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お母さん、わたしがだれかあててみて

作者: 白波さめち
掲載日:2026/03/05


「お母さん。じゅーす飲んでいい?」


 娘の透花(とうか)がリビングからキッチンへとやってきた。

 甘えるように首を傾げ、私を真っ直ぐに見つめる。

 

 私の背筋にぞくりと冷たいものが走った。

 それに気づかないフリをして、彼女に笑顔を向ける。


「いいわよ。溢さないようにね」


「はーい!」


 透花は冷蔵庫を開けて、炭酸入りのペットボトルを取り出した。それを大切そうに抱えて、リビングへと戻っていく。


 キッチンから少しだけ顔を出してその姿を追った。

 透花はテーブル上のグラスに向かってペットボトルを傾ける。シュワシュワと音を立てながらジュースが目一杯注がれた。

 

 満足そうに顔を綻ばせ、グラスに口をつけながら彼女が眺めるのはテーブルに広げた小さなビーズだ。

 まるで本物の宝石を見ているように、ただのビーズをうっとりと眺めてる。


 やっぱり――おかしい。


 ()()()()()()()()()()()()


 顔を引っ込め、壁にもたれて息を吐いた。

 

 彼女の使っているピンク色のグラスは私のものだ。

 去年家族で旅行した際に「私は白で、お父さんは青。お母さんはピンクね」と透花が選んでくれた色。


 大きく息を吸って、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し笑顔を作った。

 

 その顔が絶対に崩れないよう頬に貼り付けてキッチンを出る。


「透花、それ炭酸よ。苦手だったでしょう?」


 いつも飲んでいたオレンジジュースを掲げて彼女に見せると、彼女はパチパチと瞳を瞬かせた。

 私の()を探るように見た後、グラスに注がれている炭酸飲料に視線を向ける。


「ああ、うん。最近好きになったの」


「……そっか」


 無邪気に歯を見せながら笑う透花。


 いや、()()()()()()()()


 私はオレンジジュースを持ったまま、彼女に近づいた。

 一度テーブルの上に散らばったビーズを見てから、笑顔のままの彼女に視線を向ける。


「ビーズやるの? 材料が足りないんじゃない?」


 作るには紐やチェーンが足りない。ハサミもない。

 それを指摘すると、透花は急いでビーズを机からかき集めた。仕分けケースに乱暴に突っ込んで、リビングから急いで逃げていく。


「なんなの……?」


 リビングに残された私は、彼女が階段を駆け上がる音を聞きながらごくりと唾を飲み込んだ。


 おかしな事だらけだ。

 あの子が失踪したあの日から――


 事の発端は一人娘の透花が学校に馴染めない事だった。

 

 娘は人の顔が識別できない。

 先天性の相貌失認という病気だった。

 感情を表情から読み取ることもできなくて、声のトーンだけで相手の感情を判断している。

 

 都会の小学校では、全員が娘の疾患を理解した上で関わるなんて不可能だった。

 

 クラスに子供は何十人もいる。

 誰が誰か分からない、顔のない子供達。

 

 その環境はあの子を追い詰めた。


 「透花ちゃんが無視をした」とクラスが替わる度に子供たちは娘を責め立てる。心ない言葉も沢山投げつけられたみたいだ。

 

 透花は学校に行けなくなった。


 どうしてうちの子だけ? そう思ったのは一度や二度じゃない。でも都会に住んでいる以上、どうすることもできなかった。


 だから私達は思い切って田舎に移住した。

 子供の少ない田舎の小学校なら、あの子も上手くやっていけるかもしれないとそれに賭けた。


 買い物や病院は不便にはなるが小学校は近い。

 中学校だって、自転車を使えば通える距離だ。


 『子供を地域で守り育てる』


 村のスローガンが移住の決め手だった。


 初めての田舎暮らし。

 街の無機質な匂いとは違って、草と土の香りに満ちていた。

 車の走行音や人の織りなす喧騒に代わって聞こえてくるのは、葉擦れの音や山鳥や虫の鳴き声。


 わからない事ばかりで正直不安もあった。でも住んでみると村には若い人もちらほらいる。

 

