黒の系譜02-38-2『命懸けのゲーム』
さぁて、メガネのターンだよ!
※眼鏡が回転するわけではありません。
天井に開いた光を取り入れるための小さな窓から、差し込む星の光は僅かだ。
これは女神像へ降りかかる直射日光の光量を減らし、像の劣化を防ぐための処置であるらしいが、見える星は少なくて侘しいな、と若き神官――ギースは祈りながら考えていた。
教会の深部、祈祷場と呼ばれるそこで戦の終わりを想っていたギースであったが、祈ったところで果たして女神は応えてくれるのか、ギースは浮かない顔で床を蹴る。
「……フ」
「っ! 誰だ!」
声を荒げたのは自分の醜態を見られたせいではない。
その忽然と現れた只ならぬ気配に、底知れぬ闇を感じたからだ。
「…………」
謎の影は答えようともせず、口元に笑みを浮かべるだけだ。
全身をローブで隠し、フードを深くかぶったどこからどう見ても怪しい人物。
シルエットは、どことなく女性的に見えるが、佇まいから感じるプレッシャーはその人物がただ者ではない事を物語っている。
「教会の門はとっくに閉ざされている……賊が進入すれば分かるよう魔術も施されているはずだ」
世界規模の宗教組織である〝モーミジヤ教〟ともなれば、当然のように敵も多くなる。
過去、教皇を暗殺しに賊が進入した事件もあり、教会内には賊避けの結界魔術や不審者の進入を知らせる魔術などが施されている。
それが反応しなかった、となれば相手は教会の人間かそれとも……
「答えろ。貴様は……!」
「クロード=ヴァン=ジョーカー」
「は?」
フードの人物はニヤリ、と笑う。
一瞬呆気にとられたギースではあったが、彼の魔導師を騙る者やその弟子、子孫を名乗る不貞の輩は数知れない。
過去には黒の魔導師を神と称える狂信的な領主が街一つを滅ぼしたという伝承が存在するほどだ。
彼の災厄の魔導師は、没してなお狂気と戦乱を巻き起こす。
「……それで? その黒の魔導師様は何の用があってここへ来たというんだ? まさか改宗するつもりではあるまい?」
そしてこの不審者もまた、教会に乱を起こす者。
(教会の結界魔術を平然と破って進入するような異常者――間違いなくこいつは……!)
ギースは進入者の正体にだいたいの目星をつける。
本来ありえないことなのだが、ここ最近西大陸で起きた様々な事件から考えれば、何ら不思議もない。
額に冷や汗がにじむ。
「貴様の、命を貰いに来タ」
「そうか……やはり貴様は」
独特のイントネーションはあるが、声の高さからして女性体であることはほぼ間違いない。
そういえばスーサの街に現れたモノも女の姿をしていと報告があったな、とギースは覚悟を決める。
「魔族……!」
「(ニタァ♪)」
進入者は答えない。
しかし、その表情がすべてを物語っているようだった。
「狙いは僕か? フン、当然だな。僕ほどの神官ともなれば貴様ら女神の叛逆者に狙われるのも無理はない」
「…………フ」
「だが待て。教会には大司教様も教皇様もいる。なぜわざわざ僕の所へ?」
「あぁ、ソレなら答えてやってもいいゼ。大司教は知らんガ――」
女の笑みに、ギースの背筋に寒気が走る。
「教皇の方は用済みだ。既に片付けタ」
――用済み。
その言葉からは不吉な想像しか浮かばない。
あのお優しい教皇様は既に……
腸が煮えくり返ったギースは杖を握りしめて女へ飛びかかる。
「……貴様ァァァァァ!」
「|距離を越え、地図を渡る旅人」
「なっ!」
女めがけて降り下ろされたはずの杖が虚しく空を切る。
女が消えたことに驚きながら、ギースは己の推測が正しかったと悟る。
「そうカッカするナ。もっとクールに行こうゼ?」
「――っ!」
背後に立つ女は、ガリガリと飴のような物をかじるほどの余裕を見せながら、ギースの肩にぽんと手を置いた。
過去の伝承にしか存在しないと言われる転移魔術。
そんな魔術をまるで呼吸するかのように使う相手。
馬鹿でもわかる。
己と背後に立つ魔族の間に天と地ほどの力の差が存在するということに。
ギースは唇の端を噛んだ。
(だが、だからどうした……!)
