第九話 意図せぬ包囲
カミュはリネアと泊まっている部屋にグランズを呼び、今後の旅についての話し合いを始めた。
「美少女のお部屋の香りをかげるだなんて、おじさん興奮しちゃう」
「叩きだそうか?」
「やめなよ、カミュ」
さっそく呼んだことを後悔したカミュだったが、リネアのとりなしもあってグランズに椅子を勧めて話を始める。
「北部地域の警察は暴力組織と蒸気機関撤廃の会の相手で忙しいらしい。オレ達はこのまま北の砂漠地帯を抜けて国境線からオスタム王国を脱出する」
「国境線の警備って警察の管轄だっけ?」
リネアの疑問に答えたのはグランズだった。
「国境線は陸軍の管轄だ。とはいえ、砂漠地帯は国境線もあいまいで砦や監視塔は作れないから、小隊規模で巡察している。オスタム王国は隣国との緊張関係もないからゆるいもんさ」
「そっか。それなら隣国への密入国も簡単だね」
「一応犯罪なんだけどなぁ」
リネアが明るい犯罪計画に微笑み、グランズが苦笑いする。
カミュは買ったばかりの地図を出してロワロック周辺の地形を確認する。
「一直線に北へ向かえればよかったけど、ロワロックがけっこう大きな町って事もあって周辺の湿度も高いし、多分道中に雨に降られるね」
「おじさんの経験から言って、この時期ロワロック周辺は北へ向かう風が吹きがちだから、なおさら雨に遭いやすい。高台を通り抜けるのが正しい順路だと思うよん」
長い脚を組んでリラックスしながら、グランズが意見を述べる。
カミュはリネアと協力して地図に示された高台を確認しつつ、旅の道順を定めていく。
静かに作業を進めていたが、カミュはふと情報を思い出してリネアの手元を見る。
「あ、リネアそこはダメ。砂漠の霧船の順路だから」
「え、砂漠の霧船? この辺に来てるの?」
リネアが驚いたように顔をあげ、瞳を輝かせる。
逆効果だったか、と苦笑しつつ、カミュは地図と一緒に雑貨屋で購入した新聞を広げる。コフタクという港町に本社を置く、オスタム王国の北ではそこそこ名の知れた新聞社が出しているため、内容はある程度信用できる。
目当てのページを開いて、リネアに新聞を渡し、カミュは地図を覗き込んで砂漠の霧船の順路を書き込んでおいた。
砂漠の霧船は今もって動いている古代文明の遺産である。
大量の蒸気を巻き散らしながら進むその巨大な船は完全に自律走行しており、その駆動方法は解明されていない。それどころか、何度か行われた拿捕作戦も失敗に終わり、その巨大な船はあたかも砂漠の王者のように無人のまま砂漠を定期的に巡回している。
もっとも奇妙なのは、この砂漠の霧船が蒸気で動いていることは明白であるにもかかわらず、蒸気石と反応させるための海水を補給していない点にある。
未知の淡水動力機構を積んでいるのではないかと目され、学術的、技術的、考古学的に非常に価値のある古代遺産の一つだ。
蒸気石を淡水にも反応させる事ができるのなら、海水の運搬が必要なくなるばかりでなく、大陸内陸部の開拓が一気に加速するほどの大発見である。
とはいえ、カミュたちには古代文明の遺産について研究する余裕があろうはずもない。
「ねぇ、カミュ、行こうよ。見に行こうよ。砂漠の霧船、見たくない? ねぇ、ねぇ」
リネアが珍しくねだるようにカミュの袖を引き、甘えた声を出してくる。しかし、その瞳には古代文明への好奇心しか宿っていない。
こういう奴だった、とカミュはため息を吐く。
「あんな危ない物に近付くなんて御免だよ。火傷じゃすまないよ?」
「遠くから見るだけだから、ね?」
お願い、とリネアはカミュに抱き着いて動きを完全に封じる。見に行くと約束しない限り解放するつもりがないと示すように、地図に順路を書き込んでいたカミュの手まで封じていた。
駄々をこねるリネアを面白そうに観察していたグランズが口を開く。
「リネアちゃんは古代文明に興味があるのかい?」
「もちろんあるよ。突如として滅んだ古代文明。卓越した蒸気技術を持ち、数百年稼働する砂漠の霧船や絶海の歯車島などなど、その技術力は現代のそれをも凌駕する。彼ら彼女らはどこから来て、何を考え、そして、どこへ消えたのか。ボクの興味は尽きないよ」
新聞のコラムか、とツッコミを入れたくなるリネアの主張。そんなモノを耳元で馴染むように囁かれてカミュはくすぐったさを覚え、頭を振る。艶やかな黒髪が揺れてリネアの目の前で光を乱反射した。
