外伝:初めての遠足
やっとチトセの外伝です。
私の名は神楽千寿。11才です。
現在の住所は新潟県の某市ですが、ついこの間までファリーアスと呼ばれる世界のグリーンロードと言う都に住んでいました。
ええ、間違いじゃありません……グリーンランドではなくグリーンロード。
地球ではない……俗な言い方をすれば『異世界』です。
……もっとも、私にとってはこの地球こそが異世界だったのですが。
父の故郷はこの地球で、母の故郷は向こうの異世界。
そう、どうやら私は異世界結婚の2人の間に生まれたハーフだったらしいのです。
しかも母は猫系獣人で父は人間族なので二重の意味でハーフですね。
二月ほど前、父の持っていた魔道具によって地球に飛ばされた時は流石に混乱しましたが……
おばあちゃ……こほん、紫乃姉様の作ってくれた『界渡りの鏡』によって二つの世界を自由に行き来できる事が分かって以来、平日は地球で小学校に通い、土日はファリーアスで冒険者として活動する……という毎日を過ごしています。
ああ、あと、実はこの『界渡りの鏡』は二つの世界の血を引く私だけしか正しく扱う事は出来ません。
お父さんや、たとえ紫乃姉様であっても、二つの世界の時間の同調が難しいためタイムパラドックスを引き起こす恐れがあるので、使用を自重しているのだそうです。
ちなみに今日は日曜日なのですが、ファリーアスではなく地球側に居ます。
なぜかと言うと――
「はーい、5年2組のみんなそろったかな~?」
「5年1組はこっちの列だよ~」
雨飾山のふもとの登山口。
そこに私を含めた美里小学校の5年生50人は遠足に来ているのです。
……こちらの世界には魔獣は居ないとの事ですが、それなりに肉食獣などの自然の驚異というものは有るのでしょう。
子供のうちからサバイバルの術を学ぶのは良い事だと思います。
「先生」
「はい、なあに、神楽さん」
「山越くんと瀬戸さんがまだです」
私と班を組む事になっている2人――いわゆるガキ大将の山越啓太君とクラス委員長の瀬戸水津葉さん。
その2人が集合場所である駐車場に見当たらなかったので、担任の森下雅先生に一応報告しておくことにします。
美人……というよりはかわいい系ですが、若く、スタイルが良くて眼鏡っ子というある種テンプレな女の先生です。
「あらぁ~しょうが無いわね、どこに行ってるのかしら……」
「山越君はあっちで一生懸命木の実を集めてました。瀬戸さんは山越君を呼びに」
「はあ~いつものパターンね。山越君は落ち着きが無いから……神楽さん、申し訳ないけど遠足中は瀬戸さんと一緒に山越君を見てあげてね……と、来たみたいね」
三つ編みの少女が坊主刈りの男の子の手を引いてこちらへやってきます。
この2人が件の瀬戸さんと山越君という訳ですね。
「すみません、先生、遅くなりました……ほら山越君も謝って!」
「なんだよ~今戻ろうと思ってたとこじゃん…………おそくなりましたぁ」
「謝り方にせいいがこもってないわ!」
「謝ったには違いねぇだろー」
きゃんきゃんわんわん
端から見ているとまるで子犬がじゃれ合っているようで微笑ましいのですが、先生方にしてみれば話が先に進まなくて迷惑なだけですね。
「ああ、もういいから! 迷子になったかと思って心配しただけだから居ればいいの。それよりも時間だから……並んで! 出発するわよ~」
先生の号令で、順次班ごとに雨飾山への登山が始まったのでした。
※
登山開始から約50分ほどたった頃。
他の班と良い具合に離れ、私達の班は風の音を楽しみながら第一の目標地点、『ブナ平』へと向かって歩いていました。
今回のコースは登山口からブナ平を経由し荒菅沢までの片道2時間コースです。
本当は山頂まで昇ろうとすれば荒菅沢から後+90分はかかるそうなのですが、流石に小学生の遠足でそこまではしないのだそうです。
「山頂付近はっ、急な勾配……坂も多い……し、登山経験者で無いとっ大人でも危険だし、ね……」
ずっと先頭の方を歩いていたはずの森下先生に途中で追いついて声を掛けると、息を弾ませながらそう説明してくれます。
「そうなんですか……ちなみに標高はどの位なんですか?」
お母さんみたいにレンジャー技能の『悪路踏破』を持っていれば問題ないのですが、山頂まで片道3時間半もかかるような……そのような険しい山に登るには少し今日の服装は軽装過ぎたかもしれません。
「そうねっ……山頂までええとっ……標高1963.2m、ねっ……ふう」
先生がパンフレットを見ながら答えてくれる。
おや。3000メートルも無いんですね。
それで山頂まで3時間半……?