再び覚悟を決め、息を飲み、一瞬でギースは思考を巡らせる。
どうすれば背後の強敵を打ち破れるか、否。
相打ちに持ち込めるのか、否。
せめて一矢報いれるのか……やはり否。
どうあがいても敗北、否。敗北すら生ぬるい
四面を絶望に囲まれ、ギースは杖を降ろした。
「……ここまで、か」
現実にはどうにもならない事が存在する。
覚悟を決めて考え出た結論が、死。
こんなにも無様で滑稽な事があるだろうか。
「物分かりがいい奴は嫌いじゃナイ」
馬鹿にしたように笑う女が、憎々しく思えた。
「そうかい。だが悪いな、僕はお前が大っ嫌いだ」
「ソイツは奇遇だナ。オレもそうダ」
まるで噛み合わない会話に、ギースは女を心の中で罵る。
いや、どうせ死ぬのだ。
この際言いたい事は全部言ってやろうと、ギースは開き直っていた。
「お前馬鹿か? 馬鹿だな? 嫌いじゃないのか嫌い? 言ってることがめちゃくちゃじゃないか!」
「滅茶苦茶? そんな事はナイ」
「な、何するつも……!」
ギースの目の前までやって来た女は、彼の耳元で囁く。
「確かに物わかりがいい奴は嫌いじゃナイ。でも、簡単に命を諦める阿呆は大嫌いダ」
「――ぐっ! は、離れろ!」
思考を惑わす甘い香りを振り払い、ギースは叫ぶ。
「じゃあどうすれと言うんだ! 悔しいが僕はお前には勝てない! 教皇様でも無理だっんだぞ!? どうすればいいっていうんだ!」
戦う覚悟は出来た。
命を懸ける覚悟も出来た。
だがいざ死を前にしても、足が竦む。
どうしようもないと分かっていても、死ぬ覚悟なんてできない。
覚悟が出来なくたって、死は決まっているのに。
「諦めるのカ?」
「それしかないだろうが!?」
「いいヤ? そうとは限らナイ」
「意味がわからん! はっきり言え!」
「オーケー」
ギースの肩に女の手が触れる。
瞬間。
「|距離を越え、地図を渡る旅人」
「ぐぁ!?」
ギースの視界がぐにゃり、と歪む。
腹部を内側から抉られるかのような不快感に、ギースは四つんばいになって嘔吐を堪える。
驚いたことに、足元に広がるのは教会の石畳ではなかった。
「……っここは!?」
顔を上げたギースの目の前に広がるのはだだっ広い平原だった。
驚きで、胃の中身は引っ込んだ。
「おいっ! ここは……!?」
ボリボリ飴をかじる女に掴みかかったギースだが、場所を尋ねるより前に足元に横たわる3人の人影に気づく。
一人は男。
どこかで見覚えのある……そう、ギースが自ら洗礼を行った男だ。
もう一人は女。
飾り気のないただの布みたいな服を着て、少し頬を朱に染めながら静かに眠っている。
最後の一人は少女。
飼い犬を抱え、幸せそうに眠っているまだ年端もいかぬ少女だ。
「おい! こいつらは……!」
「――ゴックン! 補給完了! それじゃあ、ゲームを始めようカ?」
「は?」
ギースの手の中から、女が消えた。
転移魔術を使った様子はない。
それがただの体術であると言う事が、圧倒的なまでの戦力差を物語る。
「だから単純なゲームサ。コイントスのコイン、トランプのカード。コイツらはそういうのと同じダ」
「言っている意味がわからない! まさか貴様……」
人をゲームの道具にする。
その虫唾の走る考えにギースは意義を申し立てようとする。
しかし、
「拒否権があるとデモ?」
「……っく!」
もしギースがそのゲームを断ったら?
(まず間違いなく僕は助からないだろう。それは、いい。仕方がない、んだろう)
だが、その場合彼らはどうなる?
目の前にいる3人の命の保証があるのか?
