外伝:新しい家族
時系列はエピローグより5年前になります。
チトセちゃんメインの話を書く前にどうしても彼の話を書きたくなってしまったので……ちょっと予定を変更しました。すみません。
――いよいよだ。
私は早鐘を打つ心臓を何とかなだめつつ、目の前の屋敷を見上げていた。
地上三階建てでやたらと広い庭――練武場か?――まで付いている。
ちょっとした地方領主並みの豪邸だ。
その豪邸の前に私は獣人族の女性と連れだって訪れていた。
私の名はアスター・ルシード。
黒髪黒目、中肉中背の人間族……ごく平凡な容姿の男だ。
一応、グリーンロードでは貴族階級とされる騎士の家の三男として生まれた。
……本当に一応って感じで、ルシード家は貴族と言うより貧乏公務員って感じだ。
飢える事こそ無いが、贅沢を出来るほど裕福でも無い。
ましてや私は前述した通り三男なので家を継ぐ事も出来ない。
なので、私は早くから冒険者ギルドで冒険者として身を立ててきた。
幸い、そちらの才能はあったらしく、騎士の上位クラス聖騎士として最近ではそこそこ名も上げている。
ギルドランクも先日Cに上がったところだ。
これを機にと、以前から親しく交際していた(清い交際だ! もちろん!)ギルドの受付嬢、獣人族のミュケさんにプロポーズをしたところ……条件付きで快い返事を頂いたのだ。
その条件というのが、『一度私の家に遊びにいらして。家族にも紹介したいし。私の家族と上手くやっていけるようなら、そのお話お受けするわ』という事だったのだが……
確かに、家族に挨拶、というのはプロポーズの定番だが。
問題はミュケさんの家族とは、つまりミュケさんの姉君とその御夫君であり……グリーンロード最強とその名も高いSランク冒険者、神楽十蔵、トオコご夫妻、という事だ。
「なあに? 今更緊張しているの?」
私の隣でクスリと笑みを洩らすミュケさん。
「今の私から見たらお二人とも神様みたいなもんだ……緊張するなと言う方が無理だろう」
「……そんなものかなぁ。二人とも優しいし、気さくだし、大丈夫よ。さ、入ろ?」
「あ、ああ……」
私が覚悟を決めてその屋敷のノッカーを手にしようとした時、ぎいっ……と軋んだ音を立てて扉が勝手に開いていった。
「なぁ!?」
思わず私は後ろへ飛び退る。扉の後ろにはなんの気配も感じなかったはずなのだが。
「あ、ごめん。これは自動ドアといって……義兄さんの魔道具で家はあちこち自動化されているの。特に害は無いから大丈夫よ」
……そういう事は先に言ってて欲しかった。顔が羞恥で赤くなるのが分かる。
「そ、そうなのか……いや、大丈夫だ。少し驚いただけだから」
私は驚いた事を誤魔化すように、足早にドアをくぐり中に入った。
そこは大きなホールとなっていて、高い天井にはいくつもの魔法の光を放つ天使の輪のような照明器具が輝いている。
「変わった明かりだな。『光明』……の光じゃない。これも魔道具か」
「そう。ケイコウトウ……って言ってたっけ。ごく微量……それこそ生活魔法以下の雷系魔法をガラス内にテイアツノキタイ……? と封入する事で少ないMPで長時間の使用が可能なんだって」
「ほう……その上、照明器具自体が真円を描く芸術的なデザインをしているとは……さすがは超一流の魔道具職人でもあらせられる十蔵様だな」
確かにそのようなごく微量のMPで使用できる魔道具であるなら、ミュケさんでも支障なく扱えるだろうし……一般市民にとっては画期的な魔道具ではないか。
「もう……照明器具程度でずっとそこに居るつもり? 早く行こう?」
ミュケさんが私の服の裾を掴んで先へと移動を促す。
確かに今日の目的は魔道具の見物では無かった……覚悟を決めて先へ進もう。
※
「ようこそいらっしゃいました」
「待ってたよ。まあ、座ってくれ」
玄関ホールの奥にあった「えれべぇた」という箱形の魔導式昇降機(!)で一気に3階に昇ると、神楽ご夫妻が直々に出迎えてくれ、居間のソファに座るよう促された。
「はっ! し、失礼しま、す」
我知らず声が震える。
目の前に座る方々はまさしく伝説の人物なのだ。
正面向かって左に座っている怜悧な美貌の女性が『竜滅のトオコ』様だろう。
切れ長の瞳にぬばたまの髪。
ゆったりとした上衣にスカートとズボンの中間のような下衣……確か袴、とか言ったか……を身に纏っている。
……たしかミュケさんより8つか9つ年上のはずだが……どう見ても20代前半だ。
そのトオコ様の全身からは殺気とまでは行かないが、ビリビリとした強大な気を感じる。
姉妹仲はものすごく良い、という話だから、私を見定めようとしているのかもしれない。
打って変わって正面右の黒髪黒目の男性……『七閃の十蔵』様は逆に気配が無さ過ぎる。
服装も特に替わった物では無い、薄い青色のローブだし、なにより高レベル者に特有の溢れるばかりの生命の気配が希薄なのだ。
本当にこの方があの十蔵様なのだろうか?