「困ったことはないですか」

「何でも聞いてください」

 

 親切すぎるほど村人はみな親切だった。

 新参者の私達をこれ以上になく歓迎してくれた。

 

 透花は転校初日から、村の子供達の仲間にいれてもらえたそうだ。


「みんなが村を案内してくれたの」


 友達と寄り道して帰ったと顔を綻ばせる透花。

 こんな風に、あの子が笑顔で帰宅する日が来るなんて。


 夜、夫と二人で泣いて喜んだ。

 この村に来て正解だったと。

 ここでなら、透花は幸せになれると。


 引っ越し作業が落ち着いた頃、村の世話役の女性が籠一杯の野菜と一緒に家を訪れた。

 

 私はお礼を言い、家に上がってもらった。

 古い家に少し不釣り合いな家具が置かれたダイニングに案内し、彼女にお茶を出す。

 

 世間話をした後、彼女は「そういえば」と事のついでのように口を開いた。


「村のルールについて、もう誰かに聞いたかしら?」


「村のルール?」


 村には――守るべきルールがあった。


 ()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「子供を家から出しちゃダメなんですか? 買い物や……花火なんかも?」


 私がそう尋ねると、「そうなの」と彼女は困ったように笑った。


「昔からの村の決まりなの」


「夏の間だけ?」


「夏の間だけ」


 私は首を傾げた。何故『夏の間だけ』なのか。

 冬の方が陽が落ちるのも早いのに。

 その疑問を察したように彼女は優しく微笑んだ。


「前、夏に子供が村で行方不明になったの。陽が落ちるのが遅いからってハメを外しすぎたみたい。だから、子供たちがついはしゃいじゃう夏の間こそ徹底しようって、村のルールになったのよ」


「ああ……」


 そう言われて納得がいった。

 夏という開放的な季節だからこそついハメを外しすぎてしまうのは、私にも覚えがあったから。


「その行方不明になった子は、ちゃんと見つかったんですか?」


「もちろん。ただ透花ちゃんにもちゃんとルールは守らせてね。何があっても、夜は家から出さないで。お友達が呼びに来ても出てはダメ」


「お友達……?」


「ええ、ルールを守ってないお友達」


 世話役の彼女は笑顔を浮かべていながらも、その言葉にはどこか真剣味が滲んでいた。

 透花がルールを守らない悪い子と仲良くするなんて想像もできないけれど、私は静かに頷いた。


 夜の神社に行かないようにというルールは、単に草木が生い茂りすぎて迷う事があるからだそうだ。


「後は、村のお祭りの事かしら。夏のはじめに神社の前でお祭りがあるの。お昼から夜にかけてね。村一番の行事だから、これには参加してもらいたいわ」


「夜ですか? 子供は?」


「小さな子供がいる家庭以外は、基本的に大人は全員参加してもらうことになってるの。子供たちはその間、家でお留守番してる」


 夫婦どちらかが手伝うのではダメらしい。

 そんな話、移住前になかったはずだ。


「それは……」


「透花ちゃんは六年生でしょう? 大丈夫よ。十時には終わるから、子供たちが寝る頃には家へ帰れるわ」


 彼女は、私の手をそっと握って微笑んだ。

 その人の良い笑顔にこちらもつられて笑ってしまう。


 この時、私はちゃんと違和感を感じたはずなのに。


 透花がどんどん村に馴染んでいくせいで気にしないフリをした。透花に笑顔が増えた事は私にとって一番の喜びだったから。


「透花、学校楽しい?」


「すっごく楽しい! 見て? クラスの子からキーホルダーを貰ったの。みんなも色違いを付けてるんだよ。名札代わりにすれば、誰が誰か分かるよねって」


 こんな無邪気に喜ぶ姿なんていつぶりだろう。

 透花は毎日のように村の子供と遊んでいた。

 あんなに好きだったビーズアクセサリー作りをする事もめっきり減った。

 

