第十三話 地下室で待つ者
暗い地下への階段を慎重に進む。
「準備しててよかったね」
リネアが笑顔で安全灯と呼ばれるランプを掲げる。
炎の高さで可燃性ガスの有無などを大まかに調べる事の出来る安全灯は鉱山などで主に使用される。そんなモノを何故リネアが持っているのかといえば、今回のような遺跡探索用だと笑顔でのたまった。
ちなみに、火種はグランズのライターである。
リネアが掲げる安全灯によれば、地下空間に危険なガスがたまっている様子はない。
カミュは壁に手を付きながら階段を下り、段数を数えていた。すでに二十段ほど下っているはずだが、未だに底が見えない。階段の踏面は広く、足を踏み外す心配はあまりいらない。だが、どうにも緩やかな螺旋を描いて下っているらしく、先の見通しがあまり利かないのがカミュに不安を抱かせた。
なにより、階段が続きすぎている気がするのだ。
「カミュ君や、この先に地下室があるとしても、天井が高すぎやしないかい?」
「オレも気になってた。ただの地下室じゃなさそうだ」
「やったね、カミュ!」
「能天気すぎるよ。まぁ、古代文明人の生き残りがお出迎えって可能性はあまりなさそうだし、この先に生き物がいるとはあまり思えないけど、罠には注意して」
隠されていたくらいなのだから、侵入者を撃退するための罠の一つや二つありそうだと、カミュはリネアに注意を促す。
「わかってるって」
リネアは軽い調子で返すが、その眼つきは一端の冒険者だった。
伊達に亡き父と遺跡探索していたわけではないのだろう。
「……お父さんがさ」
リネアの呟きに、カミュとグランズは耳を傾ける。地下に降りたせいか、地上を濡らす雨の音も遠く、風が抜ける音だけが鼓膜を揺らした。
「古代文明の崩壊は、豪雨や土砂災害が引き金となって周辺が砂漠化したのが原因だって仮説を立てたのはさっき説明したよね?」
「してたね。それが?」
「――あの仮設は間違ってるんだよ」
真剣な声で、リネアは断言する。
「お父さんの仮説が正しければ、古代文明は緩やかに滅ぶはずなんだよ。砂漠化した土地を避けて、大陸内陸部へ移動していくはずないでしょ。でも、そんな遺跡はどこにもない」
「内陸部に移動したらどうやって海水を運ぶのさ」
カミュはリネアの意見を否定する。
現在でも大陸に存在するすべての国家は海岸線を拠点に発展している。それは、蒸気機関を動かすためには蒸気石と反応させる海水が必要だからだ。
リネアはカミュを横目でにらむ。
「ボクの説明を聞き流してたんだね。古代文明の後期には淡水動力の蒸気機関が登場するんだよ。つまり、生活の場を内陸に移す方が理に適っているはずなの」
「あぁ、なるほど」
「もう、説明のし甲斐がないなぁ」
「おじさんがちゃんと聞いてるとも」
うんうん、と納得顔で頷くグランズに、リネアは目もくれない。
「グランズさんに説明してもしょうがないでしょ。ボクはカミュと古代文明談義がしたいの」
「おじさんの立場って……」
「道化でしょ?」
「カミュ君、幼馴染になんか言ってやって!」
グランズは援護を求めるが、カミュが援護するのはいつもリネアである。
「盾にもなる道化だよ」
「そうだね、盾にもな――ならないよ!? いい加減にしないと泣くよ!?」
「道化なら泣いても化粧だし、演技だよ。いつものグランズじゃん」
「カミュ君の方が辛辣だってことをおじさんは失念していた!」
螺旋階段の壁に手を付いて項垂れるグランズだったが、そのまま置いて行かれそうになって慌ててカミュたちの後を付いて行く。
リネアはグランズが追いつくまで待ってから、さりげなく緩めていた歩調を元の早さに戻した。
「淡水蒸気機関があったのに何故、古代文明は内陸部へ進出しなかったのか。そしてなぜ、滅んだのか。お父さんの仮説だといまいち論拠に乏しいんだよ」
「アルトナンおじさんの仮説が間違っているかもしれないって言うのは分かったけど、そうなるとリネアの仮説はどうなるの?」
カミュは幼馴染が最も語りたそうな話題を振る。
途端に、リネアは得意げな顔をした。
「正直分からないね!」
「……先を急ごうか」
「結論を急いじゃだめだよ。もっと話をさせてよ!」
「あぁ、もうわかったよ」
意識の三分の一ほどが空腹をどう紛らわせるかに向きかけているカミュはおざなりに返事をする。
またカミュの意識がそれないうちに、とリネアが早口で話し始めた。