(さっきこいつは『〝用済み〟になった〝教皇様〟を片づけてきた』と言った)
ならばゲームが行われず〝用済み〟になった彼らの末路など、火を見るよりも明らかだ。
「……まずはルールを聞こう」
「賢明ダナ」
少なくともゲームの〝道具〟である以上、ゲームの最中に彼らが死ぬような事はないかもしれない。
まずは相手の出方を伺い、もしそれが命に関わるような内容だったら、その時こそ最後の覚悟を決める時だ。
ギースは杖を持った手に力を込める。
「じゃあルール説明ダ。ルールは簡単♪ アイツらを救う、それダケ!」
「……もっと具体的に説明しろ」
「分かれヨ。阿呆!」
「分かるか馬鹿!」
「ヤレヤレ……」
女はどこからともなく紙とペンを取り出し、さらさらと絵を描き始めた。
まるで子供が書いたかのような稚拙な絵が女の狂気を更に掻き立てている。
やがて書き上がった紙には『人生リセットゲーム』と書かれていた。
「いいカ? この3人、それぞれ心に傷を負ってイル。家族を殺された復讐者となった者、死にたいくらいの恥辱を受けた者、目の前で肉親を失った者、理由はそれぞれダ」
「それを、救う?」
「そうダ!」
女は紙を一瞬で灰に変え、大げさにポーズを取って笑う。
「お前なら出来るだロ? 禁術使いの神官ヨォ?」
「っく、貴様! それをどこで……! いや、魔族なら知っていて当然か」
やはりあれは魔族に目をつけられるほどの奇跡だったのか。
後悔こそしてはいないが、もう少し慎重に使うべきだったとギースは反省した。
今となってはもう遅いのかもしてないが。
「それで、救うとはどういう事だ?」
「言ったままサ。お前、禁術使ウ。心の傷、忘れル。救われル。お前、勝チ。単純だロ?」
「説明が雑だぞ」
「うっせぇんだヨォ! オレも暇じゃネェノ! 時間があんノ! 少し巻けヨォ!」
「意味がわからん」
「だぁーモー! ガタガタ文句ばっか言ってネェでサッサと決めロ! やるカ!? やんネェカ!?」
「やる」
ギースは即答する。
否、これ以上不用意に女を逆上させるべきではないと思ったのだ。
内容を聞く限り、人質に危害が加えられるような事はない。
むしろ彼らを救う事で、自分も救われるのだ。
やらない手はない。
「いい返事ダ♪ そーダナ、3人中2人救えたらお前の勝ちダ。コイツらの事も好きにしていいゼ」
「その言葉、女神に誓って嘘はないな?」
「オレに誓って二言はナイ」
女は笑う。
「そん代わり、2人救えなかったら――」
ニヤリ、と。
「――その時はお前の命は貰ウ。いいナ? イッツァシンプル! 実に簡単なゲームだロウ?」
意地悪く。
「最低なゲームの間違いだ。糞野郎め」
「口が悪いゾ? 神官のくせニ」
「魔族が言うな」
「…………フ」
ギースは軽く息を吐いて覚悟を決める。
死ぬ覚悟じゃない。
生きるための、救うための覚悟だ。
「いいさ。やってやる! みんな僕が救ってやる!」
「大層な覚悟だ。良いゼ? 嫌いじゃナイ!」
女は笑うと、寝ている男へと手を伸ばす。
「さって、まずは一人めダ。だが、一つだけ注意点がアル。[ディスペル]」
「き、貴様何を!?」
男の身体がビクン! と大きく仰け反った。
「お前が救うのハ、元の状態の男ダ」
「お、おいしっかりし――」
慌てて男へ駆け寄るギースに、目を覚ました男が口を開く。
「この腐れ教会の畜生め!」
「なっ!?」
男の口から飛び出したのは、暴言だった。
「オレが犯罪者だと? 違う! オレはあの糞貴族になぶり殺しにされた娘の仇をとっただけだ! オレが犯罪者なら、あの糞貴族たちだってそうじゃねえか!」
「お、おい何を言って?」