 それほどまでに友達と過ごす時間は彼女にとって楽しいものだったらしい。

 ただ、どんなに友達と遊ぶのが楽しくとも、陽が落ちる前に必ず透花は家に帰ってきた。それが村のルール。


「ほぉら、もう陽が落ちるよ。お家へお帰り」


 午後六時を過ぎると、村の人たちは外にいる子供たちに声をかける。ぐずる子供がいれば、付き添って家まで送り届けてくれるそうだ。


 スマホを持たせるべきか悩んでいたけれど、もう少し先でもいいかもしれない。それは、地域で子供を守るこの仕組みのおかげだった。


 毎日のように外で遊ぶ透花の肌が少し小麦色になってきた頃、祭りの日が訪れた。


 日中は屋台が出て、村の大人たちが子供たちに向けて出し物や企画をする。

 

 決して立派じゃないけど温かみのある光景。

 

 私もフランクフルトを焼きながら、村の子供達と集まって笑い合う娘の姿を目に焼きつけた。


 子供たちは視線を合わせない透花を気にしない。

 男の子も、女の子も、年下の子も、年上の子も。

 そういう()()として受け入れてくれているように見えた。


 そして夜――

 『送り役』の大人が、子供たちを家まで送っていく。

 

「ちゃんと晩御飯食べるのよ。キッチンに置いておいたから。お風呂もちゃんとできる? もしママ達が遅くなるなら先に寝てもいいからね?」


「大丈夫だよお母さん。みんなと一緒に帰るもの」


 透花は少し頬を膨らまして俯いた。

 透花の顔を見た夫は「ほら、心配しすぎ」と笑って私の肩を叩く。


「お母さんとお父さんも、お祭り頑張ってね」


 小さく微笑んだ透花は、私達に手を振って子供たちの列に加わった。


「みんな、帰るよ。ついて来て」


「「はーい!」」


 先頭にいる『送り役』の大人は、まだ陽が落ちる前にも関わらず提灯を灯している。茜色の空の中、溶け込むように光る提灯がゆっくり村の奥へと遠ざかっていった。


「じゃあ準備に取り掛かりましょうか。お二人は初めてのお祭りだから今日は見学してて?」


「あっ……はい」


 世話役の女性は真っ白な着物に身を包んでいた。

 その顔には小さな緊張が滲んでいる。


 陽が完全に落ち、村が暗い闇に包まれた。

 神社の入り口、朱色が剥げた古い鳥居を松明が灯す。

 

 その鳥居の前には、これでもかというほどのお菓子やぬいぐるみが白い布をかけたテーブルの上に積まれた。


「なにあれ……神社の神様への奉納品? お酒とかじゃないの?」


「この村の神様は……子供なんです。子供はお菓子、好きでしょう?」


 ポツリと呟いた夫の言葉に、村人が貼り付けたような笑顔を浮かべて説明をした。

 

 お菓子とぬいぐるみという不可解な奉納品。

 それは、まるで近所の子供にあげるような口振りだった。

 

 白装束に身を包んだ村人の一部が奉納品の前に出た。

 彼らは土の地面の上に直接膝をつく。

 そのまま深く首を垂れた。

 背中を丸めて、土下座をするみたいに。


「アイスマヌ」


 白装束の中心から聞こえてきたのは、掠れるような空気の響き。冷たい指が背筋を伝ったように、背骨がスッと冷えた。


「アイスマヌ、アイスマヌ、アイスマヌ、アイスマヌ」

 

 その声に続くように、周りの白装束の声が重なった。

 最初は少しずれていた声も、言葉が重なる毎に一つになっていく。まるで、一つの集合体のように掠れ、縋るような声が合わさる。


「アイスマヌ、アイスマヌ、アイスマヌ、アイスマヌ

 アイスマヌ、アイスマヌ、アイスマヌ、アイスマヌ

 アイスマヌ、アイスマヌ、アイスマヌ、アイスマヌ

 アイスマヌ、アイスマヌ、アイスマヌ、アイスマヌ」

 

 命を削るように搾り出されたその声。

 空気がうまく吸い込めない。

 肌に纏わり付く湿気が肺を締め付けているみたいだ。

 アイスマヌ……相済まぬだろうか。

 額に土がつくことも構わず、みんな頭を深く下げている。


 彼らは――何を謝っているの?


