しがるハミューゼンについての情報は居所や今後の活動を予測できる内容の会話なども含まれる。

 カミュはラフダムが言いださないうちに、先手を打った。


「ラフダムさんはハミューゼン達をどうしようと考えているんですか?」

「捕縛し、警察に突き出すつもりじゃ。今や儂ら規格化運動会の活動にまで正義を疑う声が聞こえてくる。このまま座しているわけにもいかん。質問を返すが、君たちはどうするんじゃ?」

「あまり関わり合いにはなりたくないですね。こちらの目的は別の手段でも達成できそうですから。ただ、撤廃の会が今後も遺跡の破壊活動を続けるのなら、今後衝突する可能性はありそうです」

「ふむ、積極的な協力は望めないが、味方と考えていいんじゃな?」

「はい」


 ラフダムの探るような問いかけに、カミュはリネアと声を揃えて肯定する。


「お互い、情報を定期的に交換しませんか?」

「君たちの情報収集力がこちらを上回るとも思えんが、まぁいいじゃろう。ハミューゼンたち撤廃の会についての情報があれば教えてほしい。こちらから提供する情報も同じものでいいのかな?」

「はい。こちらはハミューゼンたちを避けるために情報が欲しいですから」


 目的は違うが、手段は同じだ。ハミューゼンたち撤廃の会についての情報をあつめ、共有する。


「儂らへの連絡はこの事務所にお願いしよう。君たちはどうするんじゃ?」

「いまのところ根無し草なので、宿という形になると思います」

「各地にある規格化運動会の事務所の住所を教えておこう。儂らが集めた情報は各事務所でもある程度共有しておる」


 そう言って、ラフダムは名刺の裏に何かを書きつけてカミュに渡してくる。事務所で名刺を見せればハミューゼンについての情報を見せてくれるらしい。


「こんなところか。君たちはこれからどこに向かう?」

「ちょっと状況の整理が必要なので予定は詳しく決めてないですが……」


 先ほどのグランズの口ぶりから、コフタク警察署でグランズが何かをしたらしいことは分かっている。カミュたちの不利になるようなことをしていた様子ではなかったため、まずはグランズから状況を説明してもらうべきだろう。

 カミュは横目でリネアを見る。まさか忘れてないよね、とでも言いたそうな瞳に見返されて、カミュは苦笑した。

 忘れてないよ、とカミュはリネアに囁いて、ラフダムを見る。


「砂漠の霧船を見に行こうと思ってます」

「砂漠の霧船か。そういえばネーライクの辺りを通るんじゃったな」


 ラフダムは新聞紙にちらりと目をやってから、カミュを見る。


「分かっていると思うが、砂漠の霧船は古代文明の遺物じゃ。ハミューゼンが破壊をもくろんでいる可能性がある。気を付けたまえ」

「心得てます」


 カミュは返して、リネアを促して立ち上がった。


「また会おう」

「えぇ、またどこかで」


 ラフダムに見送られて、カミュはリネアと共に部屋を出る。モノクルの男性に建物の外まで案内され、傘を二本手渡された。


「うら若いお嬢様方が雨露に濡れる姿を見るのはしのびありませんので」

「オレは男なんですけど」

「周りの目というモノをお気になさいますよう」


 モノクルの男性は勘違いを指摘されても動揺一つ見せずにさらりとかわす。


「……では、遠慮なくお借りします」

「ありがとうございます」


 カミュが傘を受け取ると、リネアが頭を下げてもう一本の傘を受け取る。

 建物を後にして、カミュたちは宿へ歩き出した。

 路地などをざっと見まわしてみるが、警官の姿はない。


「本当に諦めたのか」

「カミュみたいにね」

「何の話?」

「ラグーンを取りに行くんじゃないの? なんで砂漠の霧船が優先なの?」


 リネアに横目で睨まれて、カミュは傘を傾けて視線を遮る。


「もう警察に回収されてるからね。メイトカルが見つけたような事を言ってたでしょ。証拠品扱いで回収済みだよ」


 実際、カミュが現場にいたという証拠になる。犯行の直接的な証拠にはならないが、確実に外堀を埋められる物証だ。警察側が返品要求に応じるとは到底思えない。


「切り替えるしかないよ。ただ、足の確保は必要かなぁ」

「……ねぇカミュ、傘はもう要らないんじゃない?」


 リネアがそう問いかける合間にも、石畳に出来た水溜りにいくつもの波紋ができる。空に太陽の気配はなく、どこか近くに落ちたらしい雷の音にリネアの言葉の最後は掻き消されていた。