「今日は良く来てくれたね。それで貴方が?」
「は、アスター・ルシードと申します! みゅっ……ミュケさんと……親しくお付き合いさせて頂いておりますっ」
多少噛んだが……そこは許して欲しい。
このお二方を相手に結婚の許しを得ようというのだ。上出来だと思う。
「ほう、ミュケとね」
「まあ、そうなのですか」
「はっ、はいっ! それで……本日お伺いしたのは、是非とも結婚のお許しを頂きたくっ!」
「ふむ。まあ、俺としてはミュケが幸せになれるなら反対する理由は無いが」
「私も基本的には当人同士が良ければそれで良いとは思いますが……」
「が?」
十蔵様の方はあっさりと了承を戴けたが、トオコ様の方はなにやら歯切れが悪い。
「……アスターさんは冒険者だと聞いています。しかし冒険者と言えば――私達もそうなので身に染みて知っていますが――実入りが良い代わりに常に命の危険がつきまとう仕事……ミュケを守っていけるほどの者なのか、その剣の程、見せて頂けますか?」
ちょっ……まて! これは『娘が欲しくばこの父を倒していけ』みたいなイベントなのか!?
無理っ! 無理無理無理無! 俺なんて聖騎士とはいえ、たかがレベル29だぞ!? 伝説の英雄相手にどうしろって……
「お姉ちゃん! 無茶言わないでっ」
「ああ、大丈夫だミュケ。別に勝てとまでは言わない……同じ武人同士ならその為人は剣を交えればある程度は分かるものだからね。それに使うのはこれだ」
と、トオコ様が取り出したのは見慣れない模擬刀剣。
どうやら細長く割った複数の竹を組み合わせて作ってあるらしい。
「これは竹刀と言って、私の流派で練習に使う物だが、これなら、ある程度防具を着けていれば大きな怪我はしない」
私は渡された竹刀とやらを手にとって見分する。
竹だけあって軽い。中が空洞になっているようなので思い切り打たれてもある程度はしなって衝撃を吸収しそうだ。
確かにこれなら、少なくとも大怪我はしないだろう。
「……分かりました。トオコ様に御指南戴けるなどこの上ない機会。一手お願いいたします」
私は覚悟を決めてトオコ様に頭を下げた。
※
お二人に促されて一階に降り外へ出る。
ここに来た時に庭が練武場のようだと思ったが、その通りだったらしい。
20×15メートル位のスペースは土が丁寧に均され、木や竹で出来た打ち込み用と思われる人形などが立っていた。
その中央付近にトオコ様は右手に竹刀を持ったまま静かに佇んでいる。
特に着替えてもいないし、竹刀も構えてはいない。
なのに隙が一分たりとも見いだせなかった。
一方私はと言うと、防御力上昇の魔法がかかったハーフプレートメイルに同じく魔法のかかったミスリル製の額当て。
左手には回避率上昇がプラスされる鎌鼬の革で作った小盾。
ブーツは移動速度が上がる単角馬のブーツだ。
武器以外はバリバリの本気装備である。
冒険者の心得として、これくらいは魔法の腰袋に常備している。
「ここは主様の結界で覆われていてな。少々派手に戦っても外に影響は無い」
ぬしさま、というのは十蔵様の事だろう。ずいぶん古風な呼び方をするものだ。
「さて、いつでもかかってきていいぞ……ただし、本気でな」
そう言って薄く笑うトオコ様。
くっ……気当たりが一段と激しくなった。
言われなくても、本気を出さなければかすりもしない事が分かる。
最初から全力で――いくっ!
