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罪の花  作者: 藤野玲
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再会

世界で最も残酷で

世界で最も清らかな罪。

その罪の名は――


1、再会

 突然の雨だった。その日は、どのチャンネルの朝のニュースでもお天気キャスターやお天気お姉さんが、降水確率はゼロ%です。洗濯物もよく乾くでしょうと口をそろえて言っていた。周りを見ても傘をさしている人はいない。みんな持っている鞄を頭の上に乗せ、しだいに強くなる雨から逃げるように近くの屋根へと逃げ込んでいく。甲斐修一もその一人だった。

「くそっ、なんなんだよ!」

この春買ったばかりのリクルートスーツは水をたっぷりと吸い、革靴の中も水浸しで気持ちが悪い。修一は悪態を吐きながら、一番初めに目に飛び込んできた店の前に駆け込んだ。

「勘弁してくれよ……高かったんだぞこのスーツ」

内ポケットからハンカチを取り出し、固く絞って顔と頭を拭く。修一は空を見上げ、一向にやむ気配のない、むしろどんどんと勢いを増している雨をぼんやりと目で追った。

 今日の面接は、自分でもうまくいったと思う。いままでいくつかの会社の面接を受けてきたが、思うような結果は出なかった。修一は大学で法律を学んでいた。父も、その父も代々弁護士だったからと、そんな理由で選んだ学部だった。弁護士になりたいわけじゃなかった。ただ、周りがそれを望んでいたからそうしただけだった。そしてそれに答えるだけの能力があった。在学中に司法試験に合格した修一は、将来有望な弁護士の卵ともてはやされ、父の経営する弁護士事務所に就職が決まっていた。しかし修一はそこで初めて、親の期待を裏切った。

『俺は、仕事まで父さんの望むようにはしたくない。自分が働く事務所は自分で決めたいんだ』

最初は反対された。しかし何度か話し合った結果、父親が折れた。

『好きにしろ、ただしこの不景気に、そんなに簡単に雇ってくれる事務所があると思うなよ』

父の言葉を思い出して、自然とため息が漏れた。父の言うとおり、この大不況の波は弁護士の世界にも少なからず被害をあたえていた。面接を受けれるだけまだいい。弁護士の募集といえば中途採用がほとんどで、新卒の若造を拾って育てようという事務所は今や数えるほどしかない。自分はまだ恵まれているほうだ。修一は自分に言い聞かせる。大学の先輩や、大見栄切ったにもかかわらず頼るのは気が引けたが、背に腹はかえられないと父親の知り合いも紹介してもらい、いくつかの事務所の面接を受けることができた。そして今日の事務所は非常に好感触だった。そう考えて、幾分か気分も晴れやかになった。

 そんなことを考えていたせいか、後ろでドアが開く気配を感じ取れなかった。勢いよく開いたドアに、修一は屋根の外に追いやられた。

「うわっ、すいません俺、ちょっと雨宿りしてて」

慌てて屋根の下に戻り、中から出てきた相手に頭を下げる。

「私こそ気づかないで……」

出てきたのは女性だった。少し高めの、ゆったりとした話し方。顔を上げると、頭ひとつ分下に、決して目立ちはしないが、小さく可愛らしい顔が、ちょこんとこちらを見上げていた。可愛い人だと思ったが、その瞬間、修一は激しい来既視感に襲われた。

この人、どこかで――?

すると女性は驚いたように口に手を当てて、そのつぶらな瞳に修一の姿をしっかりと映すように目を見開いた。自分がじろじろと見ていたのを不快に思ったのだろうか。修一が急いであやまろうと口を開きかけた瞬間、女性の口から出たのは予想外の言葉だった。

「もしかして……甲斐くん?」

「えっ、どうしてそれを?」

「分からないか……もう四年も経つからしょうがないか」

彼女は少し残念そうに笑ってそう言った。その笑った顔に、修一の記憶は、一気に学生時代に戻される。

「津見、さん?」

「……久しぶり」

そういって、彼女――津見冴子は、高校生の頃の記憶より、幾分か大人びた笑みを浮かべた。


「とりあえずあがって?タオル貸してあげる」

冴子にそう言われて、彼女の後について扉をくぐった。中は喫茶店だった。床もテーブルもカウンターもすべて木製。インテリアもそれに合わせたセンスの良いもので、統一感がある。広さはないが、その分なんだかほっとするような、居心地の良さを感じさせる店だと思った。ざっと店内を見回すが、客の姿はない。