「だから、ね、遠目にちょっと見るだけだから。オスタム王国を出たらもう見れないかもしれないんだよ。一度だけでいいから、ねぇ、カミュ」
「……はぁ、分かったよ。ちょっと遠回りになるけど」
「やった。カミュ大好き!」
抱きしめる力を強めて好感度の上昇を示すリネアにため息を吐き、カミュは旅程の変更を地図に書き込む。
ニヤニヤしてカミュたちを眺めていたグランズが口を開いた。
「カミュ君、リネアちゃんには甘いなぁ」
「うっさい。とりあえず、旅程はこれでいいでしょ。物資の補給場所が問題になるけど、にわか雨に関しては点在する遺跡に駆け込めばいいし」
「雨が降ると良いね」
リネアが笑顔で雨を待ち望む。雨宿りにかこつけて遺跡探検するつもりなのだろう。
カミュは未だに抱き着いたままのリネアの手を離して椅子に座らせ、落ち着かせる。
「可能な限り高台を縫って走るつもりだけど、池もできているかもしれないからそのあたりは臨機応変で――」
方針の説明をしながら地図を畳んでいたカミュは、一階から聞こえてきた複数人の足音を聞きつけて口を閉ざす。
グランズもすぐに席を立って部屋の扉の前に陣取った。
「お客って感じの足音じゃなかったねぇ」
グランズは呟いて、自らの宿泊部屋の方を指差す。
「ヤバそうだから荷物を取って来る。お二人さんは戦う準備しといて――もう始めてんのね」
「さっさと行けよ。武器がないと役に立たないんだから」
「おじさんにきびっしい」
グランズは小さく自らの立場を嘆いて、扉を静かに開閉して客室へ向かった。
カミュは蒸気機甲を両手両足に装着し、リネアにラグーンの鍵を投げ渡す。
「運転できるよね?」
「人並みには。でも、なんでボクに?」
「ボイラーを温めてほしいから。その間はオレとグランズで戦えばいいし」
リネアに応えて、カミュは窓際に立ち、そっと外の様子を窺う。透明と呼ぶには鈍い色をしたガラス越しに通りを見下ろせば、武装した男たちが三人立っているのが見えた。一律の制服を見て、カミュは目を細める。
「刑事だ。でも、なんで武装してるのかな」
「軍人さんではなさそうだけど、通りの向こうから応援らしき人も来てるね」
カミュと同じく窓から外を窺って、リネアが状況を分析する。
「ボク達の事がバレたにしては、荒っぽい入り方だったし、二階にも未だに来てない。刑事さんたちの目的はボク達じゃないのかも」
「だとしたら、暴力組織か蒸気機関撤廃の会を追ってきたとか」
「刑事に追われた人たちが今、一階にいるのかな」
リネアが足元の床、その下にある一階を指差す。
どのような状況か正確に判断するには情報が足らないと判断して、カミュは次の動きを考える。
しかし、カミュが動き出す前に宿を囲む警官たちに動きがあった。
「蒸気機関撤廃の会、会長ハミューゼン、器物損壊、殺人容疑で逮捕状が出ている。この宿は完全に包囲した。大人しく署までご同行願おう」
聞き覚えのある声にため息を吐きながら、カミュは窓の外を見る。宿に向かって声を張り上げているのは七人に増えた刑事たちの中の一人、二十代半ばの刑事だ。育ちの良さそうな顔をしているが、武闘派だと一目でわかる蒸気機甲や武器を身に着けている。
「……なんでよりにもよって若様なんだよ」
「若様って、メイトカルさん? あ、本当だ。こうしてみると全然変わらないね」
カミュの呟きに反応したリネアがそっと窓の外を窺って若様と呼ばれているメイトカルを盗み見る。
問題なのは、明らかに現場指揮を執っているメイトカルがカミュとリネアの顔を知っている事だろう。視線の配り方などを観察する限り、この宿にカミュたちが宿泊している事は知らないようだが、仮に所在を知られた場合にどう動くのか予想がつかない。
この宿を取り巻くのは二階にいるカミュたちと一階にいる蒸気機関撤廃の会の一味、さらにそれを追う警察である。
酷い三つ巴だ、とカミュが内心で呆れた時、部屋の扉が開いた。
咄嗟に銃口を向けるリネアに、扉を開けたグランズが両手を挙げて降参のポーズをとる。
「前にもこのやり取りをやった覚えがあるんだけども」
「そうだったね。それで、どうする?」
愛用の自動拳銃カルテムを降ろしたリネアがカミュに問う。
