星詠みはあなたとともに
ヴェルベーヌの国には森羅万象を見通すとされる「星詠みの姫」が存在する。
王族の娘の中で最もその能力が秀でた者が継承するその呼び名は、敬愛と畏敬の念によって口にされる。
特に今代の星詠みの姫は歴代最高とされる力の持ち主であり、それを支える神官長もまた史上最年少でその地位に就いた天才であった。
二十三代目の星詠みの姫、オフィーリア。彼女は王弟マキアスの娘で、淡い白銀の髪と琥珀の瞳を持つ儚げな容貌の美しい少女である。
今宵も彼女は星を詠むために塔へと昇る。金髪に紫の瞳の、冷たく見えるほどに整った美貌の神官長を伴って。
*****
オフィーリアは白い手を上げて空の一点を示した。
「あちらの方角からですね」
「はい」
「何かがどかーんとしてふにゃーとなった後にぼふんって感じがします」
「成る程。西の地にて災害が起こり、一旦は沈静化するものの、なにがしかの乱が起こるのですね」
「あと、なんだか全体的にふわわーとしてほっこりです」
「ふむ。今年は気候も良く豊作で人々も笑顔が多い、と。なによりですね」
「でも油断するとしゅーんってなりそうです」
「わかりました。王にはくれぐれも油断なきように進言しておきましょう」
「お願いします」
オフィーリアの謎の言葉をあっさりと解読し、対応策を考える神官長、セオ。彼以外にはここまでオフィーリアの言葉を理解出来る者はいない。
稀代の力を持つオフィーリアだったが、その表現力にはかなりの難があった。
「あの……いつもすみません」
一通り伝え終わると、オフィーリアは頬を赤く染めて俯いた。さらりと銀髪が流れ、彼女の表情をおおい隠す。
オフィーリアも努力はしているのだが、一向に言葉の改善は出来なかった。話す分には問題ないのに、星詠みで詠みとったことを伝えようとすると、ひどく曖昧な表現になってしまう。自分でも、まるで子供のような表現だと感じて恥ずかしく思っていた。
そんなオフィーリアの気持ちを理解した上で、セオはそれは違うと否定する。
「謝罪は結構ですよ、姫。何度話し合ったらわかるのですか? たとえ姫がどんな言葉を使って言い表わしたとしても、私にはわかるのですから問題ありません。むしろ、姫のように高い能力のお方に仕える事が出来て、私は誇らしく思っています」
「セオ……ありがとう」
「いえ」
オフィーリアは顔を上げて恥ずかしそうに微笑み、セオは無表情ながらも耳を赤くして応えた。
二人はぎごちないながらも息のあったコンビだった。
――つい数ヶ月前までは。
*****
「ええ? 全然わかりませんよ」
「で、ですから。ぽーんってした後にふわっと……」
「ぽーんってなんですか。何がふわっとなんですか」
「……それは、その」
「もっとわかりやすい言葉を使って下さい」
「……はい」
オフィーリアは俯いた。彼女の隣にいるのはセオではない。数ヶ月に神殿に入ってきていきなり神官長となった、ある大臣の息子だった。
「それより、姫。私達の結婚についてですが……」
「あ、あの。わたし、気分がすぐれなくて……先に失礼します」
「姫!」
相手の男――ローランドが引き止めるのを振り切って、オフィーリアは駆け去った。
どうやら大臣は自分の息子をオフィーリアの婿にしたいらしく、先ほどのような会話は何度も行われていた。
(お父様はしばらく我慢していてくれって言っていたけど……セオはどうなっているのかしら)
セオはあらぬ疑いがかけられ、取り調べ中であった。しかし、神殿と塔以外の場所に行けない「星詠みの姫」である彼女は、セオに会うために城に行くことも出来ない。
不安と心配と心細さを抱えたまま、星を見上げる事しか出来ないのだ。
「セオ、早く帰ってきて……」
神殿に帰る為に塔の階段を降りながら、オフィーリアは一人涙を堪えて呟いた。
*****
「姫様、お顔の色がすぐれませんわ……」
「……大丈夫よ」
さらに数日がたった。セオの動向は伝わってこない。
いくら星を詠んでもセオの事はなにもわからず、オフィーリアは日に日にやつれていた。
