黒の系譜02-12『星啼きの夜』
さて、ここからはクロのターンです!
クローディアは天へまっすぐに延ばした手を握りしめて叫ぶ。
「更神ッッッッッ!」
たちまち、彼女の手の甲に浮かび出た蒼い魔石。
クロードの力の一端、『知』を司る魔石から蒼の閃光が迸る。
閃光は線となって彼女の腕を伝わり、深蒼の魔力回路を広げていく。
瞳から脳へと到達した蒼の魔力は彼女を内から燃えあがらせた。
「ナ、ナンダァ!? ゴノビガリバァ!」
本能的恐怖を感じたロリエル・デモノはその光を握り潰さんと腕を伸ばした。
しかし腕が炎に触れた瞬間、
「アッギャァァァァ!?」
ロリエル・デモノの腕が蒼い炎によって燃え、地面に焼け落ちた。
闇に喰われ、完全な魔力体となったロリエル・デモノに痛覚というものは存在しない。
だというのに彼を襲った激痛にも似た感覚。
否、蒼き炎の放つ圧倒的までの恐怖が彼にそう認識させたのだ。
危険だ、と。
「状態安定。動作不良なし。残存魔力80%」
炎の中から声がする。
「戦況分析開始……終了」
まるで感情の込もっていない声。
恐ろしく人間味の欠ける機械のような淡々とした口調で、声の主は告げる。
「勝率100%。負ける要素は何一つない」
己の絶対勝利宣言を。
身に纏う炎をマントの様に翻し現れたのは青年。
しなやかで、無駄な筋肉のない若々しい身体。
短く揃えられた艶やかな黒髪と、やや幼さを残しつつも精悍さを持つ整った顔立ち。
蒼の炎を宿した右の瞳。
漆黒の闇を縫いあげたかのような黒の衣装を身に纏う彼は、禁忌の魔導師の姿にあまりにも似ていた。
いうなればそれは、彼の魔導師の若き日の姿のようでもあった。
「ギギギギザマァ! ナニモノダァ!? オ、オデザバノゼイジョバドゴエ゛ヤッダァ!」
「返答。豚野郎に教える名などない」
「オデザバノゼイジョヲガエゼェェェェ!」
自ら聞いておいて、答えを待たずに攻撃を仕掛けるのはいかがなものか。
ロリエル・デモノの後ろでその黒い青年は無表情のまま首を傾げた。
「ドドド、ドゴエ゛イッダァ!」
「回答。お前の後ろだ豚野郎」
答えると同時に、青年はその蒼く燃ゆる右の瞳で化け物を看た。
それだけで、全ての勝敗は決した。決してしまった。
「ゾゴガァ!」
ロリエル・デモノは振り向きざまにその腕を鞭のように伸ばして薙ぎ払う。
しかし、そこに青年はもういない。
「理解。仕掛けが分かればなんとくだらない」
ロリエル・デモノの肩の上に立つ青年は、手に何か光るものを持っていた。
ビー玉サイズの小さなそれを、無表情に眺めている。
「バガメェ!」
肩に乗っていた青年は、ロリエル・デモノの肩から浸食してきた闇に一瞬のうちに呑み込まれ、ズブズブと身体の中へ引きずりこまれていく。
ロリエル・デモノは勝利を確信した。
「10954」
「アァ?」
「訂正。今104破壊したので10850か」
しかし青年は、取り込まれた事への恐怖も、攻撃されたことへの怒りも、悲しみも一切の感情を見せずに、ただただ淡々と告げる。
「再訂正。10642]
「グボァ!?」
急にロリエル・デモノ身体がボコボコと膨らんだり、縮んだり、激しく波打つ。
「再々訂正。10428」
まるで内側で何者かが暴れているかのように。
「マママッママ、マザガァ!? グエェッ!?」
「回答。貴様は不死身などではない」
ロリエル・デモノの腹が、パックリと縦に裂ける。
「単純。貴様はただ単に魔核の数が無駄に多いというだけだ。魔核が無いように見えたのも、単に数が多すぎて判別が難しかっただけの事」
裂けた腹からゆったりと出てきた青年は、手の中で蠢く幾つもの魔核を握り潰す。
「再訂正。貴様の魔核は残り10212だ」
青年の言葉に動揺を隠せないロリエル・デモノ。
それもそのはず、青年はロリエル・デモノの弱点が理解っているからだ。
「ギギギギザマァ! ナゼ、ゾレヲォ!?」