「黙れ! お前らが……お前が娘を殺したんだ! お前も! お前ら神官も! 貴族も! みんな……みんな殺してヤルゥゥゥゥゥゥゥ!」
ギースは罵詈雑言の雨を前に、驚いた表情しかできなかった。
ギースの洗礼によって改心したはずの男が、どうして恩人のはずの自分に暴言を吐くのか。
「教会は死ね! 神官もみんな死ネ! 皇都の奴らミンナシネェェェェェ!」
とても理解が追いつかなかったのだ。
「……な、にを、何をした!?」
「この男にかけられていた魔術を解除しただけダ。元々それがその男の本来あるべき姿だしナ」
女は語る。
[|神は教えを作らない、教えが神を創る《ブレイン・アウト》が本来どういう魔術であるのか、そしてそれによって男がどういう状態にあったかという事を。
「洗脳魔術、だと? そんな事教皇様は……」
「彼女は知らなかったんダ。知らずに、お前に与えさせられタ」
信じられなかった。
いや、信じたくなかったという方が正しいのかもしれない。
ともかく、女の言葉を疑っていたギースだったが、
「[|神は教えを作らない、教えが神を創る《ブレイン・アウト》]」
「あぁぁぁあぁぁ! 私の女神! 女神様よ! この哀れな豚めをお救いくださいぃぃぃぃぃ!」
目の前で手の平を返してように女を盲信する男を見て、それを信じざるを得ないと理解した。
「私の女神ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「とりあえず五月蠅いからだまってロ[静寂にして暗黙なる棺]」
「……! ………………っ!? ……………………!!」
「……それで、僕にどうしろっていうんだ?」
「言ったままダ。この男は自分の娘が皇国騎士団の連中に陵辱され、殺され、その復讐をするほど心に深い傷を負っていル。それを救えと言っているんダ」
「お前がやったみたいに、か?」
「簡単だロ?」
ギースの顔が驚愕で塗り潰される。
「何をバカなことを言っている!? さきほどアレを見せたのは貴様ではないか!?」
人の心の在り方を無理矢理書き換える魔術。
自分の信じていた[|神は教えを作らない、教えが神を創る《ブレイン・アウト》]の醜い真実をまざまざと見せつけられたギースは、その使用を躊躇った。
「[ディスペル]」
「殺してやるぅぅぅぅぅぅぅっ! みんなぶち殺してヤルゥゥゥゥゥゥ!」
「――じゃあ、このままにしておくカ?」
「ぶち殺してヤルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!」
「そしたら、コイツ。間違いなく罪を犯すゾ?」
「――っ!」
大切な家族を奪われ、理不尽な罪で捕らわれ、その時点で男の心は取り返しのつかない所へ行ってしまっていたのかもしれない。
この男が無関係な人間を巻き込まないという保証はなかった。
「……外道め。偉大なる女神の御名の下に〝卑しき〟者の〝心〟の〝在り方〟を――」
ギースは憎々しげに女を見ながら、詠唱を開始する。
禁術を使う際いつも開いていた書は開かない。
否、女神に背く術を使うというのにどうして開けようか? 開けるはずがない。
「ブレイン・アウト]」
「女神ばんざーい! ギース様ばんざーい!」
狂っている。
ギースは痛む頭を押さえながら、事の深刻さをようやく理解した。
「……帰るんだ。今日はもう遅い」
「は、はい! 女神のご祝福の元に!」
ギースの言葉に素直に従った男は、何度も頭を下げながら街の方へ戻っていった。
ゲームのルールからすれば、間違いなくギースの勝ちである。
だというのに、
「……くそっ!」
ギースの胸には大きなしこりが残った。
「オイオイ。まだ1人目だゼ? そんな調子で大丈夫カ?」
