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蒸気世界の夢追い人  作者: 氷純
第一章 逃避行
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第十話  蒸気機関撤廃の会、会長

 宿の二階から一階へ降りるための階段は北側に面している。

 宿一階の出入り口は三つ、東側は従業員の休憩室や宿の主たちの居住スペースとなっており、私用の勝手口が存在する。これは、カミュが一度宿の裏手に回った際に目撃していた。

 同時に、西側には宿泊客が出入りするための玄関がある。片開きの木製扉だ。

 ガレージに続く扉は階段を下りきったちょうど反対側、南に位置している。

 一階を横断する形になるものの、障害物となり得るのは一階に設けられた休憩スペースにある椅子やテーブルくらいのものだ。

 カミュたちは慎重に階段の頂点から一階を見下ろしてみる。

 階段の一番下にテーブルや椅子を積んだバリケードが築かれていた。

 グランズが手振りでカミュたちに下がるよう指示を出し、右腕に装着している蒸気機甲の手首にあるスイッチを押す。すると、蒸気機甲の側面が僅かに開いた。


「……合体は男の浪漫っと」


 呟きながら、グランズは自身の得物である大剣の柄を半ばまで、蒸気機甲の側面に開いた隙間に差し込んだ。小さくカチッと音がして、大剣と蒸気機甲が接続される。

 カミュとリネアはグランズの呟きに白けた目を向けていたが、グランズは意に介さず大剣の柄の残りを掴み、身体の横に構える。

 直後、グランズの右腕に装着した蒸気機甲が稼働し、蒸気圧を急激に上げていく。蒸気の排気を行う音が小さく聞こえ始め、蒸気機甲の内部では蒸気の力をクランク機構と歯車でバネに蓄積していく。


「あらよっと!」


 グランズが掛け声と同時に腕を振ると、蒸気機甲はバネに蓄えた力を一気に解放した。

 もたらされた結果は、人力のみではなしえない圧倒的な破壊。

 バリケードを構築していたテーブルも椅子も原形をとどめないただの欠片になって一階中にばらまかれていく。


「合体させないと手首を痛めちゃうんだね」


 リネアが納得したように呟いて、愛用の自動拳銃カルテムの引き金を引く。

 カルテムの内部で高速空転していた歯車が相棒のクランク機構を作動させ、高速で弾かれたゴム弾の後を膨張した蒸気が追いかけ、ゴム弾をさらに加速させて銃口から撃ちだす。

 撃ちだされたゴム弾は唖然とした顔で階段を見ていた見知らぬ男の額へ正確に吸い込まれた。


「痛っ!」


 額にゴム弾の強襲を受けた男がその場であおむけに倒れ込み、額を押さえてもだえ苦しむ。命の危険は少ないゴム弾だが、直撃すれば骨も砕ける可能性がある代物だ。

 リネアが第二射を放とうとした時、グランズが右手に付けた蒸気機甲から大量の蒸気が噴き出し、視界を覆う。

 リネアが慌てて銃口を天井に向けた。


「海水使いすぎ!」

「浪漫を追うのには経済力が必要なのさ」

「格好つけるとこじゃないってば! しかも格好ついてないし!」


 リネアとグランズが会話する中、カミュは姿勢を低くして高熱の蒸気を潜り抜ける。

 グランズを横から追い抜いて一階に先行し、素早く視線を走らせた。


「敵は七、人質は二人」


 素早く情報をリネアとグランズに伝え、カミュは鞘から愛剣を抜き放つ。

 一階の障害物として懸念された休憩スペースのテーブルなどは全てバリケードとして使われていたためグランズに排除されている。おかげで床に木切れが転がっている事を除けば比較的広い空間で、カミュにとっては戦闘に支障がない。