「解答。看えているからに決まっている」
【ロリエル・デモノ:Lv.85
種族:創造魔人族
弱点:魔核
万呪の黒石の発動によって魔人化した元神官。己の身に宿る欲望を肥大化させ、魔人となった醜い心の持ち主。
固定の形を持たない魔力体であるため物理攻撃は無効化され、また魔力を吸収し己のエネルギーとして変換するため魔術も効果がほとんどない。
唯一の弱点は魔核だが、体内に約1万以上の魔核を持つため、倒すのは容易ではない】
蒼の魔眼は全てを理解る。
故に彼は全知。今の彼に理解できぬ事は存在しない。
逆に理解できぬものがあるとすれば、それはこの世界に存在しえない物だけを意味する。
「疑問。貴様、これをどこで手に入れた」
青年の手の中には、黒い石があった。
全ての闇を吐きだしたのか、今はもうただの石に成り下がった呪われし石。
【万呪の黒石:
――詳細不明――】
この世界の存在するはずのない石を。
「ガガガ、ガエゼゼェェェェェェ! ゾゾゾゾゾレバァァァ!」
よほど大事なモノだったのか、ロリエル・デモノは怒り狂い、叫び声を上げながら青年に襲い掛かる。
青年はロリエル・デモノの攻撃を躱しながら、問い続けた。
「追問。これは、何だ」
「ゾゾゾレババババ! オデザマガァ! ガァ!?」
振るわれた黒い極太の腕を、青年は手刀で切り裂き、蒼い炎で燃やし尽す。
しかしすぐさま生えてくる黒い腕、否。
もはや腕の形さえ保っていない触手は複雑に蠢き、青年を亡き者にしようと襲い掛かる。
それを青年は丁寧に一つずつ燃やし尽した。
「オデザバガァ! オデ…………オデザバガァ? オデ、オデデデッ、オデザバガガビダァァァァァ!」
「断念。もはや人の思考すら持たぬ者に、何を問おうと無駄か」
体内にあった【万呪の黒石】は既にその役目を果たしているようだった。
そう、ロリエル・デモノはもう既に終わっているのだ。
クロードは全て理解ている。
目の前の男が、もう手遅れだと言う残酷な真実も。
「グブブブブブブブブブブブブブブブブブッブブブブッブブブブブッブブブブブブブ!」
今の彼には、感情という物がない。
利用価値が無いと判断し終えた今、することはただ一つ。
「宣告。4分経過、そろそろ潮時だな」
そこには同情も哀憫もない、ただ目の前の邪魔者を排除するのみである。
青年は駆ける。
「10054」
「ゲブッ!?」
彼が駆けるたびに、ロリエル・デモノの身体が切り裂かれ、削られ、抉られていく。
「10021……10008……9857」」
「グブ!? ゲブブ!? ガブァル!?」
片足を大きく抉られたロリエル・デモノは大きくよろめき、半身が地面にぶつかってベしゃっと潰れた。
痛みも、恐怖もない、しかし消滅は存在する化け物は、ここへきて初めて己の命の危機を理解した。
「ぐ、グブブブブ! マママママデェ! イイノガァ? オデザマヲゴロゼバアノガギドモモォ!」
「愚問。この期に及んで下手な演技は不要だ」
しかし、それはあまりに遅かった。
シャルたちを盾にしようとするロリエル・デモノに、青年は表情ひとつ変えず言う。
「結論。アレの解除の仕方はもう既に理解ている。〝装着者の命がある限りはずれない〟か? ならば外し方は至極簡単」
「マママママザガァ!? マ、マデェェェェェェェェ!」
「問答無用。お前の声はもう聞き飽きた[フリジット・コフィン]」
青年が唱えると、一瞬で出現した氷の棺が、ロリエル・デモノを納める。
中で暴れているようだが、青年によって生み出された絶氷の棺を内から破りうる術は存在しない。
「慈悲。せめてお前の信じる者に近しき場所で逝け。[アース・ニードル]」
地面から飛び出した石柱が、氷の棺を天高く射出する。
教会の天井に描かれた女神の絵を突き破り、月のない夜空に投げ出された棺は、夜空の星の光に照らされ儚く輝いている。
