黒の系譜01-34『それぞれの決意』
街への帰り道は満月の夜で魔物が活発だと言うには相応しくないほど、静まり返っていた。
しかし、
「なによ、コレ?」
全速力で街へ戻ってきたオレたちの目に映ったのは、悪夢と呼べるほど悍ましい光景だった。
「なによコレ! 何なのかって聞いてるのよ!」
「オレにだってわかんない! わかんないよ……」
街を覆うように展開された紫紺色の半球によって隔絶された街の中は、それよりも濃い色の霧で満たされている。
近づくだけで肌を刺すような尋常ではないプレッシャーを放ち、見ているだけで恐ろしく不安な気持ちにさせられる。
「誰が!? 何のために!? ってか、いつ!? どうして!?」
「だからわかんないって! わかんない、けど」
そしてオレは[マップ]を見て、中で起きている惨状を知っている。
これが街へ良い影響を与える類の物ではないと言う事は容易に想像できた。
「…………」
「ルーお姉ちゃん!?」
ルーさんは何も言わず紫紺のドームへ近づき、そっと手をかざす。
「――っ!」
しかし触れるか触れないかギリギリの所で手を止めると、額から一筋の汗を流した。
「魔力結界、かなり凶悪」
ルーさんが軽く分析したところによると、街を覆っているドームは高度な魔術によって生み出された魔力結界らしい。
使用者は不明。魔力の波長が全く未知のものである。
出来てからは、多分そんなに時間が経っていない。少なくとも、オレが隠し部屋に入ってから起きた事だろうとの事だ。
用途は不明。ただやはり攻撃系の魔術であることは間違いない。
「中、危険があぶない。入っちゃだめ」
「……んな事言ったって! 街の中にはミラも、てんちょーさんもおやっさんも! ジャミアさんだって街のガキどもだっているのよ!? 助けにいかないでどうすんの!」
「エミリー駄目! 中に入ったらエミリーもただじゃすまない!」
「『エミリー〝も〟』? アンタ、中がどうなってんのかわかるの!?」
迂闊だった。
ついポロっと漏らしてしまった言葉を、エミリーは聞き逃さなかった。
興奮したエミリーに胸ぐらをつかまれる。
「おしえなさいよ! 中の人たちは!? みんなは無事なの!? どうなのよ!?」
「それは……!」
言えるのか?
『街の中は壊滅的だ』
『助けに行っても無駄』
そんな残酷な真実をオレは告げられるのか?
いや、オレ自身がそれを認められるのか?
オレは、答えられなかった。
「エミ、離す。落ち着く」
答えられずに掴まれたままのオレを見かねて、ルーさんがエミリーをなだめる。
「答えられないってんならいいわ! 確かめに行くだけよ!」
「だから危ないって!」
「だったらっ! ……黙って見てろっていうの? 中で助けを求めている人がいるかもしれないのに?」
「それは……!」
エミリーの純粋な言葉がナイフとなってオレの胸に突き立てられる。
エミリーは間違っていない、それはオレもよくわかっている。
だが、だからと言って無暗矢鱈に飛び込んでどうにかなるような物じゃない事もわかっている。
エミリーだって、きっとそのことは分かってるいるはずだ。
でも、
「いいわ! だったらアタシ一人で行く! アンタらはそこで待ってなさい!」
そこで行動出来てしまうのが、エミリーという女の子なのだ。
「エミリー!」
「だめ!」
オレたちの制止を振り切ってエミリーが結界へ飛び込む。
そして結界へ触れた瞬間、霧が妖しい光となってエミリーを包み込んだ。
「にゅぁっ!?」
「エミ!」
ルーさんが服を引っ張って強引に結界から引きずり出したが、エミリーは膝から崩れ落ちた。
「な、によコレ……からだ、ちからはいんにゃ……」
「エミリー! しっかり!」
エミリーは真っ青な顔をして、全身をガクガクと震えさせている。
もしルーさんの判断がもう少しでも遅れていたら、これだけでも済まなかったかもしれない。
「か、回復します! 天に居られます我らが女神よ……」
呆然としていたミルトさんだったが、そこはやはり神官見習いなだけはある。
負傷者を前にしてしっかりと意識を取り戻し、エミリーに駆け寄って詠唱を始めた。
「……を〝癒し〟給え……癒しの光[ヒール・リング]」
ミルトさんに治癒魔術をかけられたエミリーだが、辛そうな様子は変わらない。
もしやと思ってオレがエミリーの[ステータス]を確認すると、そこには予想通り〝魔力切れ〟の文字があった。
「エミリー! これなめて! 早く!」
「ぁ、どろっぷ……?」
目が虚ろになっているエミリーの口に無理やり魔力ドロップを突っ込む。
しばらくしてエミリーの目に焦点が戻って来たので、もう一度ミルトさんに回復をお願いした。
「……あ、ちょっと楽になったかも」
「クローディア様、まさかこの症状は……」
オレは無言のまま小さく頷く。
エミリーの症状は急激な魔力喪失による、体力の衰弱と魔力酔いによる回復障害。
つまり、
「夢衰病、なのですな」
背後のラムダさんの呟きに、オレは俯くように頷くことしかできなかった。
(くそったれ!)