少し時間かかり過ぎな気がしますが。
というか、まだ1時間も登っていないのに同級生達や先生方までバテバテですね。
気が付くとだいぶ班員の2人を引き離してしまっていたので、景色を眺めながら待ちます。
「かっ……神楽っ……お前っ……女のくせに先行くなよっ……」
山越君もかなりバテているようですね。
……というか瀬戸さんの姿が見えません。
置いてきてしまったようです。
……どうもこの世界の人間達は身体能力が全体的に低いような気がしますね。
学校や行事には装飾品の類をしていけないので、今日の私は魔法の指輪をしていません。
つまり指輪による能力値の底上げが無い状態なのですが、それでも周りに比べると、かなり高いような気がします。
「瀬戸さんは?」
「まっ……まだ下だ……お前が早すぎるんだよ!」
……いけませんね。先生からも班行動を乱さず、と指示がありましたし。
もう少しペースを落としましょうか。
「ちょっと瀬戸さんの様子を見てきますね。先生と山越君はここで休憩してて下さいね」
「お、お願いね」
「た、たの、ま」
瀬戸さんの気配を探ってみると、だいぶ下の方に居るようです。
これなら崖を降りて登山道をショートカットした方が早いですね。
「ほいっと」
ずざざざっと、枝葉の隙間を見つけて斜面を飛び降ります。
「かっ、神楽さん!?」
「お、おいぃぃ!?」
先生と山越君から驚いたような声が上がりました。
……もしかしてこれでもやり過ぎなんでしょうか。
まあ、とりあえず今は瀬戸さんです。
斜面を降りた先に……居ました。
特に怪我はしてないようですが、よたよたと生まれたての子鹿のように歩いている様から見て、単純に体力の問題みたいですね。
「あ、かぐ、ら、さん……はっ……はっ……ごめ、んね。心配して来てくれたの?」
「ええ。班行動しなさいって出発前に先生が言ってましたから……すみません、こちらこそ班員の体力を十分把握してペース配分すべきでした」
「ふ、ふふ、神楽さんって……時々っ……ものすごく大人びた言い方、するよね」
「……すみません、ご不快でしたか?」
「ううん、似合ってると、思う。かっこ……いいよ♥」
はっ、はっ、はっ……と、途切れがちに息を吐きながらも、頬を紅潮させてにっこり笑う瀬戸さん。
うわぁぁぁん!
何この可愛い生き物!
切り裂き兎の100倍可愛い!