その中に、青年は汚く光る残り1万近くの濁りを見ていた。
「醜悪。美しき夜空に、貴様の魔核はあまりにも醜い」
青年は右手にありったけの魔力を込めると、目を閉じて呟く。
それは神への祈りにも似ていた。
「葬送。来世があるなら、今度はせめて人として産まれて来い。[スターダスト・イレイザー]」
青年の腕から放たれた魔力超過魔術の何万もの閃光が、昏い夜の闇を駆ける。
瞬く光は流星のように、夜空へ散らばっていく。
「オノデェェェェェェェェェェェェェェェェ! ギェェェェェェェェェェェェェェェェェッェェェェェ!?」
氷の棺の中で、瞬く間に全ての魔核を貫かれたロリエル・デモノは断末魔の悲鳴を上げて消滅した。
身体を作り上げていた闇は夜の闇に吸い込まれるように消え、砕けた棺の欠片は天を舞う。
それはそれは幻想的な光景だったと、村の者は後に語る。
「……状況終了。魔力残存11%」
青年は直立不動の姿勢のまま後ろにバタンと倒れる。
――まもなく、魔力残量が10%を切ります。
――警告。安全確保の為、更神を解除してください。
――繰り返します。安全確保の為、更神を解除してください。
「……反省。頑張りすぎたか」
反省の色が全く見えない顔のまま、青年は地面に倒れた。
―――――
「クロ様……大丈夫でしょうか?」
教会前の丘では、今もまだサーカス団の方たちと神官さんたちの小競り合いが続いてます。
いつの間にか騒ぎを聞きつけた村人たちが神官側に加勢し、状況はさっきまで以上に混乱しています。
「ふん! 老いぼれは大人しくしてなっ!」
「なんの! リカム栽培は体力勝負っ! 貴様のようなじゃりん娘にはまだまだ負けんわい!」
事態の収拾がつかなくなってきた頃、何がどうしてどういう話になったのかはわからないのですが、代表同士で決着をつけようという話になり、さらにどういうわけか神官側の代表として村長さんが、サーカス側の代表として団長さんが出てきての拳の応酬になってます。
おかげ他の方たちは両者を囲んで休戦状態です。
「いけー! 村長!」
「負けるな村長ー!」
「メイジンの意地を見せてやれー!」
「ダンチョー! ファイトネー!」
「団長! 負けたら飯抜きだぞー!」
「グルルルルー!」
でも不思議な事に、殺伐とした雰囲気は見られません。
むしろみんな酒や料理を食べながら、和気藹々とやっています。
まるでちょっとした催し物のようです。
「やるじゃないか! 老いぼれのくせに!」
「じゃりん娘が言いよるわ!」
最初は怖い表情をしていた村長さんも、団長さんも、今では口元に笑みを浮かべています。
私にはよくわからない感覚なのですが、楽しそうに喧嘩しています。
「つかまえたー♪」
「わー!? つかまったー!」
「にげるのだわー! つぎはミーがおにだわー♪」
「むー! がる――きゃん」
「こら! ガルル出すのは反則よ!」
「むー! えみりーがたたいたー!」
「はんぎゃくだー! えみりーのおーぼーをゆるすなー!」
「あいおー!」
「いけー!」
「ちょ! こらアンタたちなにするやめにゃー!?」
子どもたちに至っては、大人の争いなどそっちのけで楽しそうに遊んでいるようです。
獣人族も人族も、サーカスの子も。
そんな小さなことに関わりなく、楽しそうにみんなでじゃれ合っています。
もちろん陣頭指揮をとっているのはエミリーちゃん。
彼女の誰とでも仲良くなれる魅力がちょっと羨ましかったりします。
ともあれ、もうここで何か重大な事態が起きることはないでしょう。
「お姉さま、私は」
「ん、クロ、お願い」
「ふぁぁぁぁぁ…………♪」
狐族の女の子を膝に乗せて頭をなで回しているお姉さま(少し羨ましかったりします)に言って、私は教会へと向かいます。
あそこでは、まだクロ様が戦っているはずだから。
(相手は神音派の神官……またご無理をされてなければいいのですが…………!)
