黒の系譜02-38-1『ありがとう』
ゴブリン戦の後始末その一です。
あーしはどうやら眠ってしまっていたらしい。
目を覚ますと、目の前に見知らぬ女の顔があった。
長い黒髪に綺麗な顔……いやぼんやりとだけど見覚えがある女だった。
「目が覚めたカ……気分はどうダ?」
「最低」
「ふふ……違いナイ」
何がおかしいのか、女は微笑している。
気分が悪い。
いや女の態度とかあーしより美人でムカツクとかそういうんでなく、何度も脳裏をよぎる記憶があーしの気分を最低にしている。
――あの屈辱まみれの日々。
「っぷ…………!」
そして思い出す度に身体中をあの緑色の汚らわしい魔物が這いずり回る感触が蘇る。
もう吐き出す物なんて残ってもないくせに、あーしの身体は拒絶反応を示す。
見ず知らずの女は、それを気色悪がるでもなしに、静かに見つめていた。
ほんと変な女。
「…………っはぁ……はぁ……!」
「飲むカ?」
差し出された液体から漂う甘い香り。
さっき飲んだポーションと同じ物だ。
「……どっかで見たことがある顔だと思ったよ。あんさんがアレを?」
あーしは壁にブチマケた毒々しい色の液体を指さす。
毒々しい色ってか、毒なんだけど。
なんか壁も微妙に溶けてるし、なんて物を飲ませようとしてくれたのか。
一瞬迷ったとはいえ、飲まなくてよかったと本当に思う。
「…………飲まなかったんだナ?」
「はんっ! 誰があんな不味そうなモン飲むかってんだ! ……ちょっと迷ったけどさ。あんなの飲むくらいならゴブリンの血でも啜った方がまだマ……っぷっ!」
「あはは、自分で言って吐いてりゃ、ざまぁネェ」
「うっさいわ!」
「飲メ。ゴブリンの血よりはマシなはずダ」
「……礼は言わない」
「いいサ」
差し出されたポーションをひったくるように奪って、一気に飲み干す。
さわやかな口当たりとほのかな甘みに少しだけ、胸がすぅっとした。
「後で身体で返してもらうからナ」
「ぶはぁっ!? なななななな!?」
かかかか身体って!?
「え、なに!? あああああんさん、そういう趣味なわけ!?」
あーしは、ニヤリと笑った女の顔をまじまじと見る。
か、身体ってちょっと待てって。
そ、そりゃあ命の恩人だし、出せっていうもんなら出したいとは思うけど身体って……く、臭くないかな?
いやいや問題はそこじゃないし!
「いやいやいやいやいや! 悪いけどあーしにはそういうの無いから! ぜったい無いから!」
「ハァ? 働いて返せって意味だケド?」
「あー! あぁー! そっちね!」
「そっちもどっちも何も無いけどナ。何をまったく想像しているんだカ……」
「あ、あんさんがまぎらわしい言い方するのが悪い!」
「まぁ、わざとだしナ」
女はニヤリと笑う。
なにコイツ性格悪っ!
「最低! あんさん最低だ!」
「あはははははは! そうトモ! オレは最低のクソ野郎だからナ!」
「いやあんさん女やし。ったく、ゴブリンに嬲られた女にかけるセリフじゃないでしょ!」
「…………そうだナ。悪かった」
素直に頭を下げられて、あーしはどうしていいかあたふたしてしまう。
命の恩人かと思えば、意地悪な事も言う、でも素直に謝ったりもする。
コロコロ変わる表情にあーしはさっきから調子が狂いっぱなしで戸惑いまくりだ。
この変人め……!
「……死にたいと、思わなかったのカ?」
かと思えば、今度は急に真面目な顔でそんな事を言う。
一瞬驚いて、あーしはキョトンとしてしまう。
ってか、コイツは何を当たり前な事を聞いているんだ?