「どこまでも腐ったヤツめ……! いいさ、これが僕の業だというなら、最後まで付き合ってやる! 例え背信者と罵られようと、彼らを救って見せる!」
「……いい覚悟ダ」
フードの女は寝そべっている女を魔術を使って立たせる。
「今度は、この女か?」
「そうダ。この女は、北の鉱洞でゴブリンどもに捕らえられていた者ダ」
「なん、だと……!? では?」
「そう、何日にも渡ってゴブリン共に犯され、子を孕まさせられていル」
「外道め……!」
「オレに言うなヨ?」
フードの女がパチン、と指を弾くと眠っていた女の意識が覚醒する。
「……あ? あーしは……?」
「この女に[|神は教えを作らない、教えが神を創る《ブレイン・アウト》]をかけることができれば、今度も貴様の勝ちダ」
「くっ!」
ギースはゆっくり女に近づく。
目を覚ました女はいまいち状況が掴めていないのだろう。
周囲をきょろきょろしながら、近づいてくるギースを警戒する。
「あんさん、誰?」
「ギースという神官だ。女、お前は?」
「……マリーリーズ。一応冒険者」
「そうかマリーリーズ。今から貴様に魔術をかける」
「は?」
ギースは|神は教えを作らない、教えが神を創る《ブレイン・アウト》]について簡単に説明をする。
辛い記憶を忘れられること、教会の信徒に生まれ変わることなどを、なるべく分かりやすく丁寧に説明する。
ゴブリンに弄ばれた記憶など、さっさと忘れたいだろうと考えていたギースだったが、
「はっ! ふざけるな! そんなこと、あーしは望んじゃいない!」
マリーリーズはそれを拒む。
「何故だ!? ゴブリン共に弄ばれ、嬲られ悔しかっただろう? 辛かっただろう? それを忘れられるんだぞ?」
マリーリーズは顔を伏せる。
こみ上げる吐き気を押さえているようだった。
「確かに、思い出しただけでも気色悪いさ。本当なら思い出したくもない! 忘れっちまいたい!」
「なら!」
「だけど! あーしはこの憎しみを忘れたくない! 二度とあーしみたいなヤツを生まないために魔物をぶっ殺すっていうこの決意まで忘れちまうなんて、まっぴらごめんさ!」
「――なっ!」
マリーリーズの目は、真っ直ぐ未来を見ていた。
辛い過去から目を背けるのではなく、立ち向かうために。
ギースは迷った。
何が正しいのか、分からなくなってきた。
「どうしタ? この女に術をかけられれば2人目。貴様の勝ちだゾ?」
勝負は3戦。
先ほどは一応ギースの勝利であるため、この女に術をかけられればギースの勝利は決まる。
フードの女が約束を守るなら、彼の命は助かる。
「…………ふん、こんな野蛮な女。わざわざ信徒にしてやる必要はない」
ギースは吐き捨てるように言った。
「なっ!? なにさその言い方! これだから男ってやつは……!」
「マリーリーズ。あとはお前の好きにしろ……後悔しても知らんからな」
「はんっ! あんさんに言われるまでもない! あーしの心はもう――」
「ではオレの勝ちダ。[|距離を越え、地図を渡る旅人]」
「ちょ!? おね――」
フードの女が手を触れた瞬間、マリーリーズはどこかへ飛ばされる。
「貴様!」
「オレが勝ったんダ。どうしようとオレの勝手だロ?」
「そんな事聞いてないぞ!」
「あぁ、悪かったナ。ルール追加ダ。〝お前が負けたら、こいつらの命はオレの好きに出来る〟これでいいカ?」
「ふざけるな!」
「失礼なヤツダ。オレは最初から真面目ダ」
女は口の端を吊り上げる。
ギースは怒りをぐっと、堪える。
女が使ったのは転移魔術、まさか殺しているような事はないと思う。
だがギースが勝負に負けた時どうなるか?
取り返しがつかなくなってからでは、遅い。
(負けられない……! くそっ!)
