第十一話 タッグスライ砂漠第三遺跡
「カミュ、無事!?」
「大丈夫だよ。リネアたちも無事みたいだね」
ロワロックの町の北側出口でカミュを待っていたリネアに飛びつかれ、カミュは苦笑する。
視線を向ければ、グランズも無事なようだ。愛車のヤハルギに跨ったまま、町の外へ顎をしゃくる。
「のんびりしてると追手が来ちゃうよん」
「分かってる。リネア、ラグーンに乗って。オレが運転する」
リネアをサイドカーに乗せ、カミュはラグーンに跨り、アクセルを開けた。
速やかに動き出したラグーンで町の出口へ突き進む。
無人の出口を見て、カミュは怪しんだ。
「検問がないんだけど?」
町の中で大捕り物が行われている現状で、町の出入り口を固めないわけがない。
グランズが苦笑して町の外を指差した。
「外から魔物が襲ってきたみたいだね。デスワームが四体。女の子が嫌がる魔物筆頭だよね、アレ」
グランズの指差した先では出入り口を固める陸軍兵士が十名ほど、身の丈に倍する軟体生物と戦闘を繰り広げていた。
戦闘で町に被害が出ないように配慮して出入り口から離れ、デスワームの巨体で破壊されないように街道からも離れた場所だ。
兵士の一人がカミュたちに気付くが、魔物との戦闘中では街道を封鎖する事などできない。
「そっか、昨日の大雨で活発化したんだ」
リネアが納得したようにデスワーム達を眺める。
非常に生命力が強く、輪切りにされても動き続けると言われるデスワームは普段、砂の中で活動する魔物だ。雨で砂が濡れると呼吸のために外に出てきて、濡れた体を乾かすために晴れの間もしばらく動き回るのだが、砂に潜む事の出来ない危機感からか非常に気が荒くなる。
リネアが自動拳銃カルテムを構え、デスワームに照準を合わせた。
「恩を売っておこうと思うよ」
「押し売っちゃえ」
リネアが兵士の援護を申し出、カミュはそれを後押しする。
カミュがラグーンの速度を緩めると、リネアが引き金を引く。
射出された金属の弾丸がデスワームを撃ち貫いた。
衝撃に身をよじるデスワームを兵士が蒸気機甲の力を借りて真っ二つに斬り伏せる。
「助かるよ!」
感謝してくる兵士に片手をあげて応じたリネアがさらに別のデスワームに銃撃を浴びせる。
「頑張ってくださいね」
リネアは黄色い応援と同時に別のデスワームへ銃弾を送り込み、カミュに目配せしてくる。
カミュはラグーンの速度を上げた。
デスワームを減らし過ぎて兵士たちを自由にしては、検問を再び張られてしまう。カミュたちも引き留められるだろう。
デスワーム三体くらいなら兵士十人でも余裕を持って倒せる、とカミュは判断した。
カルテムを革のガンホルダーに収めたリネアが唇を尖らせてカミュを睨む。
「ボクは速度を上げてほしかったんじゃなく、今こそカミュの容姿を利用して兵士さんたちの士気を高めてほしかったんだよ」
「そうだと思ったけど、オレは原価割れする愛想は売らない主義なんだよ」
士気を高めたところでデスワーム討伐が速やかに終わってしまうだけの話だ。デスワーム達にはカミュたちの逃亡が成功するまでの時間稼ぎをしてもらわなくてはないのだから、愛想を振りまいても自分の首を絞めるだけである。
「まったくもう」
リネアはため息を吐いて、カミュの背中を見た。水筒状の海水タンクが破損しているのを見つけたのか、眉を顰める。
「どうしたの、それ」
「転んだ拍子にヒビが入ったんだ」
「カミュが転ぶなんて珍しいね」
「転ばされたって表現の方が近いかな」
説明すると、リネアは納得したように頷いた。銃で撃たれたとはいえ、カミュに怪我がない事はロワロックの街を出る際に確認したため心配はしていないらしい。
カミュは並走するグランズを見る。
「次のカーブで街道を外れるよ」
「ほいほい、わかりましたよっと」
グランズが軽い調子で応じてから、後方を振り返る。