「なんだこれ……不気味」


 夫の呟きが闇に飲み込まれていく。

 白装束の村人は次々に入れ替わり、必死に『アイスマヌ』を繰り返した。


 時間の感覚が狂っていく。

 松明の火が弾けるパチパチという音が村人を喝采する拍手のように聞こえた。


 その空気を切り裂いたのは、つんざくような警告音。

 周囲の森に反響し、叫び声のように轟いた。


「何?! なんの音?!」


「防犯ブザーだ!! 子供たちの――」


 混乱に包まれる村人たちの声。

 私は「子供たち」という言葉と警告音に押し出されるようにして家へと駆け出した。


「透花――!!」


 村から格安で支給された一軒家。

 その戸を乱暴に開けて家へと入る。


「どこ?! どこなの?!」


 家中に自分の声が反響する。

 でも、返事はない。

 リビングも、お風呂場も、全部見た。

 もつれそうな足を動かし、2階へと駆け上がる。


「透花……!!」


 音を立てて開けた透花の部屋。

 扉の先は空っぽで、真っ暗な部屋が広がっていた。


「どこ?! どこに行ったの?!」

 

 私の声は空洞な家の中に吸い込まれていった。


 透花が見つかったのは、その次の日の夜のこと。

 村の端の森の中で眠っていたらしい。

 二度と会えないんじゃないかと気が狂いそうな時間を過ごしていた私は、その連絡を受けてほっと胸を撫で下ろした。


 隣町の警察署まで捜索願いを出しに行った夫をすぐに電話で呼び戻す。


 車が家の前に停まったと同時に、私は家から飛び出した。運転席から降りた世話役の女性が後部座席を開けると、あの日別れた時のままの姿で透花が車から降りてくる。


「透花……!!」


 駆け寄った私は、透花を抱きしめた。

 びくりと少し震えた透花の身体。

 恐る恐る、腕が私の背中に回される。


「良かった……! どこに行ってたの!」

 

「心配……かけて……ごめんなさい」


 透花の声は震えていた。

 もう大丈夫、と伝えたくて私は腕に力を込める。


「村の子供たちと大人達が何をしているのか覗きに行こうとして、はぐれてしまったみたいです」


 一緒に降りてきた村長の声に顔を上げた。

 その表情は行方不明の子供が見つかって安堵しているというよりも少し強張っているような気がした。

 視線を彷徨わせながら、ちらりちらりと透花を見ているのだ。胸にじわりと不安が滲む。


「……森の何処にいたんですか?」


「え?」


「だから、どこで透花は見つかったんですか?」


「あ……えっと……神主さんのお家の近くで」


 神主の家?

 村の高台にある?


 そこは神社の反対側だ。

 村長より立派な神主の家は、その周囲の森一帯もその一族の私有地だと聞いていた。


「なんでそんな所に……? だって……」


「お母さん! 私は大丈夫だから!」


 胸に抱いた透花が声を上げる。

 先程まで恐れるように回されていた腕に、ぐっと力が入った。

 小さく揺れる透花の瞳。

 ここでは……話せないってこと?

 

「わかったわ。家で休みましょう? 皆様にありがとうございましたとお伝えください」


 世話役の女性と村長に一礼をして、そっと透花の背を押した。

 扉の内側に入って小さく息を吐く。


「透花……一体何があったの?」


「え?」


 靴を脱ぎながら尋ねると、透花から少し戸惑う声が聞こえた。


「だから、なにがあったの?」


 玄関に立ち尽くしたままの娘を、じっと見る。

 透花は少し悩んで「アハっ」と甲高く笑った。


「よく覚えてないの。気がついたら森の中にいた。お母さんが心配する事はなにもなかったよ。もう森にも神社にも近寄らないから」


 お母さん……?

