第十八話 包囲
宿を包囲しつつある刑事に悟られないよう、カミュとリネアは荷物を纏めていた。
「人を避難させるのに時間を使い過ぎだね」
「オレ達にばれないように遠ざけたいんだと思うよ。ばれてるけど」
警察側が無能な訳ではなく、カミュが最初から全力で警戒していたのが原因である。
蒸気機甲を身に着けて荷物を担いだカミュは、窓辺に寄って外を盗み見る。
カミュから見れば隠れる気があるのかと首をかしげたくなるような、下手な見張り役が三人、店の表に見える。
「……おかしい」
「なにが?」
カミュの呟きを聞き取ったリネアが琥珀色の髪をゴムバンドで留めながら訊ねる。
カミュは窓から遠ざかり、リネアの準備が終わっているのを見て部屋の扉に手を掛けた。
「見張りの警官の装備が貧弱すぎる。グランズから情報を得たなら蒸気機甲と拳銃は必須のはずなのに」
「ボク達が女の子二人組だと思って、グランズの報告を真に受けずに包囲形成までの早さを重視したのかも」
「あり得ない話じゃないけど素人臭い動きといい、この町の警官って経験が足りないんじゃないかな」
言葉を交わしながら廊下に出た二人は一階に降りる。
カウンターに不審な顔で外を見る宿の主を見つけて、カミュは思わずため息を吐いた。
警察側は、カミュたちと戦闘になる事を最初から想定していないらしい。そうでなければ、一般市民を容疑者が泊まる宿に放置しないだろう。
「――と油断させるまでが作戦なんだろうけど、若様っていちいち相手の人間性に期待するから出世できないんだろうなぁ」
「若様って事はメイトカルさん?」
「そう。多分、裏の方を固めてるよ。あっちの方は家が密集していて、オレが逃亡しやすい環境だからね」
カミュは答えつつ、宿の主に近付く。
「すみません、宿の裏手に刑事の振りをしている不審者がいるみたいで、怖いんです。防犯は大丈夫ですか?」
「ん? あぁ、お嬢さん方も気付いたかい。ウチの若い従業員を裏手に回してあるから大丈夫だとは思うんだが、最近はほれ、撤廃の会が暴れていて何かと物騒だろう。お嬢さん方もしばらく警察署の方に避難した方がいいかもしれん。案内しようか?」
「お願いします」
カミュが丁寧に頭を下げると、頼られたのが嬉しいのか宿の主は相好を崩した。
「では、人を付けよう。準備は整っているようだからね」
宿の主は表を見張っている従業員に声をかけ、カミュたちを警察署へ案内するように指示を出す。
従業員はカミュたちを見て視線を彷徨わせると顔を赤くし、緊張した面持ちで先導を始めた。
カミュとリネアは頼りない従業員を見て苦笑するが、文句は言わない。
宿を出ると、雨が降り出していた。遠くから聞こえる雷の音に気を引かれた振りをして、カミュは物陰に隠れている警官の様子を窺う。
カミュとリネアが宿を出たことに気付いた警官が慌てているのが見えた。
このまま尾行してくるのなら従業員に様子を見に行かせ、隙を突いてリネアと逃げればいい。カミュはコフタクの地理を思い出しながら、逃走経路を組み立てる。
雨でぬれた道路は足音が鳴りやすい。カミュの耳は警官の動きを正確にとらえていた。
三人いる警官のうち一人は宿の裏手にいる仲間との連絡を取りに行ったようで、残りの二人が距離を開けてカミュたちについてきている。仲間との連絡を取りに行った者は、宿を通り抜けようとしたようだがおそらく時間がかかるだろう。
宿を出る際にカミュが宿の主に「刑事の振りをしている不審者」の情報を渡しているためだ。警官であることを示す手帳でさえ疑われる状況で、宿の主が協力するとは思えない。通りを迂回して仲間と合流するには少々時間を必要とする。
後は、尾行してきている警官二人を引き離せばよい。
カミュは角を曲がって警官から死角になったタイミングを見計らい、従業員の横に並ぶ。
「後ろから男が二人、付いてきています。ここから先は大通りばかりですから私たちの心配はいりません。宿の方に戻ってあげてください」
「しかし――」
「これで宿の方に何かがあったらやり切れません。私たちが警察署に行って本物の警官を呼びますから、迂闊に動かないように宿の人たちに説明してください。帰り道は気を付けてくださいね」
カミュの言葉にしばらく悩んだ従業員は、頷いて踵を返す。