「ここ、喫茶店? 君がやってるの?」

「うん、一応ね。今日はお休みだけど」

「だからお客さんいないのか」

「繁盛してないって思った?」

図星を指されて、修一は苦笑いした。高校時代の冴子も、こんな風に勘が良かったのを思い出した。

「それにしても、こんなところで会うとは思わなかった。津見さん、なんか雰囲気かわったね。昔はもっとこう……寡黙な感じだった気がする」

一瞬、冴子の目に暗い影が落ちた。まるで光の届かない、深海のような深い闇。修一は背筋が寒くなって、開いてはいけないパンドラの箱を開けてしまった気分になった。しかし、修一が瞬きをした次の瞬間には、冴子の眼はまた元に戻っていた。

――見間違いだったか?

「そう、かな。四年も経てば、人って変わると思うよ。今は接客だってしなきゃいけないんだから」

「え? ああ、そっか。まあそうだよね」

冴子が話を進めたので、修一はそれ以上深く考えることをやめた。あれは俺の見間違いだったに違いない。そう結論付けて、頭の隅に追いやった。

「でも、甲斐くんだって変わったと思うよ。背も高くなってるし、大人っぽくなってる」

「そんなこと。今でも自分のことで精一杯の、あの頃とおんなじガキのままさ」

「そういうこと言うところは変わってない」

それから二人は冴子の入れたコーヒーを飲みながら、高校時代の思い出話に花を咲かせ、お互いの近況を報告しあった。

「じゃあ、津見さんは大学にいかないで専門学校にいってたんだね」

「うん。もともと大学行く気はなかったんだけど、今の時代高卒で働けるとこなんて限られてくるから…… 森先生に相談したら、じゃあ調理の勉強して、資格とれって言われて」

当時、冴子と修一の担任をしていたのは森という、確か国語の教師だった。変わり者と有名だったが、修一は彼が好きだった。

「おかしな話だよね。当時は早く働きたかったし、料理できたらそれなりのところで働けるからいいかもって決めたけど、後になってなんで調理師だったんだろうって、不思議に思ってね、卒業する前に先生に聞いてみたの」

「先生はなんて?」

「私をね、先生の実家で働かせてくれるつもりだったみたい。ほら、先生の実家って、洋食屋だったの覚えてる? さすがにそこまでお世話になるわけにいかなかったから、断ったけど」

それから冴子は専門学校を卒業後、いくつかの店で働きながら資金を貯め、去年この店を開いたらしい。まだ22歳だというのに、一人で立派に生きている冴子が、なんだか眩しく見えた。

「お父さんの保険金もここの開店資金に当てたから、そんなに大変じゃなかったよ。どうせ自分一人食べていければいいんだから気は楽」

「そっか、すごいな。俺とは大違いだ」

「甲斐くんは? そういえば何学部に進んだのか聞いてなかった。頭良かったから医学部とか?」

「いや、法学部だよ。そういう家計なんだ、うち」

――ガシャン!

冴子の手からマグカップが滑り落ち、中身を撒き散らしながら床に落ちた。しかし冴子は、マグカップを落としたことにさえ気づいていないようだった。ただその眼を大きく開き、修一を凝視している。修一は慌てて零れたコーヒーを台拭きで拭う。

「津見さんどうかした? 俺、なにか変なこと――」

「帰って」

その声の冷たさに、修一は先ほど同じ感覚に襲われた。まただ、このぞくっとする感覚。この感じ、前にもどこかで――

「帰って、お願い。そして、もうここへはこないで」

冴子はそういい残して、店の奥へと姿を消してしまった。冴子の言葉には、抗えない力があった。修一は貸してもらったタオルを綺麗にたたんで、店を後にした。


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