「砂漠の霧船ってあるでしょ。ボクもまだ実物を見たことはないし、吹き出す蒸気のせいで大部分が霧に隠れているから船首しか知られてない古代の遺物だけど、あれの形状っておかしいと思わない?」
「どこが?」
「もう考える事すら放棄してるし……。船首だよ、船首。なんで砂漠の中を走行するのにあんな形になってるんだろうって思わない?」
「そもそもの疑問なんだけど、砂漠の霧船って本当に船の形してるの?」
カミュは実物を見たことがありそうなグランズに問いかける。
砂漠の霧船は絶海の歯車島に並ぶ人を寄せ付けずに現在も稼働し続ける古代の遺物。または大型遺跡である。
話には聞いたことがあるものの、首都の旧市街で育ったカミュは実物など見たこともない。
問われたグランズは思い出す様に中空を見つめながら頷いた。
「あぁ、船の形をしてるよん。船首だけしかわからないけど、言われてみれば非効率的な形ではあるなぁ。数百年稼働し続けて横転もしていないのは不思議だ」
そこも含めて古代の遺物、オーパーツではある。
だが、リネアはちっちっち、と舌を鳴らしながら人差し指を左右に振った。
「逆に考えてみるんだよ。つまり、砂漠の霧船はあの形こそが効率的って事」
「面白い話になりそうじゃないの。進めて」
「別にグランズさんに話してないよ。ねぇ、カミュも興味が湧いてきたんじゃない?」
リネアに訊ねられた直後、カミュのお腹がくぅと小さく鳴った。あまりにも小さすぎたためか、グランズには聞こえなかったようだが、リネアにはばっちり届いていたらしい。
「……何が食べたいの?」
「スポテッドディック」
「いいよ。作ってあげる。だから、話を聞いて」
「分かった」
大人しく頷いたカミュにリネアは気を取り直した様子で続ける。
「砂漠の霧船は砂地しか走ってないけど、船の形をしている以上――」
「そうか、水陸両用かもしれないね。海の上でも行けるなら、絶海の歯車島まで乗り付ける事もできるのかも。とすると大陸内陸部へ進出しなかったのは海に出たからって事になるけど、そんな面倒な事をしたのは大陸に何か脅威があったから?」
「カミュったら、話を聞くようになったらすぐに答えを出しちゃうんだもんなぁ」
情緒がない、とリネアに言われても、カミュには納得がいかない。
古代文明談義がしたいと言ったのはリネアなのに、とカミュは納得しかねたまま階段の下に見えたモノに足を止めた。
「……扉だね」
カミュが視線を向ける先、通路を塞ぐように立っている鉄の扉を見て、リネアが呟く。
格子状で総鉄製の扉だが、数百年前に取り付けられたものらしく赤さびが全体に浮いている。蝶番は石壁と扉とを繋いでおり、扉が倒れないよう健気に支え続けている。
リネアが赤さびだらけの鉄扉に罠がないかを調べながら口を開く。
「これ開くかな?」
「触った瞬間ドアノブが取れそうだし、蹴破った方が早そう」
カミュは提案し、リネアと一緒にグランズを振り返った。
「おじさん、何か物を壊す役割ばっかり押し付けられてないかい?」
苦笑しながらも、グランズは右ひざを軽く曲げて蒸気機甲の排気を行った後、素早く回し蹴りを鉄扉に見舞った。
錆びて脆くなった鉄格子があっさりとグランズの蹴りに敗北し、音を立てて転がっていく。
「ありゃ……」
グランズが鉄扉を蹴り抜いた体勢のまま間抜けな声を出した。
「こういう結果になるか」
苦笑気味に呟くカミュの視線の先、鉄扉は未だに健在だった。グランズの蹴りを受けた部分だけぽっかりと穴が開いている。あまりにも鉄扉そのものが脆くなっていたせいで、蹴りの衝撃が扉全体に伝わる前に破断してしまったのだ。
「グランズさん、足は大丈夫?」
鉄扉から足を引き抜いたグランズにリネアが声を掛ける。グランズは右足に装着していた蒸気機甲を拳で軽く叩いて強度をアピールした。
「これ付けてるから、足は無事だよ。そんなわけでもう一発いってみようか」
グランズは扉の真ん中ではなく蝶番を蹴り抜くことにしたらしく、立ち位置をずらしてから回し蹴りを放った。
石壁と鉄扉を繋いでいた蝶番が蹴り抜かれ、カラン、と扉の向こうに転がる音がした。その反響具合から察するに、扉の向こうにはかなり広大な空間が広がっているらしい。
グランズに蝶番を破壊された鉄扉はあっさりと倒れ込む。鉄扉が床に倒れ込んだ衝撃で埃が舞い、扉の向こうが露わになった。
「真っ暗だけど、広そうだね」
「音も声も奥に反響して返ってくるね」
リネアが安全灯をかざすが、地下室の向かいの壁まで光が届かないほどだった。