カミュはリネアと共に従業員を見送って、大通りへ向かった。
リネアは従業員が去った方向を振り返り、口を開く。
「とんとん拍子にいき過ぎてる気がしない?」
「するね。雨も激しくなってきたし、周辺の人の流れが分からないのも気にかかる」
人がいる気配はあるのだが、遠くの足音は雨音で消されがちだ。同じ通りにいるのならともかく、別の通りにいた場合は人がいるかどうかの判別が精いっぱいだった。
道を進んで大通りに合流したカミュとリネアは足を止める。
大通りを歩く通行人の身のこなしからカミュは通行人の正体を刑事だと看破し、大通りを見回す。各出入口に警官が四名ほど配置され、大通りを完全に封鎖していた。
「……やられた」
カミュは呟いて、背後を振り返る。
風で飛ばされないように茶色のつば広帽子を押さえながら、刑事が三人歩いてくる。
「若様、オレの行動を先読みするの止めてくれない?」
「長い付き合いなんでな。網を張らせてもらったんだ。ドラネコが気付かず飛びこんでくるとは正直、思ってなかったが」
若様と声を掛けられた刑事メイトカルが黒い雨雲に覆われた空を見上げる。その顔はひどく苦い。
「お互い、嫌な雨に降られちまったもんだな」
雨が降っていなければ、カミュは大通りで人に紛れる選択をせずに、リネアを連れて人の居ない路地を縫いながらコフタクの町を出ていっただろう。
メイトカルが膝と肘を軽く曲げる。同時に、後ろにいた刑事二人も蒸気機甲を起動した。雨の中、白い蒸気が噴き出して空気に溶けていく。
「タッグスライ砂漠第三遺跡爆破事件の重要参考人カミュ、並びに蒸気機関撤廃の会の重要参考人リネア、コフタク警察署までご同行願おう」
タッグスライ砂漠第三遺跡爆破事件と聞いて、カミュは一瞬何の話かと首を傾げ、直後に思い至る。
「現場でラグーンの残骸を見つけたんだね」
「今時乗り回しているのはドラネコくらいだからな。イグニッションキーに付けられたキーホルダーもお前の物だった。あの現場にドラネコがいたのは確実だ」
地下室でハミューゼンが数に任せて襲い掛かってこなかったはずだ、とカミュはため息を吐く。
カミュやリネアの戦闘能力を鑑み、直接衝突で戦力を減らす愚を避けたのも事実ではあるのだろう。だが、ハミューゼンの狙いは現在すでに珍しい車種であるラグーンを破壊して現場に放置させ、カミュたちと刑事を正面対立させる事。さらに、行き場を失ったカミュたちが庇護を求めて自陣営に加われば戦力の底上げにもなる。
カミュはリネアを背に庇い、疑惑だけは晴らしておこうと口を開く。
「現場にいただけで犯人じゃないけどね。犯人はハミューゼンたちだし」
「それは署で聞こう」
取りつく島もないメイトカルの返答に、カミュは戦闘態勢を取りつつ返す。
「お断りだよ。聞いた後、聞かなかった事にして断頭台行きでしょ? きゃー、せいぎのみかたはカッコイイなー」
「まだ決まったわけじゃない。お前たちはあくまでも重要参考人だ。容疑者じゃない」
「――それ、本気で言ってるの?」
言葉を挟んだリネアが蒸気式自動拳銃カルテムをガンホルダーから抜く。途端に身構える仲間の刑事の前に、メイトカルが腕を伸ばして道を封じた。
「動くな。まだ交渉中だ」
「いや、しかし」
「交渉中だ! 決裂しない限り、向こうから仕掛けてくることはない」
「メイトカル、何考えてる。あの娘たちを確保して任務終了だろ」
仲間の刑事二人に疑惑の目を向けられ、メイトカルは悔しそうにカミュの剣を顎で示す。
「耳、澄ませてみろ」
「は?」
「いいから」
メイトカルの真剣な声音から最大の警戒が銃を抜いたリネアではなくカミュに向けられている事を知った二人の刑事は訝しむように口を閉ざす。
ばれたか、とカミュは内心で舌打ちし、姿勢を低く、膝と肘を曲げて左足を半歩下げる。添えるように蒸気仕掛けの愛剣の鞘を左手で握った。
鞘は僅かに振動し熱を帯びている。左手越しに、内部に仕込んだ蒸気機関の駆動音が聞こえてきた。
二人の刑事も耳を澄ませたため、雨音にかき消されていた蒸気機関の音に気付いたのだろう。さっと顔から血の気を引かせた。
「ちょっと待て。なんだよ、その甲高い駆動音。どんな回転数だ」
「シャレにならねぇぞ。メイトカル、あの鞘はどうなってる?」
「……ぶっちゃけ、分からん。だが、効果は知ってる」