黒い点に支配された[マップ]を前に、オレは悪態をつく事しかできなかった。
―――――
門の前までやってきたオレたちは、この悪夢が現実の物なのだと改めて認識させられた。
「あ、あれは……!」
「…………だめ。しんでる」
門のすぐ近く、ギリギリ結界の外に倒れていたのはオレたちを送り出してくれた門番さんだ。
他の街へ伝令を走らせようとしたのか、馬と一緒に倒れ、悔しそうな表情で事切れている。
「あ、あぁぁぁぁ……女神よ」
その姿を見てミルトさんが泣き崩れたので、ルーさんに介抱をお願いしてオレは遺体のそばへ駆け寄る。
すっかり痩せこけてしまっているが間違いない。
オレが門を出る時、いつも温かく見送ってくれたあの気のいい門番さんだ。
できれば、人違いであって欲しかった。
しかし悪夢はまだ醒めない。
「い、いやぁぁぁ!」
ミルトさんの悲鳴がこだまする。
彼女の震える指の先、僅かに開いた門の隙間から見えたのは、まさに地獄だった。
「……手遅れ、でしょうな」
「……はい」
人だ。
人が倒れている。
それも一人二人という問題ではない。
街のそこかしこで、人が、子どもが、大人がお年寄りが見知った人々があちらこちらで苦悶の表情で倒れ事切れピクリとも動かない。
「あ……」
「! しっかり!」
意識を失って倒れたミルトさんを、ルーさんが受け止めた。
あまりにも悲惨すぎる光景にミルトさんの精神はオーバーフロウしてしまったようだ。
正直、オレもどうにかなりそうだった。
いっそどうにかなれば、楽だったのだろうか。
そんな中でも、ラムダさんは冷静でいられていると思っていた。
「……クローディア様、申し訳ありませんが、わしは行きます」
しかし、彼の声は歴戦の老執事らしからぬ、酷く震えた声をしていた。
「ラムダさん、今は落ち着いてください」
オレはラムダさんを安心させようと[マップ]の屋敷の方面を確認。
チェスターさんのアイコンが無事に存在している事を伝えようとする。
しかしラムダさんの瞳を見て、オレは喉元まで出かかっていた言葉を飲みこんだ。
「申し訳ありませんが、わしはイーノッド家の執事でしてな。いくら命の恩人であるクローディア様の命と言えど、こればかりは聞くわけには行きませぬ。これはわしの為すべき事なのです」
ラムダさんの握りしめた拳には血が滲み、瞳には決意の光が宿っている。
今の彼に、オレの言葉は何の意味も持たない。
「わかりました。じゃあせめてこれを持っていってください」
「これは……! かたじけない」
オレは懐から魔力丸とドロップ、ポーションを持てるだけ取り出してラムダさんに渡す。
「それから、[キー・トーサン]」
オレが魔術をかけると、彼の身体がの表面に微かに白い魔力の膜ができる。
この[[キー・トーサン]は魔術抵抗を上げる魔術だ。
魔力を吸収するこの悪夢のような霧にどれだけ効果があるかは分からないが、ないよりはましだろう。
「クローディア様、どうかお元気で」
老執事は短く別れを告げて深く礼をするとドロップを一つ口に含み、己の主の元へ向かっていった。
その例は深く、今生の別れを告げるようでもあった。
彼が走り去った後を呆然と見つめ、オレは自分に問いかける。
「自分の為すべき事、か」
ラムダさんが向かった屋敷とは別方向。
街の中心部にはもう一つ、青いアイコンが存在している。
チェスターさんと彼女、この二人がこの事件に大きく関わっているのは間違いない。
そしてもし、
もしもこの事態がオレの想像している通りだったとしたら……
「まったく、師匠も無茶するわね」
