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蒸気世界の夢追い人  作者: 氷純
第一章 逃避行
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第十五話 マーシェ

 ハミューゼンはカミュたちの後ろにある壁画に気付くと糸目をうっすらと開き、嘆くように両手で顔を覆った。


「あぁ、なんという事でシょう。遺失技術ばかりがこんなにもたくサん。古代文明の崩壊を加速サセた蒸気文明の先端技術ばかりではないでスか。今まで誰の目にも触れズにいたことだけが幸いでス」


 ひとしきり嘆く演技をしたハミューゼンは顔の上から両手をずらし、右手で壁画を指差す。


「――破壊しましょう」


 やはりそう来たか、とカミュが愛用の剣を抜き放った瞬間、グランズが前に出て大剣を盾にした。


「おっとっと、ずいぶんはしっこい子がいるじゃないの」


 グランズの軽口に引かれて視線を追いかければ、大剣に蒸気機甲で覆われた右手を押し付けている小柄な人影が見えた。

 暗がりで顔が良く見なかったものの、人影が身に着けている蒸気機甲はそこらの市販品と比べて二回りほど太い物だった。体格は小柄ながらグランズを相手に押し負けていない事からもその出力が窺える。

 しかし、カミュは人影が身に着けている蒸気機甲に特徴的な亀甲紋と呼ばれる模様の象嵌が施されているのを見て、反射的に叫ぶ。


「グランズ、避けろ!」

「――へ?」


 グランズが間抜けな声で返事をした直後、人影が左手をグランズに向けた。

 白い高熱蒸気が人影の左手から吹き出し、グランズへ襲い掛かる。


「やばっ」


 グランズが慌てて飛び退くが、人影は身を屈めて高熱蒸気を潜り抜け、グランズへ最短距離で襲いかかる。右の蒸気機甲が唸りを挙げてグランズの腹部に吸い込まれる。

 しかし、グランズは打ち込まれる右拳に対して右足を跳ね上げて蹴り飛ばした。その顔からは普段の余裕が一切存在しない。

 人影が跳ね上げられた右腕を引きながら、グランズの左足を蹴り飛ばして転倒を狙う。その鮮やかな動きはまるですべての攻防を読み切っていたかのようだ。

 事実、読み切っていたのだろう。腹部を狙った右拳はただの牽制で、グランズを転倒させることが狙いだったのだと今ならば分かる。

 分かったところで、後ろに倒れ込むグランズにはどうしようもないのだが。

 あおむけに倒れたグランズの腹部へ一撃入れて戦闘不能を狙っていた人影に、カミュは大声を張り上げる。


「やめろ、マーシェ!」

「――っ!?」


 弾かれたように人影がグランズから距離を取り、カミュを見た。

 今まで暗がりで見えなかった顔が露わになる。

 赤っぽい茶髪の下からカミュを驚いた顔で見ているその少女は栄養状態の悪い旧市街の育ちだけあって体の凹凸が少なく、十四、五歳にしか見えない。しかし、旧知のカミュは彼女の実年齢が十九歳ほどであると知っていた。


「……カミュ、よりにもよってこんなところに」

「やっぱり、マーシェか」


 お互いを認めると同時に、戦闘態勢を取る。苦い顔を見合わせるカミュの隣に、体勢を立て直したグランズが立った。


「お知り合い?」

「首都ラリスデン旧市街で親無しを束ねてた口入屋だ。あの歳で口入屋として子供をまとめていても、暴力組織からちょっかいを出されなかったといえば実力も分かるだろ?」

「カミュ君といい、旧市街の子供ってみんなあんなに強いのかい? おじさん、自信喪失しちゃうんだけど」

「オレとマーシェだけだよ。必要に迫られて強くなったんだ。まぁ、我流だけど」


 カミュとグランズが会話をする間に、マーシェもハミューゼンに経緯の説明を行ったらしい。

 ハミューゼンは背後にいる傭兵らしき男たちに手振りで道を開けるように指示を出しながら、カミュを見る。


「感動の再会と呼ぶには場所が不適当でスね。しかし、マーシェサんと知り合いだというのは天恵でス。わたくシ、カミュサんの実力は高く評価しておりまスので。蒸気機関撤廃の会への入会をお願いシたいと切に思うのでス。マーシェさん、説得してもらえませんか?」