 しかし、リネアが撃って一人減らしたとはいえまだ敵は六人、人質を拘束している二人は戦闘に参加しないとしても四人残っている。

 何より問題なのは、敵が蒸気機甲や蒸気機関仕込みの武器を携帯している点だ。


「――宿泊客の方でスか。お騒がセシて申シ訳ありまセん」


 カミュが敵と判断した男たちの奥まったところで椅子に座っていた四十歳近い男が丁寧な、どことなくなまりのある口調で声をかけてくる。

 大陸中から人が集まる首都ラリスデン育ちのカミュも初めて見る橙色の髪をした糸目の男だ。カミュよりも頭一つ分身長の高いグランズよりさらに頭一つ分高い、高身長のその男は首元に柄物のスカーフを巻いているが、その出で立ちは軍人のそれだった。

 椅子から立ち上がった男は折り目正しく一礼し、カミュ、リネアと視線を移して最年長のグランズに目を止めた。


「わたくシ、蒸気機関撤廃の会にて会長を務めておりまス、ハミューゼンと申スもの。失礼ながら、お三方は傭兵とお見受けシまス。警察の方々に雇われたようには見えまセんが、如何なるご用向きでシょうか」


 ハミューゼンと名乗った糸目の男は、カミュとリネアを見て警察に雇われるような年齢ではないと考えたのか、敵と判断しなかったらしい。

 蒸気機関の破壊活動を積極的に行う暴力的な蒸気機関撤廃の会の会長とは思えない柔和な笑顔を絶やさず、紳士的に対話を図ろうとするハミューゼンに、グランズが毒気を抜かれた顔をした。


「あぁ、いやね、ちょっとこっちもわけありでさ。ガレージの方に用があるんだわ。問答無用で襲いかかっておいて今さらだけど、戦わずに済むならそれに越したことはないかなって。むしろ、警察を相手にいくらか協力するところまでいけちゃうかも、なんて思っちゃうかも」

「なるほど、ソうでシたか。いえ、こちらも突然宿を占拠シ、人質までとっている始末。信用シてほシいなどとは申セまセん。シかシながら、ガレージでスか」


 グランズの言葉に対して鷹揚に頷いたハミューゼンは柔和な笑みを崩さずガレージへの扉を確認する。


「――いけまセんね」

「は?」

「ガレージを利用シているという事は蒸気自動車に乗っているのでシょう? 蒸気自動車、あれはいけない。蒸気を巻き散らス降雨災害の温床であり、長年物流を任サれてきた馬車の利用に悪影響を及ぼシ、馬と荷車に関わる全ての労働者階級を失業サセかねない。あれは悪の製品だ。根絶サれねばなりまセん。誰か、壊シてきなサい」


 平然と、正義の行いを命じるようにハミューゼンが近くにいた男に指示を出す。

 指示に従いガレージに向かう男を見たハミューゼンは満足そうに頷き、直後にその糸目をうっすらと開いた。


「お嬢サん、なんのおつもりでスか?」


 北側に位置する階段から蒸気機甲を用いて一気に南側のガレージ扉前に移動して剣を構えるカミュに対して、ハミューゼンが質問する。

 カミュは剣を構えたまま、両手足をわずかに曲げて蒸気機甲の排気を行い、蒸気圧を調整して臨戦態勢を維持した。


「そっちこそ、オレのラグーンに何するつもり?」

「破壊スるつもりでスが?」

「なら交渉決裂。それ以上近付いた奴は問答無用で斬り捨てる」


 啖呵を切るカミュに対し、肩を竦めた男が腰から下げていた特殊警棒を引き抜く。改造を施されて大型化したそれはほとんど金棒で、スイッチ一つで男の腕と同じだけの長さに延長された。