「……そ、そうですか……そ、それで……山越君も待っていると思うので」
「あ、うん……急ぐ、ね」
「……無理はいけません。ここで無理をして追いついても結局体力を消耗するだけです」
「え、でも」
「ちょっと、失礼します、ね?」
私は瀬戸さんの後ろに回ると、左手で彼女の背中を支え、右手で両膝の裏を抱えて、そのまま横向きに抱き上げました。
いわゆるお姫様だっこですね。
「ひゃん! か、かかかかか、神楽さんっ!?」
「本当は背負った方が安定するのですが、今回はリュックを背負っているので横抱きで失礼しますね」
「で、でも……」
真っ赤になった瀬戸さんの言葉を遮るようにさっさと登り始めます。
流石にこの体勢のまま降りてきた崖を登っていくのは無理なので、通常の登山道を使って先生と山越君の所まで戻って来ました。
「ああ! 神楽さん無事だったのね! だめよ~危ない事しちゃ……って瀬戸さんどこか怪我したの!?」
私に横抱きにされた瀬戸さんを見て先生が心配の声を上げました。
「あ、大丈夫です……バテてヘロヘロだった私を心配して神楽さんが……」
「そ、そう、それなら良かったわ……」
「まったく、世話かけんなよ瀬戸~」
「……山越君には言われたくないわ~」
瀬戸さんを抱いた私の周りに先生と山越君が、わっと駆け寄ってきます。
あ、何かイヤな予感。
「あ、ちょっと待って! 近寄らないでっ……」
ちょうどそこは崖上に張り出した出っ張りのような場所で。
雨飾山の名のごとく連日続いた雨で地盤が緩んでいたらしく……
私達の居た足場はあっという間に崩れて、私達4人は崖下へと落ちていったのです。
※
「いっ……痛っ……みんな……大丈夫?」
「痛っ……痛いよぉ……」
「足が……足が動かねぇよぉ……」
崖下へと10数メートル滑り落ちた私達は、そこで動けなくなっていました。
どうやら私がさっき滑り降りた斜面とは別の……より渓谷の深い所へと滑り落ちてしまったようですね。
私は滑り落ちる岩の上を飛び移って降りたので無傷でしたが、瀬戸さんは飛んで来た石に額を打って血を流しています。
私が抱きかかえていながらそんな怪我をさせるとは……まだまだ未熟ですね。
後、森下先生はあちこち怪我をしていますが骨までは折れてないようです。
山越君は全身の軽い擦り傷と右足のねんざですね。
「ど、どうしよう……携帯は壊れちゃったし……他の先生方に連絡も取れないわ」
オロオロとパニクる森下先生。
ふむん。連絡が取れないとなると、自力で戻らないといけませんが……
このままでは私ならともかく……皆は移動できませんね。
とりあえず治療してしまいますか。
「所持品欄」
私は我が家に紫乃姉様の代から伝わる特殊スキル『所持品欄』を起動して『治療術師の指輪』をこっそり取り出しました。
この『所持品欄』スキルは亜空間にほぼ無限に物品を仕舞っておけるもので、向こうでも地球でも反則級の能力です……知られる訳にはいきません。
私は治療術師の指輪を左手の中指に嵌めると、リュックの中から包帯と絆創膏と消毒液を取り出しました。
「私、救急キット持ってきているから、とりあえずの応急手当てしますね」
「……用意が良いわね、神楽さん……でも助かるわ。瀬戸さんと山越君からお願いできる?」
「わかりました」
森下先生は体のあちこちから出血したりしてて、正直3人の中で一番怪我が酷そうなのですが……やはり引率の教師という事で教え子に先を譲ったようです。
ちょっとドジッ子属性がありそうですが良い先生ですね。
「瀬戸さん、ちょっと消毒するから染みるよ」
「う、うん……ひゃんっ!」
私は消毒液をおろしたてのハンカチにひたして瀬戸さんの傷口をぬぐいます。
そうして泥や石片を綺麗に取り除いてからこっそり治療術師の指輪を使って治癒魔法をかけました。
(…………『命の泉よ傷を癒せ』)
治療術師の指輪は、魔法が使えない職業の者でも治癒魔法が使える様になる指輪です。本職の術師と違って倍掛けは出来ませんが。
あっという間に塞がっていく傷口を確認して、ばれないように大きめの絆創膏を貼っておきます。
「あ、すごい。もう痛くなくなった……神楽さん手当上手ね」
「家が田舎ですからね。こんな怪我はしょっちゅうでした」
本当は傷そのものが無くなっているんだから痛くないのは当然なんですけどね。
「はい、んじゃ次山越君」
「お、おう」
「外傷は大したこと無し……と。右足首の捻挫ね……じゃあ……」
私は近くに生えていたヨモギを引っこ抜き、口に含んでペースト状にします。
「か、神楽……なにやってんの?」
