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最後の魔法が灯る日

作者: 猫治
掲載日:2025/12/14

 魔法は、音もなく薄れていった。

 ある朝、井戸の水を温めていた小さな火の呪文が、最後まで唱えられなかった。次の日、街路灯の光が一つ、また一つと消え、夜は夜の色を取り戻した。


 エルディンは塔の最上階で、それを見下ろしていた。白髪は肩に落ち、指先にはもう、かつての熱はない。魔術師たちは皆、分かっていたのだ。世界から魔法が去ることを。理由は分からない。ただ、終わりだけが等しく訪れる。


 弟子はとうにいない。最後の一人は三年前、農村へ戻った。魔法がなくても生きていける場所へ、と笑って去っていった。そう、魔法はもう必要ないのだ。エルディンは引き留めなかった。引き留める言葉を、もう信じていなかったからだ。


 その日、塔の扉が叩かれた。

 珍しい訪問者だった。


「先生」


 細い声。振り向くと、少女が立っていた。外套は擦り切れ、手には古い杖――いや、ただの木の枝だ。


「魔法を、教えてください」


 エルディンは首を振った。


「もう遅い。魔法は消えゆく。今日か、明日か、その程度の違いだ」


「知っています」

 

少女は即答した。


「でも、最後に魔法を見たいんです」


 エルディンは少女を見つめた。瞳に恐れはなく、ただ、確かめたいという意志だけがあった。


「なぜだ」


「母が言っていました。技術は世界を便利にしたけれど、人の心を照らすのは、最後まで残るって」


 エルディンは、思わず笑った。

 それは、かつて彼自身が語った言葉だった。


 塔の中央で、彼は蝋燭を一本立てた。


「よく見ていなさい。これが、最後だ」


 呪文は短く、簡素だった。かつてなら、子どもでも使えた魔法。

 指先に集まった光は、風前の灯火のように揺れ、それでも確かに、そこにあった。


 蝋燭に火が移る。

 小さな炎。


 少女は息を呑んだ。


「きれい……」


 その瞬間、光は霧散した。

 エルディンの手には、何も残らない。


 沈黙が落ちる。塔の外では、風の音がした。魔法のない、ただの風だ。


「先生」

 

少女が言った。


「今の、本当に魔法だったんですか?」


 エルディンは答えなかった。代わりに、蝋燭の火を吹き消した。

 そして、ポケットから火打石を取り出す。


 ――カチリ。


 火花が散り、再び炎が灯る。魔法は必要ない。呪文を覚える必要もない。ただ石と石をぶつけるだけだ。


「これは、魔法ではない」


 彼は静かに言った。


「だが、世界を照らす」


 少女はしばらく考えた。母が愛した魔法はもうなくなってしまうのだ。剣と魔法の時代は終わるのだ。


 彼女は礼をして、塔を去った。

 エルディンは一人、空になった掌を見つめる。


 魔法は、終わった。

 だが、誰にも気づかれず、最後の嘘が一つ、この世界に残った。


 ――魔法は消えた、と。


 それを信じる人がいる限り、世界はきっと、前へ進める。こんな老骨を置いていって。

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