「無駄だと思う」


 マーシェは気乗りしないように言って、ハミューゼンの期待するような雰囲気に押されてため息を吐く。

 一歩前に出たマーシェはカミュに声をかけてきた。


「とりあえず、久しぶりね」

「あぁ、久しぶり。突然旧市街から消えたんだって? 若様が心配してたよ」

「カミュに言われたくないけど。あぁ、置手紙に書かれてた伝言の件、若様に伝えそびれた。それだけごめん」

「まぁいいよ。若様はそんなに重要じゃないし」

「カミュにとっては私も重要じゃないでしょ。便利なだけで」

「それはお互い様」

「――はいはい、ちょっと待った」


 パンパンと両手を鳴らして注意を引きつつ、リネアが剣呑になりかけたカミュとマーシェの会話に割って入る。


「知り合い同士なんだから関係を否定するような物言いをしちゃダメだよ。それより重要なのはお互いがどういう立場で、何を目的としてるかでしょ」


 仲裁しながら話を進めるリネアを細めた眼で見ていたマーシェが顎を引いてカミュを見る。


「ドローボーイたちが一気に解雇された。最新型の蒸気駆動の織機が工場に配備されたから。国も補助金を出して導入を急がせてる」


 ドローボーイとは、織機の中でも複雑な柄物を織るために用いられる二人掛かりの織機を稼働させるために雇われる、体重の軽い少年少女の総称だ。

 旧市街で育つ学のない子供たちが就ける仕事としてはかなり上等な部類で、命の危険が少ないことから人気もある。口入屋をしていたマーシェも積極的に売り込みをかけ、就職口を確保していた。

 そのドローボーイの仕事口が蒸気機関を用いた織機の登場で激減した。


「紡績工場での募集もあったけど、危険すぎる。どこの工場もどんどん機械化されて、学のない私たちは飢えて死ぬだけなんて間違ってるんだよ。蒸気機関が発達すれば、私たちは生きていけなくなる」

「だから、蒸気機関撤廃の会に入ったって? マーシェならそこのハミューゼンとかいう男が詐欺師だって事は分かってるんだろ?」


 カミュはハミューゼンを睨む。しかし、ハミューゼンは柔和な笑みを維持したままマーシェを見た。

 マーシェはハミューゼンに目を向けず、カミュを見据える。


「利害は一致してる。私たちは昔から何でも一人でやってこれたカミュとは違うんだよ。世界の変化について行くだけの頭がないんだ。だから、経営者層を脅迫してでも雇用を守らないといけない。私たちはカミュと違って、やれることが自分の意思でできる身分じゃないんだよ」


 乱暴な論理ではあるが、蒸気機関撤廃の会に所属する労働者階級の考え方は皆似たようなものだ。

 ハミューゼンが詐欺師であると勘付いていながら加担するのは、それだけ孤児たちが追いつめられていることの証左だろう。


「それで、カミュたちはこっちにつく気はないの?」

「ないね。今はようやくまともな生活が送れるかどうかの瀬戸際なんだ。テロ組織の仲間入りなんて御免こうむるよ」

「だろうと思った」


 交渉決裂が明確となり、カミュたちはすぐさま蒸気機甲のボイラーを始動させ、戦闘続行の構えを取る。

 しかし、緊迫した双方に割って入るようにハミューゼンがにこやかに両手を広げ、告げた。


「戦う必要はありまセん。カミュサんたちも、この人数差で勝てるとは思っていないでシょう?」


 ハミューゼンが示す後方には傭兵らしき男たちがずらりと並んでいた。カミュとマーシェが話している間に、遺跡中に散らばっていたらしきハミューゼンの部下が集合しつつあったのだ。

 カミュたちも気付いてはいたが、この地下室の出口はただ一つ、グランズが破壊した鉄扉とそこに繋がる螺旋階段のみだ。何人いるかもわからないハミューゼンの部下と螺旋階段で衝突した場合、確実に押し負ける。

 ならばせめて、この広い地下室にハミューゼン達を集合させたうえで、螺旋階段まで切り抜ける方が脱出できる可能性が高い。カミュには蒸幕手榴弾もあるのだから。

 カミュはハミューゼン達の視界を奪う蒸幕手榴弾をいつ投げ込むべきか、慎重に機会を探る。

 だが、カミュの目論見を知ってか知らずか、ハミューゼンは部下ともども壁際に寄ってカミュたちに螺旋階段までの道を開いて見せた。


「……何のつもり?」


 クロムメッキが施された無数の鉄配管を背に、どうぞお通りくださいとばかりに片手をあげて螺旋階段への暗がりを示すハミューゼンに、カミュは訝しみながら訊ねる。


「貴女方の腕を買っているのでス。このような場所で利のない消耗戦など演ジたくはありまセん。お互い、ここでは出会わなかった、ソれでいいではありまセんか」


 ハミューゼンの狙いが分からず、カミュは戦闘態勢を維持したまま思案する。

 カミュの横にグランズが立った。


「あちらさんの言う通りだって。悔しいけれども、ここは撤退するべきだ」

「撤退、できるのかよ」

「あちらさんも同じ帰り道を使うんだ。罠は仕掛けてないだろうさ。兵力を伏せておく意味もない。数で押し潰す方が楽だからね」


 グランズの分析も一理ある。

 カミュはリネアを見て頷きあい、ゆっくりとハミューゼン達の前を通って不意打ちに備えながら、地下室から脱出を図った。


「カミュサん、いつでもわたくシ共の下へいらシてくだサい。旧市街育ちながら頭のよい貴女なら、雇用を奪う蒸気機関の危険性にも気づいているはずでス。わたくシ共の組織は、活動は、まだまだ規模を拡大シまスよ」