「うにゅ……んっ……ぺっぺっ……ヨモギはすりつぶして患部に貼ると湿布効果があるんですよ。道具が無いので私の口ですりつぶしました」
嘘です。確かに薬草としての一面もあるヨモギですが、塗って効くのは血止め効果だったはず。
例によって命の泉よ傷を癒せを使うためのカモフラージュです。
「私の唾液入りはイヤかもしれませんが我慢して下さいね」
「お、おう? しょ、しょうがねぇなっ……我慢してやらぁ……」
……おや。真っ赤になってしまいましたね。山越君。
そんな怒るほどイヤだったのでしょうか。
口から出したヨモギペーストを山越君の足首に塗りながら、ここにもこっそり命の泉よ傷を癒せをかけて包帯を巻きます。
「すげえ……本当に効くなあヨモギ! もう全然痛くねぇ!」
右足を動かして痛みの無い事を確認すると、途端にはしゃぎ出す山越君。
「そうでしょうそうでしょう……と、最後は先生ですね」
そんな山越君を背に、改めて森下先生の怪我の様子を見てみると、右肩と首と右腿が大きく服が破れて出血しています。
傷口に泥や木のささくれなんかも刺さっているようですね。
「先生、治療の前に泥やささくれを取り除かないと、傷口に埋まってしまいそうですよ」
「そ、そうなの? でもピンセットも無いし……困ったわね」
「泥は水筒で洗い流せても、細かい砂とかは無理なので……濡れハンカチで取り除くにしても、布目が粗いからひどく痛いですよ」
「い……痛いの?」
「ええ、ものすっごく痛いです」
「う、ううう~……」
……そんな小動物のような目で見ないで下さい、先生。
「……まあ、布よりは痛くない方法もありますが」
「じゃ、じゃあそれでっ!」
途端にぱぁっと明るい表情になる森下先生。
どれだけ痛いのイヤだったんですか……
「それじゃ、ちょっと失礼しますね」
「え、ええ。冷たっ」
まずは水筒の水であらかたの泥と砂を取り除きます。
次に肩の傷口に口を寄せていきます。
「……はぷん」
「うきゃ!……ななななな、なにするのっ! 神楽さんっ」
「なにって……ハンカチは痛くてイヤだって言うので、砂とかを舌で舐め取るんです……ぺろぺろ」
「あひっ……ん……じゃなくてっ……ち、治療よね? 治療なのよねっ?」
「当たり前じゃないですかー……くちゅ……はぷ……んっと……うん、肩はこんなもんですかね(命の泉よ傷を癒せ)」
小声でヒールを肩に掛けると、手早く包帯を巻いて傷口を隠します。
「後は……首と右腿ですね……これはまた、ひどく砂が傷口の奥まで入ってますね」
「え、え?」
「ああ、安心して下さい。念入りに綺麗にしますね?」
「あ、ちょっと……まっ……」
まずは先生の首の横の傷です。血管を切って無くて幸いでした。
はぷん。くちゅ……くちゅ。ちろちろ。
念入りに消毒を兼ねて砂を掃除していきます。
「ひぃんっ……あ、あふ……うぅん……♥」
十分優しくしていると思うのですが、先生からは痛みを押し殺したような声が、絶え間なく漏れ出てきます。
大人なんですからもうちょっと我慢して欲しいものです。
首の傷も綺麗になったのでヒールを掛けて包帯を巻きます。
「さて、後は内腿の傷だけですね……はぷ……くちゅ」
「いや、神楽さん、ちょっとまっ……あーーーーーっ♥」
……おや。
……森下先生、失神してしまいました。
そんなに痛かったのでしょうか……
だとしたら申し訳ない事をしました……にしては、なぜか満足そうな表情で失神してますが。
「……仕方有りませんね。お二人はもう歩けますか?」
「お、おう……ある、ける」
山越君、なぜに前屈みになってリュックで腰を隠しているのですか?
「う、うん……私も……大丈夫……」
瀬戸さんは瀬戸さんで真っ赤になってもじもじしてますし。
「……まあ、いいです。このままでは登山を続ける訳にもいきませんし、下山しましょう。方角は私が分かりますし、先生は私が背負っていくので……リュックを山越君お願いできますか?」
「お、おお、分かった」
こうして私達4人は遠足登山を途中断念することとなったのでした。
その後、無事に下山したものの、うっかり他の先生方に連絡を取るのを忘れて遭難騒ぎになりかけ、こっぴどくお説教を喰らったりしたのもいずれ良い思い出となることでしょう。くすん。
追伸:あと、なぜか森下先生がやたらと私にスキンシップを取ってくるようになったのはどうしてなんでしょうか……
チトセは身体能力はトオコ寄りで、かつ十蔵の『魔性の指』に似たスキル『魅惑の肌』を持っているようです。本人どんな効果のスキルなのか分かっていませんが。