すでに土砂降りともいえる大粒の雨音と雷鳴に混ざって、カミュの剣の鞘からはもはや聞き逃す事も出来ない異質な音が鳴り響いていた。
まるで千の鳥が唄うように、甲高い排気音が幾重にも木霊する。しかし、鞘からは僅かな蒸気しか漏れ出ていない。
メイトカルがいつでも後方に飛び退いてカミュから距離を取れるように、重心を後ろに持って行く。
「音を置き去りにするような抜刀術だ。壁向こうの相手でも斬れる鋭さのな」
カミュはにっこりと笑顔で、メイトカルたち刑事三人を見る。
「説明ありがとう、若様。説明ついでに聞きたいんだけど……グランズはどこ?」
「グランズ? 一緒にいた傭兵の居場所なら、こっちが訊きたいくらいなんだが?」
メイトカルの返答に、カミュは眉を寄せる。付き合いが長い事もあり、メイトカルが嘘をついていない事が分かったのだ。
宿の場所を警察にたれ込んだのがグランズだと考えていたカミュは、リネアに意見を聞く。
「リネアはどう思う?」
「情報が少なすぎて予断を許さないけど、もしもグランズが敵じゃないなら、このままにらみ合いを続ける間に警察の包囲が解かれるかもしれないよ。逆にコフタク警察署から応援が来る可能性も否定できないけど。応援が来た段階で戦闘開始かな」
「妥当なところか。若様、そういう事だから、一切動かないでくれるかな」
「どういうことだかわからないが、こちらの応援を待ってくれるのはありがたいな。素直に署まで同行してくれる方がはるかにありがたいが」
「それは無理だよ」
カミュを警戒して動けずにいるメイトカルたちとのにらみ合いが続く。
冷たい雨が体温を奪う中、双方が微動だに出来ない状況。
しかし、唐突に終わりが訪れた。
「――ふむ。混沌としているように見受けられるのじゃが、仲裁が必要かね?」
しわがれた、少々耳障りな異音の混ざる声が頭上から掛けられた。
ぎょっとして、カミュたちは一斉に上を見る。
六十歳ほどの男性が路地を挟む家の二階窓から顔をのぞかせて、カミュたちを見下ろしていた。
異様な風体の老紳士だ。
やや癖のある灰色の髪を長く伸ばし、顔の左半分を隠しきっている。露わになっている右半分は猛禽を思わせる鋭い碧眼が印象的で、耳にはギアファッションに分類されるだろう真鍮の歯車が三つ連なったピアスを付けている。何より人目を引くのは、左肩から先がすべて金属義手になっている点だろう。
老齢の傭兵にも見える出で立ちだが、その立ち姿も言葉選びも貴族のそれであり、育ちの良さをうかがわせる。
珍妙な乱入者にカミュがどう動くべきか悩んでいると、老紳士はメイトカルへと視線を向けた。
「タッグスライ砂漠第三遺跡爆破事件だのラグーンだのと、興味深い単語ばかりが聞こえたものでね。趣味が悪いとは思ったのじゃが、始めから聞かせてもらっていた。察するに、そちらの茶色いお三方は刑事か。逮捕状はあるのかね?」
「逮捕状は……」
「無いじゃろうな。重要参考人相手には逮捕状が下りないじゃろうよ。最初から聞いていたが、そちらのお嬢さんは二人とも重要参考人であって容疑者ではないようじゃし、逮捕状があるのなら最初から提示するはずじゃ。警察への協力はオスタム国民たるものの義務ではあるが、逮捕状の無いそれを受ける意思の決定は権利によって保障されうるものじゃ。強引に警察署へ連れて行こうというのは見過ごせん。つまりは、そちらのお嬢さん二人の抵抗も正当な物だと見受けられる。なにしろ、刑事のお三方はこの路地に登場してから一度も警察手帳を見せておらず、ただの暴漢と見分けがつかないのじゃからな」
「お待ちください。いま提示しますので」
老紳士がカミュとリネアの弁護を始めると、メイトカルは慌てて身分証明書である警察手帳を懐から取り出し、カミュたちに見せる。
カミュと顔見知りという事もあって、刑事であると双方が理解した上で話を進めていたメイトカルにとっては足元から立場を崩されたようなものだ。慌てもする。
老紳士が右目を細める。
「ふむ。本当に警察じゃったか。……まぁ、容赦はせんが」
何やら不穏な言葉が聞こえてきて、カミュは老紳士を警戒しつつ成り行きを窺う事にする。リネアは油断なく銃を構えていたが、銃口は足元に向けて誤射を避けていた。