心配する侍女に微笑む姿も痛々しい。しかし、そんな事はお構い無しとばかりにローランドはやってきてオフィーリアを急かした。
「さあ、姫。今日こそはきちんと星詠みを行って下さい」
「……はい」
ローランドの言い様に神官や侍女は眉をひそめたが、当の本人は気付かずにオフィーリアを追い立てるように塔へと昇った。
「……え」
この夜もいつものように星空を見上げたオフィーリアは、なぜかひどく狼狽え何度も目を瞬いた。
「どうしたのです。早く星詠みを」
「……わかりません」
「はい?」
「星が、詠めないのです」
オフィーリアは絞りだすようにして呟いた。その顔色は病人のように白く、彼女の言葉が真実だとローランドにも理解させた。
オフィーリアは、星詠みが出来なくなったのだ。
*****
オフィーリアは静養する事になった。神殿の上層部は密かに慌てふためいている。金に目が眩んで天才神官長セオを売った、腐敗しきっている上層部でも、さすがに今回の件が不味いとわかったらしい。城からの抗議に右往左往していた。
そんな中、オフィーリアに面会があった。
「姉上、大丈夫ですか?」
「レイン……」
見舞いと称して面会にやってきたのはオフィーリアの弟、レインだった。可愛い弟の姿に微笑んだオフィーリアだったが、すぐにその笑みは消え、心配そうな表情になる。
「ねえ、レイン。わたしの事でお父様はお困りではないかしら?」
「困らせればいいんですよ、父上なんて」
レインは十五歳とは思えない大人びた表情で冷ややかに言った。
「いくら増長している神殿に鉈を振り下ろす為とはいえ、セオを離したまま姉上に無理させるなんて……禿げればいいんだ」
「まあ、レイン……」
にっこりと笑顔を浮かべて呪いの言葉を吐く弟に、オフィーリアは何かを言おうとしたが思い付かずに困った顔をする。レインは肩を竦めると優しい表情に戻り、オフィーリアに微笑みかけた。
「それより、姉上。良い知らせですよ。セオが釈放されたんです。すぐに神殿に戻ってきますよ」
「まあ、本当!?」
「はい。まあ、今まではわざと容疑を晴らさないでおいて、誰がどう動くか調べていたみたいですけど、もうあらかた調べ終わったようですし。なにより、姉上の事を聞いてセオがすぐにでも神殿に戻るって言い張ったらしいですよ。良かったですね、姉上」
「……セオが、帰ってくる」
オフィーリアは高鳴る胸を押さえて小さく呟いた。セオが帰ってくる。そう思うだけで冷えた心が温かくなる気がした。
頬を染め微笑む姉の姿にレインも安堵の笑みを溢す。
姉弟を暖かな空気が包んだその時だった。
「お止め下さい、ローランド様……きゃあっ」
「うるさい、どけっ」
侍女の叫び声が聞こえたかと思うと、血走った目をしたローランドが部屋に押し入ってきた。
「ローランド! お前、どうしてここに……ぐっ!」
「レイン! きゃあ!!」
ローランドは右手に持っていた剣で止めようとしたレインを斬り、弟に駆け寄ったオフィーリアを捕まえた。片腕を押さえ、レインはローランドを睨み付ける。
「……外にいた護衛はどうしたんだ」
「あのうるさい奴らなら、私を止めようとしたから天罰をくだした。神官だからと甘くみていたな。ちょっと殊勝なふりをしたら簡単に騙されたぞ、ははは!」
「アルダート、ルイス……くそっ!」
ローランドはそれきりレインには興味を無くしたらしく、どこか熱に浮かされたような表情でオフィーリアを見つめた。
「さあ、姫。行きますよ」
「い、行くってどこへ」
「星詠みですよ。決まってるじゃないですか。貴女は稀なる力の持ち主なんです。そして私はその夫となり、次代の星詠みの父親となる。そうでなければならないんですよ」
「ひっ……」
狂気に染まった眼差しを浴び固まるオフィーリア。そんな彼女を引き摺るようにして、ローランドは歩きだす。
「姉上! くそっ! おい、誰かいないのか!!」
オフィーリアを人質に取られた格好になってしまい、歯噛みしつつレインは叫ぶ。
