第十六話 演技人格
港町コフタクまで歩き続け、到着したのは四日後だった。
食料をギリギリまで節約してようやくたどり着けたことに安堵するが、当初の目的であった新聞社へは行かず、宿を取る。
「これからどうするかが問題だね」
カミュはラグーンのエンブレムを弄りながら、部屋に集めた二人と予定を話し合う。
「カミュ、大丈夫?」
「落ち込んでる暇なんてないからね」
心配するリネアに肩を竦めて返して、カミュは宿を取る前に購入した新聞を広げる。
砂漠を旅している四日間の内にタッグスライ砂漠第三遺跡と第二遺跡がハミューゼンたち蒸気機関撤廃の会によって破壊されている。
新聞報道では、カミュたちが見つけたクロムメッキの配管やミノタウロス、ケンタウロス像、絶海の歯車島の設計図といった第三遺跡のオーパーツに関する記述は見つからない。
「ハミューゼン達が持ち出したのかな?」
カミュは新聞記事を見ながら腕を組み、首をかしげる。ハミューゼンはオーパーツを遺失技術と呼び、その価値を理解しているようだった。蒸気機関の発達を妨害するのが目的ならば、あの場にオーパーツを残して行く事はないだろう。
カミュはさらに新聞をめくって、国際面の記事を開く。
「それに、こうなってくると国外への逃亡も難しくなっちゃうんだよね」
新聞には、過激化する蒸気機関撤廃の会についての情報共有と、古代遺跡などの文化財保護を目的とした大陸各国の連携を深める旨の発表があった。
蒸気機関撤廃の会の支援論者と目されているリネアはどの国に行っても落ち着けないだろう。
八方ふさがりといってもいい状況で、カミュとリネアの足でもあるラグーンは破壊されてしまっている。スティークスを改めて買うほどの金銭的余裕もない。
「第三遺跡が破壊された以上、絶海の歯車島の設計図を公開しても誇大妄想だと思われるだけで、事実確認の調査とリネアをスケープゴートにした際の利点とを天秤に掛けると、スケープゴート側に傾くと思う。調査なんて後でも出来るからね。ここまでは良い?」
ずっと沈黙したままのリネアとグランズに確認を取り、カミュは話を続ける。
「今後の方針としてオレが提案できるのは、リネアをスケープゴートにしても事態の鎮静化を狙えず、かえって悪化させるとオスタム王国政府が判断するまで逃亡を続けるってもの」
消極的ではあるが、現状で最も実効性の高い方針である。ハミューゼン達の活動は今後も規模が拡大していくと予想でき、カミュたちは蒸気機関撤廃の会を追う警察から逃げ隠れし続けるだけだ。警察側から見た場合の優先順位はカミュたちがハミューゼンたちの常に下になる点も有利に働く。
方針の説明を終えたカミュはリネアたちの意見を聞く姿勢に回る。
リネアはカミュをしばらく見つめた後、小さくため息を吐いた。
「分かった。ボクの方からも提案があるよ」
リネアは諦めたように言って、絶海の歯車島の設計図を取り出した。カミュと手分けして描いた模写であり、資料価値は高いもののその価値を担保する壁画が失われている以上一般には意味をなさなくなった代物だ。
「現状の打開策として、ボクのお父さんであるアルトナン博士の古代文明崩壊説を論理的に否定したい。つまり、支援論者としての世間的な風評を真っ向から突き崩そうって事。カミュの提案との両立もある程度可能だと思うんだ。途中で遺跡に立ち寄って調査を行うだけだからね。ただ、上手くいく可能性は低いと思う」
「遺跡は歴史学者があらかた調査しているだろうし、第三遺跡の時みたいな偶然に助けられるとは思えないもんね」
実効性の低さに理解を示しつつ、カミュはふと思い出す。
「まだ調査が終わってない遺跡が二つだけあるよね」
「砂漠の霧船と絶海の歯車島でしょ。それは分かってるけど……」
どちらもその存在を確認されていながら調査が満足に行われていない二つの遺跡であり、オーパーツだ。
しかし、調査が行われていない理由が当然存在する。
「危険すぎるし、ボクとカミュの二人、グランズさんを入れても三人だけじゃとてもじゃないけど手に負えないよ。砂漠の霧船は防衛機構までついてるって話だし」
砂漠の霧船拿捕作戦や絶海の歯車島上陸作戦は過去に何度か実行され、全てが失敗している。
それぞれに理由はあるものの、カミュたち三人では資金面でも人手の面でも乗り込むのは不可能だとリネアは判断していた。
「絶海の歯車島に上陸できれば解決に近付くけど、やっぱり無理かぁ」
カミュは腕を組んで良案を探る。
その時、ずっと黙り続けていたグランズが立ち上がった。
「話は分かった。おじさんはちょっと出かけてくるよ」
「どこに?」