「『加速強打』!」
普通なら「よろしくお願いします」とか頭を下げて始めるのだろうが、いつでもいいと言ってくれたのでそのまま不意打ち気味にいきなりスキルを発動する。
低い姿勢で突進してハーフプレートメイルの肩で体当たりし、体勢を崩した瞬間に右手の武器でかち上げる技だ。
騎士としてはこのような不意打ち、どうかと思うが……私は冒険者なのである。
それにそもそも、この程度の不意打ち――
「攻撃位置とタイミングが見え見えだ」
――ご覧の通り、相手は半歩右足を下げただけで私の『加速強打』を難なく避けてしまう。
ならば『フェイント』『二連撃』からの――『回転切り』でどうだ!
「ほう、コマンドワード無しでスキルを3連続で行使か。中々才はあるようだな」
私の連続攻撃をすべて紙一重でかわしながら普通に話す余裕まであるのか。
く、分かってた事だがここまで差があるとはな。
トオコ様は、そこでやっと右手の竹刀を振り上げた。
「正面だ。行くぞ」
予告と同時にトオコ様の竹刀が振り下ろされる。
予告通りに正面からの攻撃だったので盾を構えながらバックステップしてその一撃をかわす。
「ぬぉっ!?」
かなり大げさに飛び退いて距離を開け、避けたというのに、私の小盾に大きな衝撃が走る。
スキルも使ってない素の攻撃だけで衝撃波が発生するのか。
なんてデタラメな。
「続けていくぞ」
滑るように間を詰めてくるトオコ様。
かと思えばゆらり、と、その姿が霞む。
まずい。このまま攻撃を許せば何も出来ないまま一気に持って行かれる。
その前に出せるだけ出してやる!
「『加速』『神罰突き』『短距離転移』『衝撃波』『短距離転移』『3連突き』『短距離転移』『雷撃』『短距離転移』『跳躍』――」
短距離転移を使って多方面からスキルと魔法の複合攻撃を叩き込むコンボ。
これが私の切り札だ。
だが、私はこれらの攻撃すべてをフェイントに使った。
水平方向に転移を繰り返しておいて最後に『跳躍』を使い真上からの一撃を繰り出す。
「『超重撃』!!!」
意識外の位置――頭上から放たれる重力を纏った一撃。
その効果範囲は直径6メートルにも及ぶ。
――これなら躱しようが――
「まあ、ギリギリ合格、だな」
その言葉は、なぜか頭上を取ったはずの私の更に上空から聞こえてきた。
思わず空中で振り返ると、そこには竹刀の柄を振りかぶったトオコ様の姿があった。
そして私は延髄に強烈な一撃を食らい意識を手放したのだった。
※
「もお! お姉ちゃんやり過ぎ!」
「す、すまん……思いの外楽しめたのでつい……」
「い、いや、お気になさらず……剣を持つ者にとっては得がたい経験。自らの未熟さを思い知らされました」
トオコ様の一撃で昏倒した私は、再び居間まで運ばれ、そこでやっと意識を取り戻した。
今は十蔵様が念の為にと回復魔法を掛けて下さっているところだ。
「はっはっは、ウチの嫁さんは強いだろ?」
「は、はあ……」
確かにトオコ様は思った以上に強かった。まさしく鬼神の強さだ。
それに比べ十蔵様は……本当にSランクなのか疑ってしまうほど覇気が無い。
……まあ、十蔵様と言えば強力な支援魔法で有名な方だ。
直接的な戦闘は苦手なのかもしれない。
「さて、今夜は泊まっていくだろう? ミュケが腕によりをかけて食事を用意していたからね」
「は、はい、では、お言葉に甘えます」
「うんうん……ところで当家はね、自作の露天風呂も自慢なんだ。食事の用意が出来るまでしばらくかかるし、試し合いの疲れを湯で癒すといいよ」
トレーニンググラウンドの他に露天風呂まであるのか。しかも自作!?