「では、最後の一人ダ」
魔術によって立たされた少女。
子犬を抱きしめ幸せいっぱいな表情を浮かべている少女に、心の傷なんてまったく思い浮かばない。
「……それで、その子どもはどんな傷を負っているっていうんだ? 見たところとても幸せそうな顔で寝ているが?」
フードの女が指を鳴らすと、少女がゆっくりと目を覚ます。
「この少女は、目の前で兄を殺されタ」
「なっ!?」
「うぅーん……にいちゃ?」
「今はまだ兄の死を理解していナイ。だがいずれ、その意味を理解した時――」
「その悲しみと絶望を知る、か? 本当によくまぁそんな連中ばかり見つけてくる!」
「何も難しいことはナイ。この世界には悲しみが満ちてイル」
「道理だよチクショウ!」
欠伸をして小首を傾げた少女は、周囲を見回している。
目がよく見えないらしく、ギースの足をペタペタ触ってようやく人がいると分かったようだ。
ギースの方を向いて少女は、にぱっと可愛らしく笑った。
「知らない人っ!」
「わぅっ!」
その純真な顔が悲しみに暮れる様を、ギースは見たくないと思った。
少女の目線までしゃがんだギースは、少女の頭に手をおいて語りかける。
「なんだその……子ども」
「こども? ミミのこと?」
「そうだ、ミミ。これからお前はあることを忘れる。いいな?」
「わすれる? ミミわすれないよ? だってきおくろくいいって、みんなほめてくれるもん!」
「わふん!」
ギースはいつもむっつりしている彼にしては珍しく微笑んだ。
「そうか。でもな。お前の兄さんが……」
「にーちゃ? にーちゃのことわすれちゃうの?」
「全部ではないが、そうだな」
ギースが頷くと、少女は走ってギースから離れる。
そして、
「やー!」
「がるるるるる!」
精一杯の反抗の意思を見せる。
ギースにはその行動が理解できなかった。
「何を嫌がって――」
「がぷっ!」
「いっつぅ!」
少女へ伸ばされた手は、彼女が抱えていた子犬に噛まれ引込む。
小さな子犬は少女の意思を正確に理解しているようだった。
「やーなの! にーちゃのことわすれたくないの!」
「わふっ!」
「だが、覚えていても辛いだけだろう? 悲しいだろう?」
「かなしくないもん! ……にーちゃに会えないのはちょっとかなしいかもだけど、にーちゃのことわすれるほうがいやだもん!」
ギースは必死に説得を試みるが、少女は頑として受け入れない。
もし、ギースが負ければこの少女の命もどうなるか分からない。
負けるわけにはいかない、とギースは焦っていた。
「今はいい。だが大人になったとき……」
「わすれないもん! おとなになっても、ずっと、ずぅーっとおぼえてるもん!」
「だから覚えていると辛いと!」
「じゃあ大人になんてならないもん!」
「そんなこと出来るわけないだろう! 聞き分けのないことを言わず」
痺れを切らしたギースが、少女へ手を伸ばす。
「だって、ミミがわすれちゃったら、にーちゃがかわいそうだもん!」
ギースの手が、止まる。
「ミミはともだちがたくさんできたから我慢できるもん! でも、にーちゃはひとりだけなんだよ? ミミがわすれちゃったら、にーちゃほんとにひとりになっちゃうもん! そんなの……グズッ、ぞん゛な゛の゛や゛だも゛ぉん゛」
「お、おい泣くな!」
少女の涙の前には上級神官ギース様も形無しである。
「びえ゛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!」
「泣くなって! あーもうわかった。僕が悪かった! 謝るから泣きや――」
「びえ゛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!」
「くそぉっ!」
くすくす笑うやつがいると思えば、ゲームを持ち掛けてきた性悪女である。
人が苦しむ姿がそんなにおもしろいのか、とギースは不機嫌を露わにした。
「で、どうすル? 術はかけないのカ?」
間違いなくニヤニヤしているだろう女の声に、ギースは半ギレ気味で答えた。
「できるわけないだろう悪魔めっ!」
「びぇぇぇぇぇぇぇん!」
「あーもう泣くな。兄さんの事を忘れさせたりしないから!」
「…………ぐすっ……ほんと?」
「あぁ……」
涙を拭ってにぱっ、と笑った少女にギースは安堵する。
あんなに泣きわめいていたのにもう笑っている。
子どもというのは実にげんきんな生き物だ。
「いいのカ? そうすれば貴様の負けだゾ?」
「ふん! そもそもこんな勝負が馬鹿げている!」
ギースは杖を構える。
確かにゲームには勝てない。
だが、まだ彼は勝負には負けていない。
「ゲーム? そんなものは知らん! いいからかかって来いよ魔族! 言っとくが、こう見えて僕は上級神官だ。簡単に殺せると――」
少女を背中に庇い、フードの女に立ちふさがるギース。
しかし、女は一瞬でギースの目の前から姿を消す。