「痛い目を見る前に道を開けろ。小娘」


 カミュの容姿を見て侮った男が二歩近づいた瞬間、カミュは右腕を軽く振るう。ただそれだけで、男の右手首から血が噴き出した。


「痛い目を見ただろ、失せろ、木偶の坊」


 中性的な耳触りの良い声も殺気の篭った冷たさを帯びれば人を怯えさせるのに十分だ。

 だが、カミュは先ほど斬った男が冷静に飛び退いて距離を取った事に目を細めた。

 斬られた右手首を押さえた男は近くにいた別の男に止血を任せている。痛みをこらえるような顔はしているが、動揺は見られない。


「リネア、グランズ、こいつら戦闘訓練を積んでる」

「おやまぁ厄介だねぇ、ったく。騒ぎが起きても警察が踏み込んでこないわけだよ」


 グランズがため息を吐きつつ大剣を構え、西側の玄関扉を見る。グランズがバリケードを破壊した一撃は明らかに外まで音が聞こえていたはずだが、警察側の動きはない。

 じりじりと、グランズとリネアはハミューゼン達を迂回してカミュとの合流を図る。

 ハミューゼンはカミュの剣をながめて顎を撫でると、ふむ、と一言つぶやいて、先ほどまで自分が座っていた椅子の背もたれを掴んだ。


「乱戦にシてシまいまシょう」


 言うや否や、ハミューゼンは掴んだ椅子を蒸気機甲で強化された腕力に任せて西向きの窓ガラスへ投げつけた。

 グランズがぎょっとして、ちょうど背後にしていた玄関扉を振り返る。


「やっばい!」

「うわわ」


 グランズが隣にいたリネアの腕を掴んでカミュの方へ跳び退いた直後、玄関扉が吹き飛んだ。

 窓を破って飛び出した椅子を見て、宿屋内部で戦闘が起きていると判断した警察が実力行使に踏み切ったのだ。

 飛び込んできた刑事の一人がグランズを視界に収めた瞬間斬りかかる。少女の腕を掴んで引き寄せているのだから、暴漢に見えるのは仕方のない事だった。


「うっそん」


 それでも、グランズは苦笑しながら大剣を体に引き付け、リネアを背中に庇うようにして刑事の一撃に大剣を合わせる。その余裕ぶった態度に攻撃を防がれた刑事は警戒するように目を細めながら剣を押し付けて鍔迫り合いに持ち込んだ。


「ソこの三人は残って刑事を引きつけておきなサい。他は一緒に裏口から逃げまシょう」


 ハミューゼンはあたかも部下にするようにカミュとリネア、グランズの三人に警察の相手を命じると、さっさと東側にある従業員用の戸口を目指して逃走を開始した。わざわざ人質を突き飛ばして床に転がし、刑事たちの足止めをする念の入れようだ。

 ハミューゼンの言葉を聞いて、ぎょっとしたのはカミュたちと警察である。

 自らの仲間以外を争わせる事で被害を最小限にして撤退を選択したのはハミューゼンからしてみれば最善の策だったろう。

 だが、ハミューゼンの策はぎりぎりで回避されることになる。


「リネア、ラグーンに乗って先回りして。グランズはリネアの護衛。オレはハミューゼンを追いかける!」


 素早く状況を把握したカミュは真っ先にリネアとグランズをこの場から遠ざけるべく指示を出し、刑事たちの中から見知った顔を見つけ出す。


「メイトカル、手伝え!」

「なんでここにいるんだよ、ドラネコ!」

「やかましい。状況説明してる場合か。さっさと動け! 旧市街に出入りしていた刑事連中も来い。さもなきゃバリス通りのどの店に出入りしていたか、全部バラすぞ!」


 カミュの脅しは効果抜群だった。刑事の何人かがさっと顔を青くする。

 カミュの顔見知りの刑事がいる事など知らなかったグランズがきょろきょろする。


「ちょっ、どういうこと? 誰か教えて。おじさんの脳は瞬発力ないんだけども!?」

「いいから、カミュの指示に従う。ボク達はここだと邪魔なの!」


 リネアが混乱中のグランズの腕を引っ張ってガレージに引っ込むのを確認して、カミュはメイトカルに目配せし、ハミューゼン達を追いかける。

 メイトカルは動き出した事態と味方の動揺を見て戦力分散を悪手と判断したらしく、声を張り上げた。


「あの少女に加勢しろ。士官学校卒の連中は蒸気機甲を全力稼働!」


 命令を出したメイトカルが蒸気機甲を稼働させつつカミュの後を追う。

 カミュは宿の店主一家の居住スペースを走り抜け、東側戸口を視界に収めた瞬間、脚部の蒸気機甲のバネを稼働させて跳躍、蒸気機甲に覆われた腕を交差させて戸口の横にある窓をぶち破った。

