第十四話 発見
ケンタウロス像の頭部にある馬の頭骨から蒸気が吹き上がると同時に、カミュたちが足をつけていた床を除く周辺の床石が一斉に隆起した。
三人は瞬時に床の正体を悟り、その場を飛び退く。
風切音を伴って横薙ぎに振られたケンタウロスのフランベルジュが先ほどまで三人の居た地点を薙ぎ払った。
「床全部を感圧版にして標的の位置を特定してんのか。おじさんも憧れちゃうくらい浪漫に金掛けてんね、古代人は!」
大剣を抜き放ちながら、グランズはカミュとリネアから距離を取る。ケンタウロスたちが持つ剣はどちらも刃渡りが長く、像の腕の長さも相まって攻撃範囲が広い。三人が固まっていると巻き添えを食らう可能性があった。
カンッと金属同士がぶつかる音がする。
愛銃カルテムの引き金を引いたリネアだったが、金属製の像には効果がないと見るやすぐに飛び退いた。狙いを付けるために踏みしめていた床の上をケンタウロスが持つエクセキューソナーズソードが薙ぎ払う。
「突く必要がないからあんな特殊な剣を使わせてるんだね。海水か淡水か知らないけど、水がなくなるまで避け続ければこっちの勝ちかな?」
リネアがケンタウロスに水を供給しているらしい配管の先、貯水タンクを振り返る。
「多分、あれはダミーだけど」
貯水タンクの大きさを考えると、ケンタウロスたちを稼働させ続けるには水が足りないように思う。むろん、古代文明の技術力の高さならばやってしまいかねない恐ろしさはあるが。
「後ろに回り込んで水の供給配管を断ち切るのが手っ取り早いと思うけど?」
「水を供給しているなら良いけど、蒸気を供給している可能性もあるよね。即応性を考えると、蒸気の可能性が高そう」
カミュの提案にリネアが不安要素を付けたす。
これだけ大掛かりな装置を動かしているのだから、供給される蒸気も相当な量になる。配管の中身次第では一気に蒸気が噴き出し、火傷では済まない被害を受けるだろう。
「リネアちゃんの案が現実的かな。無理に戦う必要がないのはありがたい」
グランズがリネアの案に乗りかけた時、カミュは額に流れる汗を拭いとる。
「ねぇ、なんかこの部屋、暑くなってない?」
「おいおい、排気が機能してないわけ? 冗談きついよ、ほんと」
「痩せちゃいそうだね」
「カミュ君、案外余裕だね?」
言葉を交わしながらも、三人は一所にとどまらずひたすら動き続ける。
所詮は機械仕掛けというべきか、ケンタウロスたちは床が踏み込まれた場所にしか攻撃せず、その動きも単調だ。避けるだけならば次第に慣れてくる。
しかし、ケンタウロスたちを動かす蒸気が絶えず地下室に排出され、換気も機能していない現状では確実に時間制限がある。
すなわち、蒸し焼きになるまで、という時間制限だ。
「リネア、ケンタウロスの盾を持っている方の腕に蛇腹配管があるのが分かる?」
「見えてる。撃ち抜こうか?」
「出来れば、お願い」
カミュに声を掛けられたリネアはカルテムの銃口をケンタウロスの左肘に向ける。関節部分に覗く蛇腹配管はやはりクロムメッキが施されているのか、安全灯の明かりを滑らかに反射している。
リネアが引き金を引くと、カルテムの銃口から蒸気が噴き出し、射出された金属弾丸がケンタウロスの左肘に吸い込まれた。しかし、銃弾は蛇腹配管に弾き飛ばされて床の上をむなしく転がる。
「通常威力じゃダメみたい」
リネアは報告しつつ、カルテムを安全灯と一緒に左手に持ち、空いた右手で腰に付けているガンホルダーから細い蛇腹配管を取り出した。
カルテムの側面に蛇腹配管を取りつけ、自らの背中にある蒸気機甲用の海水タンクと接続する。
「カミュ、もっと離れて。跳弾すると危ないから」
リネアに声を掛けられて、カミュは飛び退く。
リネアはカルテムの銃口を天井に向けながら、狙いやすい位置へと移動する。その間にも、カルテムへ海水が大量に供給され、激しく蒸気を吹き出し続けている。銃内部で回転する歯車は通常時の倍以上の速度で回っていた。
