連続殺人
佐野は所を出た後、神谷を連れてある現場を訪れていた。新宿、歌舞伎町の路地裏には、まだ立ち入り禁止の黄色いテープが張られている。つい数日前には、ここに血まみれの男が倒れていた。それを示すように、路地を挟むようにして建つビルの壁や、コンクリートの地面の上には黒ずんだ血の跡が消えずに残っている。佐野は数日前の事件現場を思い出していた。
*
三日前の早朝、佐野は上司から携帯で起こされ、現場に駆り出されることになった。佐野はその日、久しぶりに取れた一日だけの休日を子供と過ごす予定だった。普通の殺人事件なら、佐野が呼び出されることはなかっただろうが、その犯人が、佐野が今追っている連続殺人犯なら話は別だった。佐野は上司に、連続殺人が起こったら真っ先に知らせてくれと念を押していたのだ。
(ったく、よりによってこんな日に……)
佐野もこのときばかりは、仕事熱心なその時の自分を恨まずにはいられなかった。
「佐野さん、こっちです」
部下に手招かれ、佐野と神谷は急ぎ足でテントのように張られたブルーシートの中に入った。手袋をはめながら現場の状況を部下に説明させる。
「ガイシャは25~30歳男性。死因は切り傷による出血死だと思われます。全身に小さな切り傷や刺し傷がありますが、直接の原因は頚動脈を切られたことでしょうね」
「いつもと同じだな」
「はい、詳しいことは解剖してみないとわからないそうですが、傷の様子を見る限り、小さなナイフのようなものが凶器だとほぼ断定されています」
「ぺティ・リッパー……」
今世間を騒がせている、連続殺人犯。凶器はいつも果物を切るときなどに使う小さなぺティナイフ、そしていつも、ひどい取立てをする闇金業者や、ヤクザ、チンピラといった「社会の悪」と呼ばれるような連中ばかりを殺す。現れたのは二年ほど前だが、噂が噂を呼び、今では若者やネット上で「断罪人」やら「救世主」などと祭り上げられている。佐野は当時からずっとこのぺティ・リッパーを追っているのだった。
「こいつもチンピラってわけか」
「渡が調べに行っています……あ、帰ってきました」
渡は急ぎ足で現場に入ってきた。佐野の姿を認めると、軽く礼をして、やや歩調を緩めこちらへ近づいてきた。
「柳本さん、ガイシャの身元、判明しました」
「よし、話せ」
「はい、秋元浩二、24歳。このあたりにシマはってる秋元組の組長の息子で、こいつ自身は、組が経営しているサラ金会社の取立て屋をしていました。相当悪徳で、法外な金利や激しい取立てに自殺した人も少なくないようです」
やはり今回も法則に漏れず、殺されたのはヤクザだった。しかも大勢から恨まれているような人間ばかりだ。佐野は奥歯を噛み締めた。いくら相手が人間の屑みたいな連中だとしても、殺していい理由にはならない。
(正義のヒーロー気取りの殺人者ってのが、俺は大嫌いなんだよ)
佐野の心中を知ってか知らずか、柳本は険しい顔をした佐野に何も言わず、渡に先を促した。
「昨日の秋元の行動は」
「昨日は朝から何件かの取立てをした後、夜は六本木のクラブで仲間と飲んでいたそうです。店の女の子たちが覚えてました。十一時ぐらいまで店にいて、それから解散後、秋元は店で気に入った女の子を連れて帰ったという証言が取れました」
「その女の子は?」
「はい、今何人かが自宅に向かってます」
「どうしますか、佐野さん」
一通りのことを聞き終え、ようやく柳本は佐野指示を仰ぐべく言葉を向けた。佐野は少し考えて、
「よし、柳本と渡はそのホステスの家に行って署に引いて来い。任意で事情聴取だ。神谷は俺と、昨日の秋元の詳しい行動と身辺調査だ。何かあったらすぐ連絡しろ」
それぞれに指示を出した。指示を受けた柳本と渡は、わかりましたといってブルーシートの向こうに消えていった。
「さあ、俺たちも行くぞ」
「はい」
今回こそ、絶対に辿りついてみせるぞ。佐野は、まだ見ぬ殺人鬼、ぺティ・リッパーに向かって宣言した。
*
佐野は苦々しい顔で現場を眺めた。あの後、佐野と神谷はクラブから現場までの道を辿り、その周辺の聞き込みをして回った。けれど目撃情報は得られず、秋元の足取りもつかめないままだった。ホステスの元に向かった柳本と渡からも、目ぼしい情報は得られなかった。
『とにかく知らないの一点張りですよ。途中までは一緒にいたことを認めたんですが、途中で変な男たちに絡まれて、秋元はどこかへ連れて行かれてその後は知らないと言っています』
電話での報告を受け終えた佐野は、思わずため息をついた。今回もまただめか……。
しかし、その後署に帰った佐野を待っていたのは、予想外の結末だった。
「まさか、自首してくるなんて思っても見ませんでしたね」
いつのまにかついてきていたらしい神谷が、ぼそっと呟いた。
そう、佐野たちが戻ったあとすぐ、自ら秋元を殺したという男が署に出頭してきたのだ。動機は悪質な取立てに対する恨み。ホステスの証言もあって、男は殺人容疑で逮捕され、事件は幕を下ろした。
「神谷、お前本当にあの男が犯人だと思うか」
佐野は秋山が倒れていたところから視線を外さずに、神谷に問いかけた。妙な問いと言えばそこまでだが、神谷には佐野の言わんとしていることを汲み取って答えた。
「俺は、あの男が殺したとは思いません。あれはどうみてもプロの仕事ですよ」
神谷の答えに、ああ、と言って佐野は口の端だけを上げた歪んだ笑みを作った。
「俺はあの男が犯人だとは思わない。上の連中は馬鹿ばっかりだ。ぺティ・リッパーは今もこの街のどこかにいる」
これといった証拠があるわけでもない。証拠というならば、目撃情報も、物的証拠も、すべてが自首してきた男が犯人だと語っている。それを否定するのは、刑事の勘だ。そうじゃないと、本能が言っている。
「これは俺一人が勝手にやる捜査だ。お前まで付き合うことはない。署に帰っていいぞ」
「自分は、なにがあっても佐野さんについていきます!」
背筋を伸ばし、敬礼した部下に、思わず苦笑が漏れる。
「ったく、なにかあっても面倒みないからな」
「わかってます」
そして二人は並んで歩き出した。