「ふん! 冗談! なんであーしが死んでやらなきゃいけないってんだ!?」
「…………」
「そら、助かった時はまだ意識がはっきりしてなかったから、一瞬。本当に一瞬だけ考えてしまったりしなかったり……いやしたかもしれない」
いいや、一瞬なんかじゃない。
本当のところ、『あぁ、辛い。死にたい。楽になりたい』としか、考えてなかったけどね。
「――けどね」
でも聞こえたんだ。
消え入りそうな、『生きていてほしいと思うのは、ワタシのわがままでしょうか?』って優しい声が。
そんなの聞いたら、死ねるわけがない。
「あーしは、ゴブリンどもを皆殺しにするまで死ねない!」
そうとも。
死んじまったら、殺された他の奴らにどうやって顔向けすりゃいいんだよ、って話だ。
ボロカスのように犯されて死んでいった仲間たち。
あーしよりも後に連れてこられたのに、あーしよりも先に逝っちまった宿場の連中。
そん中でも、精神が壊される最後のその瞬間まで、あーしに『がんばってください』と言葉をかけてくれていた女の子。
「みんな、みんな死んじまった」
「あぁ……救えなかっタ」
あーしは、近くに落ちていた血塗れの短剣を拾う。
傍らに横たえる小さな少女は、優しかった女の子だ。
もう息はしていない。
「あんなに優しかったこの子を自刃にまで追いこんだクソみたいな魔物どもを、あーしは絶対許さない。いいや、許しちゃいけない」
「じゃあ、どうすル?」
「助けもらったあんさんには悪いけど、あーしは行く」
「……どこへ行くつもりダ?」
「決まってる――ゴブリンどもの所さ」
どうやら、ここにはもうゴブリンどもはいない。
たぶん、あーしらを助けるためにこの女が皆殺しにしてくれたんだろう。
その事には感謝する。
「なんダ? じろじろ見やがッテ?」
「なんでもない! ふん///////」
恥ずかしいから言わないけど。
でも、まだあーしらを何度も犯しやがったあの親玉ゴブリンが残ってる。
それに、あーしの仲間を犠牲にして生まれやがったあの化け物どももだ。
「あーしはぶっ殺さなきゃいけないんだ。……復讐するんだ!」
「……無駄ダ」
「かもね。復讐したって、あいつらが生き返るわけでもない」
それにあの親玉ゴブリンがあーしより強いのも重々承知してる。
いや、下手するとあーしではあの手下どもにすら敵わないかもしれない。
この女が思っているみたいに、命を捨てに行くようなものかもしれない。
でも、
「それでもあーしは行く!!」
「待てッテ!」
後ろからかなりの力で羽交い締めされ、あーしは全く身動きがとれない。
「離せ! 止めるな! あーしは、あーしはあのゴブリンどもを……!」
「違うんダ。そういう事じゃナイ!」
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる! だから離せ!」
あーしは吠える。
喉が裂けるくらいに、腹わたを煮え繰り返して吠える。
それでもあーしの身体から女は離れない。
それどころか、あーしの身体を締め付ける力が増していく。
「だからもう、その必要はナイってんだヨォッ!」
「だからなにが……あ?」
女の震える声にはっとする。
女はあーしを羽交い締めになんかしていない。
ただ、後ろから強く、優しく抱きしめているんだ。
「は、離せって。あーしにそういう趣味は無いって……////」
「ここにはもう生きているゴブリンはいないんダ」
「……え?」
「この中で生きているのはもうオレとお前だけなんダヨ……!」
「な、なにをバカなこと……!」
信じられない。
あーしが見ただけでもゴブリンどもは軽く百匹以上はいた。
いや、それどころかもっと……すごい量がいたのに?
それが全部もういない?