 透花は、家の中で私の事をお母さんなんて呼ばない。

 呼ぶのは他人の前や、外でだけだ。

 家の中ではずっと「ママ」と呼んでいた。


「あーなんだかお腹すいちゃった」


 目一杯口角を吊り上げ、目を細めて笑う透花。


 そんな透花を――私は知らない。


 あなたは誰?


 そう言いそうになって、私は思わず言葉を飲み込んだ。

 


 翌日、私は夫と共に娘を病院に連れて行った。

 身体に怪我や異常はない。

 でも、やっぱり何かがおかしい。


 朝、嫌いなトマトを何も言わずに食べたのだ。


 いつもなら「トマトは入れないでよ」と頬を膨らませて怒るのに。


「丸一日森の中を一人で彷徨っていたんです。大きなストレスから帰宅後も不安定になる事はよくある事ですよ。変だと思っても指摘せず普段通りに過ごしてあげてください」


 『娘が娘じゃない気がする』と相談した私に対して、医者はただそう言った。

 夫も医者の言葉に納得したみたいだ。

「ちょっと不安定になってるだけだよ」と私の肩を抱く。


 でも、胸を焼く不安は晴れない。


 嫌いな食べ物まで『忘れる』なんて事ある?


 病院からの帰り道、助手席から振り返って透花を見た。


 透花はただ車窓に流れる景色を眺めている。

 その瞳の奥の感情は全く読めない。


「透花、暇でしょ? スマホ貸してあげようか?」


 助手席から差し出したスマホを受け取った透花は、首を傾げた。いつもなら、すぐに私のパスコードを入力して動画を見始めるのに。まるでスマホの使い方を知らない人のような反応だ。


「うーん。今日はいいや。お母さん、ありがとう」


 笑顔と一緒に返されたスマホ。

 それを震える手で受け取った。


 違和感はどんどん大きくなる。


 透花が透花と思えない。

 炭酸を飲みだしたり、甘いお菓子を好んで食べる。

 その一方で、住んでいる家の日用品の場所すら記憶にないらしい。


「アハッ」


 甲高く笑うその声も。

 透花だけど透花じゃない。


 あの子は、笑う時、もっと漏れるように笑いを溢す女の子だった。


 貴女は――誰?


 私が疑っている事に気づき始めたのかもしれない。

 透花はよく家を空けるようになった。

 コソコソと逃げるように家からいなくなる。


 変わってしまった透花への不安が限界に達した私は、ある日、家から抜け出す彼女の後を追った。


 何年もこの村で暮らしているかのように、透花の足は迷いがない。


「こんにちは!」


「あ……ああ……こんにちはぁ……」


 すれ違う住民にも笑顔で挨拶をする。

 でも、それを返す住民には明らかな戸惑いが浮かんでいた。


 透花が向かったのは村の墓地だった。


 もう古くなった石の塊……無縁仏が眠る一角にふらふらと歩いていく。


 声をかけたくなる衝動を必死に押し込めて、その後を隠れながら静かに追いかけた。


 ゴリゴリ――

 ザクザク――


 聞こえてきたのは、土を掘り返すような音。

 そっと顔を出すと、無縁仏が立ち並ぶ石像の真ん中で透花は穴を掘っていた。


 白く小さな手を土まみれにしながら、一心不乱に土を掘る。


「さあできた。燃えないようにここに入れましょ」


 その小さな穴に、透花は鞄から出した小さく光る宝石のような何かを降らすように投げ込んだ。


 あれは――ビーズだ。

 あの日透花がうっとりと眺めていた、宝石のようなプラスチックのビーズ達。


「大事なのものは、穴の中。物も、人も、穴の中」


 次に投げ込まれたのはクッキーの缶詰。

 キャンディやマシュマロの袋達。

 