その声を背中で聞きながら、オフィーリアはローランドに連れられて塔へと向かうしかなかった。
*****
「さあ、姫。今日はこんなにも星が美しい。きっと星詠みもうまくいきますよ」
「え、ええ。そうですね」
時刻は夕方を少し過ぎた頃で、空はまだ明るい。いくつか気の早い星が見えるだけの空を「満天の星空ですね」と見上げるローランドの姿に、オフィーリアは背筋が冷えるのを感じた。
とにかく、今のローランドを刺激してはいけない。オフィーリアはローランドの異常さを感じとり、そう思った。片手に握る剣でオフィーリアを脅しながら、貴公子のように恭しく接してくるローランドはひどく不気味だった。
「さあ、姫。星詠みを」
「はい……」
オフィーリアは目を閉じ深く息を吸った。わからない。それは決してまだ明るいからではなかった。
本来なら、星を見ただけで感じとれるものなのに、今はこうして集中しても何一つわからない。
自身に対する失望と不安感が湧き出てくるが、今はそれをぐっと押さえ込む。
「……特に問題もありませんわ。星はそう告げています」
「問題がない? 本当に?」
「え、ええ」
「……おかしいですね。昨夜はリュカーン地方で山火事があり、今も軍はその対応に追われている筈ですが」
内心の動揺を表にださないためには最大限の努力を要した。オフィーリアはおっとりと首を傾げる。
「まあ……そうでしたの。それは確かにおかしいですわね。わたしはまだ本調子ではないのかしら」
「……ええ、そのようですね」
ぞっとするほど優しい笑みを浮かべてローランドは頷き、言葉を継いだ。
「姫はお疲れなのでしょう。偉大な力を行使されるのですから、当然です。……そう。別に私のせいじゃない。私が無能だからではない。姫のせいだ。姫が疲れているだけなんだ……」
「ロ、ローランド様……?」
話している途中でローランドは虚ろな目になり、しきりにぶつぶつと呟きだした。不気味に思いつつもオフィーリアが声をかけると、ローランドは顔を上げて彼女を見た。何も映していない暗闇のような瞳が揺れ、焦点が合う。
「……ああ、姫。すみません、少し考え込んでしまいました。さて、行きましょうか」
「行く? 今度はどこへですか」
「私の持つ別荘にですよ。海辺の街にあるので、療養には持ってこいなんですよ。きっと姫も気に入ります。すぐに星詠みの力も取り戻せますよ」
再びローランドが片手を伸ばし、オフィーリアを捕まえようとする。オフィーリアは、後ろに下がり、その手を逃れた。
「……姫?」
「お申し出は嬉しいのですけど、まだ夜ですわ。出立は明日でいいのではないかしら?」
「夜のうちに出たら朝には着くのですよ。なに、姫は馬車で休んでいたらいい。何も問題はありませんよ」
「……わたしはもう少し星を詠みたいのです。今夜は星が美しいとローランド様も仰ってましたでしょう? 頑張れば、詠めるかもしれません」
「む……」
オフィーリアの読み通り、星詠みの事を持ち出すとローランドは悩む素振りを見せた。とにかく時間を稼ぐこと。それがオフィーリアの狙いだった。
(神官か騎士が来てくれたら……)
オフィーリアは汗ばむ手のひらを握りしめて、呼吸を整える。にこやかな微笑みを浮かべ、自然な動作で二、三歩ほど歩きローランドから離れた。
「本当に綺麗な星空。わたし、集中しますから、少しだけそっとしておいて下さいね」
オフィーリアの言葉にローランドは伸ばしかけていた手を下ろし、我が儘な姫に困っているというように苦笑をした。
「仕方ないですね。少しだけですよ」
「はい、ありがとうございます」
オフィーリアはにこり、と笑ってみせた。ローランドが持つ血濡れた剣が怖く、不気味な彼が恐ろしかったが、その感情は深く沈めて悟られないようにする。
ちらり、と一瞬だけ塔の入り口を見る。走って逃げられるだろうか。彼が油断している今なら可能かもしれない。
(ローランドの気を何かでそらして……逃げた後、すぐに捕まってしまったら意味がないわね。神官達はまだなのかしら?)