最悪の展開が頭をよぎる。
「……まさか外に……!? くそっ! やっぱり離せ! このままじゃ……!」
このままじゃ、また犠牲者がでてしまう。
だというのに、女は首をやれやれと振るばかりで事の重大さを理解していない。
「あぁもう埒があかナイ! わかった見せてやるヨ! |距離を越え、地図を渡る旅人」
「ふあっ!?」
女が何か言ったとたん、あーしの身体が一瞬浮いたような感覚に陥る。
同時に視界が一瞬〝ぐにゃり〟と曲がり、あーしは気持ち悪さに目を伏せた。
身体にかかる妙な浮遊感。
腹の中身がひっくり返るような感覚に、また少し吐き気を催す。
「……ぎも゛ぢわ゛る゛い」
「着いたゾ……吐くなら離れてからにしロ!」
女の声に恐る恐る瞼を開いたあーしは、自分の目を疑った。
「着いたって……ここ、どこさ?」
見たことがない部屋だ。
かなり広いスペースだが、部屋中の壁は穴が開いていたり、焼き焦げていたり、抉れていたり、緑色の液体がこびり付いていたり、と激しい戦闘があったことだけはわかる。
とてもさっきまでいた部屋と同じだとは思えない。
「あんさん、幻術の類でもつかえんのかい?」
「……見ロ」
あーしの質問に答えもせず、女はただ指をさす。
納得いかないあーしだったが、こんなのでもあーしの命の恩人だ。
しぶしぶと言われるままに指差された方を見る。
ひょっとしてあーしは今までずっと夢でも見ていたのだろうか?
「ひっ……」
玉座に据えられた普通より一回り大きかったであろうゴブリンの頭部。
頭に穴が開いていて、この距離からでもはっきりわかるくらいにわかりやすく死んでいた。
忘れるはずがない、あの憎らしい顔。
あの、ゴブリンどもの親玉じゃないか。
「……ひゅへひゃひゃい(夢じゃない)」
頬をつねるが、普通に痛い。
夢じゃない。
あーしは生きてる。
あぁそうか。
さっきの『無駄』ってのはこういうことか。
「あれ、あんさんが……?」
「…………」
やはり女は答えない。
その代わり、
「う……」
「え?」
「うぅ…………」
「なんなのさ! 言いたい事があるなら――」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
「な!? ちょっ!? えぇぇぇぇぇ///////」
一層強くあーしを抱きしめ、胸に顔をうずめ、子供のように泣きじゃくり始めた。
あーし、訳もわからず超パニック。
(ってかコイツめっちゃ柔らかいわー。めっちゃいいにおいするわー。同じ女としてめっちゃ負けた気分だわー)
っていけないいけない。あまりにパニくって意識が変な方向に行きかけていた。
「い゛ぎででぐれ゛であ゛り゛がどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「ななんなんだよー! あんさんはー!?」
あんなにすごいポーションをほいほい他人に使って、
危険なゴブリンの巣で大暴れして、
ゴブリンの親玉をぶっ飛ばして、
すごい魔術が使えて、
でも人が生きてることを喜んで子供みたいに泣きじゃくって……
「ほんと…………………………なんなんだよ、もう!」
「う゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
「だから泣くなってーーーーー!」
結局、あーしは女が鳴き止むまでずっとあやしつづけていた。
「(んだよもう! ありがとう、って言いたいのはこっちなのに)」
「あ゛り゛がどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「わかったよどういたしまして! だから泣くなーーーー!」
まったく!
これじゃどっちが助けられたのかわかりゃしないじゃないのさ!
巣のお話を読んでいなかった方のために補足です。
この女の人はクロが巣で助けた女の人の一人なのですが、助けたはずの人たちはみんなゴブリンから受けた屈辱が原因で死を選びました。この人はどうしたいのか、わからなくなったクロは毒瓶と薬瓶を残して部屋を去りました。
というのが、巣で起きた顛末でした。
救える人はなるべく救いたい、たとえご都合主義と言われようとも!
かなりもう色々やっちゃった感があるけれども!