 戸口の横で奇襲をかけるべく得物を振りあげて待機していたハミューゼンの部下がぎょっとしたように振り返るが、遅い。


「邪魔!」


 短い一言と共に、カミュはがら空きの背中めがけて剣を一閃する。逆袈裟に斬撃が走り、奇襲の役目も果たせず倒れ込むハミューゼンの部下は、直後に押し開けられた戸口に吹っ飛ばされる。


「ドラネコ、ハミューゼンは!?」


 自分が力任せに吹き飛ばしたハミューゼンの部下を無視して、メイトカルがカミュに質問する。


「逆方向だよ!」


 カミュはメイトカルの脇を駆け抜けざま、戸口でメイトカルからは死角になっている方角へ逃走しているハミューゼン達を追う。

 道端には宿を取り囲んでいた別働隊と思しき刑事が三人転がっており、怪我人の対処に追われる警察官の姿もあるが、カミュはすべて無視する。

 メイトカルもすぐにカミュの隣を並走し始めた。


「おい、どうなってるんだ!?」

「オレ達の観光を邪魔した挙句に厄介ごとに巻き込んだんだよ、腐れ公僕。自覚しろ、税金ドロボー」

「ドラネコは税金払ってないだろ!」

「宿屋の一家に代わって苦情を言ってんの!」


 悪態吐きながら、カミュは先を走っているハミューゼン達を観察する。

 全員が蒸気機甲を装着しているだけあって、その動きは常人の動きを凌駕している。バランスを取るのが難しいはずの蒸気機甲を十全に使いこなしている事からも相応の訓練を積んでいるのが窺えた。

 だからこそ、妙だった。


「蒸気機関をこの世界から根絶しようって連中が何であんなに使いこなしてるのさ?」

「奴らの論理では毒を以て毒を制する、だそうだ」


 カミュの疑問を拾ったメイトカルが答え、続ける。


「もっとも、連中が掲げている目標を達成しようとしているかどうかは甚だ疑問でな。傭兵崩れなんかを雇って破壊活動を行っている反政府組織という見方が警察では強くなってる」