すっと、カミュは目を細めてグランズの表情を探る。
グランズは敵意がないことを示すようにカミュにウインクして見せた。
「言えないね。大人には大人の事情ってもんがあんのよ」
「オレとリネアはラグーンを失ってる。つまり、緊急時には自分の足で逃げる必要がある。この状況でグランズを野放しにするくらいなら、オレ達は宿を引き払って消えるよ」
暗に、警察にカミュたちを売る可能性を、カミュは指摘する。
「宿を引き払われると、おじさんも困っちゃうんだけどなぁ」
グランズが苦笑いで返すと、カミュの視線が冷ややかな物になった。
対応を間違えたことに気付いたグランズがリネアに援護を求める視線を送るが、カミュと同じような冷ややかな視線が返って来るだけだった。
「この状況で単独行動をする理由を説明せず、演技も続けている以上、信用に値しないよ。しかも、ボク達に宿に残っていてほしいって、警察に宿を包囲でもさせるつもり?」
「こらこら、リネアちゃん、結論を急ぎ過ぎだって。ほら、おじさんったらロワロックの街でハミューゼンたちを追いかけてきた刑事に斬りかかられてるんだよ? リネアちゃんたちと一緒にいるのも目撃されているわけで、立場の上ではカミュ君とそう変わらないと思うんだ」
「カミュと一緒にしないで。グランズさんはずっと演技を続けてたでしょ。カミュとは比較できないくらい信用なんてないんだよ」
「それを言われると弱いんだけども」
グランズは悩むように顔を俯ける。
「……我ながら、いやな大人になったもんだと自覚はあったんだけどね」
そう呟いたグランズが顔をあげた時、そこには今までの軽薄な印象を受ける薄ら笑いが浮かんでいなかった。
カミュとリネアは同時に飛び退き、グランズから距離を取る。そんな二人を見て、演技ではない苦笑をして後ろに撫でつけた髪が乱れるのも構わず頭を乱暴に掻いたグランズは、深呼吸して頭を下げた。
「俺を一回だけ、信用してほしい。現状を打破する手が一つだけある」
「手の内を教えてくれるなら、それを吟味したうえで信用するかを判断するよ」
カミュが即座に言い返すと、グランズは頭を下げたまま続けた。
「手の内を明かすと効果を発揮しなくなる。これが限界なんだ」
「そんな虫のいい話を信じられるわけが――」
グランズの提案を却下しながら、カミュが宿を引き払うべく荷物を手に取ろうとした時、リネアがカミュの手を掴んだ。
「いまのグランズさん、演技してない」
「演技は、ね。何も話していない以上、グランズは素の自分を交渉材料にした足止めをしている可能性がある。オレは今この瞬間にこの宿の包囲が始まっていたとしても驚かないね」
「つまり、グランズさんは警察側ってこと?」
「他にこのタイミングでオレたちから離れる理由があると思う? 大方、蒸気機関撤廃の会を――」
「カミュ君、ちょい待った!」
パンっと小気味良く手を鳴らして、カミュの言葉を遮ったグランズは、睨みつけるカミュをなだめるように両手を挙げる。
「それ以上言っちゃう前に、考えてもらいたいんだ。俺がリネアちゃんたちに近付いた理由って奴をさ。で、このタイミングで離脱する理由に繋げてもらえると、八方丸く収まる」
カミュは形の良い眉を寄せて思考を巡らせた後、グランズを睨みつける。
「……分かった。待つよ。ただし信用したわけじゃない。この宿の周辺でおかしな動きがあったら、オレはリネアを連れて逃げ出すからな」
「そうしてくれると助かるよ。夕暮れまでには戻る。ここに俺の荷物も置いておく」
言い残して、グランズはコートだけ羽織って客室を出ていく。
カミュはグランズを見送って、ベッドに腰を降ろした。柔らかなスプリングが伸び縮みして、カミュの身体が上下に揺れる。
カミュの隣にリネアが座った。
「えっと、どういうこと?」
話の流れから、カミュがグランズに単独行動を許した理由がある事は分かったものの、リネアは理由そのものには辿り着けなかったらしい。
首をかしげるリネアを見て、カミュは耳を澄ませて周囲の音を探りながら、口を開いた。
「グランズが警察側の人間だとするなら、まず最初の疑問は何故リネアやオレに近付いたか、だ」
「逮捕するため、ではないよね。逮捕できる場面は何度かあったし、ロワロックの時なんてボクはカミュとも別行動を取っていたんだから」
グランズと共に宿を逃げ出し、ハミューゼンたちを刑事と共に追いかけるカミュと別れた時をリネアは思い出したらしい。仮にリネアを逮捕するのではあれば、これ以上ない状況だったはずだが、グランズは何もしなかった。