「ふぇっ?」
背後に聞こえる少女の声に、ギースは戦慄する。
振り返るとそこにいたのは女。
「オレの勝ちダ」
「お、おい!」
少女の顔を鷲掴みにしている女だ。
「ルールは覚えているナ?」
「おまっ! 何を!?」
「〝お前が負けたら、こいつらの命はオレの好きに出来る〟」
「んぎゅー! はなしてー! いたいよー!」
宙ぶらりんになった少女は必死でもがいている。
子犬は、地面に横わりぴくりともしない。
「やめろ! まだ年端もいかぬ子どもだぞ!?」
「だから何ダ? オレには関係ナイ」
女の腕をつかんで少女を引きはがそうとするギースだったが、女の腕は鋼鉄よりも硬い。
ギースの軟弱な腕では外すこともできない。
「あははははは! 無駄ダ!」
「くそっ! 殺すなら僕をやれよ! 関係ない命で弄ぶんじゃねぇよ!」
「あはははははははははははははははははははははははははははははははは!」
ギースの言葉にまったく耳を貸さず、女はさらに腕へ力を入れる。
女の指が少女の体にめり込む。
少女の手が、だらんと下がる。
「おい、しっかりしろ! 死ぬな! お前が死んだら! にーちゃんが悲しむんだろう!」
「これで仕上げダ」
「やめろ! たのむ止めてくれ!」
「そこで黙って見ていロ」
「や、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
女の腕に魔力が集まっていく。
ギースはただ己の無力さを嘆いて膝を突くことしかできなかった。
「全てを可能とする右手」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「くっそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
淡い光が少女の顔を包み込み、
「はい終了♪ おつかれチャン♪」
「………………………………………………………………………………へ?」
女は優しく、ゆっくりと少女を地面に降ろす。
少女は初め少しよろけたが、しっかりと自分の足で地面に降り立った。
意味の分かっていないギースは一人ポカン、である。
「どうダ? ミミ? 見えるカ?」
「な、なにを言って……?」
「あ!」
少女が驚きの声をあげた。
「ど、どうした! 何か変な所でもあるのか!? 安心しろ! こう見えて僕は回復魔術も使えるんだ! だから今すぐ治療して……!」
駆け寄ったギースと、少女の目がばっちり合う。
「みえる! みえるよ!」
「見えるだと……? やはり目が見えなかったのか? いや、そんなことより見えるって一体……まさか視力が回復したっていうのか!?」
ギースの動かした指を追う様にに少女の目がしっかりと動く。
間違いなく、少女の視力は回復していた。
「どういう、ことだ?」
「エー? 好きにするとはいったケド? 誰も、殺すとは言ってネェシー?」
「なっ!?」
顎が外れそうになるくらい口を開けたギースを嘲笑うように、女は上機嫌でフードを脱いだ。
魔族だと思っていた女は、見惚れてしまうほどの美人だった。
艶やかな髪、やや中性的ながら幼さを残した女はイタズラ好きな子どものように楽しそうに笑う。
「お前が勝手に勘違いしただけダ!」
「な!?」
「なのに……『殺すなら僕をやれよ! 関係ない命を弄ぶんじゃねぇよ!』だっテ?」
「ななな……!?」
「かっこいぃージャン! …………フ、ふふふふふふはははあはははははははははははは! 傑作♪」
「クソッたれ……」
安堵したギースは、腰が抜けてその場に尻餅をついた。
彼を指さして笑う魔族より性質の悪い女を睨みつけながら、ギースは思いつく限りの悪態をついた。
「おにちゃ、どしたの!? どっかいたいの!?」
「いーや、大丈夫だ。どこも痛くない」
「で、でも!」
ギースがそう言っても少女は大慌てだ。
なぜなら、
「じゃあ、どってないてるの!?」
少女の目には彼の泣き顔がはっきりと映し出されていたから。
「泣いてない。泣いてなんか、ない……っく!」
「や、やっぱりどっかいたいんだ! い、いたいのいたいのとんでけー!」
何の魔力も持たない少女の呪文に、ギースの心は癒されるようだった。
「うんうん、じゃ命令ナ。お前の命は貰ったから、この子たちの為に命を張レ!」
「貴様……初めからそのつもりだったな?」
「あ、分かル? …………ぷぷぷ♪ あははははははははははははは!」
「はぁもう、分かったよ………………………………好きにしてくれ」
「ウンウン、いい答えダ♪ これにて一件落着♪」
「らっちゃくー♪」
ギースは何もかもが馬鹿らしくなってそのまま仰向けに倒れた。
視界に広がる満天の星空があまりに広くてまぶしくて、また気がつけば泣いていた。
ちなみに飛ばされたマリーリーズさんは、黒猫院に搬送されました。