私は、彼女の小さな背中を思い出していました。
――数日前、私の産まれ育った街に魔族が現れた、らしいのです。
らしい、と言うのは私自身が瀕死の重傷を負っていたらしく、当時の詳しい状況までは理解していないからです。
それでも、あのお父様ですら死を覚悟するほど、壊滅的な状況に陥ったという話は聞きました。
そしてそれを救ってくださったのが、他の誰でもないクロ様だと言う事も。
(思えば不思議な女の子ですわね)
私よりも年下で、しっかりしているようで割と抜けていて、おまけに世間知らず。
いつも大人ぶっているのに、ちょっとしたことで子どものように大はしゃぎしてしまうとても可愛らしいお方。
なのに旧時代の魔術や無詠唱魔術を使いこなし、達人級の戦技ですらいともたやすく使ってしまう。
小さな体には、あまりに大き過ぎる力を持っていて、そのせいでしょうか。
人一倍責任感が、いいえ。
(もはや罪悪感とすら言えるほどの感情を、いつも胸の内に抱えているように見えます)
そんな彼女です。
すべてを投げ打ってまで魔族と相対したのは、雲を見るよりも明らかです。
いくら彼女が特別な力を持とうとも、相手は魔族。戦力差はあまりにも絶望的でした。
しかし、そこで奇跡が起きたのです。
己の命を賭して、街を守ろうと戦う少女の姿に女神様の心が打たれたのです。
そして女神様はクロ様にお力をお貸しくださり、ようやく魔族を退けた。
(それが私の聞いた、知る限りの全てでした)
そう、あの時は女神様のお力添えがあったから、勝てたかもしれません。
ですが、今回もそうなるとは限りません。
今回の相手は神官。
魔族に比べればまだマシとは思えますが、それでも強敵には違いありません。
そして教会の人間を相手に、女神様が力を貸してくれるでしょうか?
普通に考えればありえませんし、きっとクロ様もその事を分かっているでしょう。
(それでも、クロ様は戦うんでしょうね。いつものように無茶をして)
だから、私がクロ様を助けなくちゃいけないのです。
彼女は言いました。
『ミラ、力を貸して!』
と。
嬉しかった。
いつも一人で無茶ばかりする彼女が、自分を頼ってくれた。
自分にも、手伝って欲しいと言ってくれた。
(エミリーちゃんの様に戦うことも、ルーお姉さまの様に上手に魔術を扱うこともできない私ですけども、出来ることはきっとあるはずです)
だから私は彼女の隣に立つ。
いいえ、立ちたいのです。
教会の扉が、目の前に迫っています。
この先に……!
「おい! アレを見ろ!」
誰ともない誰かが、大きな声を張り上げました。
集まって騒いでいた人たちが、全員こちら、もっと言えばここの上空。
教会の頭上を見て、口をあんぐりと開けているようです。
(おかしいですわ。なぜ、彼らのことがこんなにはっきり見えるのでしょうか?)
今日は新月。
月明かりがないため辺りは薄暗く、申し訳程度の篝火しかついていない人だかりが、あんなにはっきりと見えるのはどう考えても不自然です。
彼らと同じように頭上を見て、私は息を飲みました。
「流れ、星?」
思わず、そんな言葉がついてでてきます。
空に浮かぶ、ガラスの箱(棺?)の様な物体めがけて、無数の流れ星が殺到しているのです。
星が棺を射抜く音は涼やかで、まるで星々が鳴いているかのようでした。
「美しい……ですわね」
あまりの美しさに、自然とため息がこぼれてしまいます。
「オノデェェェェェェェェェェェェェェェェ! ギェェェェェェェェェェェェェェェェェッェェェェェ!?」
しかしそう思ったのも束の間。
ガラスの棺が破壊された瞬間、一瞬だけ見えたオークのような醜悪な化け物が、闇に消えるように吠えたのです。
星は消え、棺の欠片が宙を舞い、辺りはしん、と静まり返りました。
あれは、一体何だったのか。
答えを考えるより早く、私は壊れた教会の扉を開け放ちました。
「クロ様!」
予想はしていましたが、教会の中は激しい戦闘があったことを物語るように惨々たる有様でした。
椅子や机などはバラバラ、壁や床の至る所に傷跡が付き、天井には大きな穴がぽっかりと開いています。
唯一無事なのは入り口近くの長椅子くらい……
「クロ様……?」