「さて儂も刑事お三方の名前を覚えさせてもらった。それで、逮捕状なしに国家権力と数に任せてうら若い娘二人を警察署へ連れて行き、何を調べるおつもりかな? お嬢さん二人はまさに必死の抵抗をしているように見受けられるが」
「誤解を招く表現をしないでいただきたい――」
「では、逮捕状を提示すべきではないかね?」
「それは――」
「無いというのなら、任意での同行を求める旨をお嬢さん二人に申し出、断られたならすぐさま引くべきだ。例えば、このようなやりとりの後にな。それは署で聞こう、お断りだよ」
メイトカルとカミュの会話の一部を再現して、にやりと、老紳士が笑う。
「さて、刑事のお三方。警察職員の職業倫理と刑事訴訟法について、一説ぶってやろうか? そういえば、このコフタクには有名な新聞社があったはずじゃな。いやはや、この歳になると見たこと、聞いたことは誰かに話しておかねばボケた時が心配でな。メイトカル殿も歳を取ったら気を付けると良い」
遠回しに、メイトカルたちの強硬な態度を責め、新聞社にたれ込むと脅す老紳士。
メイトカルたちは顔を見合わせて苦い顔をした。彼らとて、カミュたちを拘束する事に正当性がないことは理解しており、拘束した後にどうなるかも察しがついているだけあって、論理立てて責められると弱い。
もしもこの件を新聞社が公表し、カミュたちがスケープゴートとして処刑されでもしたなら、メイトカルたちがどうなるかは火を見るよりも明らかだ。
老紳士は二階窓からメイトカルたちを見下ろして、笑みを浮かべる。
「若人よ、退くも勇気だ」
「……はぁ」
メイトカルがため息を吐くと、他の刑事二人も諦めたような空気で蒸気機甲の蒸気圧を下げ、機動停止させる。
「蛮勇とは呼ばれたくないからな。ドラネコ、また会おう。……そちらの紳士には感謝を」
帽子を脱いで一礼したメイトカルたち三人が路地を去ろうとした時、ずぶ濡れの男が飛び込んできた。
「――あ、あれ、終わってる?」
肩で息をしているずぶ濡れの男、グランズは路地を見回して困惑したような顔をした後、胡散臭いモノを見るような眼を全員に向けられて一歩後ずさる。
どう振る舞うべきか悩むような素振りを見せたグランズは顔を伏せた後、小さく息を吐いた。
「いやー、なんかよくわかんないけども、丸く収まってよかったよ。そっちの刑事さんたちは一度コフタク警察署に戻ると良いよ。そうしなよ、そうするべきだ、うん、今すぐに」
「また、この上なく胡散臭い輩が出てきたようじゃな。刑事のお三方、手ぶらで帰れぬだろう。その怪しい男を警察署まで連れていけば、色々と分かる所もあるのではないかと愚考するんじゃがな」
「え?」
愛想笑いを硬直させたグランズが間抜けな声を出すのと、メイトカルたち刑事三人組が取り囲むのは同時だった。
「何か知ってるよね。あ、これ任意同行だから、断っても大丈夫ですよ」
「あっれー、どうしてこうなってるのかなー?」
助けを求めるグランズに、カミュとリネアは肩をすくめる。
「多分、グランズが警察署に行けば丸く収まるんじゃない?」
「グランズさん、今まで何をしてたのか知らないけど、信用はしてあげるよ。いってらっしゃい」
「あぁ、もうおじさん、がんばったのに! いいよ、警察署でしょ。行くよ。とんぼがえりだよ、ちくしょー」
メイトカルたちに連れられて行くグランズを見送り、カミュは苦笑しつつ声を掛ける。
「楽しそうにも演技できるんだね」
カミュの言葉に一瞬虚を突かれたような顔をして、グランズは笑みを浮かべた。
「かっこいいだろ?」
「微妙にね」
グランズに手を振って「がんばー」と声援を送っているリネアを背に、カミュは二階窓を見上げる。
老紳士はカミュを見下ろして、猛禽のような眼を細めた。
「儂が何者か、じゃろ?」
「タッグスライ砂漠第三遺跡爆破事件を興味深いという人だから、気になるよ。オレはカミュ。こっちはリネア。あなたは?」
老紳士は顎を引き、名乗る。
「お嬢さん方がタッグスライ砂漠第三遺跡爆破事件の犯人としてあげたハミューゼンが所属する蒸気機関撤廃の会。その前身となった蒸気機関規格化運動会の会長、ラフダムじゃ」
ラフダムと名乗った老紳士は室内を指差す。中で話をしたいのだろう。
「お嬢さん方を助けたのはハミューゼンの奴について情報が欲しいからじゃ。上がっていけ」