天井はどうだろうと見上げてみれば、うっすらと光っているように見える。どうやら、天井には換気を行うために細かい穴があけられているらしい。
「カミュ君が感じたカビの臭いはあの穴から届いたんだろうね。それにしても手が込んでる」
グランズが天井から漏れ出ている外の光とカビの臭いを結び付け、床をつま先で擦る。
「少し滑るから、足元には気を付けなさい。おじさんとの約束だかんね」
グランズの忠告を聞き流しながら、カミュは地下室へと入る。
ふと、足元に違和感を覚えてカミュはしゃがみこんだ。
鉄扉があった場所の床が僅かに隆起している。些細な高さだったが、妙に気になって調べてみるも、周辺に罠らしきものはない。カミュは足先で膨らんだ床をちょんと踏んでみるが、硬い感触が返って来るだけだった。
「カミュ、ここすごいよ! こっち来て、早く!」
リネアに呼ばれて、カミュは床の隆起を頭の中から締め出して駆け寄った。
リネアがカミュを呼んだのは地下室の扉のすぐ右側だ。古代文明の工具らしきものが散らばる机と、その横にカビだらけの書棚があった。
「この地下室全体が研究室だったのかな。それも極秘の」
「俄然、盛り上がってきたね!」
リネアは笑顔で手袋を取り出し、慎重に書棚から本を抜き出した。保存状態が悪くカビだらけで、まともに読めた代物ではないとすぐにわかって肩を落とす。
「何かほかに面白い物ないかな。あ、これなんだろう」
ちょこちょこ動き回るリネアの後を、カミュとグランズはついて行く。
試験管や鉄線で作られた丸い骨組み、現代の物と変わらない形のドライバーやハンマー、赤茶色に錆びた鉄の塊、銅、そして――壁一面を覆う鉄製と思しき配管。
「……これ、なんだろう」
リネアが呆然と、安全灯に照らされた配管を見上げる。
カミュも言葉が出なかった。
壁面をのたくる無数の配管は、カミュたちの顔を映すほど滑らかに磨き上げられ、錆一つ浮いていなかった。
配管が繋がる貯水タンクと思しき密閉された巨大な鉄箱も同様で、グランズの顔を映している。
新品同様のそれは古代文明の遺跡には不釣り合いなほど美しい光沢を放ち、不気味なまでに安全灯の光を反射していた。
「数百年、誰もこの地下室には入っていなかったはずだよね?」
「グランズさんが壊した鉄扉の脆さを考えると、多分誰も入ってないと思う。別の入り口がなければの話だけど」
リネアが地下室の奥を見る。配管が伸びていく先は安全灯の明かりが届かず、暗いままだ。
グランズも真剣な顔で配管を見つめ、指先で触れるなどしている。
「メッキかね。だが、数百年持つようなメッキがあるのか……」
「遺失技術って事?」
だとすれば、この配管だけでも大発見となる。
カミュは古代文明に詳しいリネアを見た。
リネアは配管を見つめて、考え込んでいたが、やがて答えを出した。
「クロム、だと思う」
「何それ?」
「古代文明の文献、それも最後期に書かれた金属の目録に錆びない金属としての記述があるの。それが、クロムとアルミニウム。クロムはメッキに使って、アルミニウムは凄く軽い金属って説明しか知られてない。砂漠の霧船や絶海の歯車島みたいに未だに稼働し続けている古代の遺物がある以上、存在は確実視されていたけど……」
「現物は見つかってなかった?」
カミュが確認すると、リネアが深く頷いた。
そんなモノが目の前にある配管の正体だとすれば、間違いなく大発見である。
しかし、困ったことにこの発見を正式に発表できる状況ではなかった。
「あぁ、濡れ衣を着せられてなければ、これをボクたちの名前で発表できたのに!」
悔しがるリネアだったが、それでも泣き寝入りするつもりはないらしい。配管をくまなく観察し始めた。
カミュはグランズを振り返り、配管が伸びていく先を指差す。
「グランズの前にあるそれが貯水槽なら、この配管って水を供給するための物だよね。この先にあるのってもしかして」
「古代文明の蒸気機関かも知れないねぇ。心躍る話じゃないの。おじさん、年甲斐もなくワクワクしてきたよ」
グランズは無精ひげを撫でさすりながら、地下室の奥へ目を細める。
カミュは配管を見る。
「クロムメッキだっけ。そんなモノが施されてるって事は、経年劣化すると困るような代物なんでしょ? オレも興味あるな」
カミュが興味を示すと、リネアがガッツポーズした。
「よし、カミュの心をつかんだその蒸気機関を見に行こう!」
「まだあるって決まったわけじゃないよ」