長椅子に寝かされた人影を見つけ駆け寄りましたが、残念ながらクロ様ではありませんでした。
獣人族の少女。恐らくこの子が、クロ様の友達――彼女が戦っていた理由なのでしょう。
見たところ、服はぼろぼろになっていますが、身体に目だった傷はありません。
クロ様は無事にやり遂げたのだと誇らしくなってきます。
ですが、その周囲にクロ様の姿はありません。
胸騒ぎがします。
「クロ様……!」
慎重に周囲を見回すと、ふと気になるものを見つけます。
天井の穴の真下、ここで行われた戦いの中心部でしょうが、天上の穴から注ぐ僅かな光に照らされた何かがあります。
危険を承知の上で私は、倒壊のひどい祭壇付近へ歩き出しました。
「クロ……様?」
そこに倒れていたのは真っ黒な髪の人。
「――っ! クロ様!」
慌てて走り寄ってみましたが、その方はクロ様ではありませんでした。
クロ様と同じ綺麗な黒髪ですが、短く切りそろえられており長さが全然違います。
顔もとても精悍な顔立ちで、どことなく雰囲気はクロ様に似ていますが、恐らく男の方(やや中性的で判別が難しいですが)でしょう。
クロ様の身内、と言われればそんな気もします。
(クロ様の、お兄さま……でしょうか?)
じっと見ていると、何故か顔が火照ってきました。
熱に侵されたまま私は、何気なくその顔に触れてみたいと手を伸ばしてしまいます。
「……き」
青年が身じろぎをしたので、はっとして私は手を引っ込めます。
(眠っている殿方のお顔に触れようなんて……わわ、私は何をしようとしていたのでしょうか!?)
普段の自分ならまずしないはずの行動に、自分自身で驚いてしまいます。
心臓が、驚くほど早く脈打っているのがわかりました。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「……き、降神……!」
答えはありませんでした。
その代わりに青年は何か呟くと、彼の身体の表面が光輝き、パキィンという音とともに砕け散りました。
とっさに目を瞑ってしまったので何が起きたのか全くわかりませんでした。
いえ、例え目を見開いていても、状況を理解できなかったでしょう。
なぜなら、恐る恐る目を開けた私が見たのは、気持ちよさそうな顔で寝ているクロ様だったのです。
…………私は夢でも見ているのでしょうか?
「クロ様? クロ様ー?」
「むにゃむにゃ……われはなにものぞぉ……」
「完璧に熟睡していますわね……」
状況の説明をお願いしたいのですが、お疲れなのかあまりに気持ちよさそうに寝ています。
起こすのが忍びない。というより、こんな可愛らしい寝顔をされては、起こす方が無理と言うものです。
「どうしたものでしょうか……?」
困り果てた私が、クロ様を膝に乗せ寝顔を堪能し始めた時でした。
教会の女神像が輝きだしたのです。
さきほどから色々な事が同時に起こり過ぎて私の稚拙な頭はパンク寸前です。
クロ様、早く起きてくだ……いえ、やっぱりもう少し寝ていてください(なでなで♪)
女神像の光が弾け、現れ出たのは、
≪やっはろぉー♪ クロちゃーん、お元気ぃー? 例のメールのことなんだけ……≫
金色に輝く美しい髪。
美しさのあまり、神々しさまで覚えるご尊顔。
白と金を基調としたドレスに身を包んだ包容力のある御姿。
目に映るもの全てが余りにお美しいそのお方を、私は知っています。
いいえ、この方を知らない者などいないでしょう。
「だ、大精霊ティタルニア様……?」
≪げ、しまった。他に人がいたのねぇ? ってか、よりによってミラちゃんじゃないの!?≫
かつてこの世界が誕生した際、世界を精霊で満たし、我々に魔術を使う術を教えてくださった偉大なお方。
そして常に彼のお方の傍に寄り添い、いかなる時も彼を手助けしたという尊きお方。
物語の中でしか見たことのないそのお方が今、現界されているのです。
し、しかも恐れ多い事にワタシの事をご存じのようです。
「あ、あの。貴女様は……」
≪ゴ、ゴホン。――そうです。私は大精霊ティタルニア。精霊を統べる者です、わよ≫
「やはり……! ど、どうして私をご存じなのでしょうか?」
≪わ、ワラワはいつでもアナタたちを見守っているのぞよ?≫
「か、感激です!」
なんという事でしょう!