「泳がせていたんだよ。リネアはあくまでも重要参考人だからね。ただ、それだけだと腑に落ちないのは、なぜロワロックで北部警視庁に連れて行かなかったのか、だね。なにしろ、警視庁やその上の政府や貴族たちにとって、リネアの容疑を固めるのは必須事項ではないから」
リネアが重要参考人となって今もって警察から逃げ続けているのはスケープゴートにされることを警戒しているからだ。この警戒そのものが的外れだった、という考えはロワロックにおける蒸気機関撤廃の会の対策班で指揮を執っていた刑事、メイトカルの反応からしても期待できない。
つまり、グランズには警視庁側に立っていながら、リネアをスケープゴートに据えるよりも重要な任務を請け負っていた可能性がある。
「とりあえずはここまでを覚えておいて。重要なのはグランズが警察側の人間で、リネアと合流する事で達成の可能性が高まる任務を受けていたって事。その上で、グランズの今までの行動を推測するとどうなるか。まずは最初、オレたちと出会った時」
「ロッグカートで初めて会ったんだよね」
リネアは思い出すように天井を見て「……泥跳ね」と小さく呟いた。
ロッグカートで見たグランズの愛車は雨の中を無理に走ったように泥跳ねで汚れていた。
カミュは順を追って話す。
「時系列を考えると多分こう。オレとリネアが首都ラリスデンで合流したことがメイトカル経由で蒸気機関撤廃の会対策班に伝わる。翌朝、オレとリネアは首都を発ち、旧市街からオレがいなくなったことを掴んだメイトカルが対策班に情報を伝達。オレとリネアがロッグカート方面に向かった事は検問で砂漠狼と戦闘をしていた警察たちからの聞き取り調査で判明する。任務を帯びたグランズが愛車ヤハルギで首都を出発して俺たちを追跡し始める。オレとリネアは道中で雨をやり過ごすために街道を外れて岩場で休憩したけど、グランズはそうと気付かずに雨の中を走行して、ロッグカートに到着した。多分、他にも同じように動いていた刑事がいたと思うけど、そこまでは分からないね」
少女二人組にしか見えないカミュとリネアが泊まりそうな場所をロッグカートで探して先回りしたグランズは二階から出入りする客を見張り、カミュたちが宿にやってきたのを見計らって一階に下りてきて接触、傭兵として売り込みを掛けた。
「ただ、グランズからしたら困ったことに、俺とリネアはすぐにグランズが演技していることを見抜いてた。下手に動く事も出来ずに、サーカスの市場の近くにある喫煙所を利用して定期連絡くらいしかできなかったんだ」
「サーカス市場で買い物した後、雨に降られて行く先をどうするか決めた時、ガムリスタ行きを反対したのって」
「傭兵じゃない事がばれる危険性があったからだね。同時に、北部警察の拠点ロワロックだと事情を知らない警察仲間から声を掛けられる恐れもあって、行くのを渋ったんだと思う。ちなみに、オレはロワロックの知り合い経由で、グランズが傭兵ではなさそうだって事を知った」
「流石情報屋だね。ボクにも教えてほしかったけど」
リネアが不満そうな顔をするが、カミュは無視して話を続ける。
「ロワロックの宿にハミューゼン達が追い込まれたのは偶然なのか、必然なのかは分からない。けど、おかしくない?」
「何が?」
「グランズはハミューゼンたちに協力を申し出てるんだよ」
「……警察側の人間なら、協力じゃなくて逮捕に動く?」
「そう。もちろん、任務の内容次第では逮捕に動けない事は十分考えられる。でも、リネアやオレに接触して、ずっとしつこくついてきている警察の目的なんて、蒸気機関撤廃の会がらみしか考えられない。なら、なんでハミューゼンに協力を申し出たのか」
カミュは言葉を切り、表現を変える。
「なぜ、傭兵を集めて戦力を増やしているハミューゼンに、傭兵の振りをしているグランズが協力を申し出たのか。不思議だよね?」
「――もしかして、蒸気機関撤廃の会への潜入捜査がグランズさんの任務内容?」
リネアの予想に、カミュは頷く。
カミュはグランズが出ていった扉を見た。
「推測に推測を重ねると、このタイミングでオレとリネアから離れて単独行動をする理由は、ハミューゼンへの対決姿勢を明確にしたオレとリネアが蒸気機関撤廃の会への潜入の足掛かりに出来ないと判断したから、って言うのが悪意的解釈」
「好意的解釈は、ボクたちと旅をしている間の出来事から警視庁に対して無罪を主張してくるため?」
「望み薄だけどね――だったけど、の方がもう正しいかな」
カミュは自嘲気味に笑って、荷物に手を伸ばす。
「グランズはやっぱり、やりたくもない事をし続けるみたいだ」
宿の周囲を歩いていた複数の通行人の足音が不自然に離れていくのを聞き取りながら、カミュは荷物を持った。