湯船と給湯施設がある家は王都と言えどそう多くない。
もちろん貧乏貴族である我が家にもありはしないのだが、私は公衆浴場で肩まで浸かるタイプの入浴にはまってしまったのだ。
「それは……ありがたいですね。遠慮無く使わせて頂きます」
「うん、露天風呂は裏庭にある。先に行っててくれ。俺は娘をつれて行くから」
「娘さん、ですか?」
神楽夫妻はご一緒になってからかなり経つはずだ。
娘と言っても、それなりに年頃の娘さんだとまずいのでは。
「ああ、今年6歳になるんだが、甘えん坊でね。いまだ一人で入らないんだ」
……まあ、それぐらいならおかしくないか。
「わかりました。それでは先に失礼していますね」
私は屋敷の中を通り示された方へと歩いて行く。
やがて『大浴場』と書かれたのれんを発見。
「凝っているな。大衆浴場みたいだ」
のれんをかき分け脱衣場で装備を外し衣服を脱いでいく。
脱いだ服は竹籠に入れて棚に置き、早速、露天風呂へと続く扉を押し開いた。
「……あれ?」
確かに其処にはちょっとした池ほどもある露天風呂があった。
正確にはその施設だけが。
「お湯が……張ってない、な」
タオルを腰に巻き、湯の無い露天風呂に佇む男が1人……
うん、非常にマヌケだ。
いじめか? それとも家族の一員となるための何かの通過儀礼なのか?
しばらくどうしたら良いか分からず、ぼーっと立ち尽くしていると、ギィっと音を立てて入り口の扉が開く。
そこから出て来たのは私と同じく腰にタオルを巻いた十蔵様と、今1人……風呂桶を両手で抱えた黒髪の6歳くらいの幼女だった。
「や、待たせたね……って……ありゃ、まだ湯を張ってなかったか」
ぽりぽりと人差し指で頭を掻く十蔵様。
「すまんね、すぐに入れるから……千寿、危ないから離れておいで」
「うん、おとうさん」
チトセ、と呼ばれた娘が下がると十蔵様が手を露天風呂の方に差しだした。
すぐ入れるって……何をするつもりだ?
「『出でよ命の根源たる水』×3000」
「……………は?」
……思わず絶句してしまった。
私の目の前ではちょっと信じられんような現象が起きている。
巨大な水球が露天風呂の上に忽然として発生し、徐々にその姿を崩しながら露天風呂に水をたたえていくのだ。
いや……つまりだ、十蔵様が『出でよ命の根源たる水』を使って露天風呂に水を張ったって事だとは思うんだが。
しかし、だ。『出でよ命の根源たる水』の魔法は消費MP3だったはずだ。
その3000倍と言う事は……今、さくっと3トンの水を9000MP使って作り出したって事……?
そ、そんな莫迦な。
「後は沸かして……おっと、アスター君、君も危ないから下がっていてくれ」
「は、はい……?」
「『焦熱導く炎弾』×500」
「ご、ごひゃく!?」
私の驚きをよそに、再び十蔵様の魔法が発動し……裏庭は真っ赤な無数の『焦熱導く炎弾』で埋め尽くされる。
こ、これは確かに危険だ。
私は這いつくばって可及的速やかに後ろへと下がった。
「はっはっ……すまんね、驚かせて。これがファイアーボールとかだと一気に加熱しすぎて水蒸気爆発を起こしてしまうもんでね」
十蔵様がにこやかに笑う中、次々と『焦熱導く炎弾』が水中へシュボボボボ……!という音を発して突き刺さっていく。
……どうやら私は勘違いしていたらしい。
トオコ様を鬼神に例えたが……本当に人間離れしていたのは十蔵様の方だったのだ。
「うん、こんなもんかな……42度。ベストな温度だね」
目の前では十蔵様が、あれだけのMPを使ったにもかかわらず疲れた様子も見せずに湯の温度を確かめている。
……私はこの家族の中で果たしてやっていけるのだろうか。
「……大丈夫。獅子はネズミを食べないから」
可愛らしい声で掛けられた辛らつな言葉に振り向くと、チトセ、と呼ばれていた少女が憐憫の表情で私を見つめていた。
「ははっ……私はネズミか」
「いい方よ。たいていの人は、ほ乳類にすら届かないし」
「ははぁ……そりゃ光栄だ」
「うん、だからお兄さんなら大丈夫だと思う」
腰を抜かしてへたり込む私の頭を、チトセちゃんは慰めるようにずっと撫でてくれていたのだった。