「追手はないみたいだね。この速度で飛ばしてるから追い付いていないだけって線もあるけれども」
「ハミューゼンを追うので忙しいんじゃない?」
「そのハミューゼンは一体全体どうして警察の本拠地なんぞにいたんだろうねぇ。いや、カミュ君やリネアちゃんもいたわけだし、おかしい事じゃないのかな?」
警察に追われているという点では蒸気機関撤廃の会もカミュたちと一緒だ。
カミュたちには傭兵の町であるガムリスタを敬遠する理由があり、なおかつカミュはロワロックに用事があった。
だが、ハミューゼンは連れている部下の戦力を踏まえて考えても荒くれ者が集まるガムリスタを避ける理由がないように思える。
「カミュを勧誘したんでしょ? そんなに戦力が欲しいならなおさらガムリスタを目指しそうだよね」
リネアが不思議そうに首をかしげる。
「どうせもう会う事もないだろうし、考えてもしょうがないよ。オレ達には関係ないしね」
カミュが考える事を放棄すると、リネアも「そうだね」と同意して空を見上げた。
「一雨きそうだね」
リネアの予想を聞いて、カミュも空を見上げる。
ロワロックでの騒動の間にすっかり夜になっており、空にはロワロックで発生した蒸気に由来する分厚い雲が垂れ込めている。
このまま夜が更けて空気が冷え込めば、間違いなく雨が降る。
「雨が降ったら遺跡で雨宿りだよね?」
「……分かったよ」
期待の篭った目をリネアに向けられて、カミュは苦笑する。
リネアが地図を取り出して、手近な、それでいて警察がやってこなそうな遺跡を探し始めた。
カーブに差し掛かって、カミュはグランズに目配せしてから速度を調節し、街道を外れる。
途端に砂漠の砂の上を走行し始めたラグーンのギアを変えつつ、カミュは夜の砂漠走行を開始した。
リネアがラグーンを横目で見る。
「チェーンを洗うのが大変だよね」
「交換用のチェーンは積んでるよ。できる限り丸洗いで対処したいけど」
答えながら、カミュは夜風に身を震わせる。
ラグーンが発する熱と蒸気で緩和されることもない夜の砂漠の冷え込んだ空気が襲ってきていた。
カミュは地図を広げているリネアを見る。
「それで、雨宿り先は?」
「タッグスライ砂漠第三遺跡がいいと思うよ。このまままっすぐ行けば左に見えてくる大きな遺跡」
「急ごう。グランズ、遅れないでね」
「おじさんはそろそろ徹夜が厳しいお年頃なんだ。急いでくれるのはありがたいね」
欠伸を噛み殺しながらグランズが応じる。
カミュは真っ暗な砂漠の中でスティークスのライトを頼りに進む。
タッグスライ砂漠遺跡群の中枢として知られる第三遺跡は雨がぽつぽつと降りだした頃に見えてきた。
「――タッグスライ砂漠遺跡群は古代文明が海水を運ぶ途上に造った中継都市の総称でね。全部がタッグスライ砂漠の中にあるんだけど、遺跡を全て線で繋いでいくと絶海の歯車島が浮かぶ海まで高台だけを通っていることが分かるんだよ。それだけじゃなく、季節ごとの風の進行方向を考慮して、蒸気機関によって大量発生する霧や雲が他の中継都市に与える影響を可能な限り少なくしてあるの。この事実から古代文明がきわめて高度な気象学とそれを裏付ける気象資料を有していた事が分かるよね。遺跡群の配置はガムリスタやロワロックの都市計画を策定する上で参考にされて――」
得意げに語るリネアの説明を聞き流しつつ、カミュはタッグスライ砂漠第三遺跡にラグーンを乗り入れる。
砂漠の砂が入り込んではいるが、遺跡は都市としての景観を半ば維持していた。
石積みの壁と石畳のコントラストは単調に見えるが、この遺跡にまだ人が住んでいた頃は通りを挟む家々にも漆喰が塗られていたり、看板が出てたりしたのだろう。
所々で家の壁が崩れており、路上に大きめの瓦礫が転がっている。
夜で暗い事もあり、カミュたちは速度を落として遺跡の中を徐行し、手頃な家を探して回った。
「あんまり、ちょうどいい場所はないか」