銃弾に詰めた火薬を炸裂させる火薬式の自動拳銃とは異なり、蒸気式の自動拳銃は供給する海水量と蒸気圧により威力が変化する。この特性は連射時に蒸気圧が下がるため威力が安定しないなどの欠点が主に取り上げられるが、銃そのものが傷む可能性を考慮しなければ火薬式をはるかに上回る威力の銃撃を低コストで放てる利点にもなる。
今まさに、リネアの愛銃カルテムは普段以上の海水供給を受けて大量の蒸気を発生させ、威力を格段にあげていた。
リネアはカルテムの照準をケンタウロスの左肘に合わせ、自らの両腕を覆う蒸気機甲を作動させて反動に備える。
「ばーんっと」
リネアが口にした可愛らしい擬音と、カルテムが発した銃声は相反していた。
地下室全体に響き渡って木霊するほど、金属同士を激しくぶつける甲高い音が上がったかと思うと蒸気が限られた脱出口である銃口からあふれ出す破裂音が鳴り響く。
放たれた銃弾はケンタウロスの左肘に着弾し、なおもその運動エネルギーを保ったまま蛇腹配管を食い破り、ひじを曲げるための歯車を砕き、鉄の骨組みの連結部を割り抜き、左肘を完全に破壊した上で貫通した。
ケンタウロスが上げた悲鳴のように、破れた蛇腹配管から蒸気が漏れだすシューシューという高い音が鳴りだす中、カミュは蒸気機甲を作動させて床を蹴った。
残り三歩まで接近したカミュに反応したケンタウロスが盾を構えようとするが、すでに左肘は撃ち抜かれて機能を停止している。
カミュは剣を振り上げる。狙いはケンタウロスがフランベルジュを持つ右腕だ。
標的の接近時は盾で対処するように設計されていたらしいケンタウロスは左肩から先を押し出す。今となっては無意味なその動きはおそらく、その巨大な盾で標的を殴り飛ばす動作だったのだろう。
カミュは両足の蒸気機甲に海水を送り込み、蒸気機関による瞬発力を得て跳躍する。
降り降ろしたカミュの剣はケンタウロスの右腕を半ばで斬り落とした。
逆手の位置に刀身が移った愛剣を、今度は真横に薙ぎながら内部の蒸気機関を作動させる。高速で動いた刀身の勢いがカミュの細腕ではありえない速度の剣速を生みケンタウロスの上半身にある腹筋周辺を斬り裂いた。
床に着地すると同時に、カミュは真横に飛び退く。
白い血を吹き出す様に、ケンタウロスの右腕や腹筋から大量の高熱蒸気が噴き出した。
ケンタウロスの金属製の右腕と一緒に床に転がっているフランベルジュを踏みつけて、カミュは奥にいるミノタウロス像へ駆け抜ける。ケンタウロス一体を無力化した以上、自発的に移動出来ない三つの像の連携は喪失し、安全地帯が生まれていた。
本来はフランベルジュを持つケンタウロスの防衛範囲だった空間を駆け抜け、カミュはがら空きのミノタウロスに右側から襲い掛かる。
「ちっ」
カミュが踏んだいずれの床石が原因だったのか、ミノタウロス像がカミュの接近を察知して左手の鍵を盾に身を守った。
何に使う鍵か分からないまでも、破壊するのはまずいと考え、カミュは攻撃を中断して飛び退く。直後、唸りを挙げてミノタウロスの斧が空中を薙ぎ払った。
「いらっしゃーい」
いつのまにか斧の軌道上にいたグランズが大剣を振り抜く。鈍器としか思えない大剣の鈍い刃が斧を持つミノタウロスの右手首を捉え、グランズの巧みないなし技により速度を殺さないまま天井に跳ねあげた。
設計者の想定していない動きを強制的に行わされたことにより故障したのか、ミノタウロスの右腕がガチガチと異音を奏でて停止する。蒸気を供給する配管を一切傷つけない鮮やかな手際だ。
右腕が硬直した以上、ミノタウロス像の攻撃手段はなくなった。
カミュはまっすぐに駆け抜け、ミノタウロスの左手首を蒸気仕掛けの剣で斬り落とす。