「燃えないように守りましょう。秘密も全部守りましょう」


 パラパラと最後に紙吹雪を降らせ、透花は歌いながらゆっくりと土を戻す。


 満足げな笑みを浮かべながら、周囲の落ち葉をかき集め、その上にそっと被せた。


「ぜーんぶぜんぶ。穴の中」


 アハッと甲高い声で笑った透花は、軽い足取りで家の方角へと戻って行った。


 彼女の姿が見えなくなったのを確認し、私はそっとその土を掘り返す。


「……何これ……写真?」


 最後にパラパラと投げ込まれたのは、切り刻まれた写真だった。透花の部屋にあった家族写真だ。


 顔を真っ二つに割かれた娘の顔が、土の中で二つに分かれてる。


 ふと浮かび上がる可能性を、私は必死に消し去った。


 違う。

 ちょっと――おかしいだけ。

 失踪したショックで、おかしくなったの。

 そうよ、きっとそう。


 この村があの子を狂わせてるんだ。

 

 だって透花が……何をしたっていうの?


 子供が()()()()()()()()()()なんて、おかしいでしょう?


 掠れた笑い声が自分の口からいつの間にか漏れ出ていた。

 

 もし、アレがこの不気味な村が生み出した『何か』なのだとしたら。


 この土地に縛られ、村のルールに守られている存在なのだとしたら。


「ここから引き離す」と言えば、どんな顔をする?


 


 私は、私自身の正気を確かめるための「賭け」に出ることにした。


 


「お願い。この村から引っ越したいの」


 その夜、縋るように夫にそう願った。

 透花はとうに寝ている時間。先に夫を説得する。

 ソファーでくつろいでいた夫は、私の突然の言葉に目を見開いた。


「え?! どうして? そりゃ一晩いなくなったれど、透花は無事だったし、村の人達だって総出で探してくれただろう?」


 無事……?

 何処が?

 アレが本当に透花だと思ってるの?


 その時、背中から冷たい視線を感じた。

 氷を当てられたような悪寒が、全身駆け巡る。


 振り返ると――そこには透花が立っていた。


「なんだ、透花。眠れないのか?」


 夫はソファーから立ち上がってそっと彼女の頭を撫でた。

 透花は「そうなの」と苦笑いを浮かべる。

 ただ、彼女の瞳だけは、真っ直ぐに私を捉えていた。


「お母さん、この村を出たいの?」


 予定とは違うけど……食いついた。

 私は震える指先を隠し、努めて穏やかな「母」の顔を向ける。


「ええ……そうなの。この村に馴染めなくて」


「お母さんはこう言ってるけど……折角友達もできたのに嫌だよな?」


 透花はゆっくりと首を振る。

 その顔は――笑っていた。

 願いが全て叶ったみたいに。


「ううん。私も村を出たい。この村、好きじゃないの」


「そうなのか? 俺はてっきり……」


「私、昔より上手くきっとできるよ。昔の私とは変わったの」


 ドクンドクンと心臓が音を立てる。

 でも流れてくるのは冷たく冷え切った血液だった。


「そうかそうか。確かに強くなったよな。じゃあ前の家に戻ろうか」


「アハッ! やったぁ! お父さんありがとう!」


 夫の声はもう私の意識に届かなかった。

 はしゃぐあの子の声も。

 

 そんなはずはない。

 

 アレがこの村の何かなら、きっとここを離れる事を嫌がるんじゃないか。そう思って提案したのに。


 どうして、そんなに喜んでいるの?


 新学期が始まるまでに引っ越せないかと透花は夫に頼み込む。夫は「前の家はまだ誰も住んでないけど……どうかな」と頭を掻いた。


 



 引越しの日まで、あれほど熱心に移住を勧めた世話役も村長も誰も私たちを引き止めなかった。


 まるで――疫病神をさっさと追い出したいみたいに。


 引越しのトラックは、あっという間にこの村で過ごした私達の全ての荷物を詰め込んだ。


 去り際に、村の住民を引き連れた村長が家を訪れる。


「向こうでもお元気で」


「いえ、結局一夏となってしまいましたが、娘も私達もこの村で過ごせて良かったです」


 ありきたりな別れの挨拶。

 夫は何度も村長に礼を言った。

 娘が――明るくなったと。

 いざ、車に乗り込もうとした時。

 透花がいない事に気がついた。


「あれ? 透花は?」


 夫が周囲を見渡すと、村長達に緊張が走った。


 どう反応していいのか分からない。

 ただ、このまま本当に去るべきなの?