「古代文明の人も数百年後の旅人が泊まれるようには造ってないだろうからね。ささ、もっと奥へ行ってみよう」
完全に探検気分になっているリネアを見て、カミュはため息を吐く。
雨が止みしだいこの遺跡を出て北へ向かう予定だったが、リネアの様子を見る限り一通りこの遺跡を見て回らない事には出発を渋られそうだった。
欠伸を連発していたグランズがリネアを見る。
「本当に古代文明に興味があるんだねぇ。浪漫が分かる女の子はモテるよ。少なくともおじさんは大好きだ」
「ありがとう、ごめんなさい」
「おじさんの人生にこれほど腑に落ちないありがとうを言われた事があっただろうか、いやない」
雨が本格的に降り始めた頃、三人は遺跡の奥まった場所にある平屋建ての建物を見つけた。
天井が抜けてない事を確かめて、中に乗り入れる。
ラグーンから降りてみると、床に溜まった砂が革靴の底とこすれ合って乾いた音を立てた。
カミュは建物の中を見回し、カビやコケが石壁に付いていない事にほっとする。雨漏りの心配もなさそうだ。
遺跡に入ってからずっと半壊した建物ばかりだったが、これほど状態のいい建物に巡り合えただけでも幸運だろう。
天井を見上げれば、石積みのアーチ屋根の裏側が見える。
「良く崩れないね、ここ」
「偉い人の家だったんじゃないかね。ほら、ハーレムとか築いちゃうようなさ。いやぁ、男のろま――」
「グランズ、それを浪漫だというのなら、オレは理解できないからね?」
「カミュ君も男のエゴイズムでリネアちゃんから睨まれればいいと思ったのに出鼻をくじかれちゃったかー」
グランズが悪びれもせずに肩を竦め、リネアを見る。
リネアは好奇心に輝く瞳で建物の中を歩き回っていた。
「カミュ、ここは住居じゃないみたいだよ」
「なんでわかるの?」
「こっちおいでよ」
ちょいちょいと手招かれて、カミュはリネアが手招く入口へ歩く。
カミュたちがラグーンを中に入れることができただけあって大きな入口だが、扉の類はない。天井と同じアーチ形にぽっかり空いた穴はどことなく愉快な外観だ。
砂が入らないように段差を設けたりはしないんだな、とカミュは入り口から向かいの建物を見る。もとは二階建てだったらしい向かいの建物にはきちんと三段の階段が入り口に設けられており、地面よりも高い位置に扉をはめ込んでいただろう長方形の穴が開いていた。
リネアが指差しているのはアーチ形をした入り口のすぐ横だった。
「ここ、何もないでしょ?」
「なにもないね。ただの石壁だよ」
この建物が住居でない事を示す証拠があるのかと思えば何もないことを確認させるリネアの行動に、カミュは首をかしげる。
理解が及んでいない様子のカミュに、リネアはにんまりと嬉しそうに笑った。
「タッグスライ砂漠遺跡は全部、古代文明の後期まで存続した都市なんだよ。それで、後期の古代文明の住居には必ず入り口に魔除けの文字が彫られているものなの。どんな意味があるかまでは分かってないんだけど、住居やちょっとずれるけど病院みたいな、人が寝泊まりするところには必ず彫られてるんだよ」
「へぇ。それで、それが分かったからって何かあるの?」
「……住居じゃない事が分かったんだから、何かあったじゃん」
元が住居であろうがなかろうが、天井があって雨宿りができればそれでいいと考えるカミュにはリネアの不満そうな顔の理由が分からない。
流石に、古代文明人の埋葬場所だったとでも言われたならば薄気味悪く感じるところだが、それでも雨に打たれるよりははるかにマシという現実的な考えだ。
「雨が止んだら出発するんだから、早めに寝よう。テントはどうする? やっぱ張っておいた方がいいかな」
入り口がないとはいえ建物の中ではあるのだが、石が敷き詰められた床には砂が溜まっている。寝転がるのはためらわれる有様だ。
ラグーンの元に戻ってテントを引っ張り出すカミュをリネアは不満そうな顔で見つめ続けていた。