陶器の鍵が落下の衝撃で割れてしまわないよう、カミュは剣を片手で持つと、空いた片手で鍵ごと落下する左手を掴んで引き寄せ、その重量に顔を顰めながら抱き着くようにして地面に転がった。
「うわ、熱っ!」
落下の衝撃を殺すためとはいえ抱き着いた事に後悔しながら、カミュは蒸気のせいで熱を持ったミノタウロス像の左手首を体から遠ざける。
「カミュ、大丈夫!?」
駆け寄ってきたリネアに手を振って無事を伝え、カミュは起き上がる。
「とりあえず、鍵を取ったけど、これからどうすればいいんだろ?」
一抱えもある陶器の鍵だが、それが嵌まりそうな大きな鍵穴が周囲に見当たらない。
この鍵は本当にグランズが言う通り脱出路を開くための物なのかと思いつつ、カミュは鍵を調べる。
「なんか文字が彫ってある」
「見せて」
カミュが鍵の側面に見つけた文字を見て、リネアはしばらく悩んだ後、顔を顰めた。
「……ハズレって書いてある」
「ハズレって……どういうこと?」
「――ああいう事なんじゃないかね」
グランズが苦笑いしながらミノタウロスを指差す。
おそらくはミノタウロスの重量ちょうどで沈み込むようになっていた感圧版が隆起し、代わりに床全体が沈みこむ。遠くで何かが動くようながりがりという音が響いてきた。
ミノタウロスの重量で沈む感圧版がすべての仕掛けの作動装置であるのなら、ミノタウロスが軽くなれば作動装置がもとに戻るのも道理ではある。
では、この鍵は何なのか、とカミュは手元を見て、ため息を吐いた。
「ミノタウロス像がこの意味深な鍵を盾にした意味がようやく分かった気がする」
「古代人ってのは意地悪だねぇ」
「ここの設計者だけだよ、きっと」
それでも、ハズレと書かれた壊れやすい陶器の鍵を壊す度胸がカミュにはなかった。この場で腹立ちまぎれにこの鍵を壊せば、この地下室の奥で鍵穴を見つけて後悔するような気がするのだ。
「絶対ここの設計者は友達がいないよ」
カミュはすでに亡くなっているだろう設計者を罵ってから、剣を鞘に収めて鍵を抱え、地下室の奥を睨む。
どれほど広い地下室なのか、リネアの持つ安全灯の光は未だに最奥の壁まで届いていない。
「こんな大がかりな仕掛けで守るものってなんだろうね」
リネアが奥へと歩き出しながら、話を振ると、カミュは空腹を訴えるお腹をさすりながら答えた。
「なにもありませんでしたって言われても納得できちゃいそうな意地悪さが垣間見えてるけどね」
「否定できないのが悔しい。古代人がみんなこんな意地悪するわけじゃないんだよ? それだけは言わせてもらうから」
「こんな悪意の塊みたいな性格の奴がごろごろいたら、そりゃあ文明も崩壊するよね」
「だから違うんだって!」
古代人の印象について話をしていると、地下室の奥が徐々に露わになってきた。
安全灯の明かりに照らし出された地下室最奥の壁を見て、カミュたちは本日何度目になるか分からない驚きに足を止める。
「まったく、古代人ってのは常軌を逸してるねぇ。おじさん、ここまでの浪漫には想像が追いつかないよ」
グランズが頭を掻きながら、壁を見上げる。
地下室の天井まで届く壁画が描かれていた。
劣化した様子もないその壁画は、しかし芸術性とは程遠い物を表現していた。
「これ、絶海の歯車島?」
カミュは壁画に描かれている物の正体をリネアに訊ねる。
絶海の歯車島。古代文明最後期に開発されたとされる、現在も海洋に浮かび稼働し続ける用途不明の人口島。周辺海域は歯車島が生み出すとされる複雑怪奇な高波で絶えず荒れており、絶海と呼ばれ漁師も近付けない。
古代文明の高い技術力を今なお伝えるその巨大な遺物は砂漠の霧船と並ぶオーパーツの二大巨頭だ。
そして、壁画に描かれていたのは――
「こいつぁ、設計図だよね。どうみても」
グランズが壁画を見上げて腕を組む。
オーパーツの設計図。大発見どころの話ではない。