 これで……いいの?


「ママ」


 どこからともなく、透花の声が聞こえた気がした。

 何処からか分からない。

 まるで薄い膜に隔たれたような、世界の向こう側からの声。


「透花……? 透花!!」


 私の声は夏の終わりの青空に吸い込まれた。

 それを上書きするように、ひぐらしや鳥の声が周囲から覆い被さり消していく。

 

 家の中?

 咄嗟に玄関へと踵を返した。


「お母さん! お父さん!」


 ドアノブに手をかけた私に、背後から声がかけられる。

 振り向くと、透花が立っていた。


 その指先はひどく汚れていて、黒い土が爪の中までこびりついている。


「透花、どこいってたんだ?」


「ちょっと宝物をとってきたの。新しい家に持って行こうと思って」


 透花は肩にかけていた鞄を持ち上げ、ぎゅっと抱きしめた。白い布のバックが、土で黒く汚れていく。


「そうかそうか。 じゃあ車に乗ろうか」


「うん! 村長さん、お世話になりました」


 見送る村人達の集団に真っ直ぐ歩いて行った透花は、村長に向かって深く頭を下げた。


 その瞬間――疑念が確信に変わる。

 夫もぴくりと頬が痙攣した。


「ほら、お父さんお母さん、行こう!」


 私達の手を握った透花は急かすように車へと引っ張って行った。夫は運転席、私は助手席に押し込まれる。


「道中……お気をつけて」


 笑顔を貼り付けた村人達が手を振った。

 夫は少し戸惑いながら、エンジンをかけアクセルを踏み込む。

 

 バックミラー越しに後部座席の透花と()()()()()


 その顔には未来への期待が浮かんでいる。


「お家、楽しみだね」


「……前もいた場所だろ?」


 喉が締め付けられたような夫の言葉に「アハッ」と声を出して透花が笑った。


「そうだったね。……お父さん、すごい汗。どうしたの?」


 私達の娘は病気だった。

 

 娘は――人の顔が分からない。


 相貌失認症。失顔症とも言われる病気だ。

 生まれた時から、あの子はずっとそうだった。


 声や服の色を頼りに、人を見分けているのだ。

 突然現れた村人から、どの顔が村長かなんて透花にはわからない。わかるはずがない。


 それなのに――さっきの透花は分かっていた。

 誰が、誰か。


「お母さんも、ひどい顔」


 感情も伝わっている。

 声だけじゃない。人の表情をちゃんと見ている。


「あなたは……誰なの?」


「アハッ、何言ってるの? 透花だよ?」


 でも、私達には分からない。

 娘が誰か。いや、何なのか。


 私は間違っていた。

 村から離れればと思っていたけれど、そうじゃない。


 本物の透花はまだ村にいる。


「あなた……やっぱり村に帰りましょう」


 透花を探さなきゃ。

 私達の本当の娘を。


 でも夫は唇を振るわせながらも首を振った。


「病気が……治ったのかもしれない。向こうで一度、病院に行こう?」


「そんなわけ……!」


「透花じゃないなんて……そっちの方があり得ないだろ」




 成り代わりと言う言葉を、あなたは信じるだろうか?

 

 



お読みいただきありがとうございます。

怖っっ!と思っていただけたら評価を押していただければ嬉しいです。


こちらの作品、本日完結しました『イリグチ様 ─逃げなかった子供だけが背負う呪い─』の短編です。


よろしければ本編の方もお読みください。

本編は村の子供達が主役となっています。


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