「きっとあるよ。配管の先がどうなってるのか確かめておきたいし、行ってみよう」
リネアがカミュの手を取って歩き出す。
カミュは抵抗する事なくリネアと並んで歩きながら、改めて地下室を見回す。
左右の壁面はいくつもの配管がのたくっており、所々で床へと延びている。どうやら、床下を通っている配管が何本かあるようだ。
大がかりな何かが待っていそうな雰囲気の中、地下室の奥へと進む。
安全灯の明かりに照らされた景色を見て、リネアが怯んだような顔をして足を止めた。
「なに、これ」
「趣味がいいとは思えないかな」
「おじさんも同意」
三人の意見が悪趣味で一致したのは、左右の像だった。
おそらくはクロムメッキが施されているのだろう、一切の錆が見られない金属製の像だ。上半身が人、下半身が馬のケンタウロスと呼ばれる架空の生き物を模しているらしい。しかし、現代に伝えられているケンタウロスとは少々趣が異なり、顔は馬の頭骨らしきものが乗っている。金属の像の中で異彩を放つ白い頭骨は本物であろうとなかろうと悪趣味なバランスだった。
左右のケンタウロス像はそれぞれ右手に剣を、左手にはカミュやリネアの身体がすっぽり隠せるような巨大な盾を持っていた。
なによりも圧巻なのはその大きさだ。馬の頭骨までの高さはカミュの背丈の倍以上あり、馬の胴体ゆえの奥行きもカミュが両腕を広げても足りないだろう。
「右がフランベルジュ、左がエクセキューソナーズソードだね」
リネアが左右のケンタウロスが持つ剣の形状から種類を言い当てる。
片や波打つ刀身で破傷風を誘発させる剣、もう片方は処刑人が罪人の首を刎ねるための剣だ。武器にまで趣味の悪さが窺えて、カミュはげんなりしつつ、壁面を覆う配管が向かう先を辿る。
グランズが腕を組んで目を細め、口を開く。
「二人とも、おじさんの見立てを言ってもいいかな?」
「言わなくとも分かるよ。この二つの像に配管が繋がってる。いまでも動くかどうかわからないけど、蒸気機関だ」
看破しながらも、カミュは二つの像に近付いていいものか迷っていた。それほど、二つの像は異様な気配を纏っている。
しかし、躊躇している間にも、事態は密かに進行していた。
最初に気付いたのはリネアだった。
「なにか、奥から聞こえてこない?」
リネアに言われて耳を澄ませてみれば、独特の排気音が聞こえてくる。その音は静かではあったが断続的で力強く、蒸気で動くシリンダーを連想させるのに十分だった。
事実、地下室の奥から白い蒸気を纏って巨大な何かが近付いてくるのが見える。
「ミノタウロス、かな?」
やはり架空の、しかし強大と名高い怪物を模した金属の像が近付いてくるのを見て、カミュは一歩下がった。
ミノタウロスの像は右手に斧を持ち、左手には陶器と思われる鍵を持っている。像の大きさはグランズの身長の倍といった所だろうか。
リネアがミノタウロスの左手に注目しながら、カミュに倣って一歩下がった。
「あの鍵、すごく意味深だけど、なんだと思う?」
「さぁね?」
いずれにせよ、蒸気を吹き出しながら進んでくるその像の攻撃的な造形を見れば、近付きたくないのが正直なところである。
「気にはなるけど、さっさと逃げた方がよさそうだ」
「賛成!」
「――二人とも、ちょっと待ってくれるかい?」
逃走を選択したカミュとリネアを引きとめておいて、大剣の柄を握ったグランズがため息を吐き出す。
「あの鍵、多分、脱出路を開くための物だと思うんだわ」
「はぁ? 鉄の扉は壊してきてるんだから、そこから逃げ出せばいいだろ」
「間に合わないと思うんだよねぇ。ほら、見てごらん」
グランズが嫌そうな顔をして指差した先で、ミノタウロスの像が停止する。
次の瞬間、ガコンと音がしてミノタウロス像が床に沈み込んだ。
「……感圧板?」
カミュがミノタウロスの踏んだ床の正体に思い当たった直後、鉄の扉があった方向から重たい音と蒸気を吐き出す音が聞こえてきた。
カミュは鉄の扉があった床を思い出す。わずかに隆起していたその床は、鉄の扉が再度閉まらないようにするための物だったのかもしれない。
すべては、出入り口を閉ざして侵入者を地下室の虜囚とするための――罠。
「設計した古代人、性格悪すぎでしょ……」
カミュが呟くと同時に、左右のケンタウロスの頭骨に開いた穴から蒸気が噴き出した。
ケンタウロス右「いらっしゃいませ」
ケンタウロス左「ご主人様!」
ミノタウロス 「わたしたち数百年――」
一同 「待ってました!」