なにより、描かれていた設計図から読み取れる絶海の歯車島の設計思想、目的が非常に重要な意味を持っている。
リネアはポーチから紙と鉛筆を取り出して壁画の模写を始めた。
「この設計思想、アーコロジーだよ。凄いや」
アーコロジーとは、生産から消費までを区域内で行う事を最大目的として設計された完全な完結型の都市思想である。
現代文明がようやく提唱し始め、実現の目途など全く立っていない、ともすれば誇大妄想と馬鹿にされるような思想だ。
それを古代人たちは設計し、果ては開発さえ終えていたかもしれない。
「リネア、紙と鉛筆を貸して。この設計図を描き写してどこかの新聞社にリネアの名義で発表した方がいい」
「え? でも発表なんてしたらボクの居場所が警察にも蒸気機関撤廃の会にも知られちゃうよ?」
「それが目的だよ。もしもこのアーコロジーの設計思想通りに絶海の歯車島が完成していたのだとすれば、蒸気機関撤廃の会の主張を後押しした、蒸気機関による降雨が原因で古代文明が滅びたってアルトナンおじさんの説を否定できる。なにせ、古代文明はアーコロジーを有していたわけだからね。つまり、リネアに掛けられた、蒸気機関撤廃の会の支援論者かもしれないって嫌疑を否定する材料にできる。だから、新聞紙面でオスタム王国中の人に向けて発表してしまえばいいんだよ」
王国民すべてが証拠に裏付けられたリネアの主張を知れば、その説が蒸気機関撤廃の会の唱える蒸気機関が文明崩壊の引き金になるという説と真っ向対立する事に気付くだろう。
王国側も、リネアをスケープゴートに出来なくなる。蒸気機関撤廃の会の主張に証拠付きで反論したリネアをスケープゴートにしてしまえば、逆に撤廃の会が勢いを増すからだ。
「言われてみればその通りだね。カミュは右側からお願い。ボクは左側から書き写すよ」
「縮尺は三十分の一くらいにしようか。紙は足りる?」
「大丈夫だよ。持っててよかった記録用紙」
手分けして壁画を書き写し始めたカミュとリネアを見て、手持無沙汰のグランズが床に座る。
「ロワロックからこっちの騒動はおじさんの身体にちょっとしんどいから、休ませてもらうよん」
「勝手にしなよ。邪魔しなければそれでいい」
「ほいほい、では気楽にさせてもらうよ」
ふぃ、と体から力を抜いてくつろぎ始めたグランズを無視して、カミュたちは設計図を描き写し続ける。陶器の鍵は使い道もなさそうなため、足元に転がしておいた。
数時間かけて全体を大まかに模写した二人は疲れて床に腰を降ろした。
リネアが完成した設計図の模写を鞄に入れる。
「後は新聞社にこれを持って行って、妄想だと思われないようにこの壁画の前まで同行してもらえばいいね」
「この模写だけ持ち込んでも説得力に欠けるからね」
カミュは鉛筆を握り続けたせいで疲れた手首を回して筋肉をほぐしながら、グランズを見る。
「グランズ、終わったからテントに戻ろう。雨が止んだら、コフタクに向かう」
「港町のコフタクかい? あぁ、そういえば新聞社もあるね。評判もいい所だし、ちょうどいいんじゃないかな」
グランズは納得したように頷いて、ズボンについた埃を払いながら立ち上がる。
「雨がやみ次第出発って事なら、今日くらいはゆっくり――させてもらえないようだね」
声の調子を落としたグランズが地下室の出入り口方向の暗闇を睨み、カミュとリネアを庇うような位置に立って大剣を抜き放った。
「どちらさんかな?」
「――先客がいる事は知っておりまシたが、貴方たちでシたか。これは奇遇でスね」
特徴的な訛りのある答えを聞いた直後、カミュは剣の柄に手を掛けて戦闘態勢を取っていた。
「ハミューゼン?」
「えぇ、先日振りでス。ソの節はわたくシ共の事情に巻き込んでシまい申シ訳ございまセんでシた。お三方ともご無事なようでなによりでスね」
暗がりから現れた蒸気機関撤廃の会、会長のハミューゼンは慇懃に腰を折った。