 リネアが傘を閉じる音が聞こえる。すぐにずぶ濡れになるというのにそれでも傘を閉じるリネアに、カミュはため息を吐いた。モノクルの男性といい、お節介焼きばっかりだ、と。

 カミュはせめてもの抵抗として、開いたままの傘をリネアに差し掛けた。振り落ちてきた雨がカミュの髪を濡らし、水滴を頬に伝わせる。

 リネアが頭上の傘を見上げた。


「……いじっぱり」



 二人で宿に戻ってみると、グランズとメイトカルが酒を酌み交わしていた。


「お、帰ってきたね。おじさん、寂しかったよ」

「結局それで押し通すんだ。まぁ、不愉快な演技ではないから良いけど」

「記憶にとどめておけ。グランズおじさんの愉快にカッコいい役者ぶりをな!」


 わざわざ席を立って決めポーズをしたグランズを無視して、メイトカルがカミュを見る。


「傘を持っているのにずぶ濡れか。深くは聞かないが、部屋に行く前に一つ聞いておけ」


 メイトカルがそう言って、タオルを投げ渡してくる。雨に濡れて帰って来る客のために宿の主人が用意してくれたらしい。

 カミュはリネアの分と二つ放り投げられたそのタオルを空中で取り、仕掛けがないかを調べてからリネアに渡す。

 カミュの警戒心にメイトカルは不満そうな顔をしつつ、口を開いた。


「理由は話せないが、ドラネコとリネアちゃんの重要参考人指定が解かれた。今後は警察もお前らを追わない。ただ、流石に野放しってわけにもいかないんでな。俺が付いて行くことになる」

「あっそ。グランズ、ありがとう」

「え、何の話かな? おじさん、よくわかんないなぁ。でもカッコいいって褒めてくれるなら受け入れちゃえる、そんなでっかい器の男でもあるんだ。さぁ、心を込めて、どうぞ!」

「一段落ついたし、オレは部屋に戻ってゆっくりするよ」

「ボクも部屋に行くよ。グランズさんとメイトカルさんの二人は相部屋かな?」


 二階の部屋へと向かうカミュに続いて、リネアが階段に向かう。

 グランズは未だポーズを取ったまま、二人に体を向ける。


「凄く距離を感じる不思議!」

「グランズ先輩、ちょっと黙ってた方が良さ気です」

「ちっちっち、メイトカル君、おじさんは刑事の先輩ではないんだ」

「人生の先輩ですね。それで、グランズ先輩、分かっててやってません?」

「まぁな。でも効果はなかったっぽいわ。ここまでの道中は殊勝に振る舞ってたけど、やっぱりラグーンの事は堪えてたか」


 グランズとメイトカルの話し声を聞きながら、カミュは二階に上がり、客室に入った。

 雨に濡れたコートを脱ぐのも面倒だったが、それでも脱がないわけにもいかず仕方なく着替える。

 靴に雨水が染み込んだせいで濡れた靴下も脱ぎ捨て、カミュは新しい服を着るとベッドに倒れ込んだ。


「……疲れた」


 枕に顔を埋めて呟くと、ベッドが微かに揺れる。近くにリネアの体温を感じた。


「ボクが言っていいのか分からないけど、お疲れ様。それに、ありがとう」

「どういたしまして。いいところをグランズにかっさらわれた感じがして釈然としないけど」

「そんな事ないよ。カミュがいなかったらどうにもならない場面がいくつもあったんだから。後、ラグーンの事はごめんなさい」


 頭を下げる気配を感じて、カミュは枕に埋めていた顔をリネアへ向ける。


「……オレはちょっとふて寝する」

「……分かった。部屋を出てるね」


 リネアはそう言って立ち上がり、着替えだけ済ませて部屋を出ていった。




これにて一章終了です。

二章は早ければ十二月から開始します。

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