私は今とてもすごいお方とお話をしてしまっています!
歴史的瞬間に立ち会っているのです!
この感動、筆舌しがたい物があり、どう表現した物やら……と、とりあえずサインだけでももらっておくべきでしょうか?
「あ、あの……よければ何かにサインを……!」
≪控えよ……じゃなくてお待ちなさい(偉そうにしゃべるのってむつかしいわぁ)。今はその、やらねばならぬ事があってやってきたのです。サインは後にしなさ……後におしよ?≫
「は、はい! 失礼いたしました」
やはり出会ってすぐにサインを求めるなど失礼だったようです。
それにしても、わざわざ大精霊様自ら現界してまでやらなければいけない事とは……?
≪……やっぱり。この子、また無茶したのねぇ≫
大精霊様はすぅっと近づいてくると、私の膝で寝息をたてているクロ様の頬を優しく撫でます。
ち、近いっ……ではなくいい香りが……! で、でもなく!
頬を撫でる大精霊様からは深い慈しみと、愛が感じられました。
「はははははい! いつも無茶だけはやめてくださいとお願いしているんですが」
≪そうそう、聞かないのよねぇ。……貴女たちの街を救った時もそうだったもの≫
「――! 大精霊様はスーサで起きた事をご存じなんですね!?」
あからさまに表情を崩され、『しまった』という顔をされる大精霊様。
わ、私は何かまずい事を聞いてしまったのでしょうか?
もしそうだったらあまりに気まずく、聞くに聞けずに私が困っていると、
≪ばれちゃったら仕方ないわねェ……そうよぉ。ぜーんぶ、知っているわぁ≫
誤魔化すのを諦めたのか、ため息とともに大精霊様はそうおっしゃいました。
このお方は、あの街で起きた真実をご存じでいらっしゃる……
「でしたらお願いがあります――!」
≪知りたいのね? 真実を?≫
「はい!」
しかし、女神さまは首を横に振られました。
≪でも、ソレを貴女が知るべきではないわ。いえ、まだ知るべきではない、と言った方がいいかしら?≫
「そ、それはどういうことでしょうか!?」
女神様は、険しい表情で言葉を紡いでいます。
≪今の貴女があの場で起きたことを知れば発狂してしまうかもしれないわぁ(クロードが現れたなんて知ったら)。それだけの事が、あったのよ≫
「そ、そんなに恐ろしいことが……!」
女神様の表情から、よっぽどの事があったのだろうと分かります。
まさかクロ様の身に何かが……いえ、考えるのはやめましょう。
クロ様が頑なにあの夜の事を話したがらないのも、きっと理由があるからで……
≪そうなってしまえば、私はこの子にすごく恨まれてしまうわ…………申し訳ないけど、この子には嫌われたくないの(あの子の正体がクロードだなんてこの子が知ったら、ミラちゃん大変そうだものねぇ。きっと一生枕元でねちねち言われるわぁ……なんて、きゃっ♪)≫
「はい。ではいつか、クロ様のお口からお聞きできる時を待っています」
≪そ、そうしてちょうだい♪ んふふふふふ♪≫
何やら大精霊様は顔を赤らめて身悶えされておいでです。
ですが、『嫌われたくないの』とおっしゃった際に一瞬だけ見せられた表情はとても慈愛に満ちていて、まるで我が子を想う母親のような……。
「あ……」
≪ん、どうかしたのかしらぁ?≫
ふと、思ったのです。
もし本当に『大精霊様がクロ様のお母様でいらっしゃったら?』と。
「………………あぁぁぁぁ!」
≪え、ちょ? ホントにどうしたのよぉ!?≫
そう考えると色々と納得がいきます。
というのもです。
魔力とは本来、日々の絶え間ない鍛錬があってようやく成長する物。
齢14歳であれだけの魔力というのは明らかに常軌を逸しています。
≪おーい、ミラちゃーん?≫
それに魔術とは本来魔力量だけでなく、精霊との関係があって初めて成り立つものなのです。
魔力がどれだけ優れていても、結局は精霊の力なしに魔術は扱えません。
≪もしもーし? 聞いてるぅー? おーい!≫
でも、もしクロ様が大精霊の娘だとしたら?