昏い表情のオレを元気づけようとしたのか、エミリーは空元気を出してそんなことを言う。
「最初に飛び込もうとした弟子に言われたくないと思うよ」
「うっさいわね」
オレは木にもたれかかっているエミリーに肩を貸すと、エミリーは照れ隠しに頭をぶつけてきた。
ちょっと痛い。
「…………」
「ルーお姉ちゃん? どうかしましたか?」
ミルトさんを抱えながら何かを考えていたルーさんは、門とは反対方向を指さす。
「非常事態、教会に行く」
「教会、裏口を使うんですか?」
ここスーサの街の教会はちょうどこことは反対側の方に存在している。
元々教会はスーサ領内にあってスーサ領にあらず。
モーミジヤ教会本部の直轄地という扱いなので、治外法権が認められる特殊な場所となっている。
そのため教会には教会専用の特殊な通用口がある、と前にミルトさんに教わった事があった。
「ん、教会。聖なる結界、ある。安全」
「ここよりはってことですね?」
そしてそれと一緒に、教会に安置されているモーミジヤ像の及ぶ範囲で光魔術の結界が張られている、という話も聞いた。
ルーさんが言っているのはその事だろう。
確かに、そこならひょっとすれば安全かもしれない。
オレは[マップ]を開いて確認すると、確かに教会の中だけ幾つも青いアイコンが存在している。
未だ目覚めないミルトさんを、このままにしておくわけにもいかないし、ここは一度教会に行くと言うのも手だろう。
「よし、じゃあ行きましょう」
「エミ、自分で歩く」
「ルーって、アタシにはちょっと厳しくない? まぁ別にいいんだけどさ」
エミリーがオレから離れよろよろと立ち上がる。
まだ足元はふらついているが、どうにか歩くことはできるようだ。
オレが軽くなった肩を回していると、そこへルーさんがミルトさんを乗せてきた。
「うぐぇっ!? る、ルーお姉ちゃん?」
「ミー、まかせた」
ミー、とはミルトさんの事である。
それを任せた、というのはどういう事だろうか。
重いから、代わりに持てという事か?
相変わらず、ルーさんの真意は分かりにくい。
「え、ソレってどういう?」
「ん、わたし、教会、行かない」
ルーさんは、目を合わせない。
ただ悪夢に満たされた街の中を、まっすぐに見つめている。
オレたちは理解した。
彼女は一人でこの悪夢へ立ち向かうつもりだと。
「なに、言ってんのよ?」
エミリーは、ふらふらとしながらルーさんに掴みかかる。
「エミ、クロお願い」
「だからなに言ってんのよって言ってんの!」
すごい剣幕のエミリーを優しく引きはがして、いつも表情に乏しいルーさんが微笑んだ。
「わたし、お姉ちゃん。みんな、守る」
「ルーお姉ちゃん」
ルーさんは杖を取り出して、結界の先を睨みつける。
その表情は険しく、恐らく彼女もこの先にある悪夢の中心がどういうモノなのかわかっているのだろう。
それでも、彼女は怯まない。
「お姉ちゃんだから」
実際の家族でもないし、彼女と過ごした帰還もほんの半月ほどだ。、
それでも彼女はオレたちを守るのだと言う。
強い人だ。
チートが使えるオレなんかよりも、ずっと強い。
オレは自分が情けなかった。
「ん」
ルーさんはオレに手を出してドロップをよこすように目配せする。
「本気なんですね?」
「ほんき」
「中が危ないって言ったのはルーお姉ちゃんですよ?」
「心配ない。わたし、ちょうつよい」
ルーさんのいつものように飄々としているが、目は笑っていない。
さっきのラムダさんと同じ、何かを決意した瞳をしている。
「時間ない、はやく」
エミリーといい、ラムダさんといい、ルーさんといい。
