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罪の花  作者: 藤野玲
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再々会

 修一は一人、考え事をしながら街を歩いていた。先日何年かぶりに会った、彼女のことだ。

 高校時代の、彼女との付き合いに当てはまる言葉を見つけるのは難しかった。冴子と過ごす時間は、他のどの友人と過ごす楽しい時間とも、ガールフレンドと過ごす甘い時間とも違っていた。修一にとってそれはとても心地よいものだった。あの冬の日以来、殆ど話すことはなかったけれど、三年生になって同じクラスになったし、あまり積極的に人とかかわろうとしない冴子が、自分には心を開いてくれて、よく話してくれるのは嬉しかった。けれど思い返してみると、修一は冴子の名前以外殆ど何も知らなかった。どこに住んでいるか、家族構成や、趣味。お互い、あまり自分のことを話さなかったんだなと思う。特に冴子は。それでも、冴子は修一にとって特別な少女だった。そして今も、修一は、あの日見た冴子の傷ついたような顔を忘れられずにいた。そしてその顔が脳裏を過ぎった瞬間、修一はふと足を止め、向かっていた道にくるりと背を向けると、もと来た道を全速力で駆けていった。



 そっとドアを押すと、店内から控えめな音量で掛けられているBGMが、外に漏れ出す。閉店時間を狙ってきたおかげで店の中には殆ど客は居なかった。

「ごめんなさい、もうすぐ閉店で――」

洗い物をしていたらしい冴子は一瞬作業の手を止め、こちらに視線をよこす。しかしその視線は皿に戻ることはなく、その顔は瞬く間に驚きに染められていく。

「ごめん、来るなって言われたけど、どうしても、もう一度会いたくて、その……」

修一はあれやこれやと言葉を探しているうちに、よく考えてみると、自分はどうしてもう一度、彼女にこんなにも会いたいと思ったのか分からないことに気づいた。確かに気になることはたくさんあって、せっかくまた出会えたのに、またこのまま疎遠になっていくのが寂しかったというのもある。けれど、修一はぼんやりと、それだけではないような気がしていた。冴子の、あの悲しげな顔を思うと、彼女を放っておいてはいけないような、そんな気がして、気がついたら走っていたのだ。

 最後の客が帰り、店は冴子と修一の二人だけになった。さっきまで流れていたBGMもいつの間にか消えていて、店の中は静けさに支配される。それが、まるでここだけ時間が止まってしまったような感覚に陥らせた。

「津見さん、あの」

「甲斐くん」

沈黙に耐え切れず口を開いた修一を制するように発せられた冴子の声に、修一は体を強張らせる。それでも視線は外さず、冴子を見つめていると、同じように修一の目を見ていた冴子は、ふっ、とその緊張を緩め、視線を外した。

「……せっかく来たんだから、コーヒーくらい飲んでいって」

帰れと言われなかったことに安堵しつつ、修一は冴子の気が変わらないうちに急いでカウンターの一席に腰掛ける。冴子は何も言わず、お湯を沸かし、挽いた豆をフィルターに入れ、お湯を注ぐという作業を手馴れたように滑らかな動作でこなす。立ち上がる湯気とともに、コーヒーの良い香りが流れてきた。

「どうぞ」

「いただきます」

立ち上る豆の香りを楽しんで、修一は一口口に含む。普段コーヒーをあまり好んでは飲まない修一だが、後に残らない上品な苦味とほのかな甘さに、素直においしいと思った。口に出すと、「ありがとう」と返事が聞こえた。

「甲斐くん、どうしてまた来たの?」

カップの中身が半分ほど減ったとき、冴子が呟くように言った。その声は少し震えていた。修一はカップに視線を落とす。黒い水面に映る自分と眼が合った。すると不思議なことに、彼女に言うべきことが自分の中に溢れてくるのを感じた。

「放っておけなかったんだ、帰れ、っていいながら悲しそうな顔してた君を。一人にしておけないって思った」

「私、そんな顔してた?」

「気づいてなかった?」

そう聞くと、全然、と冴子は答えた。けれど思い当たる節はあるようで、反論してくることはなかった。

「私のこと心配してくれるのは嬉しい。でも、甲斐くんには関係ないことだから」

言い方こそ柔らかいものだったが、これ以上はかかわるなと宣告されたようで、修一はショックを受けた。高校時代、過ごした時間は短かったけれど、それでもその中に、確かに絆はあったと思ったのに。そう思っていたのは自分だけだったのだろうか。大切なことを、話す価値は俺にはないのだろうか。

「俺じゃ、頼りにならない? 津見さんの力にはなれないか?」

そう思うと無性に悲しくなった。修一は力の抜けた声で冴子に問いかけた。一瞬、冴子の体がびくんと強張り、冴子は何かを耐えるように唇を噛んだ。修一には冴子が泣くのを耐えているように見えた。

「……そんなことない。甲斐くんは、いつだって……」

しかし、冴子の言葉はそれ以上続かなかった。冴子はまた唇を噛み、わずかに視線を落とした。修一は知っていた。高校生のときから、冴子は何か言いたいことがあるのに我慢しているとき、無意識に唇を噛んでいたこと。今も、その癖は健在のようだった。それと同時に修一は分かっていた。こうなった冴子は、どんなに言っても絶対に口を割ろうとはしないことも。

「ごめん、久しぶりにあったばっかりでこんなこと聞いて。聞かれたくないことならもう聞かない。約束する。でも、久しぶりに会えたんだから、このまままた会えなくなるのは寂しい。津見さんには迷惑かけないから、これからも、ここに会いに来ていいかな?」

だから修一は決めた。彼女になにかあったとき、一番傍にいられるようにしようと。冴子一人では立っていられなくなったとき、支えることができるように。

冴子は修一の申し出に、動揺を隠せずその大きな瞳を揺らした。修一を巻き込みたくないという思いと、何もかも話して支えて欲しいという矛盾した気持ちが冴子を悩ませる。

「会いにくるだけなら……」

 結局、冴子は修一に自分に近づくことを許した。高校時代、自分の一番近くに居てくれた人、今も、できるだけ傍に居ようとしてくれる人。それがどんな結果を生むのか、想像しないわけではなかった、けれど。

「ありがとう」

そういって微笑む人を拒むすべを、冴子は知らなかった。

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