魔力体である精霊の血を引いていれば、生まれ持って魔力が高いというのも理解できます。
そして大精霊様の娘なら、精霊たちから最高に祝福された存在と言えるでしょう。
思えば世間知らずなのも、元々は精霊界にいたせいかもしれません。
(でもクロ様はどう見ても人族、ですわよね? ……となると相手のお方は人族? でも大精霊さまと釣り合うほどのお人なんて……?)
≪うーん? もしかして無視? それとも本当に聞こえてない? おーい、ミーラちゃーん?≫
「いるじゃないですかっ! 一人!」
≪ぎぃえゃー!? びびびびびっくりしたわぁー! 驚きすぎて女子らしからぬ声でちゃったじゃないのぉー! ぷんすこー!≫
「まさかもしかしてやっぱり……旦那様はクロード様!?」
≪どどどど、どっきーんっ☆≫
そうです。
いつも大精霊様はクロード様の傍らにいらっしゃったと言い伝えられています。
それが愛故か、それともそこから愛が育まれたのかは定かではありませんが、あのお方ほど大精霊様にふさわしい方もいないでしょう。
≪み、ミラちゃーん? い、今のは一体、ど、どーいうことかなぁ?(そわそわ)≫
そうです。それならクロ様が古の魔術を使えたのも当然です。
だって自分の父親が使っていた魔術の扱い方を教わっていても、なんら不思議ではありません。
それにクロ様と出会ったあの死霊の館。
あそこは不明な事も多いですが、残された調度品からかつてクロード様縁の地だったのではないかという推測もありました。
そこに彼女がいたのも必然です。
というより、あの時初めてこちらの世界に現界したのかもしれません。
「そうです! そうなると……あぁ、なんて言うことでしょう!」
≪ダメだわ……この子、完全に自分の世界に入っちゃってるわぁ……ティタルニア、寂しいゾ☆≫
「わかりました大精霊様!」
≪びびくぅ! ……ご、ごほん。どうしたぞえ?≫
私は意を決して訪ねます。
「クロ様……いえクローディア様の正体は、クロード――むぐ?」
≪すすすす! すすす! すとーっぷ! それ以上言ってわいけないわぁ! どこで機関の人間が聞いているかわからないのよぉ!(キョロキョロ)≫
――様と大精霊様のお子様なんですか?
と言い切る前に大精霊様に口を塞がれてしまいました。
ですがこの反応を見る限り、やはり間違いないようです。
でも確かに私も早計でした。
ここは教会の敷地内、どこで誰が聞いているかも分からないのです。
「申し訳ありません。あまりに浅慮でした」
≪い、いいえ……分かってくれたならいいわぁ……(あせあせ)」
「でも、どうりでクロ様が可愛らしいお姿をされていると思いました」
≪べべべべ別に、これは私の趣味っていう訳じゃないのよぉ!? ただあのその、彼の面影を残しつつ、どうせ女の子にするなら可愛らしいほういいかなっておもっただけでまんねん!≫
「なるほど、クロード様似なんですね」
どうりで一目見たときから、彼女には心惹かれる物があったわけです。
でも、なぜわざわざ人として現界させるなんて事をされたのでしょうか?
無理にそうされずとも、精霊界で一生を暮らすという事も出来たでしょうに。
大精霊様にお尋ねしてみると、
≪この子はねぇ。この世界の間違いを正すために存在しているの≫
結構重要そうな事を、かなりあっさりと言われました。
「間違い、ですか?」
≪えぇ。具体的に何か、なんて(私のせいだから後ろめたくて)言えないけれどぉ。それでも全ての間違いを正すまで、この子は戦い続けるでしょうねぇ。(諦めて自分の過去を受け入れればいいのに)……頑固な子のよぉ≫
この世界の間違いを正すなんて、クロ様……なんと崇高なお考えをお持ちなのでしょうか。
思えば盗賊や悪徳神官、差別や病気など、そういった不条理な物をクロ様はいつも憂いておられました。
きっと彼女はそれら全てを自分の責任と感じ、正したいと願っているのでしょう。
≪だから私はあの子に力を与えたのぉ。アナタもさっき見ちゃったわよねぇ?≫
「あ、はい。あの変身魔術でしょうか?」
私は先ほどまでのクロ様の御姿を思い出します。
「……ぽっ////」
≪ミラちゃん?≫
で、ではなく!