焦りは厳禁だ。機会は一度しかないのだから。
オフィーリアはさらに無意識を装って三歩歩いた。ローランドが観察しているのを感じる。目を瞑り、集中しているふりをしつつも、耳は入り口に向けていた。
ふいに、足音が聞こえた。人が階段を昇る足音だ。ついに神官か騎士が来たのだろうか。
(今しかないわ)
ローランドが足音に気付く前に、オフィーリアは勝負に出た。
まず、入り口とは逆の方角の星を指し示す。
「ローランド様、あちらの方角が気になります」
「あちらが? 向こうはカミル地方か……」
ローランドが考え込んだ一瞬、オフィーリアは入り口に向かって駆け出した。
ローランドが怒鳴るように「姫!」と呼ぶ。慣れない全力疾走によろめきかける。部屋着の薄いドレスで良かったと思いながら必死で走り――髪を、捕まれた。
「ああっ……くっ!」
ローランドはオフィーリアの長い髪を掴んで彼女を捕らえると、地面に叩きつけた。受け身もとれずに叩きつけられ、衝撃にオフィーリアは息を詰まらせる。
「……なんてじゃじゃ馬だ」
苦しむオフィーリアを見下ろすローランドは、冷静で酷薄な目をしている。
失敗した。
唯一の機会だったのに……オフィーリアは失敗してしまったのだ。
悔しさに浮かぶ涙の向こうで、ローランドが手を伸ばしてくるのが見えた。反射的に目を瞑ろうとして、オフィーリアはハッと目を見開いた。
「姫!」
その呼び掛けは、ローランドではなく、ずっと側にいてくれた青年のものだった。
「セオ……!」
いつの間にか塔の入り口に立っていたセオは、背後に騎士や神官達を従え、怜悧な美貌に僅かな焦燥を滲ませてオフィーリアとローランドを見つめていた。彼の隣には片腕に布を巻いたレインの姿もある。
「セオ……、貴様が、貴様がいなければ。そうすれば姫も、きっと……」
セオの姿を目にしたローランドが再びぶつぶつと呟きだす。セオが危険だと感じてもオフィーリアは未だ地面に転がったままだ。彼女のせいで騎士達はローランドに手が出せずにいる。足手まといだ。
「姫」
ローランドに握られたままの髪をどうにか出来たら……と考えていたオフィーリアを、静かな声が呼んだ。
セオが真っ直ぐに彼女を見ていた。無表情にも思える冷たい顔だが、オフィーリアにはわかる。彼がどれだけ心配しているのかを。
「姫。落ち着いて、出来ることをして下さい。……星は詠めますか?」
「詠めない……え? 詠める!? 詠めるわ!」
辺りはすっかり暗くなり、満天の星空となっている。オフィーリアは星空を見上げて驚きの声を上げた。
あれほど集中しても詠めなかった星が、今は手に取るようにはっきりと感じられる。
しかし、オフィーリアの言葉に反応したのはセオだけではないかった。安堵したように瞳を和らげたセオとは逆に、ローランドは激昂した。
「なにを馬鹿な! あなたは疲れているんだ! だから星詠みが失敗するんだ! 私のせいじゃない……私が悪いわけじゃない!!」
「きゃあっ!!」
髪を引っ張られて無理やり立ち上がることを強制され、オフィーリアは悲鳴をあげた。ぶちぶちと髪が何本も引き抜かれ、痛みに涙が滲む。
その痛みに耐えてオフィーリアは言った。
「セオ! もうすぐここがひゅーでごうってなります!」
「意味のわからないことを言うな!」
「きゃあ!!」
ローランドが剣を振り上げる。悲鳴を上げたオフィーリアが身体を強ばらせたその時、先ほど彼女が詠みとった現象がおきた。
塔の屋上に、強風が吹いたのだ。
「姫!」
セオの指示で待ち構えていた騎士が、たたらを踏んでバランスを崩したローランドに強襲する。オフィーリアは騎士の一人に「髪を切って! 構わないから!」と頼んだ。これ以上、足手まといになるのは耐えられなかった。
躊躇いつつも、オフィーリアの髪に騎士の剣が振り下ろされる。軽くなった頭に背を押されるかのようにオフィーリアは走り、セオの胸に飛び込んだ。
「姫、髪が……っ!」
「姉上、ご無事ですか!?」
セオはオフィーリアを抱きしめて青ざめ、その隣でレインは姉の身体を気遣った。
「大丈夫よ、レイン。セオ、髪なんてどうだっていいわ。二人とも無事で良かった……!」
腰まであった長い髪は肩ほどまでの短さになってしまったが、オフィーリアは幸せだった。セオがいる。ここに、自分の側に。怪我をしていても心配してくれる優しい弟もいる。父も、きっと城でやきもきしているだろう。
一人ではないのだ。
今なら、どんな先の未来だって詠める気がした。
*****
騎士に捕らえられたローランドは裁判にかけられ、処刑となった。神殿もまだ揺れている。
だが、オフィーリアは今夜も変わらず星を詠んでいた。
「あのですね」
「はい」
「こう、ぎゅーっとしてがんっとなるんですけど、すぐにぱっとするはずです」
「ふむ……乱は起こるけれど収まるのは早い、ですか。わかりました。他には?」
「特には。……あの、セオ」
「はい?」
「今日も星が綺麗ですね」
「……そうですね」
煌めく星空の下で、星詠みの姫と彼女を支える神官長は微笑み合う。
そんな二人を見守るように、月は柔らかな光を降注いでいるのだった。