「だから、士官学校卒の若様が仕事を押し付けられてるわけか。貧乏くじを引くの得意だね」

「やかましい。それより、ドラネコ、リネアちゃんはなんで警察に出頭しない」

「は? 胸に手を当てて考えろ、政府のイヌ」

「……やっぱり、そういう事なのか」

「国民からの信用を培ってなかったんだよ。そりゃあ税金を払わない奴も出るっての」

「おまえな……」


 正当化を図ったカミュに呆れの視線を向けてから、メイトカルは後方から追い付いてくる仲間の刑事たちを確認し、カミュにだけ聞こえるよう声を落とした。


「最後に一個だけ聞かせろ」

「なに? 情報屋は廃業したんだけど」

「マーシェが旧市街から消えた。お前がいなくなった当日だ。一緒じゃないのか?」

「マーシェ? いや、顔も合わせてないけど。オレが家に残した置手紙は?」

「置手紙?」

「……マーシェが持って行ったのかな」


 メイトカルの反応から、カミュは自宅に残した置手紙の行方を察する。

 メイトカルも、カミュがマーシェの行方を知らないと分かって思考をハミューゼン逮捕に戻したらしい。


「リネアちゃんの冤罪を晴らしたければ、ハミューゼンの逮捕に協力しろ」

「協力するからこうして一緒に走ってるんでしょうが」

「嘘を吐け。ドラネコが本気になれば簡単にハミューゼン達に追いつくだろうが。どうせ、ごたごたに紛れて逃げようとしてるんだろ」


 メイトカルに図星を突かれ、カミュは舌打ちする。

 リネアを逃がすことに成功した以上、カミュの目的は半ば達成されている。後はリネアと合流して警察の手が届かない国外への逃亡を急ぐだけだ。

 わざわざ、戦闘訓練を積んだ反政府組織と一戦交えるような危ない橋を渡る必要がどこにもない。

 カミュの魂胆を見透かしておいて、メイトカルが言葉を続ける。


「もう一度言う。ハミューゼン逮捕に協力しろ。あいつが捕まれば蒸気機関撤廃の会は実質的に解散する。……スケープゴートは必要なくなる」

「別に、国外に逃げても同じことなんだけど」

「あいつらの主張が労働者階級に受け入れられて、大陸中どこでも蒸気機関の打ちこわしが始まってるんだ。国外に逃げても、リネアちゃんの立場は変わらない」

「――あぁ、うぜぇ」


 カミュはため息と共に愛用の剣を鞘に収めた。

 正面を見る。ハミューゼン達は通りの先の直角左カーブを目指しているようだ。

 並走するメイトカルから背後に来ていた刑事たちへ視線を配り、カミュは挑発するように笑う。


「遅れるのには目を瞑ってあげるけど、見失わないでよね」


 刑事たちの数人が顔を顰めてカミュの挑発に言い返そうとする。

 しかし、カミュは刑事の反論に聞く耳を持たず、左側にある民家の玄関前に置かれた植木鉢に足を掛けるとそれを足場に跳躍、二階バルコニーの鉄柵を掴む。さらに跳躍した際の勢いを殺さず両足を振り上げて体の重心を鉄柵より高くすると、鉄柵から手を離して体を捻り、バルコニーに降り立った。

 あまりにも身軽な動きに、刑事たちが唖然とする中、メイトカルが声を掛ける。


「ドラネコ、無理して仕留める必要はないが、上手く足止めだけ頼む」

「ヤバくなったら逃げるからね。さっさと来なよ」


 メイトカルに言い返して、カミュは鉄柵に飛び乗ると垂直に跳び上がり、雨樋に軽く触れて空中で前転し、屋根の上で受け身を取る。


「猫か、あの娘」


 ひょいひょいと高度を上げていくカミュに、道路を走っている刑事たちの一人が呟いた。

 カミュは道路に面した屋根の上を走り始める。屋根から屋根へ飛び移ってもその速度は衰えないどころか、舗装された道路を走るメイトカルたちよりも速い。

 カミュはメイトカルたち刑事組を意識の外に置き、標的であるハミューゼン達を見る。

 もうじき突き当たりにある直角カーブに差し掛かるところだ。

 カミュは屋根を飛び移る際に必要以上に膝を曲げて両足の蒸気機甲を作動させる。両足を覆う鈍い黄銅色の蒸気機甲から蒸気が噴き出し、宙に白い靄を作った。

 屋根へ着地した瞬間、まずは左足の蒸気機甲がばね仕掛けを作動させてカミュの身体を正面へ一気に押し進める。直後に踏み込んだ右足がさらなる加速を行い、カミュはハミューゼンたちとの距離を一気に詰めた。

 左カーブに差し掛かったハミューゼン達に向かって、カミュは飛び降りる。排気を行うカミュの両脚の蒸気機甲の音に気付いてハミューゼン達が顔を挙げた。


「これはスばらシい」


 ハミューゼンが爽やかな笑みを浮かべつつ、すぐにカミュから視線を外して疾走を継続する。ハミューゼンの部下たちも我に返り、ハミューゼンに続いた。

 注意を引けば足を止めるかと考えていたカミュは当てが外れたことに内心で舌打ちしながら、アパートらしき建物の非常階段に着地、すぐに手摺りに手を掛けて飛び越えると道路に面した薄い塀の上を疾駆する。