あのお姿は、やはり何かの魔術によるものだったのでしょうか。
≪変身というより、憑依魔術の一種かしらぁ? クロードの力の一部を再現してぇ……って難しい話はいいわねぇ。ともかく、あの力は本当は最終手段みたいなものなのよぉ≫
「最終手段、ですか」
≪えぇ……一時的に無理やり身体を作り変える物だから、使うたびにあの子は大事なモノを失っていくのよ≫
大事なモノ。
それが何かは分かりませんが、クロ様は自分の身を犠牲に戦っていると言う事です。
≪だからあの力は出来るだけ使わないように! って、何度も何度もなぁーんども! 言ったのに…………あの子ってばほいほい使っちゃうんだからぁ……困ったものねぇ≫
「本当です! いつもいつもいっっっつも、無茶するんですから…………でも、だから放っておけないんですけど」
≪ホントねぇ≫
気持ちよさそうに眠るクロ様の頬を、大精霊様と一緒にむにむにと突きます。
少し苦しそうな顔をしてはいますが、いつも私たちに心配をかけている罰です。
私と大精霊様は顔を合わせて微笑み合います。
≪さて……じゃあ、そろそろ戻らなくちゃいけないわねぇ≫
「も、もうですか?」
≪大精霊ともなると忙しいのよぉ……出来ることならクロちゃんといつまでも一緒に居たいのだけれどぉ。いっその事大精霊も引退しちゃおうかしらぁ?≫
「そそそっそれはまずいんじゃないでしょうか!?」
≪やっぱりそうよねぇ……はぁ、大精霊も楽じゃないわぁ≫
大精霊様とは仲良くさせていただけそうな気がしたのでもっとお話ししたかったのですが、お忙しいなら仕方ありません。
でもなんとなく、またどこかで会えるような気もしたので、積もる話はまたその時にでもしましょう。
≪それじゃ、私は行くわぁ……あ、でも最後に一つだけ≫
大精霊様から親しげな雰囲気が消え、神々しさがお戻りになります。
≪ミラ=イーノッド。大精霊ティタルニアの名において、貴女に命じます……ってやっぱり今のはナシ≫
でもすぐにまた柔らかな笑みにもどりました。
はい、私もこちらの大精霊様の方が好きかもしれません。
≪うん、やっぱりこういうのは私の性に合わないわぁ。ミラちゃん、あの子を大切に想う一人の女として、お願いするわぁ≫
「はい」
≪これからもあの子の側で、あの子の事を支えてくれる?≫
私は自信を持って答えます。
「大精霊様に言われるまでもありません。私は、必ずクロ様をお守りします」
クロ様に救っていただいた、この命に代えて。
≪ありがとう≫
大精霊様は、そういって可愛らしく微笑まれました。
≪それから特に! あの子に近寄る悪い虫には気をつけてちょうだいねぇ! あの子ってば可愛いくせに以外に鈍く天然だから、無自覚にほいほい釣り上げてくるのよぉ……私も気が気じゃなくってぇ……》
「お任せください! 私の目が黒い内はクロ様をお嫁にやったりしません! 全身全霊をかけて、クロ様の貞操は守ります!」
≪うふふ♪ 頼もしいかぎりねぇ≫
「例え相手と差し違えてでも!」
≪え? あ、うん≫
「手を出すような不届き者は、この弓の錆にしてやりますわ!」
≪え、ええ! まぁよろしくお願いするわぁ(この子、ちょっと目が怖いわぁ……本当に大丈夫かしらぁ?)≫
「すやぁ…………」
この安らかな寝顔は絶対に守り抜きます。
私は大精霊様に誓いました。
――こうして、大精霊様は精霊界へと帰って行かれました。
壁に大きく〝ティタルニア、参上☆〟とサインを残されて。
(さすがにこのサインは持ち帰ることが出来ませんわね)
仕方がないので『次回がありましたらその時はなにか持ち運べるものにお願いします』と、私はサインに向けて祈りを捧げました。
後にこのサインはメイジン村の観光名所の一つとなりました。