なんでオレのパーティーメンバーたちは、こうもまっすぐに無茶ばかりするんだろうか。
「……わかりました。ルーお姉ちゃん、あーんしてください。あーん」
「こんな時にまでなにやってんのよアンタら」
「ん、あーん……」
オレは懐からドロップを取り出し、
「ごめんなさい、あむっ!」
迷わず自分の口に放り込んだ。
「クロ! なにするつ――」
「ごめんなさい、ルーお姉ちゃん。[スリプル]」
口を開けて無防備に立っていたルーさんに向かってオレはドロップの代わりに魔術を唱えた。
キュィィィィ、っという小さな音が響くと、ルーさんの瞼が徐々に落ちてくる。
「ク、ロ……」
「ごめんなさい」
ルーさんは『あとで、おし……』と言いかけて崩れ落ちたので、オレはやさしく受け止める。
「できればお手柔らかにお願いしますね」
オレは微笑むが、ルーお姉ちゃんから返事はなく、安らかな寝息だけが聞こえた。
こんな形でも中身は男だ。
女の人一人に全部背負わせちゃうんじゃ、カッコがつかない。
(それに……)
オレはこの中で起きていることを知らなくちゃいけない。
だから行かなくちゃいけないんだ。
――クローディアは[スリプル]を思い出した!
――【ネクラノミコン・下】に無の章[スリプル]のページが戻った。
まだふらふらしているエミリーを木の陰に座らせ、その隣にミルトさんとルーさんを降ろす。
「エミリー、ルーお姉ちゃんとミルトさんをお願い。体がちゃんと動くようになったら二人を連れて教会に行ってみて。他にも無事な人がいるはずだから。それからできることなら、他の街に助けを求めて欲しい」
「アタシも行く」
「駄目」
無理やり立ち上がろうとするエミリーを押さえつける。
「このまま二人を放置していったら危ないでしょ?」
「アタシだってまだふらふらなんだけど?」
「エミリーなら威圧するだけで魔物ぐらい追っ払えるでしょ? 頼んだよ」
「アンタってホント失礼ね。しかも無茶で無理やりでワガママでボーギャクマジン」
「暴虐無人なエミリーに言われたくないよ」
「なによ。馬鹿にしてんの?」
「ううん、頼りにしてる」
オレは[マップ]を開く。
相変わらず街の中は黒いアイコンだらけ、
(覚悟しろ)
かろうじて存在しているアイコンはチェスターさんとラムダさん、そして……。
(きっとこの地獄を作り上げてしまったのは)
オレは、自身の考えを否定するように、首を振る。
今は『もし』を考えている時じゃない。
覚悟を決めたオレに、エミリーが問いかける。
「行くの?」
「行くよ。行かなきゃいけないんだ」
「アタシの事は止めたくせに」
「そうだっけ?、記憶喪失だから忘れちゃった」
「笑えない冗談ね」
そういってエミリーは笑う。
オレも、一緒に笑う。
「ごめん」
オレはエミリーの顔を見ないように謝った。
「さっきっからあやまってばっかね。 あやまるような事したわけ?」
「うん、いっぱいした。今もしてる」
「そ。アタシは別に気にしてないけど」
エミリーは笑っている。
顔を見ないようにしているからはっきちとは分からない。
でもオレのために笑ってくれている、ような気がした。
「そうね。それでもあやまりたいってんならそうね。帰ってきてからにしなさいよ。待っててあげるから」
「うん、ごめんね」
その顔を見たら、またオレは躊躇ってしまう。
だからオレは自身に[キー・トーサン]をかけ、振り返らずに走り出した。
後ろで『だからあやまんなって言ってんのよ、バカ』という声が聞こえた気がした。
「ごめん」
オレは誰に聞こえるでもなく謝った。