 しかし、戦闘訓練を積んでいるらしきハミューゼン達の動きは早く、カミュでは蒸気機甲のスペック差で追いつけはしても、燃料たる海水を使い切ってしまう恐れがあった。


「まったく、あとで経費を請求してやるからな」


 カミュは右手で愛用の剣を抜きながら、左手で蒸幕手榴弾を取り出す。投げつけても最後尾を走るスキンヘッドの男の前に落ちる程度だろう。

 振り返ってカミュの動きを警戒していたスキンヘッドも、蒸幕手榴弾を取り出したカミュを見て遠距離攻撃手段を持っていないと判断し、前を向いて走る事に集中し始める。


「せーの!」


 カミュは跳躍しつつ蒸幕手榴弾のピンを抜いて正面に軽く放る。

 瞬間、カミュは愛用の剣の仕掛けを作動させる。順手の位置にあったカミュの剣が逆手の位置へと移動した時、蒸幕手榴弾はハミューゼン達に向かって高速で飛び出していた。

 剣の仕掛けを利用して蒸幕手榴弾を弾き飛ばしたのだ。

 先頭を走るハミューゼンの前に蒸幕手榴弾が落ち、大量の蒸気を吹き出す。

 これで足止めは出来た、とカミュが距離を詰めようとした時、蒸気の幕の向こうからパンッと破裂音が響き渡った。

 直後、カミュは右足に違和感を覚えて倒れ込む。


「――っく!」


 素早く受け身を取って立ち上がり、カミュは家と家の隙間に飛び込んだ。


「――実にスばらシい反応でスね。違和感を覚えたなら安全を優先シて逃走に移る。ソの臆病サは少数精鋭の歩兵に必須の適性でス」


 蒸気の幕の中からハミューゼンがカミュを褒める。

 カミュはそっと息を吐き出しながら、右足を見た。蒸気機甲に特徴的な凹みがついている。どうやら、銃で撃たれた衝撃で脚をもつれさせたのだと気付き、あの状況で精確に銃撃してくるハミューゼンの腕に戦慄する。


「市街地戦にズいぶんと慣れている。立体的なソの動きはなかなか対処が難シい。いままでサゾ、様々な人を町中で置き去りにシてきたのだと思いまスシ、先回りシて奇襲を仕掛ける事も得意なのでシょう。貴女のような人材をこの短期間で二人も見つけるなど、実に運がいい。どうでス、貴女も労働者階級を虐げる蒸気機関を破壊シ、雇用を守る正義の戦いに身を投じてはくだサいまセんか?」


 よほどカミュの事を高く評価しているのか、逃走を一時中断してまでハミューゼンはカミュの返答を待っている。

 カミュは背中を流れる水に気付き、背中に装着している海水タンクに触れる。蒸気機甲などに海水を供給するその海水タンクには亀裂が入っていた。

 先ほど受け身をとった際に反応が遅れたことを思い出し、カミュは内心で舌打ちする。おそらくはあの時に破損したのだろう。

 これ以上の戦闘継続は無謀と判断し、カミュは剣を鞘に仕舞う。


「聞こえていまスか? ソれとも、もう逃げてシまわれまシたか、素敵なお嬢サん」

「聞こえてるよ」

「おぉ、ソれは僥倖でス。シて、お返事は?」

「商売柄、嘘は聞き飽きてるオレだけど、ハミューゼンさんの御高説に感銘を受けたよ――騙されないけど!」


 申し出を断ると同時に、カミュは蒸幕手榴弾を三個、放り投げて身を翻す。

 カミュが逃げ込んだ場所は知っていたのだろう。ハミューゼンの部下が二人飛び込んできたが、カミュが投げた蒸幕手榴弾を頭に受けて高熱の蒸気を浴び、悲鳴を上げた。

 そろそろメイトカルたちも追いつく頃合いだ。蒸幕手榴弾で火傷を負って家の間に折り重なって倒れている仲間を介抱する余裕などハミューゼン達にはない。


「最後まで、スばらシい決断力と行動力でス。気が向いたら、わたくシの下にいらシてくだサい」


 仲間を見捨てざるを得ない状況にもかかわらず、ハミューゼンは純粋にカミュを称賛する言葉を残し、駆け去っていく。


「嘘つきというより詐欺師かな。それもかなり質の悪い奴」


 ハミューゼンを評価しながら、カミュは北側の出口に向かって路地を駆けだした。

 直後、背後から騒ぎが聞こえてくる。

 メイトカルが到着し、やけどを負った二人の男を逮捕する者とハミューゼン達を追う者に分かれて走っていく。

 一瞬だけ目が合ったメイトカルは悔しそうな顔をしてハミューゼン達を追いかけていった。




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