「勝手にしろ。オレ達には関係ない」


 カミュの返事に、ハミューゼンはにこやかに笑った。

 暗がりにハミューゼン達の姿が消えるまで奇襲に備えていたカミュたちは、距離を取るとすぐに地下室を駆け抜け、螺旋階段に辿り着くと同時に駆け上った。


「雨は降ってるけど、四の五の言ってらんないね。おじさんはすぐに出発するべきだと思うけど、お二人さんはどうよ?」

「いまさら襲撃を仕掛けてくるとは思えないけど、安心して寝られる状況でもない。オレも出発に賛成だよ」

「急いでテントまで戻らないとだね」


 三人の意思統一をして、螺旋階段を上り終える。

 ガラガラと鳴り響く雷に急かされるように、カミュたちはテントの下まで雨の中を走り抜ける。


「それにして、なんでハミューゼン達がこんなところに来たんだろ? 地下室の遺失技術を知っていた様子はなかったけど」

「ロワロックでも同じこと思ったけど、偶然雨宿りをしに来た様子じゃないね」

「それより、おじさん嫌な予感がしてんだよね」


 グランズが苦い顔で通りの先に見えてきたテントのある建物を見る。


「ハミューゼンが、先客がいる事は知っていた、とか言ってたのが気になってしょうがないよ。なんで、先客がいるなんてわかったんだと思う?」

「――まさか!」


 カミュは血の気の引いた顔で建物を見ると、蒸気機甲を作動させていち早く中に駆け込んだ。

 そこに転がっている部品を見て、カミュは立ち尽くす。


「カミュ、どうしたの――」


 遅れてきたリネアがカミュの視線の先に転がる残骸を見て、絶句した。

 カミュの愛車、ラグーンが乾いた床の上でバラバラになっていた。力任せに何度も砕かれたらしく、原形をとどめていないパーツが散乱している。


「こいつは酷い……」


 グランズが思わず演技も忘れて歯を食いしばった。

 カミュは大きく一度深呼吸をすると、無言でラグーンのエンブレムを床から拾い上げ、ポケットにしまい込んだ。


「テントを片付けて、持てる荷物を持って、ここを出る。二人とも急いで」


 抑揚のない声でリネアとグランズに指示を出し、カミュはテントの片付け作業に入る。

 ハミューゼン達の狙いはあくまでも蒸気機関だけなのか、テントなどは無事だ。グランズの愛車ヤハルギもテントの中に入れていたため気付かれなかったらしく、無事だった。

 グランズは申し訳なさそうな顔でカミュを見る。


「別に、グランズのせいじゃない」


 カミュは静かに、けれどきっぱりと言い切って、畳んだテントを背負う。

 蒸気機甲の補助を利用して荷物をあらかた持った後、カミュたちは雨の中を出発する。

 遺跡を出て、雨によって生み出された即席の川を避けるように高台を歩きながら、グランズが遺跡を振り返る。


「追ってきている様子はなしか。本当、何がしたいんだろうねぇ」

「――遺跡の破壊だよ」


 カミュが呟くように答えると、リネアがぎょっとしたようにカミュを見る。


「どういうこと? 壊すのって地下の壁画だけじゃないの?」

「どういうわけか、蒸気機関撤廃の会は遺跡の破壊活動も行うようになったんだってさ。多分、壁画のあるなしに関わらず最初からあの第三遺跡を破壊するためにロワロック経由で来たんだと思う。他の町からだと雨による洪水で遠回りをしないといけなくなるからね」

「なんでそんな大事な事を教えてくれなかったの?」

「教えてもどうにもならなかったからだよ。あの人数差で、遺跡を守りながら戦って勝てると思う?」

「……それは、無理だと思うけど」


 悔しそうに、リネアが遺跡を振り返る。

 遺跡の破壊が目的ならば、地下室は確実に破壊される。そうなれば、リネアに掛けられた嫌疑を晴らす証拠ともなる壁画も修復不可能なほどに崩されてしまうだろう。

 描いていた自由への青絵図を崩す様に、遺跡から爆発音が響いてきた。煙を上げて崩れ去る第三遺跡をただ見る事しかできないリネアの手を掴んで、カミュは歩き出した。



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