「逃げの一手だよ。警察と正面衝突したら重要参考人どころの話じゃなくなるからね。できれば、オレたちの事を知られないうちにガレージに置いてあるラグーンのところまで向かいたい」
蒸気機関撤廃の会が逃げ込んだ先に関与が疑われる重要参考人リネアが泊まっていましたという事実が偶然で片付けてもらえるとは少々考えにくい。リネアとカミュの顔を見知っているメイトカルがいる以上、他人の空似で誤魔化すことも難しい。
しかし、カミュたちの足であるラグーンが置かれているスティークス用のガレージに行くには、宿の一階からガレージへの扉を潜るか、宿を出て警察の前を通ってガレージの表シャッターを開ける必要がある。
「一階を占拠してる撤廃の会の連中と一戦交えて、一階扉からガレージ入りするのが現実的なんだけど」
「あ、おじさんからちょっと悪い知らせがあるんだよね。うん、歓迎されないのは分かってるんだけど、そんな目を向けなくてもいいじゃない?」
「別にグランズには思うところもないけど、それで?」
「宿の従業員が捕まってるっぽいんだわ、これが」
「うわぁ……」
聞かないよりましだが知りたくなかった事実に、カミュは吐息を零し、リネアはカルテムの弾倉を抜き出してゴム弾に替え始める。人質に配慮しての選択だろう。
道理で宿を包囲するだけで踏み込まないわけだ、とカミュは武闘派で鳴らす警察隊を窓から盗み見る。
旧市街育ちのカミュはメイトカルを始め、首都ラリスデンから派遣されてきたという蒸気機関撤廃の会の対策班の顔に何人か見覚えがある。メイトカル同様、士官学校から引き抜かれた武闘派だ。何人か素人くさい者が混じっているのはこのロワロックで補充した人員だろうか。
素人がどんなドジを踏むか分からず人質の安全に配慮して踏み込めないでいるのだとすれば、カミュたちが宿の一階で暴れた場合は隙をついて乗り込んでくる可能性がある。そうなれば乱戦は必至だ。
人質については後回しにしようとカミュは決める。周辺を囲まれている以上、撤廃の会側は人質を殺すことができないのだから。
「撤廃の会の連中の人数は分かる?」
「いやいや、おじさんも一階には降りてないからね」
「……多分、七人だと思う」
「リネアちゃん、なんでわかるんだい?」
グランズが信じられないモノを見る目を向けてくる。
「簡単だよ。それ以上の人数がいたら一階から溢れる。しかも、立てこもってから時間が経っているのに未だに二階の様子を見に来ないのは戦力分散を避けるため。つまりは外の警察に踏み込まれても対処可能な人数を一階に残したまま二階を制圧する戦力がないからなんだよ」
リネアの分析にグランズは二の句が継げないでいるが、カミュは分析に加えて一階の状況を予想する。
「おそらく、一階にいる撤廃の会の連中は二階を制圧した警察が階段を使って一階に奇襲をかけてくる可能性を考えて、一階に置いてあるテーブルや椅子で階段を封鎖してる。グランズ、ぶち破れる?」
「見てみない事には何とも言えないけど、大丈夫だと思うよ。一階にいる人質にテーブルの破片が降り注ぐだろうからあまりやりたくないけども。ほら、おじさんってば紳士――」
「なら、封鎖の解除は任せた」
グランズの戯言には取り合わず、カミュはリネアを見る。
「封鎖を破壊したら速攻を掛ける。リネアは援護をお願い。オレは一階を走りぬけてガレージへの扉を制圧する」
「分かった。その後はガレージに入ってラグーンのボイラーを温めるんだね」
リネアが渡されたラグーンのイグニッションキーを見せびらかす様に振る。
「乱戦になる可能性が高いよね。はぐれたら町の北側出口か、タッグスライ砂漠第二遺跡で落ち合おう。場所は分かるね?」
「遺跡を待ち合わせ場所に使うあたりにリネアの魂胆が見え隠れしてるけど、まぁ妥当なところかな」
カミュが追認すれば、雇われのグランズが異を唱える余地はない。
それぞれが武装の最終確認をしたうえで、音を立てずに立ち上がる。
リネアが自動拳銃の蒸気圧計を確認しつつ、カミュに訊ねる。
「人質はどうするの?」
「放り出しておいて、警察が踏み込んできたら任せればいいよ。追手の人数を減らせるし、ちょうどいい。オレ達が警察じゃない事は撤廃の会の連中も見ればわかるだろうし、人質を盾にするなら無視してガレージに直行」
カミュたちは静かに部屋を出て、グランズを先頭に階段を目指した。